大衆党(たいしゅうとう)は、かつて日本に存在した
国政政党である。
概説
党執行部
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氏名 |
就任日 |
後職 |
備考 |
党代表 |
下条高矢 |
45年9月 |
大衆社会党団体運動本部長(初代) |
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衆議院議員団 |
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団長 |
田所大輔 |
45年12月 |
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村井康孝 |
46年12月 |
大衆社会党幹事(1期) |
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団長代行 |
山崎彩乃 |
45年12月 |
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院内幹事長 |
村井康孝 |
45年12月 |
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朝山登也 |
46年12月 |
大衆社会党幹事(1期・2期) |
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政策局長 |
坂本蓮 |
45年12月 |
大衆社会党幹事(1期・2期)、大衆社会党主任幹事(2代) |
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総務局長 |
西田幸平 |
45年12月 |
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廃止 |
46年12月 |
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参議院議員総会 |
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会長 |
桐生真希 |
48年6月 |
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会長代行 |
吉川一馬 |
48年6月 |
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議席
議席変動
選挙結果
党史
結党
戦後の新しい民主主義を標榜して結集した代議士集団である。特に、大日本政治会の無派閥議員や非推薦議員の中で中道勢力とされる元議員を集めて立党。1945年12月の
第13回衆議院総選挙で16議席を獲得して比較第四党になる。党内では、党代表である
下条高矢(元
大日本政治会主任幹事)が取り纏め、国内外に幅広い人脈を形成した。特に、
海堂内閣、
大路内閣といった政権への支持を表明したことで挙国一致に参加。その後、
日本共和党、
協同共和党、
民主党といった政権党との院内連携を続ける。
解党と合流
1948年1月、民主党政権とは決別し、地方で組織票を固めていた社会新党との結びつきを強める。特に、
第1回地方統一選挙において大衆党公認・
社会新党推薦の統一候補を6名出したことが決定打となり、49年3月に党としての機能を
社会新党に継承することを所属国会議員の全会一致で決定。翌月に、
大衆社会党として合併する。ちなみに、第1回地方統一選挙では、
山本隆邦が
青森県知事選挙で当選を果たし、初の民選知事となった(他5名は全員が落選)。
最終更新:2025年03月18日 20:52