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可笑記
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可笑記
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)暴《ばく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|暴《ばく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ばせを」に傍点]
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一|暴《ばく》十|寒《かん》という言葉がある、働くのは一日であとの十日は遊んでいるという、つまりなまけ者のことだそうだ。こいつをみつけたときわたしはなんだか自分が当てこすりをくらったような気がして、しかしなんとなくふくらみのある旨《うま》い言葉だと思いさっそく紙に「一暴十寒戒」としたためて床間のまん中へはりつけた。
わたしくらい勤勉なような顔をしてその実なまけ者はあるまい、昔からよく睡眠は四時間でたくさんだとか、ひと月にかならず百枚以上原稿を書くとか、良い演劇や映画はみのがしたことがないとか、またこれから仏蘭西《フランス》語をやるつもりだとか、なにやかやずいぶんと出放題をならべてきた。もっともその時はべつに嘘《うそ》を云《い》うつもりではないので、自分でもたしかにそうする気で云うのだが、それが思うように行かなかったまでのことである、そう云ってもわたしがなまけ者でないということにはなるまいが――。
わたしは地震の翌年からこっち日記帳を六冊あまり書いている。なまけ者のくせによく日記などをつけたものであるとひとは訝《いぶか》しく思うであろうが、なに実はこれを繰ってみるといかにわたしがなまけ者で不勤勉で克己心のない人間であるかということを証明しているにすぎないのだから世話はない。
十年ほど前のある頁《ページ》をひらいてみると、「明日より断行のこと」と筆勢たくましい書きだしで、酒は一週に一度かぎり、当分菜食のこと、午前一時に寝て同じく六時に起床すべしという条目から、二十四時間を半時のあますところもなく読書執筆に精《くわ》しく割り当て、最後に大きく「若《も》しこれを破るときは拳骨《げんこつ》で頭をなぐる可《べ》し」としたためてある。いま見ても筆端に颯爽《さっそう》たる力があって、さぞりきみかえって書いたことだろうと思うが、さらにそれから二三日あとを披《ひら》くと、これまた酔後に書いたとしかみえぬ乱暴な字で「この大馬鹿《おおばか》野郎め」となぐり書きにしてあるという次第なのだ。拳骨で頭をなぐったかどうか今は覚えていない。つまり、――わたしの日記というのは、かような決心と変心とのみじめな記録なのである。
ある日、これから秋までは女色を断つとしたためてあるかと思うと、半月|経《た》たぬところに何やら詫《わ》びごとが書いてあるし、断酒と大きく楷書《かいしょ》で書いて赤い丸がつけてあるのに、明くる日のところには「断酒に囚《とら》わるるは断酒の妄念《もうねん》の俘虜《ふりょ》となるにすぎぬ如《し》かず万杯を挙げて妄念を断たんには」とやってある。
ある年の春、千葉県浦安町の生活がゆきづまって、にっちもさっちもならなくなったとき、東京から古本屋を呼んで貧弱な蔵書をたたき売ったことがあった。百円ちかくの金を手にしたわたしは、この金こそ有効につかわなくてはならぬと決心してふたつの案をたてた。ひとつは永年の望みであった北海道ゆきであり、ひとつはその金をどだいとしてもう一年浦安にいようというのである。わたしはひと晩かかって両案のこまかい計算書をつくった。
わたしの記憶が正しいとすれば、旅行案の方は木賃宿に泊まることから、車中の弁当までちゃんと定めてあったし、後案の方では一日一菜、あとは玄米と梅干しということがいかめしく決定していたと思う。
