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  • 白魚橋の仇討(工事中)

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白魚橋の仇討(工事中)

最終更新:2020年01月21日 04:33

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白魚橋の仇討
山本周五郎


【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)宗兵衛《そうべえ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)木|宗兵衛《そうべえ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定]
(例)[#3字下げ]


[#3字下げ]一、前話[#「一、前話」は中見出し]

 高木|宗兵衛《そうべえ》、鈴木|能登守《のとのかみ》と云《い》う微々たる小藩の槍術《そうじゅつ》指南番である。
 寛保《かんぽう》二年に巳年《みどし》二十九歳。妻をお俊《しゅん》と云った。宗兵衛は江州《ごうしゅう》の産、豪放の性で頗《すこぶ》る癇癖《かんぺき》が強く短気であった。
 太田|与兵衛《よへえ》、同藩士で勘定方勤め、宗兵衛より五つ年長で三十四歳、性穏健、真っ正直の好藩士である、宗兵衛とは隣合って住み、極めて親密、殆《ほとん》ど兄弟同様に往来していた。
 寛保二年正月、宗兵衛の妻お俊が女を産んだ、太田与兵衛は行って名附親となり美代と名乗らせた、翌三年の五月、太田与兵衛方で妻もよ[#「もよ」に傍点]が男を産んだ、今度は高木が代って名附親となり三郎と付けた。
 三郎を産んだもよ[#「もよ」に傍点]は産後旬日を経て歿《ぼっ》した。併《しか》し幸いにも高木の家では妻お俊が、未《いま》だ子供の乳離れを済ませていなかったので、三郎はお俊の貰乳《もらいぢ》で育てられた。
 三年後、延享《えんきょう》二年の四月、高木の妻は男宗太郎を産んだ。
 事件は此《こ》の宗太郎の出生と同時に起こって居る。

*

「与兵衛殿いるか」
 庭から高木がぬっと入って例のように声をかけた。「いま戻ったところだ、まああがれ」
 太田は出仕から戻って、支度を解いていたところである。二人は縁近くに向合って坐《すわ》った。
「長年の好《よし》みに縋《すが》って頼む事がある」
 高木が改まって云った。
「妻子を預って貰い度《た》い」
「どうする」
「己《おれ》は京へ上る」
 太田は唯《ただ》驚いて眼《め》を瞠《みは》った。
「己は今のような生活はもう沢山だ、こんなちっぽけな藩で、木偶《でく》共を相手に己の生涯《しょうがい》を闇々《やみやみ》塗潰《ぬりつぶ》すことは出来ない、己は自分が高木宗兵衛だと云うことすら忘れかけている有様だ」
 宗兵衛は暫《しばら》く間をおいて続けた。
「貴公には話さなかったが、頃日《けいじつ》知人を頼って、京で手蔓《てづる》を求めて置いた、ところがどうやら世に出る機会がありそうだと、通知があったのだ、己はもう三十二だ、己は試してみる積りだ」
「で、行くのか」
「む、それに就いて成る可《べ》くなら早まって妻子に苦労はかけ度くないと思うから、向うへ行って位置が定《き》まる迄《まで》、どうか貴公預って貰い度い」
 太田与兵衛は、高木が一度云い出したら決して思い止まる男でない事を知っていた、だから彼は快よく頷《うなず》いて云った。
「よし確《しか》と預ろう、三年でも五年でも」
「有難い、これで重荷を下ろした」
 そして間もなく、高木は主家に暇《いとま》を乞《こ》うて江戸を去った。
 当時なかなか脱藩などと云う事が容易に出来る訳のものではない、併し主家鈴木能登守と云うのが極めて微々たる小藩である上に、高木に対しても平素相当な待遇が出来なかったのだから、煩《わずら》わしい問題は起らなかった。
 斯《か》くしてお俊と女美代、男宗太郎とは太田与兵衛の邸《やしき》へ引取られた。与兵衛は妻もよ[#「もよ」に傍点]に死別してから独身を通し、乳母と下男と若党のみで穏かな生活を続けていたので、男三郎にとっては、自分の乳姉弟《ちきょうだい》の二人と、又その乳で育てて呉《く》れた、懐《なつ》かしい小母様《おばさま》と同居するようになったことが、大変な悦《よろこ》びであった。
 幼い三郎と美代は片言を交しながらよく遊んだ。

