齋藤友貴哉

1995年1月5日生まれ 山形県生まれ
2018年に社会人(Honda)を経て
阪神タイガースにドラフト4巡目指名を受ける。

小学校より軟式野球少年団で野球を始め、中学時代は軟式野球部と硬式野球クラブチームを兼任していた。
高校は山形中央高(後述)に進学すると1年夏より県大会ではベンチ入りも甲子園ではベンチ外となる。
この時は好選手がそろっていたこともあり目立たないまま高校生活を終える。
大学進学後は制球難であったが助監督の指導により改善、3年生時にようやくデビューを果たす。
4年時の春のリーグ戦では4勝1敗の防御率1.01の好成績を上げて秋には志望届を出すもどの球団に指名されることはなかった。
卒業後はHondaへ就職すると1年目から主戦投手として活躍、スポニチ新人賞を獲得。都市対抗でMAX152キロを記録するなどひっさげ、
阪神に進んだ。
ルーキーイヤーでキャンプは1軍だったもののオープン戦では2軍調整。19年の4月19日の対巨人にて6回に登場し本拠地甲子園デビュー。1安打無失点であった。主にウエスタンリーグ中心でチームトップの8セーブをあげて、この年のフレッシュオールスターにも選出された。
20年シーズンはウエスタン中心でプレーし、救援中心で防御率は6.28と低迷していた為に夏に先発へ転向。3試合で17奪三振と調子を上げてこの年の9月10日の対DeNAで先発登板、打席にも立ち初打席初安打と初得点を記録した(試合は途中降板して勝ち負けつかず)。その後は 救援として登板も勝利には至らなかった。
21年シーズンは同年5月21日の交流戦対西武にて途中出場、降板後に味方が逆転してくれた為勝利投手となった。
22年10月18日に江越大賀と共に渡邉諒高濱祐仁との2対2のトレードでハムへ移籍。同年11月5日の侍ジャパンとの練習試合でMAX159キロを計測した。
23年春季キャンプも名護組も初日の紅白戦で登板、1球で右ひざに違和感を感じて降板。診断の結果右膝前十字靭帯断裂となり、同年3月2日に前十字靭帯再建術を受けると発表。
その後は地道なリハビリの末、24年の春季キャンプでバッティングピッチャーとして復帰、その後はファームで実戦を積んでいたが同年4月30日に昇格後は中継ぎ中心で登板、同年5月12日の対ロッテにて4番手で登板、押し出しで1失点を喫したものの、直後に味方が得点してくれたおかげで21年5月28日の対西武以来、2勝目をあげた。

エピソード

  • 家族は夫人と1児。
  • いしちょくは故郷と高校の後輩である。
  • 社会人時代に一発芸で体の柔らかさを生かしたものまねを披露、宇宙人と評されていた。
  • また将棋もたしなみ、22年の勘定奉行杯球王戦に出場もロッテ安田に1回戦で負けていた。
  • インスタグラムのアイコンをシャウエッセンにしていたらついたニックネームが「シャウ」。

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最終更新:2024年05月12日 21:55