【1】


 ハナ・N・フォンテーンスタンドは、ただの女子中学生だ。
 弾丸を避けたり、鎧武者に変身したり、歌と踊りで客を魅了したりだとか。
 そういった特異な能力や才覚もない、平凡な少女である。
 一人でよさこいを始める位の行動力はあるが、それも常人の域でしかない。

 だから当然、怪異に対する対応も、それ相応になってしまう。
 端的に言ってしまえば、ハナには何もする事が出来なかった。
 今もベッドの上に横たわり、貴重な時間を貪り続けている。

 正午になった途端、サガラと名乗る男からの通告が始まった。
 教えられたのは三つ、聖杯戦争が本格的に幕を開けた事、生き残りが23組である事。
 そして最後は、"無差別殺人を働くサーヴァントがいる"という警告。

 深く考えるまでもない。自身のサーヴァント――漆黒のキャスターの仕業だ。
 彼は主の身など案じることなく、現在進行形で殺戮を繰り返している。
 今回は警告だけで済んだが、このままでは罰則も免れないだろう。

 今日は学校が休みで良かったと、休日という概念に深く感謝する。
 通達を聴いた直後の自分は、この世の終わりの様な表情を浮かべていたに違いない。
 鏡で見たら直視できなくなるくらい、それはもう酷い表情をしていただろう。

 キャスターと会話を交わして数時間、ハナはまだ迷い続けている。
 このまま彼を放置しておけば、死体は次々に増えていくのは明白だ。
 無辜の民の虐殺を黙って見届けれる程、ハナは薄情な人間ではない。
 事実、彼女は今すぐにでも殺戮を止めてほしいと祈っている。

 無理にでもキャスターを止める手段が、無いと言う訳では無い。
 ハナが持つ絶対命令権――令呪を使えば、キャスターの身動きを封じる事が可能だろう。
 あくまで彼はサーヴァントであり、ハナの僕という範疇を抜け出せないのだから。

 しかし、ハナの脳裏に浮かぶ二つの疑念が、令呪の使用を躊躇わせていた。
 まず第一に、彼女は自分のサーヴァントが恐ろしくて仕方がない。
 意気揚々と殺戮を行う狂人など、ただの少女からすれば恐怖の対象にしか映らないだろう。
 そんな男を令呪で拘束すればどうなるか――想像するだけで怖気が走る。

 そして、もう一つの理由。それはキャスターの宝具の事だ。
 彼の宝具「死の濁流(アンコクトン)」は、他者の生命を媒介に増殖する代物である。
 人を殺せば殺す程にその総量は増加し、宝具は強力かつ凶悪になっていくのだ。
 だが逆に言えば、生命を奪わねば「死の濁流」の量は増えないという事でもある。
 宝具頼りの戦法をとるキャスターが、肝心の宝具の強化手段を失ったとしたら。
 聖杯戦争の勝利が夢物語に終わるのは、火を見るより明らかであった。

 他の参加者がそうであったように、ハナにも願いがある。
 親友と一緒に、また"よさこい"を踊りたい、という願いが。
 その願望を成就させるには、聖杯の力がどうしても必要なのだ。
 キャスターを令呪で縛るという事は、つまり聖杯の獲得権を放棄するのと同義。
 それ故に、少女は令呪の使用を渋ったままでいる。

 今この家にいるのは、ハナ独りだけだ。
 休日だというのに両親がいないのは、彼等が共に働きに出ているからである。
 所謂"休日出勤"というやつで、今頃あくせくと仕事をしているのだろう。

 聖杯戦争の話を、両親に打ち明ける気にはなれなかった。
 共に暮らしている彼等に迷惑をかけたくないし、何より彼等はNPCである。
 姿形は同じでも、そこにいるのは元の世界にいる両親とは別人でしかない。
 どんなに似通った性格と声だろうが、それは舞台を彩る操り人形に過ぎないのだ。

 もしかしたら、聖杯戦争なんてものは質の悪い夢でしかなくて。
 また眠りに就けば、元いた場所に帰りついているかもしれない。
 なんて、それこそ夢物語でしかない事は、ハナ自身が重々承知している。
 この衆愚の街は偽物だが、今此処で起こる怪異は、紛れもない本物なのだ。

