【ある運送業者の記録(エリスタリアにて)】

海竹で編まれた丈夫な箱を慎重に置いた。
吸い込まれるように黒く沈んだ色に塗られた机の上にだ。一見質素だがある程度目の利く身故に分かる。これは相当の値打ちものだ。
乱暴に置いて傷などつけたところでここの主人が気にするような性分ではないがさすがに恐縮する。
「依頼ノ物ダ」
「ありがとうございます。開けてみても?」
「勿論」
細工を散りばめた色鮮やかな竹箱の頑丈な蓋を彼女が開ける。
大量の海綿を敷き詰めて中身が割れぬよう細心の注意を払われた箱。その中に彼女は精緻な青磁のような細く白い指を滑り込ませた。
「あら…さすがはヴ様。いつものようにお任せして正解でしたわ」
彼女の頬が柔らかく緩む。美人の笑顔はいつ見てもいい。
取り出されたのは朱色の色硝子の花瓶。
ミズハミシマに伝わる伝統の品、『斜陽硝子』だ。いつ頃から作られているものか定かではないが、類似の技術が近隣にないことを見ると自然発生したミズハミシマ独自の物と私は睨んでいる。
あらかじめ色のついた硝子にわざと気泡を混入させ、あたかも浜辺に寄せる波飛沫のような独特の模様を作り出す。
色は青や緑など様々だが最もポピュラーかつ一番人気があるのが赤色を使った硝子だ。
この赤の鮮やかさから波間に沈む太陽の色、『斜陽色』と名付けられたとされている。
観光土産用の大量生産品から職人がひとつひとつ手間暇と時間をかけて作る芸術品まで、形状も含めるとその幅は多岐にわたる。
今回のは名うての工芸人が作ったちょっとした物だ。いわゆる、ブランド品ということになる。
「こんな良いものをわざわざミズハミシマから…」
「構ワんサ。そレダけノ謝礼ハ払っテもラっていル。ソれに美人ノ頼みハ断レん」
にんまりと私は笑った。
当然世辞もあるが実際に彼女は美しい。エルフは美人揃いだ。目の保養になる。
それに小銭も稼げた。持ってきた品は輸送の苦労も含めて高くついたがそれだけの金になった。
ここは稼いでいるからな。払いがいい。
これからも是非贔屓にしていただきたい。私の懐は温まるし美人と喋れる。ここは遠方の珍しい品を手に入れる。いい商売だ。
私が内心ほくそ笑んでいると彼女が私の心を見透かしたような蕩けた笑みを浮かべる。
「ヴ様。あまりお客の前でそんな悪い笑顔を浮かべるものではございませんよ?」
「………馴染ミノ相手ニ遠慮ハなイ。煙草ヲ吸っテいいカ?」
バツが悪くなってそう誤魔化すところころと女主人は口に手を当てて上品に笑った。
下品な商売人で悪かったな。


