【盲目公記②】

「パラパッパー!パラパッパー!パパパーン!ジャン!!(大河ドラマ毛○元就のイントロ)」

時に約480年前。
ラ・ムールの王位空座を狙って侵入したドラゴンの部族長、黒い長角のゲオルグはジョージ一族を率いて各地の
農村や駐屯部隊を攻撃して、家畜や亜人たちを食い殺し、物資を奪って略奪を続けていた。

これを受けてラ・ムール軍部は国王代理を交代させるクーデターを起こし、
地上最強の生物ドラゴン掃討という大きな危険がつきまとう方向に、国の命運をかけた開戦を宣言した。

まだ当時、若い盲目公ゲオルグ、ジョージ3世は祖父である長角のゲオルグに従い、
一族の仲間を率いて各地を攻め、ラ・ムール軍に大きな打撃を与えていた。

もっともドラゴンであれば誰がどう率いても、常に敵に大きな打撃を与えられただろう。
だがドラゴンが徒党を組んで戦うと言うことが珍しいことで、軍事経験を持ったドラゴンは当然少ないだろう。
後に勇将として知られた盲目公が、戦略、戦術、集団戦に理解のあるドラゴンになったのも、この祖父の影響が大きい。



3万。
10個軍団が対ジョージ軍との決戦に、ラ・ムールが動員できる、今考えられる限りの兵力と判断された。
一応は隣国は事情を察していたものの、他人の善意を信じられるなら軍も国境も必要ない。
エリスタリアクルスベルグも、この混乱を好機とみているに違いなかった。

「我々はドアを蹴っ飛ばして、中に入ればいいのだ!」

とは彼のアドルフ・ヒットラーの言であるが、まさに今のラ・ムールは突けばどこでも崩れる状態。
隣国は領地的な野心をむき出しにしてもおかしくない情勢下にある。

しかし、ここで援軍が到来する。
ミズハミシマの5個軍団が上陸し、対ドラゴン戦争に助勢するという申し出が舞い込んだ。

これにラ・ムールは虎が翼を得たごとき勢いを得たが、対するドラゴンたちは冷然としていた。

ドラゴンたちはその気になれば大陸を横断することなど造作もない。
ラ・ムールの端にいながら、今すぐにミズハミシマに攻撃を仕掛けることすら可能である。

「暗い目よ。貴様に20頭のドラゴンを任せる。ミズハミシマを攻撃し、援軍を中止させよ。」

老いた族長、黒い長角のゲオルグは、国家間の友情がただのヒロイズムに過ぎないことを
世界に知らしめようと、あまりに冷酷な戦略を打ち出した。

「ミズハミシマのどこを?」

若いドラゴンが問うと、族長は答える。

「どこを攻めるかをワシは見ておる。貴様は一族でもっとも賢いことが、此度の戦でワシには分かっておる。
 村を焼くにつけ、敵軍を討つにつけ、お前は戦い方という物を分かっておる。」

集まった一族の宿老たちも肯首した。
一人、面白くなさそうなのは、盲目公、暗い目のジョージの実の父である五つ首のジョージ。
のちのジョージ2世である。

彼は次期族長と見做されていた。
彼は兄弟たちの中ではもっとも強いドラゴンだったからだ。

だが彼は不満だった。
彼の父、黒い長角のゲオルグは戦略だとか知略だとか、ようするに亜人のような事ばかりする。
なぜ神にも近い肉体を持つ自分たちが、こうも小細工など打たねばならぬ。

「族長。」

五つ首のジョージも、他の一族たち同様、自らの父をそう呼んだ。

「ミズハミシマが援軍を送ってこようと、何も変わりはしません。
 戦場で転がる死体が増えるだけではありませんか。」

「分からぬか?
 我らドラゴンが恐るべきは、亜人の国々が手を結んで我々を攻撃することだ。
 それだけは避けなければならぬ。だから助け合おうなどと考えを起こさせぬことだ。」

「連中がどれだけ数を繰り出そうと、恐れる必要はありません!」

「神々が味方する亜人を侮るなッ!」

「その神々が見放しておる故に、連中は骸(むくろ)をさらしておるのではありますまいか!?」

「神を畏れぬが故に我らが骸をさらしたことを忘れるでない!!」

老いた族長は、実の子に火を吐きかけて、そのまま力任せに吹き飛ばした。
小さな丘ほどもあった巨石が、その場で融解し、真昼の大地は一瞬、その色を失うばかりの眩しい光に包まれた。

溶けた砂漠の砂がガラスに代わり、真っ赤に焼けてドロドロと流れ出した。
あちこちで熱を帯びた光があふれ、この一角だけが大きな宝箱を除く様な有り様である。

「亜人を侮っても、神を侮るな!忘れてはならぬ!!」

一族は完全に不満そうな表情だ。
誰も口には出さないが、ミズハミシマまで飛んでいくなど億劫だ。嫌だ。

「暗い目よ、良いか。
 ミズハミシマは龍の住む国ぞ。あれなる者共は我らのように火は吹けぬが、水や風雷を操ると知れ。
 そして人ほどの大きさに化ける。どんな小さな動きも見逃すまいぞ。慎重に事をなすのだ。分かるな?」

「分かっております。」



既知世界に巨躯の生物は5種類あり。
巨人、ドラゴン、龍(ロン)、ヒドラ、ワイバーン(リンドヴルウム)である。

巨人は完全に精霊に近い存在であり、その多くは山の精や亜神というべき高位の精霊たちである。
かつては各地に見られたが、亜人たちが彼らを産業や労働力としてだけでなく軍事にも使おうとしたため、
彼らはそれを嫌って姿を消し、今では僻地で平和に暮らしている。

ドラゴンは高い知性と強靭な肉体を持ったため、既に書いたように神々に挑戦して敗れた。
血肉を持った生物であり、その恐ろしい姿とあまりに大食いのために亜人たちから疎まれて排斥された。

龍は巨人と同じく極めて精霊や神々に近い存在だが、血肉を持つ。
だがしかし、ドラゴンと違い、必要に応じて亜人と同じ姿に変身する能力を獲得したため、
多くは亜人たちと共に生活している。

