郷党平和(きょうとうへいわ)は、日本にかつて存在していた
国政政党である。
概説
国民生活の深刻な影響を打破するために、
自由党を中心に既存政党の枠を超えて立党。学者出身の非政治家出身者も多く所属した。党名は、故郷と地域社会の結束を意味する「郷党平和」を経済学者の
森田昭夫(党政策顧問)が命名した。
社会党政権の中で影響力を示したかったが、泡沫政党に過ぎなかった。
参議院でタレント候補を当選させる以外に大きな影響力を残せないまま、2015年8月
第37回衆議院総選挙で惨敗。所属議員が
特別会を目前に、離党したため自動的に政党要件を喪失した。
組織
議席
議席変動
選挙結果
党史
結党
2009年1月、経済危機の余波が国民生活に深刻な影響を与え、社会はいやおうなしに
自由党ではない新たなリーダーシップを求めた。特に農業、漁業、中小企業を中心とした地方経済の問題に焦点を当てるべきだという強い信念を抱いていた。この信念を共有する議員が、
自由党を離れ、参加の意思を表明する。中心メンバーには、党首となる
古賀和也をはじめ、副党首の
長谷川浩。政策立案の中心には、経済学者の
森田昭夫(
東都経済大学名誉教授)がいた。この動きには、
自由党所属の
安藤健吾(
衆議院議員)や
佐々木優子(
参議院議員)が入党を求めたため、国会議員5名による政党としてスタートした。
政策理念と党の目標を策定
郷党平和の基本理念は、「地域の声を国政に届ける」ことであった。党の名前にある「郷」は、地域社会の意味を強調し、「平和」は、国際的な平和だけでなく、国内での安定した社会を築くという意味を込めていた。政策の中心は、地方自治体に対する税制優遇や地方銀行を通じた中小企業支援策を求めた。郷党平和は、地方選挙で一定の成功を収めた。特に農村部や漁村地域でのある程度の支持を固めた。しかし、国政における存在感を確立するのは容易ではなかった。大都市部では、経済成長や雇用創出を求める声が大きく、郷党平和の地方重視の政策は響きにくかった。また、外交・安全保障政策に関しても、現実的な対応を求める有権者からの支持を集めることができず、国政での議席拡大は難しかった。
結党から5か月で総選挙を迎えた郷党平和では、地方に候補者を擁立するような十分な準備はできなかった。そのため、新人候補を発掘する時間がなく、現職国会議員に加えて、地方議員の中から参加を表明した人物を公認する形で立候補させることになった。党の目標として、全ての比例区で1名以上の候補者を擁立させ、小選挙区においても勝てるような候補者を立候補させることになった。最終的に全国に44名を擁立し、結果として現職の3名が当選したことに加えて、新人7名、元職1名を当選させることに成功した。特に、比例復活組だった
安藤健吾を
兵庫11区で小選挙区にて初当選させることができた。
第22回参議院通常選挙にあっては、現職の
佐々木優子のほか、新人議員として
阿部知子(元女優)、
元和泰子(元アナウンサー)の2名を当選させた。
崩壊への一歩
参議院選挙は、
供託金が高額であったため大量な立候補者を擁立できなかった。順調な滑り出しにより、安定した政権運営を行っていた
社会党政権は、2912年12月9日に
第36回衆議院総選挙を行った。この総選挙では、全国に70名を超える候補者を擁立、特に地方出身の新人議員を多く擁立した。しかしながら、
社会党の党勢拡大や
自由党の議席安定により少数政党の郷党平和は、議席を減らすことになる。選挙の1年と言われた2014年、6月8日の
第23回参議院通常選挙で10名の立候補者中で1名も当選させることができなかった。12月の
第18回地方統一選挙でも、擁立した18名の特別市長や10名の県知事を当選させることができず党の財政が悪化。特に、最大の打撃となったのは、2015年8月2日の「
第37回衆議院総選挙」であった。この選挙で、郷党平和は大都市圏で全く支持を得られず、地方でも他党に押される形となった。特に、反社会党政権の浮動票を手にした
自由党の強力な選挙運動に圧されて接戦にもつれることもなく、結果として惨敗した。この選挙の結果、郷党平和は国政の議席をほぼ全て失い、党員の多くが失意のうちに党を離れることとなった。落選した
古賀和也(党首)は、この選挙結果を受けて党首を辞任。当選した4名の
衆議院議員も存続の危機に立たされた。後任の党首には、議席を保持していなかった
森田昭夫が選出されたが、
特別会を目前に所属議員を失う。2015年8月、党は法規上解散した。
最終更新:2025年03月24日 21:34