「…………なる」

 無意識に、日本で最初に出来た親友の名を呼んだ。
 煌めく思い出を共に作った、掛け替えのない仲間の姿を思い浮かべながら。
 そんな事をしたところで、返事が返ってくる筈もないというのに。


【2】


 ジョーカーは現在、ミッドタウンを車に乗って移動している。
 予め少佐が彼に貸し与えた、何処にでもあるような中古車である。
 これに乗っているのは、運転席に座るジョーカーと、少佐のサーヴァント一騎。
 後部座席に座る彼は、何気なしに窓の外を見つめていた。

 車の速度に合わせ、バーサーカーの視線の先の景色は、目まぐるしく変わっていく。
 民家が立っているかと思えば、すぐにビルの入り口が映し出され、
 スーツの男性が歩いていると認識した直後に、その姿は消えている。

 かつて"ザギバスゲゲル"を行った地より、遥かに騒々しい街だ。
 もしこの場で自身の力を行使すれば、あの時以上の惨事になるのは間違いない。
 耳に流れ込む轟音と悲鳴は、きっと桁違いのものとなるだろう。

「なあボーイ、俺みたく笑った事はあるか?」

 ハンドルを操作するジョーカーが、不意にそんな事を聞いてきた。
 問われたバーサーカーは、ふと自分の半生を振り返ってみる。
 言われてみれば、自分はジョーカーの様に笑った経験がない。
 身を捩らせながら破顔する――そんな笑い方とは無縁の生涯だった。

「ないよ」
「HA HA HA HA !! だよなぁ、そうじゃなきゃしかめ面浮かべる訳もねえぜ!」

 ジョーカーはバーサーカーの笑顔を、しかめ面だと酷評する。
 彼が言うには、笑い方が下手糞な自覚がまるで無いのだという。
 バーサーカーからすれば、意味不明な理屈だと言う他ない。
 愉しいから笑顔になる、その笑顔に得手不得手などあるものか。

「ボーイ、お前はママのミルクみてぇに真っ白なのさ。幼稚園でヒーローごっこしてるガキと同じだ。
 お前が人殺して笑ってるのも、ガキが玩具振り回して笑うのも……何て事はねぇ、似た様なもんさ」

 ジョーカー曰く、自分は狂った振りをしたガキなのだという。
 無理くり作った笑顔は滑稽だと、彼は盛大に破顔してみせていた。
 正直に言ってしまえば、バーサーカーはあの時点でジョーカーを殺すつもりでいた。
 バーサーカーは純粋だが、他者からの侮蔑に鈍感な訳でもない。

「だがなぁ、お前はガキじゃねえ、三万人殺しのサーヴァント様じゃないか。
 実を言うと俺は悲しいのさ……お前程の"やり手"が退屈そうな面してやがるのがよ」

 バーサーカーのマスターもまた、同じ様に失望の念を露わにしていた。
 どうしてその莫大な力を、"たかが"虐殺如きしか使わなかったのだと。
 似た様な言葉をぶつけてきたからこそ、バーサーカーはジョーカーに興味を抱いた。

「教養ってのは大事だ……そいつがなきゃ"モンティ・パイソン"も楽しめねぇ。
 だからオレが教えてやるのさ!お前の真っ新なキャンパスに落書きしてやる!
 本物の狂気を、お前がバーベキューにした人間の正体ってもんを教えてやろうじゃないかッ!」

 "本物の狂気を教えてやる"というのも、少佐の発言と合致している。
 口調から絶対的な自信が滲み出ている事さえ、少佐と同様であった。
 化物(グロンギ)の価値観に挑むこの男は、やはりただの人間とは一線を画している。

「僕を笑わせてくれるなら、考えてあげるよ」

 だから、狂人への期待を含めて、そう言い返した。

「そりゃお前、屠殺屋に豚を殺れるかって聞く様なもんだぜ」

 対するジョーカーは、愉快気にそう言ってみせた。
 前を向いてて表情は見えないが、きっと彼も笑っていただろう。

 これから何処に向かうかなど、バーサーカーには知る由も無い。
 だが、次の行先を決めようとするのは、この狂った道化なのだ。
 彼がエスコートするのであれば、きっと退屈とは無縁な筈だろう。