*

 延享が四年続いた、五年の七月十二日寛延と改元されて世は秋を迎えた。併し京へ上った高木宗兵衛からは何の音沙汰《おとさた》もない。一度妻お俊に便りがあった。此方《こっち》の都合はうまく行っている、もう直《す》ぐに迎えを出す積りで居《お》る、わざと与兵衛殿には便りをせぬ、其方《そなた》から宜《よろ》しく申伝えよ。と云うような事が書いてあった。
 彼が京へ立ってから三年|経《た》つ。
 寛延元年十二月、江戸は将軍家が琉球使《りゅうきゅうし》を引見するので賑《にぎ》わっていた。雪もよいの寒い一日、太田与兵衛の邸を訪れる者があった、玄関へ出た下男の吾八は、あっと云って声をあげた。
「高木様では――」
「高木だ」
 と云って侍はひどい酒気を下男に吹きかけた。
 成る程それは高木だ。併し何と変った事だ、色も褪《さ》め果て縞目《しまめ》も分からぬ衣服、羽織もなく大刀を一本ずり落ちそうに腰にしている許《ばか》り、埃《ほこり》まみれの素足に申訳許りの草履、月代《さかやき》も髯《ひげ》も莽々《もうもう》と伸びて、見る影もないと云う言葉が水からあがって来た有様である。
「高木だ」
 と彼は再び酒気と共に叫んだ、
「高木が帰ったのだ、与兵衛に、与兵衛|奴《め》に此処《ここ》へ、出迎えろと、そう申附けろ」
 高木と云う声に奥の間から跳び出てきたお俊、式台へ出たがはっと、その儘《まま》そこへ立竦《たちすく》んだ。
「まあ」
 と云った儘。

*

 高木は京から帰って来た。京でどんな事をしたかは誰にも口を緘《かん》して語らなかったが、併し彼の変化した性格は充分京に於《お》ける彼の失敗を語っていた。高木の癇癖はいよいよ激しく、いよいよ強情に、いよいよ執拗《しつよう》になって来た。
 太田は失意の友を見るに忍びなかった。そこで彼は二三の重役を説き廻《まわ》って、高木の再仕官を願った。幾ら能登氏が小藩でも、之《これ》は明かに主家侮辱である、最初は小っぴどくはねつけられた。併し倦《あ》くまで友情に恂《じゅん》する太田の懇願は遂《つい》に重役達を動かした。勿論《もちろん》高木の腕が重役達の間に惜まれていた事も大なる原因であったであろう。
 高木宗兵衛は、京から帰った翌年、寛延二年の正月から、勘定方として再出仕を許された。
 併しそれは却《かえ》って悪かった。
 高木宗兵衛は人生の徹底を求めた、徹底した生活を欲した、然《しか》るに人生は彼に背を見せた、矜恃《ほこり》ある武士としては是《これ》は打撃である。彼は膝《ひざ》を屈して京迄出掛けて行った、然るに京は彼を嗤《わら》って逐《お》い返した。
 彼は再び旧《もと》の鰻《うなぎ》の穴へ戻らねばならなかった、然もそこで例のうす暗い不活溌《ふかっぱつ》な小藩の、勘定方を勤めなければならなかった。「ふん」
 と彼は憫笑《びんしょう》を洩《も》らした。
 彼は酒びたりになった、花街、戯場などへ頻々《ひんぱん》と出入した、同僚と絶えず論を構え、漫《みだ》りに暴言を吐いた、見兼ねた太田与兵衛が意見をすると、反《かえ》って与兵衛にくってかかった、そして頻《しき》りにこんな事を云った、
「貴公はさぞ愉快だろう、己がこんなに成り下がっているのがなあ、ふ、己を勘定方に推挙して、友達面《ともだちづら》をする底は知れているぞ」
 家産の無い彼が、そうして日夜|淫酒《いんしゅ》に耽《ふけ》るには、勿論正しからざる財の出所がなければならぬ、彼は主家の金に手を附け始めたのだ。
 こんな事がいつ迄知れぬ筈《はず》はない、高木の不行跡はたちまち重役の耳に入った、太田与兵衛の掩護《えんご》の甲斐《かい》もなく勘定方改め役の精算明細書は、彼の不正を巨細《こさい》に摘発した。
 高木宗兵衛は主家を追放されることになった。