いまその日記をひろげてみると、蔵書を売ったのが昭和四年二月二日のことで、三日には北海道ゆきを断念して浦安に住むこと、そしてひと月十三円(家賃七円の茅屋《ぼうおく》)以内の生活費を厳守すること、というのが書いてあり、別行にして大きく「戦《いくさ》ははじまった、さあ起《た》て周五郎よ!」としたためてある。かかる悲壮なる決心にもかかわらず、同月九日――つまり初めの日から一週間め――には、「遂《つい》に嚢中《のうちゅう》八銭となる、しかしそれだけ真剣になれるのは有難い」ということが、小さな字で走り書きにしてあるのだ。なるほど嚢中八銭では真剣ならざらんと欲するも得べからざるべけんやであろう。
一暴十寒戒と紙に書いて床間にはりつけたのは、今から三年ほど前のことであるが、これも五日と経たぬうちに破りすててしまったのを覚えている。ああ何としてもこれでは致し方がないのである。
これも浦安にいた時のことだが、ある年の四月につまらぬ原稿があたって五百円ほどもらったことがあった。あらゆる妄念をきりすてて断乎《だんこ》と北海道ゆきをきめ、上京して木挽町《こびきちょう》の恩人山本|翁《おう》を訪ねた。(山本翁はなが年わたしが生活の面倒をみて貰《もら》っている人である)
――玄米を喰べなくともよくなったそうじゃないか。翁は慈父のような頬笑をみせながら云った。
(玄米を炊《た》いて野草を喰っていると報告したのはその年の二月のことであるが、その時はまだ買い込んだ米が二三合減ったきりで、ひと月後わたしが北海道から帰ってみると、その米は全部ちいさな虫に化していた)――しかしわたしは、最もとりすました顔で、
――なに、やはり玄米を喰べます。
と答えた。
さて北海道旅行のことを相談すると、それもよかろうがおまえが金を持つとすぐに遣ってしまうから、ともかく五百円はおれが預かって置こう、旅行費用は百円だけにしてあとは勉学の持久にあてるが宜《よ》い。とてきぱき定めてくれた。
――百円あれば充分です、泊まりは木賃宿にするつもりですし旅中は酒をつつしみますから、持って行っても遣いようがありません、大名旅行をしたのでは勉強になりませんから。
わたしはそう誓言して、百円を手に東京を立った。日記にも書いてあるが、この時のわたしは陸奥《むつ》を遍歴したばせを[#「ばせを」に傍点]のような、貧しく寂《さ》びた旅路をおもい、遊女も雲水もひとつむしろのまろ寝を空想し、一|椀《わん》の麹飯と垢染《あかじ》みた夜具の泊まりを幻に描いていたのである。それにもかかわらず旅が始まるやいなや、「デンカワ五〇オクレ」という電報をつぎつぎと木挽町へ送るしまつになった。そしてひと月後に帰ったときには、預けてあった金がなくなったばかりでなく五十円あまり足をだしていたのである。(なんとしてもこれでは致し方がないではないか)
基督《キリスト》は一日に一度反省せよと教えるが、わたしは昔から二度や三度反省しても間にあわないような状態であった。したがってこの頃はもう自分でもすっかりあきらめができ、ながるるままの自然にまかせているから、日記へ大きなことを書く要もないし、また「この大馬鹿野郎め」と罵《ののし》ることもない。それでもべつに飢死をしないところをみるとありがたく思う。
仏蘭西の小話にこんなのがある、君はなにを煩悶《はんもん》しているのだという書きだしである。
「君が何を煩悶しようと問題はふたつより外《ほか》にない、君は健康か病気か、健康ならば云うことはあるまい。若し病気だとしても問題はふたつだ、その病気はなおるかそれとも死ぬかだ、なおる病気なら文句はないし、死ぬとしたところで問題はふたつしかない、即《すなわ》ち極楽へゆくか地獄|墜《お》ちかだ、極楽へ行くとすればこれまた不服はないであろう。地獄へ行くとしたら、――第一、君はそんなものがあるということを信ずるかね、信じないだろう、それなら結局君にはなにも煩悶はない筈《はず》ではないか」
[#地から2字上げ](「ぬかご」昭和九年八月号)
底本:「艶書」新潮文庫、新潮社
1983(昭和58)年10月15日 発行
2009(平成21)年10月15日 二十八刷発行
底本の親本:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
