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臆病一番首
山本周五郎
山本周五郎
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(例)外村重太夫《とのむらしげだゆう》
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(例)坂|蔵屋敷《くらやしき》
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414
へいはちろう
えいろく
げんき
にぎ
でんがくはざま
いまがわよしもと
ほか
さいとうたつおき
おうみ
じゅうりん
「せいば
せっつかわち
違う平八郎
おわりのくにきよすじょう永禄十三年正月元日、(この年四月、改元し
る)尾張国清洲城の大広間は、祝賀の宴で盛んに賑わっていた。首若冠二十七、田楽狭間に東海の英雄今川義元を屠って以来、斎藤龍興を降し、近江十八城を蹂躙し、更に征馬を駆って摂津、河内を掌握した織田信長は、威勢よ
きたばたけとものりうやく天下を呑むの時期であった、ことにその前年の冬、伊勢の北畠?教を攻略したあとなので、正月の祝宴はそのまま凱陣の祝いをもかねて、清洲城は歓歌欣舞にどよみあがっていた。その宴なかばだった、丹羽五郎左衛門が一人の若者をつれて信長の前へ進んだ。わがきみ「我君、珍しい者を召連れました。どうかお言葉を給わりまするよう」「なんだ、珍しい者とは」「まずお言葉をおかけ下さい」
第三勢に合いをしている。言者は年の項二十五霊で色白の、夏
臆病一番首
がいじん
うたげ
にゃごろうざえもん
たま
ふくわう
さかずき
おそれいたてまつ
あお
臆病一番首
つきの遺書の気まった。演とした面であるが、どうやら晴れの席に馴れぬと見えてぶるぶると胴震いをしている。――信長は盃をあげながら、「余が信長じゃ、名は何という?」門
司「は、は、ほん……と申します」口の中でぶつぶついうだけで分らない。、海外「聞えないぞ、もっと大きな声で申せ」(
33)「は、恐入り奉る」若侍は顔色を蒼くしながら、
- ほんだへいはちろう「そ、その、本多平八郎と申しまする」
信長は眼を丸くした、本多平八郎といえば徳川家康の旗本で、鬼の忠勝といわれた天下無敵の豪傑である。「な、なに、本多平八郎だと?」
へ「いえ、いえ、その、あれではございませんので」「若侍はあわてて打消した。
日「あれでないとはなんだ?」'「その、あの、あの豪傑の本多平八郎ではないので、ち、違う方の本多平八郎でご
ただかつ
VOC?________________
416
ふきだ
あか
つぶや
かっこう
わらい
臆病一番首
♀ざいます、違う方の―」本人選
「わはははははは」信長は身を反らせて失笑した。「違う方の平八郎か、これは面白い、豪傑でない方の平八郎とは奇妙だな、ふはははは」の
がい信長が笑うと共に列座の人々もどっと声をあげて笑い崩れた。|いちど蒼くなった若侍の顔が、今度はぽうと疲くなり、何やら口の内でぶつぶつ呟きながらだんだん隅の方へ身を縮めていく。その恰好がまた人々の笑を誘うたねだった。信長はひと息ついて、「五郎左衛門、これは其方の家来か」
のトー「は、伊勢の戦に初めて召抱えました新参の家来でござります」「天下の豪傑、徳川の鬼平八郎と同姓同名の者なれば、働きもさぞ目覚しかったであろう。何か手柄をたてたか」「それがまた大違いなので」と五郎左衛門が笑いだした。すると若侍はいよいよ身を縮めながら、、と「そ、そればかりは、どうぞそればかりは」と消えるような声で哀願した。しかし
そのほう
「たたかい
はいだ
病一番
空堀の中に、兜の上から草を被って闘っている者がおりました。敵か味方かと声をかけると、草を被ったまま這出して来たのがこの男で……」で、資要「なんだそれは?」、