ヒドラはドラゴンと似ているが、知性が全く欠落しているという点で大きく異なる。
また飛行能力を失っているため、亜人たちの軍隊によって多くは駆逐、絶滅している。
それでも悍ましい闇の勢力が不死の怪物となった彼らを使役しているという噂が仄めかされていた。

最後がワイバーン。リンドヴルムとは翼ある蛇であり、体構造がドラゴンと違う。
ドラゴンは前足、後ろ足、両翼を有するものの、ワイバーンは前足か後ろ足を欠いている。
これも前後でまた異なる種族に分けられるが、ここでは割愛するものである。



「海賊王になりたいと思ったことがあった。」

それは祖父が盲目公に語った、幼い記憶である。

ドニー・ドニーでは試合で勝ち残った者が王となれる制度があるのじゃ。
 ワシはそれに挑んだ。無論、ドラゴンが参加するなどということは認められなかった。
 悔しかった。勝ちさえすれば、皆を呼び寄せる国が手に入ると思ったから始めた事じゃが。

 我々は亜人たちからすれば目障りなだけ。
 ドニー・ドニーの海賊らはヒドラどもは知恵の無い怪物と呼んで、追い立てて殺す。
 だが、言葉が解せぬだけで奴らにも心があるかも知れぬと思うと、ワシは辛い時がある。」

盲目公には海賊が集まって国を作っているというのも信じられなかったが、
言い換えてみれば、自分たちも殺戮集団と盗人の集団のようなもので、亜人にもそういう国があるんだと、
なんとはなしに理解した。

「人に化けろと言われた時は、どれだけ奴らが憎かったか…。」



久方ぶりの海洋を眺めて、盲目公は祖父が幼い日に見たという海賊の国を思いはせた。
自分たちと海賊たちの何が違うのだろう。勿論、食費だということは言うまでもない。

だが姿は亜人同士でも違う上に、連中がある程度は法律を作っていると言っても犯罪者という点では同じじゃないか。
どうして自分たちだけが除け者にされなければならないのか。

人に化けろ。
それが出来れば、どれだけ心が軽くなるのだろう。

鉄の矛先すら藁のようにひしゃげ、軽々と大洋を渡り、月にもこの手は届こう。
吹く焔はどんな冷たい氷も溶かし、体は風から守ることもできるだろう。
この力は、おおよそ亜人たちの望むことが叶う。

だが、あまりに強すぎるというのは恐怖でしかない。
ドラゴンでなく、亜人に生まれれば弱いことが恐怖になったのかも知れない。
それでも結局は弱いことで狙われることと強いことで憎まれることは、かわりない。

いや、かわりないと思えることが、彼らがそれだけ強すぎるということかも知れない。

「暗い目よ。貴様は次の長になるよな。」

飛び続けていると他のドラゴンが声をかける。
いわゆる指向性マイクの要領で、どんな大声でも目標を絞った場所にしか、この声は聞こえない。
そのため、どんな嵐の中でもドラゴンは味方の声を聞き分けることができる。

ちなみに声をかけて来た相手もジョージである。
彼らはジョージ一族であるが故に。その為に誰もが特徴を併せてつけた副名を持つ。

「父上がおなりになる。」

「何を。貴様の前で悪いが、族長は貴様を買っている。」

盲目公は答えた。

「まだ若すぎる。」

「若さは族長になれぬ理由にならないだろう。」

「学ぶ機会を失いたくない。」

盲目公は、そう言い放つと連れて来た全てのドラゴン、ジョージたちに命令を発する。

「これから巡航速度を落とし、攻撃に備えて速度を揃えよ!」

「先駆けは誰が良い?」

「道化が良いだろう。」

「道化を呼べ!」

ジョージたちがそう口々に言いやって、空の上から1頭のドラゴンが速度と高度を落として合流する。
道化のジョージ。クラウンという意味であり、その理由は彼を見れば分かるだろう。

「ぅ…あ…。」

言葉がしゃべれない。
故にパントマイム専門のクラウンになぞらえて道化のジョージという。

「道化のジョージ。一族一の早駆けの勇士よ。しっかりやれよ。」

「こいつに速度をあわせるのは骨が折れるなぁ。」

「早ければ良いというモノでもなかろう?」

「景気づけだ!」



一方、ドラゴンの一団が本隊を離れたことはラ・ムールの軍部にも報告された。

「例の両目が潰れたドラゴンが確認されました。」

「各地の駐屯部隊の報告では、一番手際のよい襲撃をやる奴です。」

「ブラインド・ジョージという奴か…。」

「筋金入りです。ミズハミシマを攻撃するためでしょう。」

「今こそ好機!」

ラ・ムール将軍の首座、パウ・タンポーン、老いた猫将軍は膝を手で打った。

「しかし、ミズハミシマの援軍は…。」

「そんな物はもう来ない。それより敵の優れた指揮官がいない、今が好機ぞ。」

「指揮官ですか。」

将軍や将校たちは、やはりまだドラゴンが軍事的な考え方をしているということに納得がいかない。
いくら人語を解し、知恵があるとはいえ、社会性はないというのが常識である。

「敵の行動範囲を計算し、戦場を決定する。」

「敵が応じるでしょうか?」

「応じるとも。奴がワシならばラ・ムールに攻め入った段階で、どこかで決戦を仕掛ける。
 ゲオルグの目的がただの略奪であれば駐屯部隊など、丁寧に潰しはしない。
 大きな戦いでこちらを破って、戦勝金をせしめるのが腹ぞ。」

そうパウが力説するが、将校たちは怪しい顔色。
そんな中、老いた猫将軍の隣の壮年の副官らしい将校が青い顔をして口を開く。

「記録でもゲオルグは一族を引き上げる見返りに金品や食料…。」

そこで止まった。
しばらく考えてから、副官は続ける。

「最悪の場合、我が国の民を食い荒らしたと。」

一瞬で将軍たちが騒然となった。
なおも副官は続ける。

「まず秤(はかり)を用意し、順に体重を計って、一定の重さになるまで民を差し出せと要求します。
 …過去の例からいって数万人を一度に…。」

「き、狂っている!!」

「しかし家畜が全て食い尽くされればラ・ムールは困ります。
 ゲオルグは女子供以外で良いから、餌になる者を飽(あ)くまで出さねば、こちらが勝手に食うと言っています。
 これは人間社会の在り様ではありません。に、肉食獣が獲物に対する交換条件に過ぎません。」

