米野智人

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1982年1月21日生まれ。北海道出身。 1999年に北照(小樽)高校からドラフト3位でヤクルトに捕手として指名される。 プロ入り2年目の2001年9月にプロ初出場を果たす(対巨人、途中出場)。 翌02年に初安打を放つと8月には先発初出場を果たし、同月の2試合で初本塁打・初打点・初サヨナラ安打を達成。 徐々に出場試合数も増え、打撃も若松監督(当時)の指導もあり成績も伸びていった。 07年以降は1軍では一時スタメン起用もあったが2番手捕手でいることが多く、7月には実戦経験を積む目的で2軍へ降格。 若手の台頭もあり昇格することなくシーズンを終える。 08年は前半は控えとして1軍も若手の台頭などで2軍へ降格、試合中にファウルチップを右手親指に当て脱臼骨折でシーズン絶望かと思われたが、 驚異的な回復でシーズン終盤前に復活、その1週間後に再び1軍に昇格した。 10年シーズンは2軍で迎え、6月に交換トレードで西武に移籍する。 11年シーズンは正捕手争いに加わる機会があれどもけがのためにわずか3試合の出場。シーズン終了後の秋季キャンプでは チーム事情で外野手として守備練習を行い、翌年12年シーズンより外野手へ登録変更。 12年4月に5年ぶりとなる逆転満塁ホームランを放ち、チームの勝利に貢献。13年シーズン以降は出場機会も減少。 15年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。 15年11月12日に捕手兼ファームバッテリーコーチ補佐として契約を結ぶことが発表された。 16年春季キャンプは当初国頭スタートだったが途中で名護組へ合流。しかしインフルエンザに罹患。 いろいろあるもけが人が出ていることなどで同年4月19日に1軍昇格、翌日の対西武にて途中からマスクをかぶった。 *エピソード -実家は喫茶店を経営している。
1982年1月21日生まれ。北海道出身。 1999年に北照(小樽)高校からドラフト3位でヤクルトに捕手として指名される。 プロ入り2年目の2001年9月にプロ初出場を果たす(対巨人、途中出場)。 翌02年に初安打を放つと8月には先発初出場を果たし、同月の2試合で初本塁打・初打点・初サヨナラ安打を達成。 徐々に出場試合数も増え、打撃も若松監督(当時)の指導もあり成績も伸びていった。 07年以降は1軍では一時スタメン起用もあったが2番手捕手でいることが多く、7月には実戦経験を積む目的で2軍へ降格。 若手の台頭もあり昇格することなくシーズンを終える。 08年は前半は控えとして1軍も若手の台頭などで2軍へ降格、試合中にファウルチップを右手親指に当て脱臼骨折でシーズン絶望かと思われたが、 驚異的な回復でシーズン終盤前に復活、その1週間後に再び1軍に昇格した。 10年シーズンは2軍で迎え、6月に交換トレードで西武に移籍する。 11年シーズンは正捕手争いに加わる機会があれどもけがのためにわずか3試合の出場。シーズン終了後の秋季キャンプでは チーム事情で外野手として守備練習を行い、翌年12年シーズンより外野手へ登録変更。 12年4月に5年ぶりとなる逆転満塁ホームランを放ち、チームの勝利に貢献。13年シーズン以降は出場機会も減少。 15年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。 15年11月12日に捕手兼ファームバッテリーコーチ補佐として契約を結ぶことが発表された。 16年春季キャンプは当初国頭スタートだったが途中で名護組へ合流。しかしインフルエンザに罹患。 いろいろあるもけが人が出ていることなどで同年4月19日に1軍昇格、翌日の対西武にて途中からマスクをかぶった。 同年5月5日に抹消以降は1軍昇格もなく、2軍でも出場機会が少なくなった。同年10月30日に現役を引退、同時にコーチも退任することが発表された。 *エピソード -実家は喫茶店を経営している。

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