黄蓋


黄蓋(こうがい)
字は公覆(こうふく)

(生没年不詳)
郡の役人だったが、孫堅が挙兵すると従って配下となる。
風貌には威厳があり、配下の兵士達にもよく心配りをしていた為、彼が軍を率いる時は、兵士達は先を争って戦ったという。
また、異民族や盗賊で治安の乱れた県があると、いつもその地の県の長官に任じられ、彼の治めた9県いずれの土地も人々は穏やかに暮らすことができた。
208年の赤壁の戦いでは、黄蓋は周瑜の指揮の下で戦う。
「曹操の船団は互いに密集していて動きが取れないので、火攻めにすれば敗走させることができる」と周瑜に献策。
曹操には投降したいという偽の手紙を送り油断させ、火のついた軍船を敵軍に突撃させて勝利を収めた。
この戦いの中で、黄蓋は流れ矢に当たって水に落ちたが、味方に助けられている。
その後も異民族の鎮圧などに活躍したが、病気の為に死去した。

『演義』では、この赤壁の戦いにおいて曹操に投降を信じさせる為に周瑜に刃向かい、その罪で棒叩き100回を受ける『苦肉の計(策)』の場面がある。
最終更新:2010年02月11日 16:11