 いや、もしかしたら。もし自分を笑顔にする相手に出会えたのなら。
 それこそジョーカーが言った様に、"腹を抱えて笑う"きっかけが掴めるかもしれない。
 少佐が話す"戦争"も楽しみだが、それは最後のとっておきだ。
 今しばらくは、彼のジョークに期待を寄せておくとしよう。

 自分がリントに関心を抱くなんて、昔なら思いもよらないだろう。
 あのバルバでさえも、「そんな馬鹿な」と動揺するに違いない。
 そんな事を考えて、バーサーカーは少しだけ、口角を釣り上げた。


【3】


 何の前触れもなく、それはハナの部屋に出現した。
 民族衣装で身体を覆ったその男は、気付けば彼女の領域に入り込んでいたのだ。
 玄関でチャイムを鳴らす事もなく、一切の告知も無しに、である。

 見知らぬ男が不法侵入してきたら、普通は怯えを見せるものだ。
 ハナも例外ではなく、彼の存在を視認した瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。
 横になっていた身体が弾かれた様に起き上がり、瞬く間にベッドの隅に移動する。
 ほんの僅かでも相手との距離を空けようとする、半ば本能的な動作であった。

「なに、発破をかけに来ただけさ」

 男から発せられた声に、ハナは聞き覚えがあった。
 ほんの十数分前に聞いた、あの定時通達のものと同じ声である。
 キャスターの悪行を知らせた張本人が、今まさにハナの目の前にいるのだ。
 たしか名前は、サガラと名乗っていたか。

「……は、発破ってどういう事、デスか」
「発破は発破だろ。やる気のないお前さんが心配になってな」

 「やる気のない」という一言は、ハナがサガラに悪印象を抱くには十分だった。
 自分の境遇を知りもしない癖に、目の前の男は"怠けている"などと言ってみせたのだ。

「やる気がない、なんて……!私の何が分かるって――」
「分かるさ。俺は"監視者"だからな。この街の全てを知っている」

 「勿論、お前のサーヴァントが今までに誰を何人殺したのかもな」。
 その言葉を皮切りに、サガラは犠牲者の名前を一人ずつ述べ始めた。
 名前だけではない。彼等がどんな職に就き、どんな家庭を築いていたのかさえ。
 無残にもキャスターに奪われた多くの命。その存在意義を、男は淡々と並べていく。

 ある浮浪者は、暗黒物質を飲まされ身体を破裂させられた。
 ある自警団は、出会い頭に四肢を捥がれ、頭部を砕かれた。
 ある中学生は、素手の握力を以って首を捻じ切られていた。
 それら全て、ハナが呼びだした英霊が起こした事件にして"事実"であった。

「酷い死に様といえば……そうだな、ファルとかいう娘が印象的だったな。
 ルナとエアって名前の親友がいる、お前と同世代くらいの女の子さ。
 アンコクトンを身体に埋め込まれたソイツは、最期まで親友の名前を呼びながら――――」
「や――やめてッ!やめて下さいッ!」

 サガラの言葉を拒絶したハナの顔色は、死人の如き蒼白であった。
 ただの中学二年生の少女が、人の凄惨な最期を聞き流すなど土台無理な話だ。
 涙の溜まったハナの瞳を見たサガラは、小さく鼻で笑って、

「自分のサーヴァントのせいで危機に陥りそう。そりゃ気の毒な話さ。
 だけどな、こいつは半ばお前が招いた結果でもあるんだぜ?」
「……私の、私のせいなんかじゃ」

 否定の言葉は、サガラの「違うな」という一声で遮られた。
 彼の声色は、定時放送の時とは打って変わって、厳格なものへと様変わりしていた。

「令呪で止めるなり言い包めるなり、キャスターを止める方法ならいくらでもあった筈だ。
 だがお前はそれをしなかった。選ぶのを恐れて、一人部屋に籠ってるだけだった。違うか?」
「それ、は」
「お前が選ばなかったから今がある。お前にびた一文責任が無いと思ったら大間違いさ」