黒、古いもの。「手前もおかしな奴だと思いましたから、どうしたのかと訊きますと、――もう大丈夫でございましょうかと申します。もう出ても大丈夫でございましょうかと」』首「わははははは」『言員本を「あっはっははははは」「ひっひひひひ」
信長はじめ一座は、身を揉んで爆笑した。若侍は全く途方に暮れた様子で、全身冷汗をかきながら真赤になっている。(蔵人(さの中、一人の美「これは驚いた。なるほど珍物だ」信長は笑を納めて、「それでは合戦はしなかったのだな」「なにしろ敵方で最初に鉄砲を撃出した時、その音に吃驚して馬から転げ落ち、空堀の中へとびこんで凝乎と慄えていたのだと申すので」m2「無類の臆病だなそれは」と信長は尚もこみあげる笑を抑えながら、の落、
まっか
ちんぶつ
うちだ」
びっくり
なお?________________
ぎょ、
♀「しかし面白い、鬼平八郎と同姓同名を持ちながら、まるで正反対とびきりの臆病
というところが奇妙だ。――五郎左衛門、その平八郎を余に譲らぬか、少し考えることがあるから手許においてみたい、どうだ?」
言
い番「御所望なれば御意にお任せ申しましょう」「宜し、貰ったぞ」
この奇妙な光景を、上段に並んでいる婦人たちの中から、一人の美しい乙女が蛇と眸子を輝かして見戌っていた。
もら
ひとみ
首
かめら
なぶり者」
臆病一
そばちか
なびろ
なぐさ
そば
丹羽五郎左衛門から信長に貰われた本多平八郎は、お庭番として常に信長の側近く仕えるようになった。――なにしろ正月の祝宴で、少しばかり派手な名弘めをしたから、城中の若者たちは珍しさ半分、弄み半分に暇さえあると側へやってきて、「ああちと御意を得る」じろりと見て声をかける。「拙者は御旗本にて大橋辰馬と申す者だが、今度新しくお庭番になられたのは貴殿か」
おおはしたつま|
しか
臆病一番首
「なに本多、なんと仰せらるる?」「その、本多平八郎でござる」
2013年7「ええや:あの貴公がー?」ができる。「いえ、いえその、あれでござる」急いで手を振りながら、「その、あの、例の豪傑の本多平八郎ではないので、その、違う方の平八郎でござる」「あはあ……なるほど、豪傑でない方の平八郎殿か、豪傑でない方とすると弱い方でござるな、ふむ、つまり弱い平八郎という訳か、――なるほど、それでは伊勢のたたかい」
戦に空堀の中で草を被っていたというのは貴公だな」31人「それには、いや、実は、その、それにはちと仔細があるので」
。「どんな仔細か」、「――それが、……いや、申しますまい」
の
は、本「なぜ云われぬ」「申上げても分っては頂けまいから」の
、「さようさ、戦場は武士の死にどころと、幼少の頃より覚悟する我等には、臆病未~練の仔細を聞いても分る筈がないて、――や、お邪魔を仕ったな。違う方の平八郎
ネット
「つかまっ?________________
ちょうろう。
ほと
あるい
た
。あるひ
そばごしょう。
「あつま
臆病一番首
殿、御免」
の為思うさま嘲弄していってしまう。、、、、
無茶これが殆ど毎日、とっ代えひっ代えのことだからさすがの平八郎もくさる。――今では彼の顔さえ見れば、みんなにやにや笑いながら、「やあ、違う方の平八殿」とか、或はまた、「これはこれは、豪傑でない方の本多氏―」などと呼びかけるようになった。
こうして四十日ほど経った一日、例によってお庭廻りをしていると、お側小姓たちが五六人、彼をみつけて集ってきた。――小姓と云っても十七八の生意気盛り、しかも信長の武断流で鍛えられた暴れ者揃いである。07)「ああ暫く、暫く待たれい」少年の癖に頭から横柄だ。「何ぞ御用でござるか」(
軍部「今度新しくお庭番に召立てられたというのは貴殿ではないか」、「如何にも……」
