文醜


文醜(ぶんしゅう)
字は不明

(?-200)
官渡の戦い以前の記録は不明。

官渡の戦いの前哨戦である白馬の戦いで、曹操軍は顔良を斬り、補給隊を前にして帰途につこうとしていた(普通、補給隊を前にすることはない。重要なものだから厳重にするはずである)。
その報を聞いた文醜は騎兵の隊長として、劉備と共に出陣。
補給隊を見つけると文醜軍は我先にと襲いかかり陣形が乱れ、そこを逆に曹操軍に襲われた。
曹操軍(荀攸)の罠だったのである。
この乱戦の中、文醜は討ち取られている。

演義では、顔良とは兄弟同然の付き合いをしていた。
公孫瓚との戦いで公孫瓚を追い詰めるが、趙雲に割って入られ決着がつかなかった。
官渡の戦い(前)では顔良の敵討ちを志願するが、正史と同じようにしてやられ、孤軍奮闘する中で関羽に斬られている。

「醜」という漢字がある為に、「ブサメン」と呼ばれている。
演義でも「牛のおばけのような面構え(どんなんだよ)」と描写されている。
実際どうだったかは知らない。
最終更新:2010年02月12日 10:50