1993年3月12日生まれ。長崎県出身。
読み方は「えごし たいが」
2014年にドラフト3巡目にて阪神にて指名。(外野手)
小学校2年からソフトボールを始めて中学時代は軟式野球部に所属。
高校時代は甲子園に進めず駒沢大学へ進学。
1年春よりレギュラーを掴むと3年時では日米野球の代表に選出。4年秋のリーグ戦では.357と高い打率を記録すると共に、チームの2001年秋季以来の26季振り優勝および1994年以来の勝ち点5による完全優勝に貢献した。また明治神宮大会に東都大学野球連盟代表として出場、母校の優勝に貢献した。
阪神入団後は2015年4月7日に代打として初出場、同年4がつ28日にプロ初本塁打を放つ。16~17年は2軍での試合が中心となる。
その後は紆余曲折はあったものの2軍暮らしが長くなり、同年10月18日に同僚の
齋藤友貴哉と
渡邉諒・
高濱とトレードとなることがが発表された。
23年4月16日にエスコンFで初安打を放った。
24年シーズンは開幕メンバーに名前を連ねるも同年4月8日に移籍後初の調整の為、ファーム落ちとなった(後述)。
エピソード
- 名前の「大賀」の由来は大工である父親が命名、「土台のしっかりした人間になって欲しい」という願いが込められた「大」と「みんなに祝ってもらえる」という意味を持つ「賀」の組み合わせである。
- 祖父が読売巨人軍のファンで自身も松井秀喜さんや広島の長野久義選手に憧れがあったものの、名前の大賀が虎を意味する「タイガー」を連想させる事からドラフトで指名された時には縁があるとコメントした。
- 遠投120mを誇る高い身体能力を誇る選手、16年12月のバトルスタジアムにてカミワザキャッチングに出場し優勝、守備職人No1の称号を得た。
- 移籍後の3月に右手首を骨折、4月7日の対オリックスにて死球を受けた際に左あばら骨を骨折したにも関わらず、試合に出場していた。
- 試合に出場の際にかけているサングラスは乱視矯正用である。
- 24年4月8日の抹消後はファームでも試合に出場していたが、同年4月21日に初のセカンドの守備についた。もちろん阪神時代にも経験はなかった模様。
最終更新:2024年04月21日 19:42