にわひでなが「聞けば元、丹羽秀長殿の家臣、つまり陪臣であったものを新しく御直参に出世したのだそうだが、伊勢の合戦には余程の手柄をたてたのでござろうな」「季まして
。受学のそうお手術の悪をやりたい」
ぶだんりゅう
ぞろ
しばら-
おうへい
めした
よほど」
ごけんそん
LINDO
[病一番首
つめよ
口々にいいながら取巻いた。――平八郎は早くも顔を皺らめて、何やらもじもじし始めたが、小姓共はますます意地悪く、「さあ、御謙遜には及ばぬ、いかがでござる」で
、「我等もあやかりたい。お聞かせ願おう」な事業
の「それとも小姓などには軍談はなされぬというお積か」-
中「それならそれで覚悟がある」「いや、さ、さような訳ではないが、――その、別に手柄と申して……」蚊の鳴くような声である。小姓たちは図に乗って詰寄り、
もうす「別にと申して、それでは手柄はなかったのでござるか」、3営すい「兜首の五六級ぐらいのところか」意
の「それとも又……」といいかけた時、この群の後で、「お止めなさい!」と鋭く叫ぶ声がし、同時に一人の美しい乙女が小姓たちを突退けて平八郎を脊に庇った。―――年は十八九であろうか、身丈ほどもある黒髪を脊にすべらし、小麦色の肌のきりりと緊まった体つき、匂うような眉、黒耀石のような双眸……実に眼のさめるような美しさである。
かぶとくび-
つきの
こくようせき、
そうぼう
421?________________
なな」
さいとうどうさん
で
、ほろ
なぎなた
◇「ああ!お奈々さま!」で表)
みのひめ「小姓たちは仰天した。|信長の妻は美仍如といって、美濃の斎藤道三の娘であった。そしてその乙女は名をお奈々と云って美仍姫の妹にあたり、父道三が亡んだ時、織田家へ引取られてきたものである。容姿が美しいばかりでなく、薙刀と馬術に優れた女丈夫で、なま中の若侍は遠く及ばぬ腕を持っていた。「そなた達は何事です!」お奈々は眉を逆立てて叫んだ。「まだ元服もせぬ少年の分際で、噂話の尻馬に乗り、武士たる者を嘲弄するとは見下げ果てた振舞い、さ、お詫びを申してすぐにここを立去るがよい」
しょじょうぶ
うわさばなししりうま
臆病-番首
戦場の恐れ
りんぜれ」
凜然と叱りつけられた暴れ者揃いの小姓たち、大抵のには驚かない連中だが、お奈々さまには頭が上らなかった。――云われるままに詫言も早々、逃げるようにそこを立去っていった。「お奈々はそれを見送ってから、求め
く「本多様と、仰有いましたわね」と平八郎の方へ振返った。033「ま、ま多量で、あの豪業、行う、うちの
おっしゃ
がんたん
あなた
か
うつむ
「なぜそんな断りを仰有いますの?」「は、その―」1月「元旦の祝賀の折も、わたくしお席に待っていて伺いました。どうしてあんなに、一々お断りなさいますの?他に何十人何百人の本多平八郎がいようと、貴方のお
名が本多平八郎なら、そんな断りをいう必要はないではございませぬか」首、若者は下唇を噛んで俯向いたが、
「――そうです」と悲しげに会った。「それはそうなのです。けれど……徳川家の豪傑、天下に隠れのない鬼平八郎殿と、間違われはせぬかと思うとつい断らずに居られぬのです」「そんな弱い心で、武士が――」お奈々は強く云いかけたが、相手の恥しそうな顔色を見ると思返して、、、。
3「まあここへお掛け遊ばせ」と傍の捨石へ自分から先にかけた。そして若者が恐る恐る腰を下ろすのを待って、
う前1年間「貴方は伊勢の戦に、空堀の中で草を被っていたと聞きましたが、本当ですの?」◇「本当です」平八郎は低い声で話しだした。「でも
できる。
臆病一番
はずか
おもいかえ
あそ
かたわらすていし。
たたかい?________________
ひだのくにおおのぐん
ほんだいちまさ
たち
あっぱ
あるじ
つかまつ
もちあが
臆病一番首