初出:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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《》:ルビ
(例)暴《ばく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|暴《ばく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ばせを」に傍点]
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一|暴《ばく》十|寒《かん》という言葉がある、働くのは一日であとの十日は遊んでいるという、つまりなまけ者のことだそうだ。こいつをみつけたときわたしはなんだか自分が当てこすりをくらったような気がして、しかしなんとなくふくらみのある旨《うま》い言葉だと思いさっそく紙に「一暴十寒戒」としたためて床間のまん中へはりつけた。
わたしくらい勤勉なような顔をしてその実なまけ者はあるまい、昔からよく睡眠は四時間でたくさんだとか、ひと月にかならず百枚以上原稿を書くとか、良い演劇や映画はみのがしたことがないとか、またこれから仏蘭西《フランス》語をやるつもりだとか、なにやかやずいぶんと出放題をならべてきた。もっともその時はべつに嘘《うそ》を云《い》うつもりではないので、自分でもたしかにそうする気で云うのだが、それが思うように行かなかったまでのことである、そう云ってもわたしがなまけ者でないということにはなるまいが――。
わたしは地震の翌年からこっち日記帳を六冊あまり書いている。なまけ者のくせによく日記などをつけたものであるとひとは訝《いぶか》しく思うであろうが、なに実はこれを繰ってみるといかにわたしがなまけ者で不勤勉で克己心のない人間であるかということを証明しているにすぎないのだから世話はない。
十年ほど前のある頁《ページ》をひらいてみると、「明日より断行のこと」と筆勢たくましい書きだしで、酒は一週に一度かぎり、当分菜食のこと、午前一時に寝て同じく六時に起床すべしという条目から、二十四時間を半時のあますところもなく読書執筆に精《くわ》しく割り当て、最後に大きく「若《も》しこれを破るときは拳骨《げんこつ》で頭をなぐる可《べ》し」としたためてある。いま見ても筆端に颯爽《さっそう》たる力があって、さぞりきみかえって書いたことだろうと思うが、さらにそれから二三日あとを披《ひら》くと、これまた酔後に書いたとしかみえぬ乱暴な字で「この大馬鹿《おおばか》野郎め」となぐり書きにしてあるという次第なのだ。拳骨で頭をなぐったかどうか今は覚えていない。つまり、――わたしの日記というのは、かような決心と変心とのみじめな記録なのである。
ある日、これから秋までは女色を断つとしたためてあるかと思うと、半月|経《た》たぬところに何やら詫《わ》びごとが書いてあるし、断酒と大きく楷書《かいしょ》で書いて赤い丸がつけてあるのに、明くる日のところには「断酒に囚《とら》わるるは断酒の妄念《もうねん》の俘虜《ふりょ》となるにすぎぬ如《し》かず万杯を挙げて妄念を断たんには」とやってある。
ある年の春、千葉県浦安町の生活がゆきづまって、にっちもさっちもならなくなったとき、東京から古本屋を呼んで貧弱な蔵書をたたき売ったことがあった。百円ちかくの金を手にしたわたしは、この金こそ有効につかわなくてはならぬと決心してふたつの案をたてた。ひとつは永年の望みであった北海道ゆきであり、ひとつはその金をどだいとしてもう一年浦安にいようというのである。わたしはひと晩かかって両案のこまかい計算書をつくった。
わたしの記憶が正しいとすれば、旅行案の方は木賃宿に泊まることから、車中の弁当までちゃんと定めてあったし、後案の方では一日一菜、あとは玄米と梅干しということがいかめしく決定していたと思う。
