劉虞


劉虞(りゅうぐ)
字は伯安(はくあん)

(?-193)
光武帝(後漢最初の皇帝)の子、東海恭王の子孫。つまり、皇族の子孫。
支配地では善政を敷いていた為、人々からの人望は厚い。また異民族の間でも信望が厚く、人望により反乱を鎮圧した。
しかし、公孫瓚との対立が激化。戦争を得意としなかった為に、公孫瓚に捕らえられ処刑された。

公孫瓚が袁紹に滅ぼされた要因の一つが、この劉虞の処刑にあったという。
最終更新:2010年02月11日 21:16