「ば、化け物め!」

「許し難い蛮行だ!」

「食うだと!?同じ言葉を話す生き物を食えるのか、あいつら!!」

「ドラゴン同士でも共食いする連中だぞ。」

「ああ!神よ!!」

「信じられん!あり得ない!!」

誰の脳裏にも地獄が思い描かれていた。
喜悦の表情を浮かべ、我が同胞を食らうドラゴンたち。血に染まる大地。

「こ、国民には知らせるな。」

歴戦の猛将、パウさえも唇の震えを隠し通せなかった。
迂闊に声を出してしまったことに思わず顔を伏せる。
しかし全員が、この生きる戦争博物館の次の言葉を待っていた。彼の言葉がなければ、皆逃げ出してしまう。

だが老将軍は頭をおろしたまま。

「…どうすればよい。ああ。カー・ラ・ムールが居られないというに!
 出来ぬ!戦っても無駄かも知れぬ。知らせる訳にはいかぬ。負ければ食われるなどと…!」

そう小さくパウは言葉を漏らした。
だが、意を決してかがんでいた頭をあげ、胸を張って皆に告げる勇気を振り絞った。
これこそ将軍の勇気である。書物でいくら軍事の知識を得ても身につかない誇り高い姿である。

「このような言葉がある。例え空が落ちようとも正義をなさなければならぬと。
 今やその時じゃ。誇り高く我らは進み、許し難き敵を打ち払わねばならぬ。
 例え王が居られずとも、例えワシが死のうとも皆で戦わなければならぬ。」

将軍たちは一言もなかった。
太陽の登らぬ幾日も続く絶望の夜の中、無数の狼に取り囲まれているような恐怖に包まれていた。



さて、ミズハミシマを攻撃する盲目公は、散々に各地を荒らし、転戦を続ける。
何度か龍が姿を見せたが、基本的に大人しく平和に暮らす彼らでは血に飢えたドラゴンの気迫には及ばない。

「龍だぞ!」

「美味い!!」

今日はついに一頭が追い詰められ、ドラゴンたちに食い殺され始めた。

「骨も残さぬ!」

「なんと柔らかな!」

「おう舌の美味いことよ。」

「肉質も極上の鯨にも負けぬ。きめ細やかな肉だのう。」

ドラゴンの1頭が勢い良く前足を突き入れると、それを掴み上げた。
そして、そのまま盲目公に献上する。

「生き肝ぞ。」

「ありがとう。」

取り出された肝臓を差し出されて、盲目公も満足そうに食事に参加した。

歴戦の勇者であり、亜人の義勇兵を率いた盲目公だが、亜人を食わなかった訳ではない。
それどころか彼は記録では息子たちも食らっており、人道主義な所はない、純然なドラゴンであった。

これを鬼畜とするか、外道と呼ぶかは個人の判断だが、ドラゴンにはこれが自然である。

「ああ、脳ミソだ。最高だ。」

「お前は初めから足らぬゆえ、もっと食うが良い。」

誰もが食事を楽しむ中、一人のドラゴンが盲目公に訊ねる。

「もうミズハミシマは援軍など出さんだろう。族長の所へ急ぎ戻らぬか?」

「仰せつかった期日までは日がある。」

と盲目公が答えると、別のドラゴンが口を開く。

「そこは臨機応変にならんか?」

また盲目公は答える。

「族長のお考えは分かっている。一族が揃ったままでは敵は仕掛けて来ない。
 そこで敢えて私をこちらに送ったのだ。きっとラ・ムール軍は今を好機と戦場を決めて決戦を仕掛けて来よう。」

「だが数が多いほうが…。」

さらに盲目公は答えた。

「カー・ラ・ムール不在のラ・ムール軍には大きな兵力を動かす決断は出来ぬ。
 人は誰しも勇気がある訳ではない。勇気のないリーダーの決断では人は動かない。
 ましてカー・ラ・ムールがいないのでは意見はまとまらず、決戦は中途半端なものになるだろう。」

「そうかの?」

「まあ、良く分からぬが、族長と暗い目がいうのであれば、そうであろう。」

「まあ、そうであろうな。」

「はは。美味い美味い!」

しかし、ミズハミシマは王が健在である。
ミズハミシマの元首である乙姫は、ミズハミシマ軍の8000名からなる師団を12個動員する。
兵数9万6千名。数の上ではラ・ムールで戦う族長よりも多く、敵には龍すら含まれる。

場所はミミナリ島の近海。
追撃をかわす様に逃げつつ、この海域にわざと誘い込んだ盲目公に、敵も決戦を仕掛ける。

ドラゴンと亜人の戦いは基本的にはドラゴンが優勢である。
戦争の基本は機動(マニューバ)。つまり移動力にある。
ドラゴンを敵とする場合、どんな巨大な城壁も罠も地形も相手が飛び越えてしまえば意味がない。

そこで常にドラゴンの航続飛行距離を計算し、それが途切れる場所に軍を差し向けることになる。
いうなればドラゴンの移動先に待ち伏せを仕掛けることになる訳で、ドラゴンにしてみれば、
かわそうと思えば、いくらでも敵を無視して通過することができる。

それに応じるのは、よほど敵の追撃がうっとうしい場合になるのだが、
軍略を解する黒い長角のゲオルグと盲目公に限って言えば、自分の望む戦場に敵を招き入れる行為になる。

