渡邉諒

1995年4月30日生まれ 茨城県出身
2013年ドラフト1巡目指名(松井・柿田・岩貞の外れ1巡)。

小学1年から野球を始め、土浦三中時代は竜ヶ崎シニアで3年春の全国大会に出場。
高校は高橋周平(中日)にあこがれて東海大甲府に進学。
1年春からベンチ入り、関東大会で左越え3ランで注目を集める。
2年夏に甲子園で本塁打を放ち、打てる遊撃手として注目を浴びた。
13年夏の甲子園出場はかなわなかったが、9月に行われた18UW杯日本代表に選出。
キューバ戦では左翼へ高校通算39本目の1発を放った。

14年3月9日に教育リーグでプロ入り初ホームラン。5月に負傷で離脱、8月に復帰。
同年9月30日に1軍昇格→即スタメン、好守備。打つ方は2からさん+1よんたま+内野ゴロであった。同年10月2日にプロ入り初ヒットを放つ。
15年春季キャンプでは名護組でスタート。同年のフレッシュオールスターに選出されるも、1軍定着とはいかず。
16年9月30日に1軍昇格、同日の対ロッテで1軍初ホームランを放ち、この後ヒットを打ち複数安打を達成。
17年シーズンはアリゾナ組に選出。同年3月9日の対ソフトバンクにおいて、外野手がけが人が多いということもあり、
1軍2軍通じて経験したことのない外野守備(2番ライトでスタメン)をやっていた。
18年シーズンもアリゾナ組に選出も開幕メンバーには選ばれず。5月初旬に1度、7月8日に1軍に昇格、7月20日の対ソフトバンクにて1年9か月振りにホームランを放つ、しかも2発放って5年目で初めてお立ち台に立った。またこの年のイースタン優秀賞を受賞。
19年の春季キャンプで肉離れを発症して一時戦列を離脱も、3月中旬のイースタン戦で復帰。同年4月5日に1軍に昇格して同日の西武戦で7番セカンドでスタメン出場を果たし、最終打席でホームランを放った。それ以降はレギュラーに定着し、賢介の後釜となった。
20年春季キャンプは名護組に選出、そして6月となった開幕戦で初の開幕メンバーに選出された。この年のシーズンは活躍、このままセカンドのレギュラーも見えてきたかと思われたが。
21年シーズンは途中から不調となり、同年8月21日に2軍行を告げられる。同年9月19日のファーム対DeNAを最後に出場がなかったが、右太もも裏を肉離れしていた事が判明。
22年シーズンは守備難克服の為他のポジションにも挑戦をしていたが、守備練習の際のもろさを指摘されたため2軍へ降格、また上川畑などの台頭もあり出場機会も激減していた。
将来性のある選手であったが同年10月18日に高濱祐仁と共に齋藤友貴哉江越大賀との交換トレードで阪神へ移籍となった。

エピソード

  • 思い切りの良い打撃が持ち味。
  • 50m6秒1、右打者で一塁到達4.4秒台の脚力を備えたリードオフマン。
  • 中学時代は陸上部にも所属し100m走で県大会2位入賞(11秒4)の実績を持つ。
  • 好きな色はピンクで部屋もピンク中心であるらしい。
  • 勇翔寮へ入寮するときに同じ背番号だった二岡と出逢えてあいさつできたそう。
  • なぜか直球破壊王子とニックネームがついている。

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最終更新:2022年10月23日 20:23