凶「拙者の父は、飛騨国大野郡の郷士で本多市正と申します。父は武辺一徹の質で、天下の鬼平八郎にあやかるようにというので、こんな名をつけてくれたのです。
―拙者もかく戦国の世に生れたからは、適れ戦場に出て高名手柄をたて、一国一城の主になりたいと思い、幼少のころより武道専一に精進仕りました。そして……自分の口から申すのは恥しゅうござるが、武士ひと通りの腕は充分に鍛えあげたと思います。けれども、二十歳にして初めて戦場へ臨みました折に、思いがけぬ事が持上ったのです」「思いがけぬ事とは――?」「それは松永三好の一党が、公方様(足利義輝)の二条の第に攻寄った時のことですが、拙者はそのとき畠山詮義の幕下で第の警護をしておりました。―戦が起るとすぐ、拙者はこの時とばかり真先駆けて斬って出で、|我こそは本多平八郎忠次。大人の
まつながひさみつあきたいっしんと名乗ったのです。すると寄手の中から松永久光、秋田一心はじめ大将格の者ばかり十五六人、一騎当千の連中が槍を揃えて、
本多平八郎とはよき敵ぞ、我こそ討って取らん。
まつながみよし。
ぼうさま」
あしかがよしてる
てい
はたけやまあきよし
たあい
まっさき」
よせて
てき
こっちういじん
おそ
臆病一番首
にあるときを見るらくその場の愛しい光業を意したに違いない。それから太息をついて語りつづけた。「……なにしろ此方は初陣です。あ、徳川家の本多平八郎に間違えられたな!と気がつきますと、急に怖ろしくなって――前後も構わずそのまま、一散に逃げだしてしまいました」
。「そのお気持はよく分りますわ」「その後三度、合戦に加わりました。しかしその度に、名乗りをあげるが否や、いつでも豪傑の本多平八郎と間違えられて、敵方の勇士猛将が先を争って向ってくるのです。――その時の彼等の勢といったら……なにしろ天下に隠れのない勇士、鬼平八郎だと思っているのですから、首を取れば千石の手柄というので、気違いのように向ってくる。それは実に千匹の悪鬼が押寄せるかと思われて、とてもとても、どう当ることが出来ましょう、|いつも此方は吃驚して逃げてしまうのです」平八郎はひと息ついて、今度は声を震わせながらいった。「それ以来、拙者はすっかり戦場が恐ろしくなってしまいました。いざ合戦となるが否や、敵方の勇士豪傑は残らず拙者一人を狙って攻寄せるように思われ、戦わぬビうちに体が竦んでしまうのです。――父が、こんな名さえ附けてくれなかったら、
いきおい|
こっち
から一
せめよ?________________
さだめ
おもい
ク拙者も人並みの働きぐらいはできたでしょうに、思えば、実に……無念です」
お奈々は黙って聞いていた。――彼女には平八郎の皮肉な悲しい運命がよく分ったのだ。そして、男勝りと云われてはいるが、やはり乙女の優しい胸のうちは、いつか平八郎を憐れむ思でいっぱいになっていた。||お可哀そうに。。
で
、-お奈々はそういってやりたかった。銀、「元旦の祝賀の時、はじめて平八郎を見て以来、お奈々は不思議に彼の姿を忘れかねていた。肩幅の広い、逞しい体つき、秀でた眉、凜とした面魂――それらが夢に現に幻となって現われ、ともすると夜ひと夜眠られぬことさえしばしばであった。
がんたん)
たくま
臆病一番首
きも
の世が冷える
貴ようかにつ
かたち
「よく分りました」お奈々はやがて、容を正していった。「貴方が戦場を恐れるお気持、わたくしにはよく分りますわ。けれど――平八郎さま。それは貴方の他にもう一人豪傑として隠れのない本多平八郎がいて、それに間違えられると思うからでございましょう?」
「天下に本多平八郎は御自分独り、他にあればそれこそ貴方の偽者だ―という風に」
さんで、ある意
ひのもとゆみとり
みかわ
臆病一番首
おかお
あるじ