 激しく動揺した今のハナでは、サガラへの反論が思い浮かばない。
 頭を垂れながら、親に叱られた子供の様に震え上がるばかりであった。

「……まさかと思うが、ここから逃げたいなんて泣き言言うつもりじゃないだろうな?」

 無駄だから止めておきな、と。サガラは真顔でハナに現実を突きつける。
 どう見方を変えようが、所詮ここは聖杯戦争の為に用意された大舞台。
 その舞台に上がったら最後、後は死ぬまで演目を演じなければならない。

「諦めな。シャブティに祈りを込めた時点で――お前はもう、運命を選んじまったんだからな」

 その言葉を最後に、サガラの姿は消失した。
 彼が出現する前までの、ハナと静寂だけが残る空間が形作られる。
 ただ独り残された彼女は、視線を下に向けたきり動こうとしない。

「そんな事、言われたって……!」

 こんな戦い、望んでなんかいなかった。
 みんなの元に帰りたい、そう願っただけだというのに。

 いつしか、ハナの瞳から大粒の涙が零れだしていた。
 一度それに気付いてしまったら、後はもう止めようがない。
 少女は部屋の中、掠れた声を上げたながら泣き始めた。

 これがハナの、ゴッサムで二度目に流した涙であった。
 これから先、あと何回こうして泣く事態に陥るのだろうか。
 独り落涙する中、彼女はふとそんな事を考えてしまい。
 その想像が、余計に自分を涙ぐませる羽目となってしまった。


【4】


 王と道化師を乗せた車は、今もなお走り続ける。
 車に揺られながら、ふと王は道化師に問いかけた。

「これからどうするの?」
「まずは自己紹介だな。この街の奴等、オレはおろかバッツさえ知らねえときたもんだ。
 いけねえなァ……あのコウモリ男を忘れちまうなんざ、ゴッサム市民の名が泣いちまうぜ」

 だから一発、お目覚めのジョークが必要なのさ。
 そう言ってみせたジョーカーは、アクセルを強く踏み込んだ。
 タイヤに悲鳴を上げさせながら、車体は道路を走り抜ける。
 今しがた行先を決めた、そう言わんばかりの動かし方だった。

「バッツって誰?」
「オレのサイドキックでね、そうさな……お前と同じ、このゴッサムの王様みたいなもんさ」

 そう言って、ジョーカーは右手を後部座席に見せつけた。
 手袋が隠しているものの、彼の手の甲には確かに令呪が刻まれている。

「令呪で呼び戻さないの?」
「馬鹿言っちゃ困る。"宮廷道化師"如きが王様に命令できるかよ」
「……"宮廷道化師"?」
「道化師は王様に知らせを教えてやるだけさ。
 "王様、祝賀会で大事故が!""廃液を啜った兵がイカれてしまった!"
 "聖歌隊の喉が爛れて、イエス様に歌を捧げれません!"……ってな!」

 言うなれば、ジョーカーの令呪は知らせ――つまりは招待券だ。
 自身が手掛けたコメディに、バットマンを招待する為の特別チケット。
 念じながら命令さえすれば、あの闇の騎士をショウの特等席にご案内だ。

 だから、まだこれは使わない。使うべきではない。
 そもそも、まだショウの準備すら碌に出来ていないのだ。
 飛び切りのジョークを披露するなら、御誂え向きの舞台が必要になる。
 一目見ただけで噴き出しそうな、冗談みたいに滑稽なステージが。

 そうこう言っている内に、車が道の脇に停車した。
 ジョーカーが真横を向けば、そこには古ぼけた喫茶店が立っているのが見えた。

「着いたぜバーサーカー、さァて初公演といこうじゃないか」
「僕はどうすればいいかな?」
「何もしなくていい、お前のご主人様から"下手に暴れさせるな"って言われたからな
 おっと、ご主人様に迷惑はかけられねえな。お前は霊体化してな」