*

 今は何を云っても追附かぬ、高木の深酷な失意の心は、太田に熟《よ》く分かっていた、彼は友の破滅が、言葉などで慰める事の出来るものでない事を知った。唯最後迄、朋友《ほうゆう》として出来る心尽しを為《す》る外はない。太田与兵衛は同僚を説いて、幾許《いくばく》かの餞別《せんべつ》を贈り、一夜両名の同僚を語らって、高木の家に別宴を張った。春雨しとしとと煙《けぶ》る夜である。
 気まずい酒宴であった。集まった者は主客共に言葉がない、桜の噂《うわさ》が出るかと思うと、お船蔵新築の話に移ると云う有様である。高木は始終、俯向《うつむ》いてちびりちびり盃《さかずき》を干していた。
 刻《とき》がうつって行った、四刻《よつ》の鐘が鳴った。客達は盃を置いて別れを告げようとした。と、今まで石のように黙って酒を呷《あお》っていた高木が、冷やかに声をあげて云った。
「与兵衛、逃げずとも宜《よ》い」
「逃げる」
 太田は立ちかけた膝を戻した、
「何をばかな、逃げる訳があるか、だがもう夜も更《ふ》けている――」
「夜に借銭でもあるか、ふむ、それとも心に恥じて居悪《いにく》いか」
「貴公酔ったよ、それだから」
 云わせもはてず、高木宗兵衛持っていた盃を、溢《あふ》れる酒|諸共《もろとも》に、ぴしり太田の面《おもて》に投げつけた。
「犬め、ぬかすな」
 両名の同僚は、はっとして太田の袖《そで》を掴《つか》んだ。
「いや御安心なされ、何でも御座らぬ」
 太田は懐紙を取出して、面にかかった酒の滴《しずく》を押拭《おしぬぐ》いながら、両名の連れに手真似《てまね》で黙っているようにと示した。
「物が云えまい。友達面をして、人を罠《わな》にかけ居った、ふん、それを知らぬとでも思っているか」
 高木は相手に手耐《てごた》えのないのを見ると、更に逆上して、きりきりと歯を噛《か》みながら、何か致命的な毒舌はないかと、自ら手に汗を握った。
「そうだ己が悪かった、貴公を怒らせるだけでも己に足らぬところがあったのだろう、赦《ゆる》して呉れ」
「君子面はよせ、己の留守中、貴様はお俊と何を――」
「なに」
 太田は、高木が赦す事の出来ぬ言葉を口にしようとするので、遂に座を立って云った。
「貴公は酔っている、だから己は大抵の事は黙って聴く、だが」
「どうした、だがどうした、その面は何だ、くそっ」
 と云いざま、既に半ば狂った高木は、足をあげて膳《ぜん》を蹶《け》った、膳は砕けて、皿小鉢《さらこばち》は飛散した、まさに落花狼藉《らっかろうぜき》である。
「云い訳があるなら云え、不義者め」
 二人の同僚は事件の起るのを怖《おそ》れた、で両方から太田の腕を掴んで連れ帰ろうとした。
「理非は分かって居る、太田氏、さ、帰ろう、帰ろう」
 酒乱の友の暴言をとっこに取る事の大人気ない事を知っていた太田は、唇《くちびる》を強《したた》か噛みながら、両名の連れと黙って座を去ろうとした。
 どこ迄も相手が逆らわぬとなると、えてして癇癖は募るものだ、最後の毒舌も相手を起《た》たすことが出来ぬと見た高木は、既にヒポコンデリの悲劇的発作に陥った。
「待て」
 云いざまに傍《かたわ》らの刀に手がかかる、と見る、襖際《ふすまぎわ》で振向こうとした太田与兵衛の真向へ、抜討ちに斬《き》りつけた。泥酔《でいすい》していた上に腰の伸びた抜打ちである。充分体を躱《かわ》す余地はあった、が不幸なことに両名の連れが太田を挟《はさ》んでいた。
「あっ」
 と身を退《ひ》いたが、鋩子《ぼうし》先で肩へ二三寸斬り込まれ、襖諸共どうと倒れる、とたんに乗込んで打下ろす二の太刀を、辛くも抜合せた小刀で受止めた、が既に初太刀で傷ついている、呼吸が乱れる。
 瞬時は呆《あき》れていた両名の同僚、理不尽な高木の刃傷《にんじょう》に今は是迄と、
「朋友の義理だ、助太刀申すぞ」
 と云いざま、抜連れて高木を斬った。
 寛延三年三月二十日の夜の事件である。
 太田与兵衛は二人の朋友に助けられて家に戻り、充分に傷の手当をして即刻係へ右の沙汰を届出《とどけい》でた。併し相手は藩が追放した男であり、然も理非は証人もいる事|故《ゆえ》、太田には別に何のお咎《とがめ》もなく、傷養生充分に致せと云うお言葉があっただけで、此の事は沙汰やみとなった。
 高木宗兵衛の妻お俊は、良人《おっと》の屍《なきがら》を始末すると、二子を連れて即夜江戸を立退《たちの》いた。

