共和党 > 7個師団

共和党7個師団(きょうわとう7こしだん)は、共和党の党内派閥の名称である。

概要

1950年8月、鶴田正弘総裁率いる日本共和党は、第15回衆議院総選挙での大敗の結果を受けて共和党への合流を決定。この際、大路晴雄(共和党総裁)は、合流に後ろ向きな鶴田に対して「派閥を残してもよい」という言葉をかけて合流を促す。これは、リップサービスという見方が大半であったが、最終的に鶴田らは合流後に保守研を結成。これに対抗する形で、協同共和党時代から田中形堂を支え、反大路派でありながらも共和党に参加してきた議員らで雄伯会を結成。
1952年の初頭から、第16回衆議院総選挙を見据えて、大路晴雄二期会を結成。同時期に、大日本政治会出身議員らが、竹田信哲の流れをくむ親米政策集団の同志会を結成。民主党から合流してきた一団も小原真郎を中心に構造研を結成する。
1953年、糸原幸喜ら若手議員が結集する形で進歩会を結成。
1954年、石原幸一ら元官僚などの経済勉強会という形で立命会を結成。
1959年、遠山昇の総理総裁退陣後、「構造研遠山昇派」と呼ばれていた一団が、玄徳会を結成。

各派閥

1950年発足。鶴田正弘を中心に、日本共和党に残り続けた議員らが参加。
1950年発足。協同共和党時代の旧田中形堂派が中心に、反大路晴雄を掲げて結成。
1952年発足。大路晴雄(共和党総裁)を支えるため、対中強硬路線を掲げて結成。
1952年発足。大日本政治会時代の竹田信哲の流れをくむ、親米政策集団として結成。
1952年発足。同年民主党から合流してきた勢力が、小原真郎を中心として結成。
1953年発足。糸原幸喜ら革新将校と呼ばれた、若手議員らが結成したタカ派政策集団。
1954年発足。石原幸一を中心に、官僚出身者の勉強会として発足。7個師団には含まれない。
1959年発足。構造研から飛び出して、遠山昇を中心に結成。
最終更新:2025年07月29日 11:10