 車のボンネットを開き、内部を物色するジョーカー。
 少し物を漁った後、彼が取り出したのはガスボンベであった。
 ホースで噴射機と繋がっているそれは、彼の所有品の一つである。

「それよかな、お前はまず学ばなきゃ駄目だ。
 質の良いジョークを飛ばすには、まず笑い方を知らなきゃな」
「君の笑い方を?」
「いいや違うな。お客様の笑い方さ」

 そう、これはジョーカーの自己紹介であり、同時にバーサーカーの教育でもある。
 笑顔の何たるかを知らないでいる赤子に、人間の最大級の笑みを教えてやらねばならない。
 となると、最初のジョークに使うのはこのガスボンベ、正確にはボンベに入ったガスを使うべきだろう。
 この魔法のガスをひとたび浴びれば、どんな仏頂面も笑顔に早変わりだ。

「……おっと、ついでにコイツも忘れちゃならねえ」

 ふと思い出したジョーカーは、懐から一枚のカードを取り出した。
 ジョークが自己紹介なら、これは名刺と言うべきものだ。
 これがあれば、誰だって事件の犯人を"ジョーカー"と呼ばざるを得なくなる。

 もしかしたら、この場にはロビンの様なバットマンの取り巻きがいるかもしれない。
 仮にそうだとしたのなら、これから相棒にぶつけるジョークに幅が出るというものだ。
 彼等が愛しのバットマンに出会い、彼の境遇を知ったのだとしたら。
 それを考えただけで、ジョークのネタが止め処なく生まれてきてしまいそうだ。

「楽しいか、バッツ?俺は……もう一度イカれちまいそうさァ」

 顔には狂笑を張り付けたまま、天にも昇る心地を保って。
 ジョーカーは、此度の舞台――喫茶店に足を踏み入れた。


【5】


 ミッドタウンのフォートクリントン地区に建つ、小さな喫茶店。
 そこで昼食をとっていたある女は、憂鬱そうな表情で物思いに耽っていた。
 彼女を悩ませるのは、最近一緒に暮らすようになった娘の事である。

 このゴッサムに来てからというもの、娘の満面の笑みを見た事が無い。
 引っ越す前までの彼女は、過剰なくらいに明るく、感情豊かな娘だったというのに。
 ゴッサムで暮らし始めた日から、その笑顔に常に影がかかっているように見えるのだ。

(……そうよね、やっぱり辛いに決まってるわよね)

 親の前ではいつもと変わらぬ姿を見せているが、母である彼女には丸わかりだ。
 その笑顔は所詮、両親に心配を掛けさせまいと無理くり作ったものに過ぎない事くらい。
 笑顔の仮面の裏側では、今も表情を曇らせたままでいるのだろう。

 恐らくその原因は、離れ離れになった親友達に端を発しているのだろう。
 せっかく出来た仲間達と別れる悲しみは、女とて理解できる。
 それが掛け替えのない存在であれば、心の叫びも段違いだ。

(そんなの、分かってた筈なんだけどね)

 自分が夫と寄りを戻し、三人とも同じ屋根の下で暮らす。
 女には当初、それが子供の幸福に繋がるものだと思い込んでいた。
 だがどうやら、そんな考えは独りよがりなものに過ぎなかったらしい。

 娘が大切にしているものを、母親が否定するものか。
 例えそれが子供の我が儘でも、聞いてやるのが親というものだ。
 子の幸福を願うのは、親として当然の事なのだから。

 仕事が終わったら、娘と一度話をしよう。
 そしてその上で、彼女自身にこれからの選択をさせてあげよう。
 娘の悩みがどれだけ突拍子のない事でも、受け入れる覚悟だって出来ている。
 実の子を親が信じずして、誰が彼女を信じてやれるというのだ。

 そうと決まれば、まずは目の前の仕事を片づけるとしよう。
 昼食も食べ終えているし、もうこの喫茶店に用は無い。
 とっとと代金を支払って、仕事場に赴くとしよう。

 そう考えて、女は席を立とうとして。
 あまりにも異様なそれを、初めて視認した。

 彼女の視線の先、入口のドアの付近に、白塗りの道化師がいた。
 紫のスーツに緑色の髪も携えた、如何にも怪しげな男。
 店内にいる誰もが、狂人か何かだと眼を顰めそうな外見である。

