閻柔


閻柔(えんじゅう)
字は不明

(生没年不詳)
若い頃、烏丸と鮮卑のもとに連れてこられたが、やがて崇敬を集めるようになったという。
劉虞が公孫瓚によって殺害され、劉虞に従っていた者や慕っていた者達が軍勢を率いて復讐しようとして、人々に信頼されていた閻柔を持ち上げた。
閻柔は烏丸や鮮卑に誘いをかけて、数万の軍勢で公孫瓚が配置した部下(太守)を殺害した。
袁紹はこれを利用して手厚く扱い、北方の安定を計った。
(同じ正史内でも伝によって時期が異なる記述になっているが)曹操が袁紹と対峙していた~曹操の袁家掃討戦の頃、曹操に使者を送り烏丸・鮮卑の者達を引き連れ帰順している。
閻柔は、烏丸・鮮卑と曹操軍の重要なパイプ役になっていて、貢物等はほとんど彼を介している。
『魏略』によると、曹操は閻柔を大変目にかけ、いつも彼に向かって「お前を実の子のように思っている。お前も実の父親のように思うがいい」と言っていた。
閻柔は曹丕を頼みに思って、実の兄弟のようだったという。

正史に伝はない。が、公孫瓚伝の劉虞関連、烏丸・鮮卑伝で名前が出てくる。
実は管理人の持っていた「人物事典」に名前がなく、正史を元に簡略化した。
最終更新:2010年02月12日 21:01