「貴方は日本の弓取、織田信長公御直参の武士ではございませぬか。鬼平八殿がいかに豪勇でも、貴方に比べれば三河の小大名の家来、威張って本多平八郎と名乗れるはずです」「――さあ、それがそう簡単には」「フック)「いえ簡単なはずです。貴方の相貌にはやがて一国一城の主たるべき質が表われています」「そんな、いや、そ、そんな」「頭のい家、
長「いえ、いえ、わたくしにはそれがよく分ります。貴方はいま御自分の心にある幽霊のために怯けているのです。自分はあの鬼平八郎ではない、違う平八郎だと思う、その心が幽霊となって貴方の心を挫くのです。平八郎さま、その幽霊をお捨
て遊ばせ。本多平八郎は我一人、我こそ唯一人の本多平八郎とお思いなさいませ。四出来ます、必ず貴方には出来ます」力強くいうさまを、平八郎は疑うように、蛇と
くじ
にん?________________
ろうばい
ぶしつけ
さげす。
一番首臆病
◇見上げていたが、本題。「しかし、出来るか出来ないか、どうして貴女に分りますか」寝
るな。「分りますわ」お奈々は男の眼を見返しながら、「なぜって……お奈々がおいとしいと思うお方は、やがて一国一城の主となる人でなければなりませんもの――」そういって眺と覚める乙女の顔は、俄にぽっと紅の色を散らした。――平八郎も思いがけぬ言葉に、体中の血が一時に顔へのぼるかと思われぬほど狼狽したが、「そ、それは、お奈々さま……」「不躾なことを申して、お蔑み下さいますな、実は元旦の祝賀の折から、貴方さまこそお奈々が一生の良人と―独り心に誓っていたのでございます」
「…」
「あれ以来、色々な噂を聞きました。けれどわたくしだけは、貴方こそやがては適れ織田家随一の勇者になるお方と、かたく信じていたのでございます。これからも信じておりまする。どうかそれを忘れずに……」「平八郎は夢でも見ているような気持だった。あまりに意外な言葉である。主君信長の奥方の妹姫、美濃尾張かけて評判の美しさと、男に勝る女丈夫で聞えたお奈々
つま
あっぱ
「ぼうぜん
[病一番首
どうか忘れずに。という言葉を残してお奈々は去ったが、平八郎は会釈も忘れて茫然と考えこんだ。
おれん「そうだ、本多平八郎は己一人、――こう思えば勇気がつく。他に鬼平八がいると思うから気腫れがするので、我一人と思えば」と呟いて肩をつきあげたが、両替器「……思えば、思うことが出来れば、―――だが出来るかしらん、なにしろ相手は天下の鬼平八郎だからな。……出来そうもない、―出来なければお奈々さまは……」「何をしている、平八!」不意に耳許でぐわんと叫ばれて、平八郎は思わずとび上った。――見ると、侍女二名を伴れた信長がにやにや笑いながら立っていた。「あ、これは……」です。
そのほう「何がこれはだ、其方いまここで何をしておった、誰と密談しておったのだ?」「いや別に、その、あれでござる」「見たぞ見たぞ」信長はぐいと睨んで、、
「戦場では臆病な癖に、貴様……こんな方面は馬鹿に巧者だな」11「い、いえ、決してさような」
ばか?________________
CK
つめ」
むにむさん
せんしょう
臆病一番首
から、敵勢の名ある猛者たちは、熟れも相手を捨てて、人間、「我こそ平八郎に見参!」の時
代「それ討ちもらすな」
人間と喚き喚き詰寄せて来る。あの、はが思思う。|駄目だ、奴等には聞えない。
ハ韻の誤りでぶと思ったら、そのとたんに平八郎は骨の髄から恐ろしくなって、矢も楯も堪らず、馬を返して無二無三に逃げだした。そのまま平八郎の姿は戦場から消えてしまったのである。そして両城が陥落して、戦捷の馬寄せをした時、先ず信長が彼のいないことを発見した。誰か見かけなかったかと調べさせると、「総攻めの時陣頭を駆っておりました」と云う者がいたし、また別の者は、「いや、なんでも拙者は豪傑の平八郎ではない。違う平八郎、唯の平八郎と頻りに断りを言っているのを見かけました」と申出た。信長は笑って、「それではまた例の臆病が出たのであろう。その辺に隠れているに違いないから捜してみろ。――もう大丈夫だと云ってな」側近くいた者はどっと笑い崩れた。一刻近く経って、平八郎は戦場からずっと離れた藪の中に、馬の首へ獅噛みつい