ミミナリ島近海は波は穏やか。そして十分に広く、深い。
ドラゴンたちが存分に戦える有利な地形であり、そこに大急ぎで進撃する敵軍は軽装かつ準備も整っていなかった。

「彼(か)の乙姫は、龍神を手なづけて国をなしたという!
 乙姫よ!ジョージと閨を共にするが良い!!龍神も我らの伽に参ずるが良かろう!!」

ドラゴンのひとりが口上を述べると、敵軍からは沈黙が帰って来た。
ただ、古法に乗っ取り、使者が歩み出て対応する。

「我こそはタジマのセセリなり!乙姫と龍神に対する侮辱、死をもって詫びるがいい!!
 ジョージ一族よ!勇気があるならば、この槍を受け取りに使者をもて!!」

敵軍の使者の口上を受け、ジョージ一族も冷笑気味に相談を始める。

「あれを受け取れとさ。」

「爪楊枝にもならぬ。」

「誰ぞ、受け取ってやるがいい。」

この時、生来の不能者であるドラゴンたちには全く感知できていない情報がある。
今、この海域に満ちる彼らの存在を許さない精霊たちの力である。

「みんな死んだ!」

「お前たちのせいで大勢死んだぞ!」

「何故笑っていられる!?」

怒りを訴える精霊たちの声はドラゴンたちには届かない。
彼らはよしんば神の声も、精霊の声も愚か、その気配すら毛ほども感知できない。
でなければ、こんな場所で戦いに応じること自体が考えられぬことだった。

「お前たちは要らない。」

声が聞こえる魚人や龍たちの心は一つになっている。
今すぐに、この人の言葉を話すだけの魔物を殺さなくては。

恐怖より、むしろ怒りに震えながら使者はドラゴンに槍を受け渡した。

「ふん。」

それを理解できないドラゴンの使者は、相手が怯えているものと見做して鼻で笑った。

「震えておるぞ。」

「使者という者は、自軍でもっとも勇気ある者が務める役目ではなかったか?」

「亜人の度胸など、所詮はその程度よ!」

「ははは。違いない。」

両軍の使者が互いに背を向け、自陣へ引き上げていく。
そして最後の点呼が終わり、ミズハミシマの軍勢は鬨の声をあげる。

「出てくる敵は皆、皆、殺せ!出てくる敵は皆、皆、殺せ!!」

うねり狂う怒りに応じ、雲が避け、雷と大波が押し寄せる。
一瞬で空を飛ぶドラゴンたちが海面に姿を見せた塔のごとき波に飲み込まれ、そこへ雷が吸い込まれるように落ちる。
海面に真っ赤な血が浮かび、しばらくすると海面から湯気が昇るまでになった。

しかし盲目公たちは素早く海中に身を潜め、そのまま敵陣に向かって泳ぐ。

「微速前進!」

「微速前進!!」

黒い巨大な塊が雷と波を避けて進む。
しかし、当然のように海中にはミズハミシマの軍勢が待ち構える。

まるでいばらの中を進むようにドラゴンたちの身体が無数に斬りつけられる。
海の中でも波は刃のように押し固められ、鉄すら寄せ付けないドラゴンの身体を貫く。

だが全くドラゴンたちは臆しない。
血が海中を染め上げ、視界すら遮られてもお互いの位置は、例の声で伝わっている。

「見えぬ!血で前が見えぬ!!」

「攻撃を重ねよ!!」

「あんな大きな化け物を見失うはずがあるかー!!」

「ばかもの!探せー!!」

逆にミズハミシマ軍は血の海となった戦場で敵を探す。
小城ほどはある巨体が、海の中で姿を消すなどということがあるだろうか?

だが現実である。
普通、これほど血を流せば戦うことなどできないだろうに。
しかしそれはドラゴンの並外れた、いや外れ過ぎた生命力と体力を全く理解していない誤解である。

おのれの血の海の中でも彼らは作戦通りに陣形を整え、敵軍に衝突する。

「なんだー!」

「何が起こった!?」

ドラゴンの血に、今度は龍と魚人の血が混じり、もう鼻も目も利かぬ。
2度、3度とドラゴンの集団がミズハミシマ軍の陣形を貫くと辺りには肉と汚物が漂い、頭も回らなくなる恐怖。

「海の中で我々が後れを取るはずがない!!」

「駄目だ!ぶえ!仲間の肉が…口に入って!!」

「言うなーッ!」

だが、戦いが有利に進んでいるのはむしろ海中だけだった。

「龍神か…!」

何か恐ろしい、ドラゴンたちを圧倒する何かが戦場でひとり戦っている。
それがドラゴンたちを海中から引き揚げると雷と信じられない力で引き裂いて息の根を止めている。

「ふん。神を畏れるな、だと?所詮は個人の武勇にも限界があるわ。」

「だが8頭はやられた。」

「潮時だな。」

仲間の死すら感慨深くもなく受け止めたドラゴンたちは傷ついた体のまま、戦場を後にした。

「皆、助けてー!!」

逃げ遅れた数頭がさらに龍神の怒りによって命を落としたが、被害はどう考えてもミズハミシマ軍の方が多かった。
生き残った魚人たちも、血の海を逃げ回った記憶に苛まれ、精神を病む者が続出して後を絶たなかった。

「あいつの…!体に張り付いて…!!」

「嫌だ!思い出したくないっ!」

またドラゴンへの怒りがミズハミシマに刻まれて行った。

「なんであんな生き物が生きてるんだ!」

「化け物!!」

「あんなの生きてちゃいけない連中じゃないか!!」

だが、黒い長角のゲオルグが想定したように、他国のためにドラゴンに手出しするべきではない、という意見が世界各国に広まった。
それどころかドラゴンが国を侵しても、亜人は反撃してはいけない。ドラゴンには手を出すな。
そういった同じ国の人間を切り捨てるような考えが罷り通るような風潮まで生まれてしまった。

「地方がドラゴンに襲われても、国は見捨てるのか!」

「そんな国はいらない!!」

「ミズハミシマは龍神が戦ったんだぞ!それであの被害だ。」

「奴らは悪魔だ!悪魔と戦ったら殺される!!」

各地の混乱に、老いたドラゴンの族長は満足した。
結果、22頭中、11頭のドラゴンが戦死したが、世界各国に植え付けた恐怖という戦果こそ重要なのだ。

「愚かな連中には罰を与えなければならんな。」

家族を人質に、各地に散っていた亜人奴隷たちの報告をまとめ、ゲオルグは悪魔というより、むしろ神のように微笑んだ。
しかし、あまりに不吉な黒い長角のゲオルグの発言に、亜人奴隷たちは凍り付く。

