「ぱっぱ、ぱーん!!(大河ドラマ○吉のイントロ)」
実に今から478年前。
ラ・ムール王国と
イストモス大ハン国は百人隊長平原(プレーン・オブ・センチュリオン)で会戦した。
ラ・ムール軍は、時の国王、カー・ラ・ムール、イヘラー・シン・ガフと
副王、カルカン・グー、カウ・ヴォングを総大将に10個軍団、3万人。
これに
ミズハミシマ軍の援軍2個師団、1万6千を加えた4万6千。
これに対するイストモス軍は大ハン直轄軍、5千。
西方諸部族1万、東方諸部族2万4千、近衛騎士団2千。
合わせて4万1千。
ただし、イストモスはここにドラゴン部族の一派、ジョージ一族300頭を加える。
ドラゴン程ではないにせよ、人馬、
ケンタウロスの身体能力は、他の亜人を遥かに凌駕する。
狗人たちを使用人として使役している点でも、多くの奴隷を持つドラゴンとは、やや生活様式が似ている。
だが唯一の違いは、彼らの王、各部族の長を束ねる諸王の王、大ハンは神の加護を受けた者。
ドラゴンたちと違い、精霊を使い、魔法を操ることができる点で大きく異なる。
数ではほぼ互角だが、諸部族の連合軍であるイストモス軍の組織構造はいびつ。
それに対し、ラ・ムール軍は国軍である。
これは豊かな経済力が支える、ほぼ常備軍であり、歴代カーの政策により教育水準も他国より高い。
つまり圧倒的に軍事文化は上である。
戦争をすることを文化と呼べるのかは、ここでは論じない。
だが技術である以上、洗練されたものと未発達のものという違いが存在し、それを指す物差しは、現にある。
だが、常備軍、教育を受けた兵士が優れているかという問題とは、また別問題。
あくまで軍が育つ土壌として、どちらが好ましいかという点に集約される。
俗に志願制度の兵士の意識は高いとされる。
常備軍の、給料制が確立されたシステムは文化的であるという。
騎士、武士などという生まれながらに神に祝福された戦士という考えは、下らないヒロイズムと選民思想であるという。
分かっていることはただ一つ。
優れていること、勝つこと、正しいということが正しいということではない、ということだけである。
長篠の戦いの信長による三段撃ち、実際にあったかどうかはやぶさかでない。
またガトリング砲、ラッパ銃、機関銃…。
ようは撃ち終わった銃身を後方に下げながら再装填し、その間に装填済みの銃身が順次、弾を打ち続ける。
その動きを機械でやるか、人間がやるかという違いはあるが、おおよその成り立ちは同じ。
では、これを弓と馬がやったらどうなるだろう?
ひたすら弓騎馬が矢を撃って次の騎馬に場所を譲って後方に下がりつつ、次の矢をつがえ、また放つ。
これを馬の機動力で繰り返して、矢束を浴びせ続ける。
イストモス、東方諸部族が得意とする弓騎馬による射突は、ラ・ムール軍にとって悪夢のような存在である。
これこそパルティアやスキタイ、あのモンゴル軍も得意とした大陸を席巻した弓騎馬の戦法である。
「始まった。」
副王カウは、すっかり沈んだ表情でそれを見ていた。
動き出したイストモスの先陣たちは、ひたすらこっちの目の前で同じ所から射掛けてくる。
大英雄ヘラクレスはあらゆる武術を収めたが、弓の師はケンタウロスであったという。
ケンタウロスは古代ギリシアを苦しめた騎馬民族をイメージしたものであると広く考えられている。
これを併せ読むことに、ケンタウロスが弓を射かけてくるなどということが、どれほどの破壊力か。
恐らくは兵士たちの歯の根の震えが止まらない事だろう。
だが、ラ・ムール軍はイストモスとは長年の宿敵。
射突の恐ろしきも、その手立てもまた心得ている。
一斉に前に押し出された置き楯は、イストモスの射突対策。
開戦の直前までは、勇ましく敵を挑発していた猫人たちだったが、素早くこの楯の後ろに逃げ込んだ。
対して、幾つもの陣の後方に待機する大ハンは、右手を上げて次の攻撃を命じる。
第1陣の弓騎馬たちが矢を撃ち尽くすと、後ろの第2陣が突進して来た。
今度は狗人の従士たちが騎士の周りを護衛している。
彼らは厳しい訓練に耐え、人馬たちの襲歩(ギャロップ)にも付き従って走ることができるようになっている。
手には投石器、スリングを携えており、主人に近づこうとする敵兵を迎撃する。
だが、ここでラ・ムール軍、ミズハミシマ軍も弓を取り出し、楯から離れて一斉に射掛ける。
これに持ち盾を取り出して主を守ろうとする狗人たちだが、流石に幾人かは弓の前に倒れる。
