仙石雄人

仙石雄人(せんごくおひと)〈1928年9月ー2008年1月〉 は、外交官駐英大使外務大臣内閣官房長官

来歴

1928年9月、青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校北海道大学文学部地理学科で学ぶ。学部生時代は、河川流域の地理構造に歴史的背景を重ねることで水文学分野における地理学的素養の探求に終始。「石狩川流域の地理学的歴史理解に関する探究手法」で学士論文を執筆。北海道大学学長賞を受賞し、北大文学部を首席卒業。学部卒業の年、高等文官試験高等科で不合格、モラトリアムのために大学院へそのまま進学し、北海道大学大学院社会学研究科地理専攻を修了した。欧州地域の水文学分野に興味を示したが、官吏への夢から高等文官試験を再受験。

外交官時代

1952年4月、高等文官試験外交科採用として、外務省へ入省。修士課程を1年で中退した。国際大学院大学での初任者課程を経て、在アメリカ合衆国日本国大使館書記官補として赴任。1950年代前半当時の米国は、戦後恐慌が世界の市場へと影響を及ぼす可能性があり政府として非常に危機迫っている状態だった。経済は専門外であったが、同時期に赴任していた外交官の中には大蔵省出身の国際通貨マフィアが複数名いる状態だった。駐米時代は、主に経済学を学ぶための勉強会が毎夜開かれた。1955年、在サンフランシスコ日本国領事館副領事に赴任。かつての経験を生かし、経済分野の調査等に務めた。一度日本に帰国した1956年の冬に青森県の幼馴染と結婚。夫妻で米国に渡った。1960年、長年のサンフランシスコ勤務を経て帰国。

事務官僚として

1960年7月にやっとのことで帰国。外務省米州局米国課課長補佐、欧州局英国課課長補佐、英国課長。1965年、在イギリス日本国大使館書記官として赴任。その後、在スペイン日本国大使館在バルセロナ日本国領事館スペイン国際社会問題研究所上席研究員で勤務を経験した。その後も内地で、国際大学院大学教官、欧州局審議官、外務大臣次席補佐官(欧米担当)、出入国在留局長を経て、太平洋連合日本代表部通商代表、駐ギリシャ日本大使駐イタリア日本大使で海外経験。

イギリス経験

1986年5月、駐英大使着任。駐英時代は、優秀な部下に恵まれ、在英の日本人を大使館地下に招いては交流の場を設けた。1991年3月をもって英国を離れ、太平洋連合日本代表部特命全権大使に着任。1993年3月に外務省を退官。退官後、母校北海道大学に請われて客員教授(国際安全保障講座)に就任。1995年「アジア広域における国際安全保障の外交戦略的相互理解」で北海道大学から博士号を取得。

政界進出

1995年、国際金融政策で分野が近かった自由党船中勉首相やその側近であった田中一郎との地縁があり、何度か会食を重ねた。第3次船中内閣(第2次改造)第3次船中内閣(第3次改造)第4次船中内閣で、首相次席補佐官(国際経済・経済財政政策)に登用。その後、アジア協同連合事務総長室上級顧問に起用された。この時、川瀬正巳(アジア協連事務次長)とともに、欧州連合との地域連合体強化を進めた。

外務大臣内閣官房長官

2000年8月から第1次山口内閣外務大臣として民間から登用。山口厚首相は、北海道大学の後輩でかつて大蔵省官僚として国際通貨マフィアの1人として国際金融畑のプロフェッショナルであった。自由党内部の派閥論理の中に在っては、華政クラブの後押しを受けた政治家であった。第2次山口内閣以降では、内閣官房長官として横滑り。この入閣は、政界の調整役としてではなく、外交政策から国際金融までを包括する政策への理解力を応用させるための人事であった。第34回衆議院総選挙に伴って、内閣総辞職で閣僚の座を降りる。こののち、夫人が逗留していた静岡県にて療養生活を送るが、春に故郷の地を踏むことも叶わず人生に幕を下ろした。

経歴

1951年3月_北海道大学文学部地理学科・卒
1952年3月_北海道大学大学院地理学研究科地理専攻修士課程・中退
1952年4月_外務省入省
1953年1月_在アメリカ合衆国日本国大使館書記官補兼経済部通商課長
1955年7月_在サンフランシスコ日本国領事館副領事
1960年7月_米州局米国課・課長補佐
1962年7月_欧州局英国課・課長補佐
1963年7月_欧州局英国課長
1965年10月_在イギリス日本国大使館書記官兼経済部次長
1967年7月_在スペイン日本国大使館書記官兼外交安全保障部次長
1969年7月_在バルセロナ日本国領事館領事
1970年12月_スペイン国際社会問題研究所上席研究員(特別招致)
1972年7月_国際大学院大学教官
1974年7月_欧州局審議官
1975年6月_谷堂成外務大臣(第2次薮田内閣(改造))・次席補佐官(欧米担当)
1978年5月_欧州局付
1978年7月_出入国在留局
1980年4月_太平洋連合日本代表部通商代表
1982年7月_駐ギリシャ大使
1984年4月_駐イタリア大使
1986年5月_駐英大使
1991年4月_太平洋連合日本代表部特命全権大使
1993年3月_外務省退官

役職歴

北海道大学客員教授・国際安全保障講座 1993.4~1997.12
日本地理学会特別理事 1995.4~1997.12
ロンドン大学地理資源学部名誉教授 1995.4~2000.4
英国地理学会相談役 1995.4~2000.4
アジア協同連合事務総局長室上級顧問 1998.2~2000.4

内閣

首相次席補佐官(国際経済・経済財政政策) 第3次船中内閣(第2次改造) 1996.6~1996.8
首相次席補佐官(国際経済・経済財政政策) 第3次船中内閣(第3次改造) 1996.8~1996.12
首相次席補佐官(国際経済・経済財政政策) 第4次船中内閣 1996.12~1997.8
外務大臣 第1次山口内閣 2000.8~2000.10
内閣官房長官 第2次山口内閣 2000.10~2001.5
内閣官房長官 第2次山口内閣(第1次改造) 2001.5~2002.6
内閣官房長官 第2次山口内閣(第2次改造) 2002.6~2004.8
内閣官房長官 第3次山口内閣 2004.8~2006.8
最終更新:2025年09月19日 10:13