SHINJO

本名・新庄剛志。
長崎県出身福岡育ち
1989年にドラフト5位で阪神タイガースに指名。

2000年シーズン終了後にFA宣言、阪神の他に他球団との交渉もあったが、
同年12月11日にニューヨーク・メッツへの移籍が発表(移籍交渉の事実はメッツ側の意向で非公表)された。
契約内容は契約金30万ドル、年俸20万ドル(当時のレートで2200万円。最低保障額)+出来高払い50万ドルの3年契約であった。
メッツ(2001,03年)とサンフランシスコ・ジャイアンツ(2002年/日本人初のワールドシリーズ出場を経験)に在籍。
2003年シーズンオフにノンテンダーFAとなり、MLBとNPBの球団より契約のオファーを受けた。

2004年ファイターズ北海道移転元年、MLBより復帰。
その後、引退するまでの活躍は皆さんの知る通り。ファイターズを人気球団にした功労者の一人。
新庄といえば「過激すぎるパフォーマンス」と「外野守備」が語られるが、打撃でも日米通算1524安打・225本塁打と立派な数字を残している事はあまり知られていない…気がする。
だが派手なパフォーマンスは全てパリーグを盛り上げるためである。実際、最初は自分が目立って、注目されれば他の選手やチームが注目されるように計算していた。
実際、新庄が来てから今一人気のなかったパリーグの露出も増えていったのは確かである。

2006年開幕直後に引退表明。その年にチームはリーグ優勝、日本一(ついでにアジアシリーズ制覇も)に輝く。球団側からは自由契約を勧めるも本人の希望で任意引退となった。
引退後は、セレブ業に勤しんでいたのだが、2019年11月13日に自身のインスタグラムで「きょうからトレーニングを始めて、もう1回プロ野球選手になろうと思います」と投稿、本気かどうか不明であったがその後、インスタグラムでトレーニングの様子を公開するなど本気の様子である。
同年11月27日付で任意引退→自由契約と公示された。20年12月7日にトライアウトを受験、3打席目でヒットを放ち結果を残すも、オファーが来ずに引退となった。

エピソード

  • ひちょりの師匠。「プリンス」「宇宙人」という愛称があった。
  • メッツ時代の通訳はイワケンさん(現:統括本部副本部長)であった。
  • 2004年9月のサヨナラ満塁HR(走者追い越しでサヨナラ柵越え単打に)や、現役最後の年に優勝日本一だったりと、イチローや佑ちゃんより先に“もってる”のはこの人だったのかもしれない。
  • サヨナラ満塁弾のお立ち台では大フラグ「明日も勝つ!」を言い放ち、一部の事情を知っていた日ハムファンは旋律した。これは阪神時代に「明日も勝つ」と言い、そこから12連敗をして阪神ファンにはトラウマとなった出来事があったからである。
    だがこの呪いは何故か阪神に降りかかった。どうやらこのフラグは阪神にしか発動しないらしい。
  • そんなエピソード(ネタ含む)いっぱいのSHINJOが北海道のファンを魅了していったのは今更言うまでもなく、ファイターズ人気の立役者の一人といえる。
最終更新:2020年12月13日 22:03