[#3字下げ]二、後話[#「二、後話」は中見出し]

 十五年経った。
 彼《か》の事件に連なった二人の同僚は、宝暦二年前後して早く世を去った。太田与兵衛は無事にお役を勤め通したが、年々例の傷が痛んで、九年後、即《すなわ》ち宝暦十一年六月他界した。
 臨終に与兵衛は、当時十八歳であった息三郎|興利《おきとし》を枕辺《まくらべ》に招いて、
「心に懸るのは、亡友高木宗兵衛の家族だ、お俊殿はお前の乳親であり、美代、宗太郎は乳姉弟である。どうか彼等を探し出して世話をしてやるように」と繰返して遺言した。
 三郎は父の歿後大叔父|橘《たちばな》氏後見にて家督を継ぎ、明和元年父の名を襲って、勘定方勤めに出仕を仰《おお》せ付けられた。
 で明和二年、彼の事件後十五年目の春である。
 八丁堀《はっちょうぼり》の師匠の許《もと》へ、笛を習いに行っての帰り、興利は炭屋橋を渡って京橋へ出ようとしていた。その時向うから来る娘とふと眼が合ったが、興利は何故《なぜ》か、と胸を突かれるような気がして立停《たちどま》まった、と相手の娘もちょっと立停まり凝乎《じっ》と此方を見たが、たちまちまた人混《ひとごみ》の中へまぎれて見えなくなった。
「はて、どこかで見たようだが」
 三郎は首を傾けながら家に帰った。
 同じことが日をおいて三度あった。三度目に彼は膝を打って叫んだ。
「む、高木のお美代殿だ」
 そこで彼は四度目の会見を待った。
 三郎は其日《そのひ》、例の京橋の袂で、刻を計って待っていた。併し遂う遂う其日、彼の娘は姿を見せなかった。――次も、その次の日も、娘は再び三郎の前に現れなかったのである。
 斯《こ》うして春も去り、夏も行き、秋が来た。
 其年の八月芝浦でマンボウと呼ぶ、一丈許りの怪魚が獲《と》れたのを、香具師《やし》等が両国広小路で見世物に出していた。一日三郎は供を連れて浅草寺《せんそうじ》に参詣《さんけい》した戻りに、そのマンボウを見に行ったが、途中|柳橋《やなぎばし》迄来ると、ふと人混の中に高木の娘お美代が、若い男と連れ立って行くのを見出した、三郎は急いで近寄り、声をかけた。
「高木のお美代殿では御座らぬか」
 娘は愕然《がくぜん》として振向いた。
「あっ」
 と云《い》う娘の軽い叫び、続いて連れ立っていた若者がきっと見返って、
「貴方《あなた》は何誰《どなた》か」
 と三郎に呼びかけた、
「おおお主は宗太郎殿ではないか、見忘れたか太田の三郎だ」
 三郎は云いながら近寄ろうとした。が姉弟はたちまち群集の間に見えなくなって了《しま》った。
 三郎は、朧気《おぼろげ》ながら父と高木一家との紛擾《いきさつ》を耳にしていた。併しあれだけ深い交誼《こうぎ》のあった自分達の間に、未《いま》だその陰翳《いんえい》が除かれずにいようとは考えられなかった。
「一体どうしたのだろう」