「憎しみに動かされ、戦場に出て来ても、この神にも等しい強靭な生命を奪うことはできぬのに。
 龍神に任せておけばよかったのだ。くっくっくっく…!!」

普段は知略に富んだ梟雄だが、彼の心にも人間的なものがあった。
それは亜人に迫害されてきた屈辱。それが彼に与える亜人への不信感や憎しみだ。

「それを抑えきれぬ乙姫とやらも滑稽よ。
 こんな愚かな生き物が神とその代弁者とは。それが我々を見下すとは…!
 亜人はやはり下等生物よ。それに肩入れする神も愚か!我々こそ…、我々こそが…!!」

抑えられない暗い感情に応じて振るえる身体に、老いたドラゴンは我を取り戻した。

自制しなければ。こんなものは一時のこと。
自分たちが神に勝てぬことは身にしみてわかっている。
実際、ミズハミシマ軍は11頭のドラゴンを仕留めたという事実は事実。

自分たちは相手を本気にさせてはいけない。
あくまで怯えさせ、恐怖させ、反撃を封じ、ゆるやかに掠め取るのだ。
気付かれてはいけない。自分たちが相手よりずっと数が少なく弱いのだということを!

「時は着た。」

老いた族長は決断する。
スステパ・モアイの荒野に一族を集結させる命令を出し、各地の略奪も中止させ、敵の進軍を待つ。



王都は紛糾していた。
ミズハミシマ軍の大敗。援軍は来ない。汚され、踏みにじられる地方から流れて来た者たちが伝える敵の恐怖。

「攻城兵器なんか通用しない!」

「海の中で魚人の攻撃も通じない連中に、何ができるんだよぉ!?」

「王が現れるまで戦うな!!王ならば御勝ちになられる!!」

「そうだ!乙姫より我らのカー・ラ・ムールの方が上だ!!」

「武王の再来よ!!」

「王を待て!」

「王を待て!!」

民衆は、恐らく有史以来、もっとも熱狂して王を待った。
街頭に男が立って演説する。

「パウ将軍は偉大な武将だが、それはカー・ラ・ムールの加護が勝たせたのだ。
 将軍は仰ったという。例え空が落ちようとも誇り高く敵と戦わねばならないと。

 だが、今は戦うべき時ではない。彼の言葉を返して俺は言うぞ。
 例え空が落ちようともカー・ラ・ムールなしには戦えない!!」

「そうだ!空が落ちようとも!!」

「王を待て!!」

「例え空が落ちようとも軍は王を待て!!」

「俺たちは空が落ちようとも王と太陽神を信じて待つのだ!!」

民衆の興奮と怒り、恐怖。
それは軍部に対してプレッシャーだった。

「決戦は間近だというのに…!」

女将軍がテーブルの上の地図を引き落とし、大声をあげる。

「何もかも間違いだった。カー・ラ・ムールが現れれば、戦わずともゲオルグは逃げる。
 何もかも、カウの言葉が間違いだった!!」

「止せ!」

「心を一つにして戦うと皆で誓った!」

「カー・ラ・ムールがこの情勢で見つかるはずがない。
 王位空座は長く続くことになるだろう。ゲオルグが食べ飽きるほうが早いかも知れなかった。」

「そんなものはただの可能性じゃ!」

「あ~あ~。何やってんの?」

例のごとく姿を現したのは国王代理、カウ・ヴォング。
あの気障な虎将軍である。今度は、あのお調子者然とした態度である。
だが、今の将軍たちには心の余裕はない。

「貴様ぁ!!」

「こ、この非常時に何をふざけておるか!!」

「貴様が、貴様が俺たちを焚きつけたのだ!!」

「王でもないお前が、ワシらをこんな無謀な戦いに引きずりこむとは!!」

パウ将軍すら、カウに迫って弾劾する。

「もはや手遅れだが、今からでも貴様を牢にブチ込み。決戦は中止する。」

「こんな状況で次代の王が見つかり辛くなっていると俺様は思うけどなー、パウパウパウ?」

ふざけた態度のカウの顔面に、老将軍の猫パンチが叩き込まれる。
しかし老いた猫の拳では虎のカウを倒すには至らない。

とはいえ、カウも不快そうな表情で口を閉じた。
しばらくの間、二人はにらみ合った。先に口を開いたのはパウである。

「信じていた。お前が国を思う心を持っていると。」

「あ~。それって今のパンチとどういう関係ぃ?」

「貴様の態度が気に入らぬ!」

「態度で人を判断しないでよぉ。俺様が今日までどれだけ徹夜して頑張ったと思っちゃってますぅ?」

「止めよというのが…!」

老将軍の言葉が詰まる。
他の将軍たちも老将軍の様子に伺いを立てる様に静かに黙り込んだ。

「きさ…。」

再び口を開こうとした老将軍を兵士たちが取り囲む。
次々に完全武装の兵士たちが乗り込んで将軍たちに武器を突きつけた。

「心が痛む瞬間だ。でも、理由を知ったら悲しくなっちゃうよね?」

「カウ!?」

「あんたらは俺様と一緒に地獄まで着き合って貰う。」



王都の王宮の中で極めて厳重な構造をしているのが、この至聖所(しせいじょ)である。
ここは歴代のカー・ラ・ムールが即位と、そして死を迎える時に使われる神聖な場所。
無論、何度も作り直されているものの、この扉を開くときはおごそかな気持ちにならなくてはならない。