 何が目的なのか、道化師は胸部にガスボンベを二つ装備していた。
 そしてそのボンベには、彼が手に持った噴射機を繋ぐ為のチューブが取り付けられている。
 塗装業者なのだろうか、それにしては格好があまりに奇抜すぎる。
 それに、どうして道具を取り付けたまま店に訪れようとするのか。

「あの、御一人様……でしょうか」
「オレの隣に守護霊でも見えるのかい、アンタ?」

 対応に来た店員が、困惑した様子で道化師に話しかける。
 無理も無い、こうも狂人めいた格好の相手など、本来ならばしたくもない筈だ。
 そもそもあの外見だ。コーヒーを飲みにきたのかさえ怪しい。


「しかし酷い店だな、対応の悪い店員に雑な配置、壁は染みだらけときた」
「何ですかその言い方、何か不満でも……」
「不満だって!?まさか!気に入ったぜ……それこそイカれちまいそうなくらいにな!」

 店員は更に困惑した様子で、道化師を見つめている。
 一方、道化師の方はニタニタと笑みを浮かべているではないか。
 娘のそれとは大違いの、人を不気味がらせる笑い方だった。

「俺はいたく感動しちまってな……こんなイカした店に出会ったのはきっと運命ってヤツさ。
 せっかくだから、俺も何か礼をしてやらねェとな……そう思った訳さ」

 店内にいる誰もが、道化師に注目していた。
 あの風貌にこの言い分、人々が彼に気を取られない訳が無い。
 一体全体、この男は何をしにこの喫茶店にやってきたのか。

「だからよ、店員――――」

 ぎらついた両の瞳を、更に大きく見開いて。
 手に持った噴射機の銃口を、店員に向けて。
 元より歪んだ口角を、一段激しく歪ませて。

「オレ特製の"スペシャルデリバリー"はいかがかな?」

 そう言った直後、噴射機からガスが噴き出した。
 ガスはまず店員に直撃し、彼が大きくむせ返る。
 そして間髪入れずに、道化師は噴射機の方向を移動させる。
 ガスが店内いっぱいにまき散らされ、ものの数秒の内に空間を包み込んだ。

 女も含めて、店でくつろぐ全員が咳き込んでいた。
 こんな狭い店内でガスをまき散らすなど、誰に想像できるものか。
 あの道化師は、一体どんな意図の元こんな真似をしたのだ。

 女が道化師を恨めしく見つめ、抗議しよう奮い立った、その時。
 何の前触れもなく、店員が引き攣った笑い声をあげ始めた。
 まるで何かに操作されたかの様に、彼は下手糞に笑い続ける。
 呼吸をする間もなく、聞くに堪えない程掠れた笑い声。

「こいつが中々いい効き目でな!親が死のうが国が滅ぼうが笑顔になれちまう!
 世紀の大発明さ!そうは思わないか――愉しくて言葉も出ねえか、そりゃ嬉しいな!」

 何事かと思った直後、笑い声が二つに増えた。
 見ると、前方の席にいた客まで笑い始めているではないか。
 それだけに留まらない、三つ、四つと笑い声は増えていった。
 何もおかしい事など起こってない筈なのに、人々は次々と破顔していく。

「バーサーカー!こいつらをよォォォく見るんだッ!
 口まで裂けそうなこの笑い方を!こいつが本物の笑顔ってやつさッ!
 見てるこっちまで笑えてくるだろ!?笑え、笑ってやるんだッ! HA HA HA HA HA !!」

 爆笑の渦に包まれながら、道化師が虚空に向けて叫ぶ。
 それと同時に、彼の隣にいた店員が力なく倒れ伏した。
 彼は顔に笑顔を張り付けたまま、ピクリとも動こうとしない。

 その内、女の口角が勝手に吊り上がった。
 何もおかしくない、むしろ恐怖さえ湧き上がってくる状況だというのに。
 何故だか笑いが止まらない。呼吸する事さえ忘れて笑ってしまう。