*

 此処で高木一家の其後の事を話さなければならぬ。
 お俊は江戸を発《た》つと、良人の郷里、江州彦根へ帰り、良人の遠縁でもあり、自分とも血統《ちすじ》のつながる柳田家に身を托《たく》した。
 お俊は太田与兵衛に対して少しも敵意はなかった。寧《むし》ろ長年の間世話になったのだし、心では常に礼を述べていたのである。良人の死に就ても、勿論当の下手人は太田与兵衛他二人であるが、原《もと》はと云えば高木自身の理不尽からである。此方から何を云う事も出来る訳のものではない。
 併し世間はそうは見ぬ、お俊の帰郷と共に、周囲の者は「良人を討たれながら、一太刀も仇《あだ》に報わでのめのめと帰って来た女」として、一様にお俊に後指をさした。それ許りではない、近親の誰彼は、二人の子、美代、宗太郎に向かって、父の敵《かたき》は太田与兵衛他二人である事、一日も早く成人して、父の恨を晴らす様にと折にふれては訓《おし》え込むのであった。
 斯くして宗太郎が十七歳の年、即ち宝暦十二年一家は周囲の義理、一族の説伏に歇《や》むを得ず、当の仇を討つ可《べ》く江戸へ下った。
 一家は南鞘町《みなみさやちょう》に借家し、母と美代とは賃仕事をして生計を立てながら、それとなく敵の有様を窺《うかが》った。併し無論お俊には、そこ迄行ってる仇討の意思はなかったし、美代も殆《ほとん》ど気が乗らなかった。唯《ただ》血気な男宗太郎のみが復讐《ふくしゅう》の念に燃えていたのである。
「恩は恩、仇は仇だ、父を討たれたからは、その仇を討たねばならぬ、若《も》しお厭《いや》ならば止《や》めて下され、私一人で立派に討ちます」
 宗太郎の決心に母も姉も言葉はなかった。
 宗太郎は、太田与兵衛と他二人の死を知って焦《あせ》った。が母と姉の進まぬ儘に、明日こそ明日こそと空《くう》な日を送って行くのであった。
 併しいよいよ柳橋畔《りゅうきょうはん》の邂逅《かいこう》は、宗太郎の決心を固めさせた。彼は三郎が八丁堀の笛の師匠に通っている事を探り知っていた。
 一家は遂にどん詰り迄《まで》行き着こうとするのである。
 話は前に戻る。
 かくして一方、京橋の邂逅と云い、柳の出会《しゅっかい》と云い、慥《たし》かに高木一家の江戸にいる事を知った三郎は、父の遺言を守る為《ため》に、如何《いか》にもして一家を探し出し、相当の世話をしようと、それからも毎日心懸けて怠らなかった。
 明和二|乙酉《きのととり》年冬十月四日の午頃《ひるごろ》である。
 笛の師匠からの帰り、三郎興利が南鞘町の通を抜けていた。と、或《ある》横丁から若者が一人、ばたばたと駈《か》け出て来たが、
「父の敵、太田三郎待てっ」
 と叫びざま、抜打に斬付けた。
 と身を躱《かわ》して振返る、とたんに二の太刀、たたた、三郎は退《しさ》って帛紗《ふくさ》ごと、横笛《おうてき》を左手《ゆんで》に構えて叫んだ。
「待て、敵呼ばわり覚え無いぞ、待て」
 だが宗太郎は殆ど逆上している。
「聞かぬ、抜けっ」
 喚《わめ》くよと見る、た、真向から斬込んで来た。
 それ喧嘩《けんか》だと街巷《ちまた》は右往左往の人の浪《なみ》、そこを掻《か》き除《の》け掻き除け、甲斐甲斐《かいがい》しく身支度した娘、お美代が此場《このば》へ出て来た。
「や、お美代殿」
 驚いて三郎の叫ぶ間もなく、懐剣を抜いて、
「父の敵」
 と唯ひと声、弟と倶《とも》に斬りかかった。
 懐かしやお美代殿、私はどんなにそなたを尋ねたか知れぬ、さても綺麗《きれい》になられた事よ、宗太郎殿も成長なされたなあ、小母《おば》さまは無事か、と口迄言葉は衝《つ》いて出ながら、相手は白刃を振るって自分に迫る、討つも討たるるも是、乳姉弟《ちきょうだい》。
 三郎は姉弟の刃《やいば》を、持った笛で左へ右へ躱しながら、一先《ひとま》ず此処《ここ》を逃げようと決心した。で隙《すき》を窺って、ばたばた、白魚橋の方へと走り出した、が集まっていた野次馬共に遮《さえぎ》られて、たちまち姉弟に追附かれる、致方なしにちょうど傍らに土蔵を建てている、其の狭い小路へと馳《か》け込んだ。だが不幸にもそこは袋小路である、しまったと思って戻ろうとすると既に、小路の中へ姉弟が入って来た。