いまその日記をひろげてみると、蔵書を売ったのが昭和四年二月二日のことで、三日には北海道ゆきを断念して浦安に住むこと、そしてひと月十三円(家賃七円の茅屋《ぼうおく》)以内の生活費を厳守すること、というのが書いてあり、別行にして大きく「戦《いくさ》ははじまった、さあ起《た》て周五郎よ!」としたためてある。かかる悲壮なる決心にもかかわらず、同月九日――つまり初めの日から一週間め――には、「遂《つい》に嚢中《のうちゅう》八銭となる、しかしそれだけ真剣になれるのは有難い」ということが、小さな字で走り書きにしてあるのだ。なるほど嚢中八銭では真剣ならざらんと欲するも得べからざるべけんやであろう。
一暴十寒戒と紙に書いて床間にはりつけたのは、今から三年ほど前のことであるが、これも五日と経たぬうちに破りすててしまったのを覚えている。ああ何としてもこれでは致し方がないのである。
これも浦安にいた時のことだが、ある年の四月につまらぬ原稿があたって五百円ほどもらったことがあった。あらゆる妄念をきりすてて断乎《だんこ》と北海道ゆきをきめ、上京して木挽町《こびきちょう》の恩人山本|翁《おう》を訪ねた。(山本翁はなが年わたしが生活の面倒をみて貰《もら》っている人である)
――玄米を喰べなくともよくなったそうじゃないか。翁は慈父のような頬笑をみせながら云った。
(玄米を炊《た》いて野草を喰っていると報告したのはその年の二月のことであるが、その時はまだ買い込んだ米が二三合減ったきりで、ひと月後わたしが北海道から帰ってみると、その米は全部ちいさな虫に化していた)――しかしわたしは、最もとりすました顔で、
――なに、やはり玄米を喰べます。
と答えた。
さて北海道旅行のことを相談すると、それもよかろうがおまえが金を持つとすぐに遣ってしまうから、ともかく五百円はおれが預かって置こう、旅行費用は百円だけにしてあとは勉学の持久にあてるが宜《よ》い。とてきぱき定めてくれた。
――百円あれば充分です、泊まりは木賃宿にするつもりですし旅中は酒をつつしみますから、持って行っても遣いようがありません、大名旅行をしたのでは勉強になりませんから。
わたしはそう誓言して、百円を手に東京を立った。日記にも書いてあるが、この時のわたしは陸奥《むつ》を遍歴したばせを[#「ばせを」に傍点]のような、貧しく寂《さ》びた旅路をおもい、遊女も雲水もひとつむしろのまろ寝を空想し、一|椀《わん》の麹飯と垢染《あかじ》みた夜具の泊まりを幻に描いていたのである。それにもかかわらず旅が始まるやいなや、「デンカワ五〇オクレ」という電報をつぎつぎと木挽町へ送るしまつになった。そしてひと月後に帰ったときには、預けてあった金がなくなったばかりでなく五十円あまり足をだしていたのである。(なんとしてもこれでは致し方がないではないか)
基督《キリスト》は一日に一度反省せよと教えるが、わたしは昔から二度や三度反省しても間にあわないような状態であった。したがってこの頃はもう自分でもすっかりあきらめができ、ながるるままの自然にまかせているから、日記へ大きなことを書く要もないし、また「この大馬鹿野郎め」と罵《ののし》ることもない。それでもべつに飢死をしないところをみるとありがたく思う。
仏蘭西の小話にこんなのがある、君はなにを煩悶《はんもん》しているのだという書きだしである。
「君が何を煩悶しようと問題はふたつより外《ほか》にない、君は健康か病気か、健康ならば云うことはあるまい。若し病気だとしても問題はふたつだ、その病気はなおるかそれとも死ぬかだ、なおる病気なら文句はないし、死ぬとしたところで問題はふたつしかない、即《すなわ》ち極楽へゆくか地獄|墜《お》ちかだ、極楽へ行くとすればこれまた不服はないであろう。地獄へ行くとしたら、――第一、君はそんなものがあるということを信ずるかね、信じないだろう、それなら結局君にはなにも煩悶はない筈《はず》ではないか」
[#地から2字上げ](「ぬかご」昭和九年八月号)
底本:「艶書」新潮文庫、新潮社
1983(昭和58)年10月15日 発行
2009(平成21)年10月15日 二十八刷発行
底本の親本:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
初出:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