1987年10月6日生まれ 埼玉県出身 O型
2005年高校生ドラフト4巡目で入団。
08年に初めて開幕1軍に登録されると、同期入団の
豊島とバッテリーを組み3月25日の西武戦に出場する。
11年
ツルの負傷や、
佑ちゃんとの相性も考えられて1軍昇格も多かったが定着できず。
12年
ジョージ・マッケンジーや
2319の相次ぐ負傷で捕手不足になった阪神タイガースへ
wkteと交換トレード。
新天地でも打って踊れるキャッチャーとして活躍祈る!
というところだったが13年、主に外野手としてレギュラーに定着した感。まだ守備での課題が多いようだが、バッティングは買われている模様。18年にはファーム日本一に貢献したもののその後戦力外通告を受ける。トライアウトを受けるもNPB球団からのオファーなしでそのまま現役引退をした。
引退後はそのまま阪神に残り(業務委託)、阪神アカデミーの講師を行うと共にコメンテーターとしてテレビに出演していたりしたが、21年12月31日付で阪神を退団。以降は解説業なども行っている。
エピソード
- 浦和学院高校時代はスナガガーの専属捕手を務めていた。
- 携帯公式にコラム「イマナリズム」を連載。しかし球団トップには無許可であったため後で怒られる。
- 父はで日本ハムスカウトの今成泰章氏。阪神スカウト時代に桧山などを担当、ハムでは須永・ダルビッシュなどを担当。ちなみに息子は別のスカウトが担当だった模様。「マムシの今成」の異名を持ち、巨人行きを希望していた須永や、父親が微妙な反応だったダルビッシュ、更には中日に行きたくて仕方が無かった木下を口説いたのが今成氏だったとのこと。下手をすると親父のほうが有名な選手とも言える。
- 球団から栄養費を貰っていた選手なのに注意されていない、どうしてなんだろう。ミルク代は阪神から貰ったと思われるのになぜか注意されてない、どうしてなんだろう。
- 一軍初出場の日、父親(今成泰章球団スカウト)に報告するが観に来てくれなかった。
- ダンスのキレはプロ顔負け。
- 2011年キャンプ、父がキャンプ地を訪れていることについて一言・・「早く帰らせます」
- 23年9月12日の対オリックスにてきよみーの入っていたら満塁ホームランの辺りが大ファールとなり、GAORA放送ブースへ飛んできたため持っていたグラブで見事にキャッチ。その模様はパリーグTVの動画で見事にアップされていた
最終更新:2023年09月14日 21:13