 絶体絶命である。
 宗太郎は猛《たけ》り狂い、遮二無二《しゃにむに》突《つっ》かかって来る。とたんに三郎は小刀を抜いた、ほんの威しの積りである。突込んで来る宗太郎の太刀を払う、間《かん》、入違いに飛ぶお美代の短刀、身を捻《ひね》って躱す、と見る、打込む宗太郎の刃を除《よ》け、体当りをくれて、たたた、小路を表へと走り出た。
 が表は例の黒山のような群集だ。馳け出た三郎は群集を除けるはずみに土蔵に塗る荒木田の練ってある中へずぶり滑り込んだ、と、
「敵っ」
 追かけて来た宗太郎が、泥《どろ》の中に倒れた三郎を拝み打ちに斬った。
「うっ」
 と三郎、肩先を深く斬下げられながら、泥の中で身構えたがすかさず踏込んだ宗太郎の切先、寄せて置いて束《つか》がらみ、左手に掴んだ泥の眼潰《めつぶ》しを宗太郎の面へばっ。
 肩先の傷を押えて三郎、斬込むお美代の刀を潜《くぐ》ると、橋の方へいっさんに馳け出した。
 何しろ初めての真剣勝負である、三郎も宗太郎ももう既に疲れ始めた。然《しか》も三郎は肩に深傷《ふかで》を負っている。だだだと一丁|許《ばか》りも行ったが、橋の手前迄来て、石に躓《つまず》いて倒れた。
 お俊が後ればせに馳《は》せつけて来たのは此時である。
 三郎の倒れるのを見て宗太郎が、しすましたりと馳けつけて追打ちに、腕の伸びた拝み打ち一刀、これが体を躱す間もなく、三郎の左肩を背から斬った。間、斬らせて置いて、寝打ちの帰り刃、閃《ひらめ》くと見る、宗太郎の左脚を脛《すね》から斬って落とした。
「むっ」
 と左足を地に突いて倒れる宗太郎、おかせずお美代が短剣の諸手突、三郎の脾腹《ひばら》へぐっと、
「父の敵」
 三郎は振返って、痛手に顫《ふる》える悲痛な声。
「懐《なつ》かしやお美代殿――」
 とひと言。
 宗太郎は膝《ひざ》でずり寄って、復讐の獣の喘《あえ》ぎ、焦《いら》ってふた太刀|盲滅法《めくらめっぽう》に斬つけたが、自分もそれで気息奄々《きそくえんえん》である。
 母のお俊が馳けつける、娘お美代が喘ぎながら、
「母様、止《とど》めを」
 と短剣を渡す、もうどうにも仕方がない、受取って三郎を引起こす、
 と三郎、空虚な眼でお俊を見て、
「懐かしや、――懐かしや」
 と嗄《しゃが》れた声で云った。
「高木の――小母さま」
 お俊は眼を瞑《つむ》ってぐっと、止めを刺した。
 太田与兵衛興利二十二歳、高木俊四十四歳、同《おなじく》宗太郎二十歳、同美代二十三歳であった。

*

 事件は公儀の手に係《かか》った。
 斯うなると高木一家は、名が敵討であるだけ徳である。主家鈴木能登守に於《おい》ても、強《あなが》ちに太田方を庇《かば》う訳には行かなくなった、小藩の悲しさか然る可き人物のいなかった故《ゆえ》か、時代道徳の齋《もたら》した大きな過失であったか、兎《と》も角《かく》も太田家は取潰し、高木一家は公儀より賞美された。
 どの敵討話にも無いように、高木一家の始末も分かっていない、主家鈴木家は勿論《もちろん》引取らなかっただろうし出世した噂《うわさ》もない、が隻脚《せききゃく》となった宗太郎と母と姉との其後の生活こそ、思うだにいみじくもあやし[#「いみじくもあやし」に傍点]である。
(「日本魂」昭和三年四月号)



底本:「ならぬ堪忍」新潮文庫、新潮社
   1996(平成8)年4月1日発行
   2005(平成17)年10月10日二十一刷改版
底本の親本:「日本魂」
   1928(昭和3)年4月号
初出:「日本魂」
   1928(昭和3)年4月号
※表題は底本では、「白魚橋《しらおばし》の仇討《あだうち》」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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山本周五郎
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