う
として、志らく手討
とき
しが
しょうぜん
きのどく
臆病一番首
った。「どうした平八」情然とつれてこられた平八郎を見て、信長は面白そうに笑いさえ浮かべながら、会
則書類1)「貴様、合戦のさ中でも断りを云っていたそうだな」、、、賞。「は、はい、その、先方が、どう断っても、その、豪傑の平八郎と間違えますので、これは、拙者にしても、先方にしても気毒ゆえ」「馬鹿、斬るか斬られるかという必死の場合に、気毒もへちまもあるか」こた「それが、どうも、具合が悪い……」「まあよい、貴様がいるお蔭で戦の凝りがおちる。合戦が陽気になってよいぞ、――今後とも其方だけは臆病お構いなしだ。決して心配せずに堂々と臆病を稼げ」
い並ぶ諸将軍卒まで、思わず声を合せてどっと笑った。「しかし本多平八郎は泣いていた。お奈々さまにあれほどいわれながら、そして自分でもあれ程心に誓いながら、結局またこんな結果になって了った。彼は馬を曳きながら、
た
いで、|もう駄目だ。己にはとても武士として名を成すことは出来ない。いっそ故郷
かげたたかい?________________
おもかげ
へ帰って百姓にでも成ろう。
と泣きながら呟いた。しかし、そう呟く下から、あの美しい奈々姫の、頻を染めて眠と覚めた、夢のような節がありありと見えて来るのだった。もち
――くそっ、厭だ!このままでは死んでも死にきれぬ。石に囓りついても一度は武士らしい高名手柄をたてるぞ。そしてお奈々さまの……お奈々さまのー。平八郎の眼からはらはらと涙がこぼれた。
かじ
二人平八郎
臆病一番首
まあいながまさ
あさくらかげあき
ささきしょうてい
かまがわおたによこやま
つるが、
よ
金崎、手筒二城を抜いて、織田勢が越前に覇を唱えるや、近江の浅井長政は急に起って浅倉景鑑と盟を組み、佐々木承禎を招き、釜川、小谷、横山の諸城を固めて織田勢の帰路を扼し、一挙にこれせんと計った。この時は信長も狼狽した。金崎手筒は屠ったが、浅倉義景はまだ敦賀に拠って、隙あらば必勝の奇襲をかけようと狙っている。つまり腹背の敵である。この一戦こそ織田の興廃と、大事を執って先ず浜松の徳川家康に援軍の急派を乞うた。「この戦は果して苦戦であった。西上した家康は手兵三千を以て姉川に陣し、浅倉
すき
たたか
「せいじょう
「あねがわ
かち
こつねん」
さかよ」
「かち
、およ
くわがた
に
かいた。
病一番首
びぜんのかみ
えんどうきえもんのじょう
勢を潰走せしめたのがきっかけで、さすがに織田軍の優勢となり、無二無三に斬りたててついに、六月二十八日の夕景まえ、浅井長政の陣も敗走を開始した。
と―その時であった。同日、「敵は退くぞ、隙かさず詰めよや!」と勝に乗じて追撃に移る、織田、徳川両軍の前へ、浅井勢の中から忽然として一隊の兵が逆寄せに出てきた。――徒士の兵凡そ五十、先頭に馬を駆って来るのは、鍬形うった兜をきて大薙刀を小脇に掻込んだ武士、
)「やあ、我こそ浅井備前守の家臣にて、さる者ありと知られたる遠藤喜右衛門尉義照なり。我と思わん者は出合えや!」と高らかに名乗りながら突込んできた。。
遠藤喜右衛門は浅井家に隠れなき勇将だ。それがいま郎党と共に必死を期して逆襲に出たのだから、その勢は鬼神の如く、見る見る先陣を斬破って、信長の幕営へと真一文字に突込んで来た。――その時右手の方から、黒糸縅の鎧に鹿の角の前立うった兜を衣て、大身の槍を掻込んだ武士が一騎、喜右衛門の横手へ馬を乗りつけ
ながら大音声に、鰯「やあ、珍しや遠藤喜右衛門、これは三河国に知られたる本多平八郎忠勝……相手
よしてる
つっこ
いきおい
こと一
きりやぶ
くろいとおどしよろいしか
まえだて
ぎ
