【悪意の泉】

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 精霊に好かれるという事は決して良いことばかりでは無い。好まざる事態に発展する場合もある。
 ドニー・ドニーで建造された、ある船の行方がそれを顕著に物語っている。
 精霊に祝福されたその船は幾多の航海を終え、長きに渡る役目を終えようとしていた。
 だがそれを精霊たちが許さず、ついには船を何処へかと持ち去ってしまったのだ。
 そして今なお船は大海を漂流し、新しい船員を求めて波打ち際にいる人をさらうのだとか。
 ギシギシと木材の軋む音と、肌を濡らす水の寒さに目を覚ませば、林檎は得体の知れない部屋の只中に居た。
 自分が感じた微妙な体の揺れ具合から、ここが船の中らしいと彼女は理解する。
 なぜ船の中に居るのか? 彼女はおぼろげな記憶を辿ってみた。

 アネモスを発ち、海岸沿いに差し掛かった所で“想定通り”波にさらわれた事。
 海流に揉まれる中で巨大な影が自分を覆い、そこへ吸い込まれるように流されていった所で記憶は途絶えている。
 ただその過程が確かであれば、この船が目的である精霊に呪われた船という事になる。
 よもや精霊に連れ去られることが仕事のサポートとは、傭兵とは何でもやるものなのだなと林檎は若干の後悔を覚えた。

 以前から異世界全土で問題になっていた人さらいの船。かつてドニーで作られた船に取り憑く精霊たちが行う大規模すぎる悪戯。
 船長はおろか船員さえ不在の船だが、精霊たちが波を動かし風を吹かせて船を運んでいる。
 そして遊び相手を求めて海岸付近を行く人をさらうのだから困ったどころの話ではない。
 時にミズハ、時に大延、流れ流れてラ・ムールにまで出没する始末。
 それが港に現れた日にはしばらく交易が途絶えるのが常となっていたが、それは新天地にとっては死活問題に直結しかねない部分がある。
 なにせ新天地は未だ開拓の最中。東の未踏破大森林から押し寄せる木々の伐採すら済んでいない。
 衣食住に関わる多くの物事を他国からの輸入に頼らざるを得ないのだ。
 ゆえに諸国の港を機能停止に追い込むこの問題は見過ごせないものだった。
 アネモスを出る前、“異邦人は経験上、精霊に好かれることが多い”とジャックは言っていたが確かにそのようだった。
 そうでなければこうやって船にさらわれたりはしないだろう。ただ好かれて危険な目に会うのは御免でもある。

 これからの手筈を考え、林檎は一人薄暗い船室で座り込み考える。
 ジャックから任された仕事のサポート内容は船にさらわれて終わりでは無い。
 この船を壊すための手筈を整えることが林檎に任された仕事の本懐に当たる。
 とは言えやる事は決して多い訳でもなく、事前にジャックから指示された事を順次試していくだけだった。

 軋む廊下を渡り、一室ごとに扉を開けて中を見て回る。
 時折目の当たりにする異様な形の骸骨に寒気を覚えるが、ここが異世界であることを考えれば若干恐怖は薄らぐ。
 南無阿弥陀仏が通用するのかどうかは不明だが、しないよりはマシと二秒ほど唸ること十回以上。
 上下に続く階段まで来たところで、浸水などしていないかと心配になり船底へ下る。
 そして時すでに遅く、船底に空いた穴からかなりの海水が侵入していることを確認してしまった。
 今すぐにでも沈没しそうな程の水が船底に溜まっているが、驚くことにその気配は全くない。
 精霊の仕業と見るべきか、異世界の造船技術が途方もなく高いのかは林檎に判別出来るはずもなかった。
 空いた穴から船外が見えるほどに透き通った青色の液体を前に、これを飲んだらどうなるかと一時思案する。
 よくある設定なら体力が回復するものだが、試す勇気があるはずも無し。
 ゆらりと揺れる船に連動する水面を前に、林檎は身をひるがえしてその場を立ち去った。
 それを見送った水面は、重力が逆転したかのように天上へ向かって雫を昇らす。
 船底の天上に作られた小さな水たまりが、彼女を追うように這っていったことに気付く者など誰も居なかった。


【海上の氷原】

 洋上を行く船の舵を握る手には肉球。張られた帆にはラ・ムールの国章。
 船体を形作る木材はラ・ムールに生えるボコナッツ木材を使用し、しなやかで艶のある曲線を描いている。
 船首の先から水面に至るまでには、翼を持つ巨大な獅子人の像が取り付けられていた。
 勇ましく、気高く吠えるその面構えを真正面から見据えようものなら、鋭い眼光に釘付けにされ、その場から動くこと決して適わず。
 その色は鮮やかで透き通る黄色。クルスベルグで産出された、途方もなく巨大な宝石の加工品だとは言われても信じがたい。
 しかもこの宝石はやたらと頑強な作りをしているため、彫るのにも相当な腕の職人と手間暇がいる。
 重量の関係で船尾にも似たようなものが取り付けられていることを考えれば、この船の価値は異邦人でも容易に理解できるだろう。
 それほどの船でこれから行おうとしていることを知れば、常人ならば卒倒するやもしれない。
 そんな船の甲板で黒いコートを着た樹人が一名、肩から肘ほどまである長さの木の棒を持って棒倒しに興じていた。
 立てては倒しを繰り返し、定まらぬ倒れ方にいらだちを見せ始めた頃、舵を取るサバ柄の猫人船長が声をかける。