「やめろぉ!!」

錠を開け、この神聖なる部屋に侵入する準備を始めるカウと彼の部下たち。

「どうしてこんなことを!!」

「至聖所に入る準備さぁ!」

聖なる部屋に通じる鍵を人差し指に引っ掛けて振り回すカウ。
これで正気というのだからはらわたが煮えくり返る。

「国王代理、神官団も連れて参りました。」

「あ~。じゃあ、張り切って、行ってみよぉー!!」

カウの音頭で兵隊たちは神官団と将軍たちを拘束して至聖所に押し入ると聖なる儀式が始まった。

「これより、副王即位式を開始する!!」

槍を突きつけられた大神官クワイエが宣誓を上げる。

「か、副王(カルカン・グー)!?」

「なんだその…、副王というのは?」

「知らぬ…。」

神官たちも将軍たちも顔を見合わせる。
聞いたこともない。なんだ、その儀式は。

「えーっと、ラ・ムールの古い法律によれば、例え国王が生きていても政務をおこなえない場合に限り、
 副王、カルカン・グーが任命されれば、それは二人目の王として認められ、その権限に臣下は従わなければならない。」

「知らぬぞ!そんな話!!」

大神官クワイエすら、カウに向かって怒鳴り散らした。

「そうだよねぇ~。だって、一度も誰もなってないんだもん!」

サングラスと派手な衣装をまとったカウは、恐れを知らぬことに本来、国王が立つべき位置に進み出た。
悲鳴のような声が一斉に将軍たち、神官たちから飛びかって雷のような響きとなって部屋を満たす。

「天井を開け。」

カウの命令で兵士たちが至聖所に仕掛けられた機構を起動させ、天井が開放される。
それと共に至聖所は新たな王を迎える体勢へと変形し、壁が地面に吸い込まれ、柱が突き出し、神々しい演出を始める。

「音楽だ!しっかりやってくれ!!」

次に音楽隊が演奏を始めると、いやがおうにも雰囲気が盛り上がってくる。
その音に王都の民衆たちさえ耳を澄ませた。

「なんだ?」

「王宮の方だ!」

「あの建物は?…なんだ、柱が伸びていく!!」

「あれは至聖所だ!国王即位式だ!!」

喜びの声をあげる民衆だが、カウは不敵な笑みを浮かべて柱の上から王都を見下ろしていた。
12段構造の柱は伸びるごとに外側と内側が切り離され、先端が細くなり、最後には王以外の足場はなくなる。

柱が最終形態になった頃、至聖所もまた新たな王を讃えて、荘厳なる姿を見せた。
その頂点に立つ男が、本来の王ではないことを除けば。

「王がいないというならば誰でも王になればいい。
 王になれぬというならば仮初の王でも良いではないか。
 俺はこれ以上、奴らを許せぬ。それを許せぬなら、俺を焼くなり好きにしてくれ。」

聞こえはしないと分かりながら、カウは天空に浮かぶ無口な丸い神に言葉をかけた。

見えもしない左目を含めて、カウの両目は涙を流した。
振るえる全身を必死で支える。ここで諦めてはいけない。
皆が戦う気力を失えば、敵の思う壺なのだ。

「あんたは無口だな。」



カウ・ヴォングの副王即位。
国民は聞いたこともないその名前に首を傾げた。
だが、神の怒りも天変地異も起こらぬ以上、カウは速やかに事を運ばせた。

「陛下!」

「あ~?」

3万の軍勢を前にして、例のように気取ったワザとらしい立ち振る舞い。
舌をチロチロ出しながら、ファンタンゴのように足を素早く動かし、兵士たちの前を通り過ぎる。

「陛下!」

「カルカン・グー・カウ!」

「副王陛下と共に戦います!!」

「陛下ーっ!」

兵士と将校たちは全てを受け入れた訳ではないが、カウが生きている以上、彼の行動が神に許されていると信じた。
将軍も神官たちも、こうなったら神が昼寝をしているうちに、全てを片付けねばならぬ。
それぐらいの意気込みではあったが、カウと共に地獄に落ちる決心である。

「武王以来の快進撃!目指すはスステパ・モアイ!!
 神の御名を讃えよ!!…三唱!!」

全ての兵の列の前を通り過ぎると、カウは鬨の声をあげた。
王都に集まった難民を含めて、全ての人々がそれに応じる。

「神の御名を讃えよ!!」

「神の御名を讃えよ!!」

「神の御名を讃えよ!!」

その様子を見届けた3頭のドラゴンは、静かにスステパ・モアイで待つ、老いた族長の元へ飛び立った。
彼らは影すら落とさぬ空の高みを行きながら、敵の軍を見下ろした。

「そうか。」

全てを聞いたゲオルグは口の端をゆがめて頷いた。

「では、偽りの王を出迎えねばならぬ。」

一族の宿老たちが口から火の柱を吹いて、戦い前の士気を高める。
降り注ぐ火の粉が大地を温め、逃げ惑う亜人奴隷たちにも構わず、ドラゴンたちは炎を天に向かって突き立てた。

そして集めて来た家畜や穀物袋を次々に食らい。
川や池、汚い沼の水に至るまでも飲みつくし、偽りの王との戦いに臨んだ。

スステパ・モアイの荒野でミズハミシマ軍との戦いミミナリ島海戦よりも多い100頭のドラゴンが姿を見せた。
対するラ・ムール軍はその時よりも少ない。しかも神の代理人たる王を欠いている。

あまりに絶望的な状況だが、カウは再び将軍たちに向き合った。

「敵の狙いは亜人たちが二度とドラゴンに逆らわない様にすることだ。
 ここで負けても、世界に示す必要がある。ドラゴンにやられっぱなしではいけないってな。」

将軍たちもうなづいた。

「ま!戦いの最中に本物のカー・ラ・ムールが来てくれるかも知れないじゃない。
 …皆、悪いけど俺様を怒ったカー・ラ・ムールからも守ってくれよな?」

「ぷっ!」

思わずウレカーン将軍が吹き出すと、数人の将軍もつられてしまった。

「ウレカーン、今日は野戦だが大丈夫か?」

「こんな日にへまは困るからな!」

誰もが分かっていた。
きっと陽が沈むころには生きている者はいない。ミミナリ島海戦のミズハミシマ軍と同じように。

相対するゲオルグも考えてはいた。
この場面が太陽神の演出ならば、カー・ラ・ムールが現れることは考えられる。
いよいよ武王と邪龍王の再現か。間違いなくその時は、自分の首がラ・ムールの王都へ運ばれることだろう。