さて、イストモス軍第2陣はジャベリン、投擲槍を装備している。
幾本もの投げ槍を、ギリギリまで接近して敵軍の兵士目がけて投げつけるのだ。
「寄せるな!!」
ラ・ムール軍の将校たちが怒鳴った。
それに応じて弓の勢いも早くなり、懸命に敵を撃ち払おうと激しい攻撃が続く。
だが、悠然とイストモス騎士たちは進み、ラ・ムール軍の弓兵たちを倒していく。
イストモス軍の騎馬軍団は後方に下がるほど重装備となる。
これは足の遅い騎兵が前にいると当然、前がつかえて動けないということがひとつ。
あとは足が遅いため、敵陣に接近するまでにやられてしまうこと、
そして何より体力がもたないのでできるだけ接近してから突撃をかけるためだ。
つまりは第1陣、第2陣は後の重装騎兵の突撃する距離を稼ぐためにけしかけられた前座に過ぎない。
とはいえ、第1陣の射突の段階でラ・ムール軍は相当の犠牲を出している。
イストモス軍第2陣はあるだけの槍を投げ終えると、やはり戦場の後方に向かって帰っていった。
そして戦場が空になると、さっきよりも近づいて来ている敵陣から第3陣が突進する。
この第3陣から様子が変化する。
「全員、抜刀!!」
先頭を駆ける数名の隊長らしい騎兵将校が号令をかけると、後に続く若い人馬たちが一斉に軍刀を抜く。
まだ鎧は軽装だが、ここからは直接、敵陣に突入して、陣形をズタズタに切り裂く胸甲騎兵が投入される。
「ウラーッ!!」
誰が合図するでなく、一斉に人馬の波が吠える。
ラ・ムール軍も弓を撃ち終えて、槍兵の団列が押し出され戦場に姿を見せる。
獅子、豹、虎。猫人の内でも屈強な男たちが並ぶと、まるで武芸の神々の像が並ぶ神殿のようではないか。
衝突は一瞬。
まさにその直前に、槍兵たちの間からカー・シン・ガフを先頭に決死隊が迎撃に出る。
「!」
思わず眉を吊り上げたのはイストモスの大ハン。
この戦法は、ラ・ムール軍でも古法とされ、長らく使われていなかった戦法である。
身体の大きさでは劣るものの、牙、爪、しなやかで柔軟な体。猫人の殺傷能力は、亜人の中でも高い。
何より、闘争心が強い。自分より大きな相手にも臆することなく立ち向かう戦士だ。
今でこそ通商国家として、軍事力の弱いイメージが強いものの。
本来はその血に飢えた爪を武備に四方世界の敵国を次々に撃ち滅ぼして切り取った戦士の国である。
武王に対する憧憬も、これを育む助けとなっている。
だが、個人の武勇が戦場で勝敗を左右する時代は終わった。
洗練された戦術、汲み上げられた作戦、練り上げられた軍略の前には決死をかけた戦士の戦いなど
さほど重要な働きを期待できるものではない。
勿論、戦いにおいてひるまない彼らの気高さは偉大なものだ。
だが、石器時代の戦いではあるまいし、蛮声をあげ、歩兵が騎馬と戦うなど、狂気だ。
「カー・ラ・ムールを先頭に、武勇に覚えのある戦士たちを送り込んでくるとは。」
そう大帝の脇に控える狗人がいった。
「華やかなりしラ・ムール軍の決死隊か。だが、惨めなものだな。」
「おう。その結果が討ち死にの無駄死にではな。」
とはいえ、被害は予想以上だ。
ドラゴンと真っ向勝負するシンや獅子の猫人たちの集団だ。
まるで竜巻か嵐のように胸甲騎兵たちをバッサバッサと切り開いて進む。
「馬上の利を知れ!!」
一瞬の隙をついて、獅子人の頭上へイストモス騎士の軍刀が振り下ろされ、ものの見事に頭蓋骨が砕かれた。
騎兵の強さは動きの速さ、重装備だけではない。高い所からの攻撃というのも大きい。
剣の打ち合いになれば、こちらは防御するのがやっとで反撃など思いもやらぬ。
瞬く間に勇敢な戦士たちが騎士たちの刃の餌食となっていく。
もうシン一人がどれだけ敵を倒しても、戦局を挽回できる状況ではない。
「大ハン、ここで決着を。」
将軍らしい人馬が大帝に駆け寄って意見する。
戦況を見つつ、大帝は少し考えてから、右手を上げ、振り下ろした。
イストモス軍第4陣からは西方諸部族の部隊が投入される。
さっきまでの騎士たちが子犬に見えるような、大きく見上げるほどの厳めしい巨漢たちだ。
「ウラーッ!!」
その動きはゆっくり。だが、次第に加速し、その重量と早さでラ・ムール軍を蹴散らすつもりだ。
蹄の音も、これまでの騎兵隊からは考えられない程に大きく、重い。
既にラ・ムール軍の槍兵たちは第3陣の胸甲騎兵にかかり切りになっている。