「HA HA HA HA HA !! 滑り出しは上々、こいつはいいショウになりそうじゃないかッ!」

 こんなに息が苦しいのに。一刻も早く空気を肺に取り入れねばならないのに。
 それでも笑い続けてしまうのは、あのガスの仕業に違いない。
 人々が次々に倒れていく様を視界に入れながら、女はそう分析する。
 あの道化師は、死を届けにこの喫茶店にやって来たのである。

 意識が遠のいていく。人生の記憶が走馬灯の様に流れていく。
 死を確信した女が、絶命の恐怖と共に思い描いたのは。
 せめてもう一度この眼で見たかった、実の娘の心からの笑顔だった。


【6】


 数回程着信音が鳴った後、留守番電話サービスに繋がった。
 最初から電源を切っているのか、忙殺されて電話に気付けないのか。
 どちらにせよ、母とは連絡がつかない状況にある。

 父親にも電話してみたが、結果は同じだった。
 二人とも、まだハナと関わる時間はないという事である。
 仕事の真っ最中なのだから、当然の話ではあるのだが。

 例え偽りのものであっても、両親の温かみのある声が聞きたかった。
 サガラによって芯まで冷やされた心に、熱を取り入れたくて仕方がない。
 孤独というこの環境は、今の彼女には恐怖でしかなかった。

 スマートフォンの連絡先の欄には、家族以外にも十数人の名が登録されている。
 ゴッサムの住人になる際、いつの間にか出来ていた友人達のものだ。
 その中には、自分とは齢の離れた、中学校を卒業した者達の名さえあった。

 「チーム鎧武」と呼ばれる、ハナが出入りしてるダンスチームのメンバーだ。
 留学生としてゴッサムを訪れた日本人を中心としたこのチームに、自分は所属している。
 リーダーである角井裕也を始めとして、彼等はハナに快く接してくれた。
 自分を妹分の様に可愛がってくれるメンバーに、好意が無いかと言われると嘘になる。

 最近入ったばかりなので、ダンスの舞台にはまだ立たせてもらえていない。
 そもそも、自分がやりたいのはダンスではなく"よさこい"である。
 だが、それを居心地の良い場所である事に変わりはなかった。

 彼等に出会えば、この恐怖も多少は和らぐのだろうか。
 何にせよ今は、共に笑い合ってくれる人が隣にいてくれた方が良い。
 例えそれが、聖杯戦争により作られた関係に過ぎなくても。
 今のハナにとっては、この上ない癒しになり得るものだった。

『諦めな。シャブティに祈りを込めた時点で――お前はもう、運命を選んじまったんだからな』

 サガラが去り際に言った一言が、ハナの脳裏に蘇ってきた。
 自覚くらいしている。こんなの一時凌ぎの逃げにしかならない事くらい。
 そう、自分でさえ分かり切っている事だというのに。
 選択する事を躊躇ったまま、また逃避しようとしている。

「……ダメな子、ですよね。私」 

 ハナ・N・フォンテーンスタンドは、ただの女子中学生だ。
 弾丸を避けたり、鎧武者に変身したり、歌と踊りで客を魅了したりだとか。
 そういった特異な能力や才覚もない、平凡な少女である。
 一人でよさこいを始める位の行動力はあるが、それも常人の域でしかない。

 だから、恐怖を前にしたら、何も出来ずに蹲ってしまう。
 聖杯戦争という未知に対し、少女はあまりにも弱かった。
 当然だ。今の彼女は、ただの子供でしか無かったのだから。


【7】


 ジョーカーが去った頃には、既に店内から命は消えていた。
 そこにあるのは、血の一滴も流さず息絶えた、人間の遺体だけだ。
 彼等は一様に頬を釣り上げ、まるで無理やり笑わされたかの様。
 そう、店内の者は一人残らず"笑い死に"していたのだ。

 一時間もしない内に、この惨劇は警察の耳に入ってくるだろう。
 そして彼等が駆けつけた頃には、マスコミは事件の報道を始める筈だ。
 不可解な死体の謎に戦慄しながら、犠牲者の名前を読み上げるのだ。