「ところで…」

考え事をやめ、ゲオルグが口を開く。

「そういえば…」

ほぼ同じタイミングでカウも近くにいた部下に訊ねた。

「次代のカー・ラ・ムールの調査はどうなっている?」

「は。」

部下はとりあえず、この件に関して詳しい別の部下を呼びに行った。
副王となったカウは本物の王を調査する部署へ、最新の情報を聞きたいと前から命令していたのだが、
この混乱のために全く返答が来ていなかったのである。

「陛下、とりあえずは…。」

「構わない。今、分かっている情報をくれ。」

「ん…、まずですが、各地をドラゴン共が荒らし回っていたため…」

「住民の正確な所在が分からず、新生児が全く確認できていない。そこまでは何時も聞いている。」

頭を下げ、担当官は恐る恐る続ける。

「そこで新生児以外の…」

「何事にも初めてはつきものだ。先代と同じ時期に生きているカー・ラ・ムールもいるかも知れない。
 だが実際はドラゴンのせいで調査が進まない調査団が、手が空いてるから暇つぶしでやった仕事だ。
 俺様も確認して貰ったが、次代の王ではなかった。」

「さらに…」

「今、両目が開いていても、今後潰れることで王となる可能性も考えて、王都中の住民を調べた。
 両目の開いた全ての住民をしらみつぶしに調べた結果、物凄い時間を無駄にしたぁ~!」

「そして、最後に…」

「そう!それが聞きたかった。
 今回の騒ぎで難民が王都に集まってくれたおかげで調査はかなりやり易くなったはずだ。
 その最新の報告をくれ。途中でもいい。」

「…実は完全に終わっています。」

担当官の報告と同じ内容を、ゲオルグも潜入させていた奴隷たちから聞いている。
その解答にゲオルグは納得しない表情だが、奴隷たちは続ける。

「ですが、見つかっていません。
 故に調査団は、まだ最後の希望があると見せるために、調査するフリを王都で続けているようです。」

「それが偽装でないといえるか?
 敵にカー・ラ・ムールが現れれば、我が一族は死ぬ。」

ゲオルグの念押しに奴隷の猫人は深く頭を下げて答えた。

「我が身は猫人の奴婢なれど、心はゲオルグ様と共にあります。」

「…よろしい。皆の雇いを解く。」

ゲオルグの言葉に奴隷たちが明るい表情になる。
皆、ラ・ムールで家の借金などの理由から売り払われ、ゲオルグの虜となった者たちである。
犯罪を理由に奴隷になった者は、信用できないという理由で最初にドラゴンたちに食い殺されている。

「加えて約束の褒美を取らす。」

そういうとゲオルグは自分の爪で自分の胸を裂き、血をしたたり落とさせた。
奴隷たちは一斉に駆け寄って、我先にとその血を飲み、あるいは皮袋に収めた。

「ありがとうございます!」

「これでシンの病気が治るわ!」

「はっはっは!長生きしてやるぞー!」

「皆、飲め!他の弟たちも連れて来い!!」

それを見ていた他のドラゴンがゲオルグに近寄って声をかけた。

「我らの血にいかなる病をも退け、久遠の命を与える効果があるというのは本当でしょうか?」

「永遠の命の方は知らぬが、確かに病は治る。」

ゲオルグは喜ぶ亜人たちを見下ろしながら、聞こえぬように答えた。
そして、ひとしきり血を流し終えると再び飛び立って戦場へ向かっていった。

「…だがドラゴンの因子を受けた者には精霊の声は届かなくなる。
 まあ、亜人ではないワシには確認できぬがな。」

それは遠い昔、まだドニー・ドニーにいた頃、亜人たちに乞われて願いをかなえた時に見知った知識であった。

若いゲオルグには想像できなかったろう。
最初の内は通い詰めてでも血を求める亜人たちが、今度は武器を持って血を奪いに来るなどとは。

どれだけ与えようと、どれだけ尽くそうと、役に立つことを証明してもドラゴンは亜人の国には住めないのだ。

「ここをラ・ムール終焉の地としてくれる!偽りの王よ、お前が最後のラ・ムール王となるが良い!!
 それより後は、このゲオルグが黒い太陽となって、ラ・ムールの砂漠に君臨するのだ!!」

雲の切れ目から姿を見せたドラゴンの大群。
その先頭を飛ぶゲオルグのしわがれた声がひとしくラ・ムールの兵士たちの耳に叩き付けられた。

鼻の先端から軽く3mはあろうかという巨大な一本の角が生え、その全身は漆黒の鱗がおおっている。
そして隣を飛ぶドラゴンと比べても二回り、いやそれ以上は体格差がある。
まさに黒い太陽だ。

「か、神の御名を讃えよ!」

砲兵将校の合図で弩弓砲が次々と発射された。
今日までにドラゴンたちに破壊されずに残った300基の弩弓砲、攻城兵器の数々が一斉放射される。

飛び来る矢弾をかわしながら、信じられない速度で突進するドラゴンたち。
だが、たちまち密集しているが故に隣のドラゴンと衝突し、そのまま地上に向かって落ちてくる者もあった。

「離れよー!」

そう叫んだのは、むしろ地上のラ・ムール軍であった。
巨大なドラゴンたちが、突進するその勢いのままに地上に落ちてくる。
スステパ・モアイの荒野に並ぶ岩たちが、軽々と粉砕され、その破片だけでも軽自動車ぐらいの大きさである。

これでは直接ドラゴンに潰されなくても、石つぶてだけでミンチになってしまう。

「隊長ー!」

「くっそ、同じ隊の連中は…!」

敵の攻撃を待たずにラ・ムール軍は大混乱。
次第に攻城兵器の攻撃も終わり。ドラゴンたちは速度と高度を落とし、ドラゴンブレスの射程まで近づいてくる。
そして80余りの小さな太陽が一斉に地上目がけて吹き付けられ、その後は全てが溶解し、一瞬のうちに消えて、灰にもならない。