私はヴだ。名前である。一文字だ。本当はもっと長いが正式な名前は誰も覚えられないので割愛する。
《鮫》の魚人である私は海運業を営んでいる。あちらの国で品を買付け、そちらの国で品を売りつけ、こちらの国でまた品を買い付けるといった塩梅に。
今日は仕事の関係でエリスタリアにやってきた。
オルニトで出版された本を運んできたのだ。今年は年初めに国の有力な出版所で火事の騒ぎがあったらしく、影響で書籍の値段が若干高い。
少々見込み違いと言わざるを得ない。現地で卸し人の《梟》の鳥人と溜息をついたものだ。
その仕事のついで、私は常連から頼まれていた祖国の品を持ってきた。
常連とは、エリスタリアの高級娼館を仕切るエルフの女主人。ベカである。
彼女は私がこの仕事を始めた頃からの古い付き合いだ。ひょんなことからベカの依頼を受けて以来、ちょくちょく様々な国の名産を売りに来るよう言いつかっている。
港町である新都エリューシン、その歓楽街の一等地に出城を構える彼女は金払いのいい上客だ。
娼館とは思えないような落ち着いた外観をした館の重々しいドアをくぐればベカの取り仕切る夢の国『青蘭』という寸法である。
「―――ベカ、店ノ調子ハドうダい」
その夢の国の応接間の一室―――調度品の行き届いた品のいい小部屋である―――で私は紫煙を煙突のように口からもくもくと噴き出した。
水煙管。ラ・ムール発祥の仰々しい煙草にして私の悪癖である。
冷やされた煙の冷涼とした感覚を味わいながら言うと、ベカはそうですねぇ、とのんびり喋り出した。
「私の店は港にいらっしゃる外の人が主なお客様ですからね。海を越えた外国の方、《向こう》の方。それはもう……ふふふ」
淫蕩さを表情に滲ませてベカが艶然と笑う。思わず私は苦笑した。
彼女には店の主人として以外にもう一つの顔がある。世界樹の巫女としての役割だ。
世界樹の敬虔なしもべであるベカは、異種族と交わることで異なる遺伝子を取り込むという大事な役目がある。
それ以上の四の五のについては私からは話すまい。なにせ私とて男だ。実に言いにくい内容だ。
中でも高級娼館として他種族や《向こう》の高官を相手にするこの店は巫女の中でもエリートの方に入るらしい。
「エリスタリアの話ですと、秋の国では精霊様が癇癪をおこされてだいぶ雨が続いたそうです。作物の被害が酷くて議会が揉めているそうですよ。輸出する品がないって」
「アぁ、聞イたヨ。どコの国モ景気ノ悪イ話だナぁ」
困った。不作とは聞いていたので最初から当てにはしていなかったがそれでも参る話だ。
比較的安定している薬品を積むことに今回はなりそうだ。
どこの国でも重宝するから売れ行き自体はいいのだが、肝心の売り手のエルフが世界樹からの恩恵という事で大抵出し渋る上ぼったくってくる。
ここを出たら卸し人と顔を突き合わせて睨めっこをしなくてはならないらしい。こと世界樹に関しては連中はなかなか妥協しないので私の怖面も役には立たない。やれやれ。
煙交じりの溜息をついていると目の前に座るベカがどこか湿った微笑みを浮かべて身を乗り出してくる。
「ヴ様は、どうなのかしら?品は頂いたわけですし、せっかくですから少し遊んで行かれるというのは……」
「……こコデ遊べル程金持チジゃあ無イ」
「まぁ。ヴ様ならいつもお世話になっておりますし、私で良ければお金は頂きませんけれど…」
おいおい。私は唸った。
青蘭の女主人を抱くなんて普通なら銀貨どころの話ではない。金貨が飛んでいく。
彼女は同じウッドエルフの巫女たちと比べて格段に綺麗だ。透き通るような、それこそ先ほど渡した硝子細工が遠く霞むような白い肌に青みがかかったブロンドの髪、絹のように滑らかな葉翼。豊満な肉付きの体を清楚だがどこか淫靡な巫女衣装に包んでいて、それがまた似合っている。
それだけではない。ベカはこの辺りを取り仕切っているやり手の役員ですらある。舌を巻くほど頭が回るのだ。
それでいて根は真面目でいっそドニー・ドニーの鬼族たちやイストモスのケンタウロスたちのように義理を重んじる性格だ。そんな男気すら感じるような女傑なのだから人気が無いわけがない。
腹は決まっていたが返事に困ってしまって私は手持無沙汰に陶器に注がれた水を飲んだ。
我々魚人でも手足のある者たちはある程度陸上での活動も可能だが、その場合定期的な水分の摂取が必要不可欠になる。肌が乾燥してしまうからどんどん体内の水が奪われるのだ。
「申シ出ハ光栄ダガね…時間にアマり余裕ハナいんダ。スまンナ」
「そう言って、いつもいつもお断りなさるんだから。今回の言い訳を聞かせてくださいな?」
「幕府へノ税収ガナ。期日ガ差シ迫っテイてナ。早イトコろ片付ケて仕舞ワネば」
「ああ…それは確かに、仕方ございませんね」
ミズハミシマの民は祀族長オトヒメを首長とした封建国家だ。
民はそのミズハミシマの国民としての権利を保障される代わりに巡り来る4期の節目に幕府へ税を納めることになっている。
一定の金額か職種に応じた品物を献上するのが一般的だ。私たち海運業者は金を納めることになる。
しかし私は悩んでいた。
「まァ、上ノゴ機嫌ヲ取っテ損ハ無イ。金ト一緒ニ何カ面白イ品でモ持ってイケれバ良イんだガ…」
「面白い品ですか」
「ベカ、君ナらば何か思イつカナイか。なンデもいいトイウ訳にハいカナイが」
「そうですね。あまたの国々を渡り歩かれるヴ様のほうがよっぽどそういうものには詳しいと思いますが…あ、そうです」
こめかみに指を当てて―――いちいち様になる女だ―――考えたベカは、やがて破顔すると少しお待ちをと言って部屋の外に出ていった。
やがて戻ってきたその手には小瓶が握られている。
薬瓶というにはあまりに美しい切子細工が施された透明な瓶には葡萄酒色のとろりとした液体が入っていた。
「そレハ?」
「ふふふ。なんだと思われますか?」
「………」
煙草をふかした。天井に向けて煙を揺らしながら考える。
この店にある薬瓶。ただの薬ではあるまい。この国の薬は様々な分野に分かれそのどれもが妙薬として名を馳せる。
しかし傷薬を献上したところで上も喜ぶまい。ベカとてそれが分からないような女ではない。
そう、これはいうなれば龍神シマハミスサノタツミノミコトとその妻であり代弁者である祀族長オトヒメに捧げる品だ。
思い立っておそるおそる言ってみた。
「………媚薬、カ?」
「超一級品でございます。いろいろと『すごい』ですわよ。私からの口添えがあればその品も、他のお薬も難なく買い付けることができますが…?」
天を仰いだ。一本取られた。
やはりこの女は切れ者だ。先ほどの会話から私が薬品を買い付けて出港することまで読み切っていたようだ。
『参った』とばかりに私は頭を擦ることしかできなかった。これが汗をかく種であったなら冷や汗を垂らしていただろう。
「降参ダ。いくラデ?」
「この程度の事、お金などいりませんよ。その代わりまたこの店にいらしてください。物珍しい品と一緒にね」
「………約束シヨウ」
暗に『それはもうびっくりするような物を持ってきてくださいね?』と言われている。
さて、どうこの女を喜ばせたものか。
さっぱり思いつかず、私はお冷をちびちび喉に流し込んだ。