おおみ?________________
92
436
はねあが
ちょうだいつかまつ
とりなお
むち一
まっしぐらか
と沸いつうが志
ちじょくこうむ
臆病一番首
は我ぞ見参せん」と名乗りをあげた。とたんに、今まで信長の側に震えていた例の平八郎が跳上った。――そしていきなり自分の馬を曳出すと、「殿、喜右衛門を頂戴仕る」といいさま、大槍を執直して馬に一鞭間もなく墓地に駈けだした。見よ、彼の眼は燃えている、彼の全身には闘ている。3「――畜生、到頭めぐり会ったぞ幽霊め、貴様が本多平八郎鬼の忠勝だな、貴様のお蔭で今日まで己は耻辱を被っていたんだ、貴様のために己は臆病者になっていたんだ、だが今日こそ己は貴様と間違えられる怖れはないぞ、今日こそ己は信長公直参の本多平八郎として、一人立ちの腕を見せてやるぞ!」の-狂おしく心の内に叫びながら、馬を煽って乗りつけると、、
、「やあ、遠藤喜右衛門よく承われ、我こそ織田家の家臣にて、臆病御免の本多平八郎忠次なり、その首他人にはやらぬ、参れーッ」いやどうも、先に出た本多平八郎が驚いた。いきなり自分と同姓同名の者が現われ、しかも臆病御免というのだから、「あれあれ!」とばかり振返る、その鼻先を、――だあっとばかり馬腹を蹴って疾風のように駆けぬけた平八郎忠次、全身これ弾丸という勢で遠藤喜右衛門の真正面
いきおい
よろいどお
くさずり
「さしとお
かきと一
さき」
病-番首
平八郎もはずみを喰って落馬したが、そのまま喜右衛門の上へ跳掛って、「やあっ!」とばかり組敷き、はね起きようとするやつを隙かさず、相手の鎧徹しを抜取るが否や、一太刀、二太刀、草摺をあげて刺通した。実にあっという間の出来事だった。「やった、やった……」素早く首を掻取った忠次は、それを大剣の尖に貫いてさっと馬にまたがると、――それこそ天に届くかとばかり大音に、「やあ、敵も味方も承われ、浅井家の勇将遠藤喜右衛門は、信長公の家臣本多平八郎忠次が討取ったるぞ、後日の功名争いすな!信長公の家臣本多平八郎忠次が討取ったぞ」と名乗りをあげた。
味方の軍勢はどーっと賞讃のどよみをあげた。平八郎は生変ったように、身も心も伸び伸びと、大きく息を吐きながら、高く高く喜右衛門の首を差上げた。……眼前に、お奈々さまの美しい笑顔が見える。
- 適れようこそ遊ばしました。それでこそお奈々が生涯の良人でございます。そういう言葉までが聞えるようだ。警は、アッ彼は今こそ確実に「違う方の」でない本多平八郎になったのだ。織田家に豪勇本
しょうさん
うまれかわ?________________
たたかいかち|
◆多平八郎のあることをはっきりと世に示したのだ。戦は勝だ、浅井勢は算を乱して
敗走して行く。元亀元年六月二十八日の陽は暮れかけていた。
底本:「周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集」新潮文庫、新潮社
2019(令和1)年10月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1937(昭和12)年9月臨時増刊号
初出:「少年少女譚海」
1937(昭和12)年9月臨時増刊号
※表題は底本では、「臆病《おくびょう》一番首」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2019(令和1)年10月1日発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1937(昭和12)年9月臨時増刊号
初出:「少年少女譚海」
1937(昭和12)年9月臨時増刊号
※表題は底本では、「臆病《おくびょう》一番首」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