野村佑希

2000年6月26日生まれ アメリカミシガン州ハウエル→群馬県(後述)
2018年にドラフト2巡目指名。

小学2年からリトルリーグで野球を始め、中学ではシニアリーグ。
花咲徳栄に進学後は1年秋からベンチ入り、一塁レギュラーとして関東大会を経験。
2年春の練習試合で12本塁打を放ちスカウトから注目される。春季大会では4番レフト兼投手として県大会準優勝。
夏は甲子園に出場、4番一塁として出場、25打数13安打(本塁打2含む)を放ち優勝に貢献。
3年春からはサードキャプテンとしてプレー、夏の予選からは背番号1を付けて登板、5戦を31回4失点とまとめて県大会優勝、
夏の甲子園では2試合で登板も2回戦で敗退した。

19年3月3日のvsDeNAにて7番サードでスタメン出場、同年3月9日の教育リーグ(対楽天)にて実戦初ヒットを放つ。同年3月16日のイースタン公式戦(対巨人)では4回裏に守備でトリプルプレーを達成した(後述)。同年3月21日のイースタン(対ヤクルト)にて観戦に来た母親の前で公式戦初ホームランを放ち、尚かつ猛打賞であった。
同年7月11日のフレッシュオールスターに選出されて7番サードでスタメン、第1打席でツーベースを放った。順調に2軍で試合に出場してきたが同年8月31日のイースタン試合前練習で違和感を訴え、翌日の診断で左股関節後方亜脱臼と診断、全治5か月と診断された。
20年春に実戦復帰を果たすと、コロナ自粛期間開けの練習試合ではチームタイとなる3本塁打を放ちアピール。これが功を奏してプロ2年目で開幕メンバー入りを果たし、翌日の19日の開幕戦(対西武)にて7番サードでスタメン出場と大谷以来の高卒開幕戦スタメン入りを果たして、この3連戦はいずれも先発メンバーとして出場。同年6月25日の対楽天にてスタメン出場した際に初ヒット初打点を含む3安打猛打賞(ホームラン出たらサイクルだった)を達成した。
同年7月2日の対ソフトバンクにて1軍初ホームラン+サヨナラ+初お立ち台とやってのけたものの、同年7月7日の対オリックスにて守備にて右手小指を痛め、後日右小指関節内骨折片接合術を受けた。
その後は怪我もあったが22年シーズンは活躍、同年11月23日のファンフェスティバルにて背番号が小谷野栄一がかつて付けていた5への変更が発表された。
23年シーズンはオープン戦から4番を任され、同年4月1日の対楽天にて清宮先輩のサヨナラ打をおぜん立てするツーベースを放った(後述)。シーズン最終迄4番を全うすることはできなかったが自身初の100安打を同年10月5日の対楽天で達成した。またこの年は辞退選手がいた為にアジアチャンピオンシップにて侍ジャパンメンバーとして追加招集、11月18日の対オーストラリアでは途中出場ながら2打数2安打、得点にも絡んだ。

エピソード

  • 185cm90kg、強打の大型三塁手兼外野手。
  • プロでは内野として登録。
  • 家族は両親と姉と妹
  • アメリカへは父親の仕事の関係で在住、ミドルネームは「ジェームス」。1歳半まで過ごし、その後は群馬県へ移住した。
  • 19年3月28日のイースタン(対ロッテ)にてトリプルプレー達成、しかも1か月で2度目。
  • 23年4月1日のエスコンF初勝利でのヒロイン時。ヒロイン担当HTBの五十幡アナより、実際はツーベース後にベンチに退いたのにサヨナラのホームを踏んだ感想を聞かれていた。

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最終更新:2023年11月20日 20:09