「いやだ、目がぁ!」

「前が見えない!!」

例えドラゴンブレスの効果から逃れても、光りで視力を奪われる者。

「があああ…。」

「げえええ…!」

煙で肺を焼かれ、生き地獄のまま苦しむ戦友たち。

「逃げろ!」

「こんな戦い、勝てるわけないよ!」

一斉に走り出した数名の兵士たち。
しかし何もない荒野の真ん中で、彼らの身体はまたたくまに炎に包まれる。
目には見えない静かな炎。透明な発火現象、ホワイトファイアである。

この際、ドラゴンと神の間にどれだけ差があっても関係ない。
亜人とドラゴンの間にある埋めようのない違い。
あまりに圧倒的過ぎる敵の攻撃に3万の軍勢は瞬く間に潰走状態に陥った。

「もはや、これまでか…。」

「ワイバーン騎兵、突撃せよ!!」

老将、パウ将軍の号令で将軍たちは一斉にワイバーンに打ち跨るとドラゴン目がけて飛び立った。
勇敢な騎兵たちも将軍たちの後を追って向かっていく。

「狙うはゲオルグのみぞ!」

「おう!」

「最後と思うて言っておくが、この戦に生き残ったら結婚しようぞ!」

女将軍が隣の若い将軍に、そう声をかけた。

「生き残れるとは思えんがな!」

「ならばいっそ死んだ後でも良いぞ!」

「それは良い。もはや地上に王が居らぬならば、地獄こそ我らの王土よ!」

ひとり、ひとりとドラゴンたちの巨体に阻まれて大地に落ちる。
皆、落ちる前に死んでいる。もっと正確にいえばドラゴンたちの身体が接触する前に、もう死んでいる。
ドラゴンブレスの後のドラゴンたちの身体は全身がホワイトファイアに包まれている。

見えざるこの鎧によって、例え百万の騎士が槍を突き立てようとしても、その前に肺を焼かれて死ぬ。

「神のーぉ!!」

「みぃーなぁをぉぉぉ!!」

「たーたーえーよぉー!!」

最後の鬨の声をあげて将軍たちはゲオルグに迫る。

まさに、その時である。
落ちるワイバーン騎兵と死に行く将軍たちを足場として階段代わりに、彼女が登場した。
3万の軍勢も、勇敢な将軍たちの死も、ゲオルグに直接攻撃する、このたった一瞬を作るための犠牲。

突然の乱入者は、最後のワイバーンを踏みつけて、ゲオルグに向かって飛ぶ。
ゲオルグは乱入者を正面に捉えて、嘲りながら対した。

「愚か者め。ワシを守る、この見えない鎧を知るがいい!!」

黒い長角のゲオルグの眼前に飛び出したのは、こちらも漆黒の黒豹人である。
その手にあるのは両手持ちの長い柄の先に扇状の刃を持つ戦斧。
その全身を守るのは太陽神より、与え遣わされた神霊。

そして、そしてその左目に、カー・ラ・ムールの証である虎眼石の瞳が輝いている。

「奴隷めがー!!」

「貴様の血で生き返ったぞ、ゲオルグ!!
 私の同胞たちを食らった貴様の血でだッ!!」



『付録』

「ジョージ一族」
一族の全員が名前はジョージ。大抵というか、ほぼ常に副名を合わせた通り名か、副名だけで呼び合う。
慣例として族長はゲオルグとジョージのドイツ語読みで呼ばれる。

シャーンイイ伯家、4代当主、殺戮王シャルルだけはフランス語読みなのはスラヴィアに住んでいたため、
特徴が分からない、スラヴィアにいるチャールズでは長すぎる、と言うことでフランス語読みのシャルルになった。

また名前そのものがチャールズなのは、ジョージ一族の外から迎えられたチャールズの娘シャルロットの子供だったため。

始祖は不明だが、数千年前から未踏破地帯、既知世界を問わず、獲物を探して移動していた。
だが黒い長角のゲオルグの代になる前後は、すっかり既知世界で盗人のように暮らしていた。



「ドラゴンブレス」
魔法のような精霊や神の力でもなく、ドラゴンたちが生まれ持っているという説明のつかない能力。
原理は不明だが、太陽神の力に近い。何もない無の空間に熱と光を発生させ、武器とする。

死神モルテの力によって誕生したアンデットも、跡形もなく消滅するが、
単純に熱量が大き過ぎるためか、本当に太陽神に近い性質があるのかは不明。



「ピョートル大帝」
およそ10万年前に姿を見せた、恐らく史上最強の生物。
純白の三つ首のドラゴンだが、過去の神々との戦いで右の首が失われており、頭は二つしかない。
太古のドラゴンを、地上に太陽を写し取ったごとくに輝くというのは彼を理由にしている。

キリスト教のアダムの誕生とイヴの記録にあるように、かつてアダムは神に似せて作られた。
だがアダムとイヴが性行為という方法で血を交わらせ、親とは違う姿で子供を生み落す間違った方法を選んだため、
人間は世代を重ねるごとに、本来の神に近い姿から零落するようになったと考えられている。

同様にドラゴンたちも世代を重ねるごとに、かつての限りなく神に近い存在から劣化していった。

だがピョートル大帝は生まれの欠点を、その後の努力によって克服する方法を研究し、
神に限りなく近い先祖に迫る力を手にした。

だが彼が率いるドラゴンたちは、あまりにも多くの生命を餌とし、異界のバランスを崩しかねないと判断され、
神々によって粛清された。

なお神に近いと豪語するものの、実際は神は勿論、亜神にすら及ばない存在に過ぎない。
だがそれでも亜人たちとの間に、なお埋め難い差があったのは事実である。


  • 予想以上に大局を見た戦略と国家間規模の外交と戦闘ががっつり繰り広げられている。ドラゴンも最初に神と対峙していれば種族の運命も変わっていただろうなぁ -- (名無しさん) 2015-07-14 23:37:10
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

j
+ タグ編集
  • タグ:
  • j
最終更新:2015年07月14日 23:31