「精ガ出ルな」
「………」
入口近くにある従業員―――この場合は雑務をこなすホビットたち―――の詰所近くに立っていたダークエルフにチップを投げる。
無口なそのダークエルフの女は目の端でコインを追うと目も留まらない速さで空中の銀貨を手中に収めた。
客を取らない用心棒らしいが名前を聞いたことはない。一度だけその技の冴えを見たことがあるが、あれは神技だ。
私もいろんなものを見てきたが彼女に勝る剣筋はそうそうお目にかかれるものではない。
さすがは青蘭の用心棒といったところか。
「………主人は?」
「見送リハイいと断っタ。仕事ダ」
「………」
先ほどの口添えの件だ。精霊術で伝えるらしい。
それだけ聞くと用心棒はつかつかとドアの前まで行くと重い扉を薄い戸板のようにあっさりと開いた。
チップの分の働きというわけではないのだろうが、彼女なりの親切らしい。
「あリガトう」
「………」
私の言葉には答えず彼女はまた先ほどの位置に何事もなかったかのように立った。そっけない女だ。
青蘭の敷居を出る。外はエリスタリア独特の緑が生い茂った歓楽街が広がっている。
夢から覚めたような気がして私は首に手を当てて回した。ごきごきと不安になるくらい大きな音が立って通行人が何事かとみてくる。恥ずかしい。
ふと振り返ると物々しいドアと落ち着いた焦げ茶色の壁、お洒落に這っている緑のツタ。迎賓館のような雰囲気の青蘭がある。

次に来るのはいつになるだろう。
私は金と荷物の入った背嚢を背負いなおすと、まずは港の自分の船へと帰ることにした。
心地いい海の風が吹き付けてきて、思わず目を細めた。



  • 想像以上にフットワークの広いヴさん。 ベカに言い寄られた時は心の中で小躍りでもしたんだろうかと想像すると和む。 悪い笑いの鮫顔も言い得て妙 -- (名無しさん) 2013-07-03 03:05:32
  • エロが主力産業になっているエリスタリで己を見失わずにいるにはやはり場数がものを言うか? -- (としあき) 2013-07-05 22:57:36
  • 交渉力や意志力の応用が広いとエルフでもイレギュラーになりそうなのであまりいない? -- (名無しさん) 2014-06-11 19:08:28
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最終更新:2015年11月18日 15:54