「ジャーック。精霊船はどっちだにゃー?」
「ちっと待てサバ。……うーん、反応しねぇな。あの嬢ちゃんしくじったか?」
「なんだにゃ。失敗かにゃ?」
「異邦人を囮にして船に目印を付けようと思ったんだがな。
 船を横につけるなんて無理なもんだから、異邦の嬢ちゃんを直接船にさらわせたんだが……失敗したかな?」
「……ここに外道がいるにゃー」

 精霊船に近づくのは難しい。ヒトの感情や考えている事を精霊は機敏に察知することができる。
 彼らの船を壊そうとしているものが近づこうなどとすれば、波風で追い立てられることは想像に難くない。
 ただし例外も当然ある。たとえ邪な事を考えていても、それを実行するに足る力が無いと思われれば良い。
 こと異邦人はハッキリ言って無力に近い。精霊が近づくのも、殆ど無害だと思われている節がある。
 そんな理由により船の所在を遠方で掴み、然るべき手段で破壊する目測を立てたのだが、どうも上手く行かない。
 ジャックは再度棒倒しに興じてみるも、棒は四方八方へと倒れるばかりだった。
 夜。月明かりが真上から指す頃、船の上でうっつらしながら舵を取る猫人に対し、ジャックの体力は衰えを見せない。
 未だ棒倒しに興じる姿は異様さが立ち込めるも、本人は真剣な眼差しで動作を繰り返していた。

 朝。海洋に霧が立ち込める中、帆をたたみ舵取りを放棄して眠る猫人を背後に、ジャックは徹夜で棒倒しにふける。
 猫人が帆を上げて舵を取り始めた頃には日も高く、風も良い感じで吹いているが向かう方向は定まっていない。

 夕方。海原の天気は移ろいやすく、突如として雨が降り注ぐ。だが甲板のジャックは棒倒しに挑み続ける。
 猫人は濡れるのを嫌がり、船内へと退避して舵を自然の歩みに任せることにした。

 夜。晴れ上がった空には星では無く、オーロラのように揺らめき瞬く怪しげな文様が天球に浮かび上がる。
 異世界の空では星の代わりに呪文のようなものが浮かぶことがあるが、ジャックは意にも介さず棒を倒す。

 明け方。倒し続けた棒の回数はもはや数千に上り、猫人は舵を背に明後日の方を向いて眠る。
 だが太陽が昇り始めた頃、棒は不自然に一方向だけを指すようになった。
 ジャックは猫人の頭を軽く叩いて起こし目的地が定まったことを告げると、船はようやく大海を進み始めた。
 「おーう。海の上に樹が生えてるにゃ」
 「……あれ? 思ったより育ってないな。精霊共に邪魔されたか?」

 目的の船の周囲を回遊しながら、二人は船首から状況を推し量る。
 精霊たちの船からは、船のマストの代わりになりそうなほどの一本の巨大な樹が船内から生えていた。
 遠目から見れば、それは船が爆発した瞬間を捉えたもののようにさえ見える。
 ジャックが今一度棒倒しを行うと、棒は確かに船の方――船に生えた樹の方――へ倒れる。
 ともあれ目的の船はこうして視界に捉えることに成功した。あとは破壊するだけだ。

 異世界の船に大砲など無い。そのためもっとも効果的な攻撃手段は「頑丈な船で突撃する」という事になる。
 この船の武器は船首に備え付けられた、翼を持ち、勇ましく、気高く吠える獅子人の像。
 それが鋭い眼光と牙を剥き出しに前面より突撃してくるとなれば、恐ろしいという言葉以外に形容するものは無い。
 途方もない価値の宝石の塊を丹念に彫りあげた職人も、ただの体当たりに用いるため“だけ”に用意されたとは思うまい。
 頑丈であれば良いので、見た目は文字通りの飾りだったとは依頼した猫人のみぞ知る。
 サバーニャが舵を取りにその場を後にすると、ジャックは船首に残り、コートから木箱を取り出した。
 その箱から植物の種を取り出して握りしめ、船の接近を待つ。船は精霊船から一時離れ、大きく迂回して距離を取った。
 風向き良好、視界良好。サバーニャの肉球もしっかり舵を掴み、獅子が牙を食いこませようと猛進する。
 そして接触の間際、目前に迫った獲物は驚愕の反応を示した。

 「何ッ!? あの野郎、跳びやがった!」

 水上での跳躍。精霊たちの驚くべき執着により、あらゆる手筈を駆使して行われた驚くべき回避手段。
 唖然とするジャックとサバーニャを眼下に、ほぼ廃船同様の精霊船は優雅に宙を舞う。
 ボロボロになった船体の一部と、船底に空いた穴から落ちる水が下を通過するサバーニャの船上に降り注いだ。
 その中に生物が一名ほど紛れこみ、甲板にドスンと落下してきた。
 声にならない声を上げ、強打した後頭部を抑えてうずくまる少女。
 それ気付いたジャックが一声をかける。

