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山田健一郎

山田健一郎(やまだけんいちろう、1925年4月27日~2011年8月)は、東亜商事社長、東亜日本ガスHD社長、Towaガス社長。日本経済政策研究会創設メンバー。新東京市財団理事長。経済同友会名誉顧問。東京経済人会議設立発起人・世話人会初代会長。

来歴

1925年4月、東京都に生まれる。父は下駄屋の6代目、兄は後に戦死、母も空襲で後に死亡する。中学校卒業後、兵役に出た兄と異なり、東京都奨学生の採用を受けて東京大学附属高等学校に進学する。当時、兵役免除枠の高等学生であったが、卒業後に自ら入営を志願した。当時東大高校卒業生の中で約5割が兵役を志願した。

陸軍軍人時代

1944年4月に、陸軍陸兵団へ入営し、基礎教育課程を受ける。東大附属の卒業生ということで一目置かれ、工兵科の一員として勤務する。陸軍の高射砲整備を担当した。終戦間近となる1945年7月に、沖縄県の若手を集めた陸軍組織である沖縄兵営団歩兵に配属される。1945年8月15日の終戦に伴って、軍籍離脱。

学生生活

終戦後、復員船を見送り続け、12月に大阪港に着く。その後、陸路で東京を目指すも、生家はなく、東大附属の教員であった森宮三郎の家に住み込みながら、東京大学を受験する。東大の上位成績合格者となり「東京大学奨学生」に選出された。1946年9月に神奈川県に逃げていた父と再会し、父と下町に暮らす。
1948年に、後の財界総理となる加藤一夫や後の参議院議員である佐野博之など、東京大学経済学部の同期学生らとともに、日本経済政策研究会を立ち上げる。初代会長の井上一志(後のNHKアナウンサー・大分県知事)の下で、初代副会長に就任する。事務局長は、加藤一夫が務めた。

東亜商事

大学卒業後、サクラ商事で石炭輸入を担当し、カイロ駐在員としてアフリカ情勢への関心を高める。
1953年に独立し、東亜商事を創業する。創業時には、インドネシアを中心とする東アジア諸国の電力網整備の仲介事業を主に行った。アジアの電力市場開発を行っていたが、同社には、後の総理となる船中勉などが在籍しており、新興商社としてアジア地域への大きな影響力を持っていくようになる。1960年代には、ガス輸出入事業に主軸を移し、輸入から小売販売までを一貫して行う国内のガス事業者大手となる。1989年に、国内6位の帝国日本ガスと合併し、東亜日本ガスHDをたちあげる。
1994年に東洋ガス販売、1996年に日本東京ガス燃料、1998年に福岡西部ガスHDを次々に吸収合併する。1998年10月には、TowaガスHDに改称して国内3位の事業者となる。

新事業・役職者

2002年の退任後、TowaガスHDが出資していた数社の顧問を務めていたが、2003年7月に取引銀行の三和さくら銀行が出資していた、小売系企業の東京新薬エジデンタル社長を打診され受領する。この会社は、サクラ商事系列の東京製薬宇部日和薬品の小売薬局を経営するための新会社として設立されたが、アメリカ発ドラックストアのエジデンタルを買収した後から経営赤字が拡大したため事業清算を考えているところであった。山田は、社長就任後に公開株式25%のTowaガスHDへの譲渡を進めて、2008年までの事業清算を実現した。

略年歴


  • 1948年1月-日本経済政策研究会副会長(設立メンバー)
  • 1950年3月-東京大学経済学部経営学科を卒業
  • 1950年4月-サクラ商事へ入社
  • 1950年10月-石炭部輸入課
  • 1952年3月-カイロ駐在員
  • 1952年10月-カイロ支店
  • 1953年8月-退職
  • 1953年10月-東亜商事を設立し、独立
  • 1953年10月-代表取締役社長(兼)アジア市場開発部長
  • 1964年6月-代表取締役社長(兼)市場開発本部長
  • 1969年6月-相談役
  • 1978年6月-取締役会長
  • 1982年6月-代表取締役社長
  • 1989年6月-東亜日本ガスHD代表取締役社長

最終更新:2026年03月30日 17:43