 "ジェニファー・N・フォンテーンスタンド"も、その内の一人だった。
 お昼時の休憩でカフェに立ち寄ったのが、彼女の運の尽きだ。
 尤も、白昼堂々道化師が殺しに来るなど、果たして誰に予測できるものか。

「遂にアイツも動き出したか」

 屍骸に囲まれながらそう呟くのは、サガラであった。
 ヘルヘイムの一部である彼は、ゴッサムの何処にでも出現できる。
 ジョーカーの犯罪も、それによるハナの母の死も、彼は既に把握済みだった。

 ジョーカーはまず間違いなく、今後も凶行を繰り返すだろう。
 彼は聖杯の事などそっちのけで、ひたすらに悲劇を振り撒く気でいる。
 聖杯戦争の管理者であるサガラは、本来ならばそれを咎めなければならない立場だ。

 しかし、サガラはジョーカーの殺人を見て見ぬ振りするつもりでいる。
 この殺人事件は彼単独で行われた行為、つまりはサーヴァントと無縁の犯罪だ。
 神秘の秘匿とは無関係なのだから、目ざとく指摘する必要はない――そう考えたのだ。

 サガラのこの言い分は、客観的に見れば詭弁と言う他ない。
 だがそんな事くらい、当のサガラ自身が一番よく分かっている。
 彼の真意は別にあり、これはその本音を隠す為の建前に過ぎないのだから。

 サガラの思惑は至って単純だ。
 "見過ごしていた方が面白くなりそうだから"――それだけである。
 たったそれだけ、下らない理由で、見張りは己の眼を偽る。

「いよいよ面白くなってきたな。"王の中の王"もご満悦だろうさ」

 笑顔のまま机に突っ伏すジェニファーを見据え、サガラが小さく笑う。
 そうして、彼女の足元に落ちていたカードを手に取った。 
 これこそ犯人の置き土産であり、同時に彼の存在を象徴するものであった。

 53枚のトランプのその中で唯一無二の存在――ジョーカー。
 現場に残されたそれに描かれたのは、全てを嘲笑する道化師の笑み。

「見届けさせてもらうぜ――お前達の運命をな」


【一日目・午後 /MIDTOWN FORT CLINTON】


ン・ダグバ・ゼバ@仮面ライダークウガ】
[状態]健康、ちょっと上機嫌
[装備]特筆事項なし
[道具]特筆事項なし
[思考・状況]
基本:もっと、もっと笑顔になりたい。
 1.ジョーカーに期待。
 2.少佐の話す"戦争"への興味。
[備考]
※しばらくジョーカーと行動を共にするつもりです。

【ジョーカー@バットマン】
[状態]健康、愉快
[令呪]残り三画
[装備]拳銃(ジョーカー特製)、造花(硫酸入り)、笑気ガス、等
[道具]携帯電話
[所持金]不明
[思考・状況]
基本:聖杯戦争にとびきり悪趣味なジョークを叩き付ける。
 1.?????
 2.バーサーカー(ダグバ)を"腹の底から"笑わせてやる。
 3.バッツに捧げるジョークの下準備も忘れない。
[備考]
※車の中に色々積んでいます。



【MIDTOWN REDHOOK(ハナの自宅)】

【ハナ・N・フォンテーンスタンド@ハナヤマタ(アニメ版)】
[状態]精神不安定
[令呪]残り3画
[装備]私服
[道具]特筆事項無し
[所持金]三千円程
[思考・状況]
基本:???
 1.どうすればいいのか分からない。
 2.また皆とよさこいがしたい。
 3.キャスター(デスドレイン)を止めたいが……。
[備考]
※キャスター(デスドレイン)の凶行を認知しています。



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006:S(mile)ing! ジョーカー 027:Coppelia
バーサーカー(ン・ダグバ・ゼバ)
004:Dancer in the Dark ハナ・N・フォンテーンスタンド 024:イット・メイ・ビー・シビア・トゥ・セイ・インガオホー
020:第一回定時通達-The Times They Are A-Changin'- ウォッチャー(ヘルヘイム)


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最終更新:2016年02月12日 01:25