 「おっ、嬢ちゃん。久しぶりだな。ずぶ濡れだけど、入浴中だったか?」
 「こ、殺す気ですか! 私が乗ってるの忘れて体当たりしようとしてませんでしたか!?」
 「うん。正直忘れてた」

 咳き込みながらもあらん限りの声を振り絞り、少女は出会って以来初めてジャックに対して罵倒の声を浴びせた。
 その様子を見てジャックは苛立つどころか、にやりと笑みを浮かべ丁寧に謝罪を申し出る。

 「いや、いや、申し訳ない。よもやここまでの事態になるとは思っていなかったんだ。
  仕事が終わったらキチンとお詫びをするから、今はちょっと我慢してくれ」
 「ジャーック。どうすんだにゃ。あんな避けられ方したら当てようがねーにゃ」
 「そうだな。ちょっと危険だが接近してくれサバーニャ。一応と思って船を止める手筈は用意しておいた」

 後方で着水した船に向かって獅子は旋回し、獲物の背後を追いかける。
 一方の精霊船も大事な船員を失ったことに気付いたのか、波風を総動員して急旋回し、その場に留まり迎撃の態勢を取った。

 すれ違う刹那、海面より出現した水柱が生物のようにうねり、サバーニャの船の甲板を所狭しと駆け巡る。
 水流が甲板の縁を破り、突風がマストに張られた帆を切り裂き、突然に発生した波が船体を大きく揺るがす。
 猛烈な嵐が局所的に、ただ一隻の船のために発生して襲いくる中、ジャックはその手に握っていた種を投げつけた。
 風に吹かれ、投げられた種は宙を舞って幾つかは目的地から外れたものの、その一部は精霊船の付近に着水した。
 互いの攻撃が終わり、双方の船は距離を放していく。
 船内に退避していた林檎が表へ出ると、ほぼ決着は付いたも同然の状態となっていた。

 船首の獅子の牙は折れ、甲板も水柱の水流によって至る所が損壊していた。幸いなのはマストが無事であったくらいだろうか。
 サバーニャは引き裂かれた帆を降ろし、船内から替えの帆を取り出して急いで取り付ける。
 ジャックの方は船尾へと走り、精霊船の動きを確かめていた。
 一切微動だにせず、後方でその場に留まり続ける精霊船。
 傍目損害は見受けられないものの、その周囲の水は光の反射とは異なる白い輝きを見せている。
 サバーニャの船を襲った水流も一切の動きを止め、今やただの氷の柱へと成り下がっていた。
 突然現れた氷原に対し、林檎が疑問の口を開こうとした時、帆を張る手伝いをさせようとサバーニャが船尾へ足を運んだ。

 「二人とも帆を張るの手伝えにゃ。しかしよく”コチート”の種なんて持ってたにゃ」
 「あれ手に入れるの苦労したんだぜ? エリスタリアは冬の国の植物だからな。
  ダークエルフ共の目を逸らすのに苦労したんだが……。ま、勿体ないことしたかもな」
 「まだ持ってるなら売ってくれにゃ。今回の件の報告もあるだろうし、ドニーに高値で売りに行くにゃ」

 話に付いていけない林檎が”コチート”についての説明を求めると、サバーニャが簡潔な回答をする。
 コチートとは、根を張る氷の土台を得るため、水分に接触すると極低温を発生させる植物。
 エリスタリア冬の国で群生しているが、不用意に持ち出されると厄介な植物のためダークエルフが森を巡回しているのだとか。
 欲しいとせがむサバーニャを横に置いて、ジャックは身動きの取れない精霊船の破壊を指示した。
 氷漬けにされた状態では跳躍など出来ようはずもないが、下手に水柱を立たせたのが運の尽き。
 立派な氷の檻が精霊船を包み込み、例え空を飛べたとしてももはや自由は無い。

 しばらくして帆を張り替えた船は、精霊船の脇腹に船首を向けて海を突き進んで行く。
 一面とは言わずも船の周囲は完全な氷原と化し、さながら地獄の一層を切り取って持ってきたようにさえ思える。
 船首の獅子が氷を食い進みながら、徐々に獲物の元へと差し迫っていた。
 為す術のない獲物は、凄まじい叫び声を上げながらその身を真っ二つに引き裂かれて死んだ。


2013/01/23:精霊に祝福された船の末路を追加

  • “異邦人は経験上、精霊に好かれることが多い”とは言いえて妙。精霊も珍しいものに目がないんだろうか。精霊の物体表現が光っていて面白かった -- (とっしー) 2013-02-01 00:51:38
  • 異世界ならではの不思議と造物が短い中に詰まった航海模様でした。異世界に疎い人間は何かと出汁や餌にされがちなのでしょうか助かったからいいじゃないかみたいな軽いノリを許せてしまう商人気質な雰囲気も楽しいですね -- (名無しさん) 2015-12-20 20:34:36
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最終更新:2013年02月09日 21:48