木田優夫

1968年9月12日生まれ
東京都出身。(小学生時代札幌に住んでいた、後述)
1986年に読売にドラフト1位で指名される。
旧オリックス→デトロイトタイガーズ→旧オリックス
→メジャー2球団→ヤクルトを経て09年オフにハム入り。

入団報道で、横浜との大型トレードでお通夜状態のハム専が一転して笑いの渦となった。しかも1000万円のお手ごろ価格で御奉仕!(ええー?そんなに安いのー?)
入団に際し梨田監督からは事実上コーチ兼任としての役割を期待されるコメントが寄せられていたが、まさかの開幕一軍。そしてまさかの白星一番乗りwww
その後もロングリリーフに谷間の先発にローカル番組レギュラーコーナーにと大車輪の活躍で、年俸の安さから投げるワーキングプアとも呼ばれる中年世代の星。
ではあったが、残念ながら2012年11月4日に退団となる。同年12月19日にBCリーグ・石川ミリオンスターズが獲得。
その後はGM兼任選手として活躍していたものの2014年シーズン終了後に引退を発表する。
14年12月18日にGM補佐でフロント入り(2年ぶりのハム復帰)。17年のドラフト会議では監督に代わって、見事に清宮を引き当てる大仕事をやってのけた(後述)。
18年10月29日に来季から1軍投手チーフコーチとして就任することが発表、2軍総合兼投手コーチを経て、21年10月のフェニックスリーグで原田豊2軍監督が退任したことにより監督代行を取り仕切る。そのまま同年11月18日に正式に2軍監督に就任となった。
22年シーズンは7月にBIGBOSSはじめ山田コーチなどの首脳陣が新型コロナ陽性となり出場できなくなった関係で、1軍監督代行を務めることとなったが同年7月24日の対ロッテにて代行初勝利をあげた。
その後2軍監督として奮闘していたが、23年11月18日にGM代行として再びフロント業へ復帰が発表された。

エピソード

  • 小学生時代、北九条小学校に通っていた。
  • 小学生時代は漫画クラブ、中学生時代は美術部所属と筋金入りの画伯。
  • 画伯」としておなじみで「木田画伯」と呼ばれるだけあって似顔絵が得意であり、サインを求められると頼まれてもいないのに似顔絵を即興で描いてしまう器用さを見せる。
  • 宮西のピッチングフォームも、画伯の手にかかればほらこのとおり
  • 村上ショージの弟子である。明石屋サンタのトナカイでもおなじみ。トナカイはハム入団後も続ける模様。
  • 槙原敬之に激似。
  • あの高岡早紀をソデにした独身貴族。
  • 梨田監督に「42歳の木田が頑張ってくれたので」と言われるも、「まだ41です!」と即座に訂正するお茶目っぷり。
  • 11年契約更改後のテレビ出演で「1200万円です」と金額をばらす。アナ「推定ですよね」に、「いえ、ほんとに1200万
  • 17年のドラフト会議、明石家さんまに「左手で引け」とアドバイスを受ける。
  • その明石家さんまと2度の交渉の末、ファンクラブに入会して頂いた。

オフィシャルブログ
DAKY42
http://ameblo.jp/m-kida/

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最終更新:2023年11月18日 21:00