槍衾の合間に滑り込み、素早く頭上から一撃を加える。その倒れた敵の合間にぐいぐいと入り込んでくる。
何せ彼らは足が四本あるのだ。
走りながらでも十分に地面を蹴って、全身のバネを使った攻撃を繰り出すことができる。
見る見るうちに槍の数が減り、団列が痩せ細る。
「第4陣が突撃してくるぞ!」
イストモス将校たちの合図で、第3陣が引き上げていく。
皆、この短い戦闘の間に持てる気力も体力も振り絞ってヘトヘトだ。
だが、彼らに比べれば悲惨なのはラ・ムール軍とミズハミシマ軍の方だろう。
さっきから入れ代わり立ち代わりで襲って来る敵をずっと相手に戦い続けているからだ。
向こうは次々と元気な騎士たちが襲って来るのに、こっちは歩兵、素早く後ろと交代も出来ない。
だがこれは戦術、軍略以前の問題だ。
騎兵は歩兵よりも強い。それが真実だ。まして相手は大騎士帝国である。
その強さも弱さも知り尽くした騎士の一番濃いエキスを絞り出した精髄だ。
多少の小細工が通用する相手ではない。
「こちらも騎兵を出しますか?」
副王カウの近くに控えた書記官が口を出す。
が、当然のようにカウは首を振った。
「ナシマ殿と陛下に任せるんだ。俺様が口を出せるような問題じゃない。」
カウはそういって戦場を見守った。
この間、隣りで神霊が耳打ちするが、顔色一つ変えずにカウはそれに耳を傾けた。
ドラゴンたちが動き出そうとしている。
対策として城攻めでもないのに弩弓砲とワイバーン騎兵をかなり連れて来た。
使いようによっては城壁以外にもこれらを使えるが、動く敵には十分な効果はない。
また意外なようでワイバーン騎兵は地上の騎兵ほど恐ろしくない。
まず数が少ないこと。次にワイバーンの気性が荒く、戦場では思わぬ行動に出る不安定要素があること。
そして主な武器であるサンダーブレスは、案外、死ななかったりすること。
サンダーブレスは魔法の一種である。
広く攻撃用の魔法は存在しないとされているが、その補助を受けた攻撃に転用できる技術は存在する。
つまりワイバーンのブレスとドラゴンのブレスは似て非なる存在である。
では亜人も訓練次第でサンダーブレスのような攻撃が使えるか、というのもやはり違う。
あくまでワイバーンの身体だから放電に耐えられるのであって、亜人の身体ではできない。
しかし而して魔法であるが故に精霊に効果を左右され易い。
そこが威力の不安定化を助長させ、武器としては非常に頼りない。
だがドラゴンに対抗する数少ない戦術、兵科の一つとして広く既知世界で取り入れられている。
余談だが、かつてはペガサス、グリフォンなどの飛行魔獣を使った空中騎兵は一時、各国の軍隊に設置された。
だがペガサスの飼育にはイストモスのような広大な草原が必要になるため、断念され、
グリフォンは体格が小さすぎて戦闘には体力的な問題で耐えられなかった。
例外として短躯な
ノームや
ドワーフたちはグリフォンを使った空中騎兵を伝統的に使っているが、
これは狭隘、複雑な地形の
クルスベルグが必要に迫られた姿で、望んで設置している訳ではない。
またドワーフの傭兵をわざわざ集めてまで自国にグリフォン騎兵を置きたいという流れもない。
オルニトではワイバーン騎兵ではなく、飼育したワイバーンをそのまま軍獣として投入するが、
これこそ自国に大量の飛べる鳥人を擁するが故に可能な離れ業といって良い。
さておき、今の戦いである。
イストモス軍第4陣が迫っている。
シンとナシマはラ・ムー軍の獰猛な大型猫人たちのずば抜けた闘争心と体力に賭けた。
ここまで温存しておいた数少ない騎兵を、こちらも投入するために。
単純に騎兵の数に勝るイストモス軍とラ・ムール、ミズハミシマ軍では騎兵の数で勝負にならない。
だから血を流し、歯を食いしばって機会を待ったのだ。
「かかれーッ!」
ミズハミシマ軍の蛇人の将軍、ヒヒコのナシマの号令でミズハミシマ軍伝統の重装騎馬が姿を見せる。
魚や爬虫類の姿をモチーフにした兜に色とりどりの鎧。見た目にも派手だ。
イストモス大帝も噂に聞いたことがあるだけで、他国の騎兵は始めて見る。
初めてというのは、彼はラ・ムール軍の騎兵を、それとは認めていないからである。
ペトスコス。「選ぶ者」という意味である。
聞き慣れない名前に姿が思い浮かばない人も居れるだろう。
これこそがラ・ムール軍の伝統の騎馬獣であり、圧倒的な殺戮マシーンである。
まず早さが人馬たちを遥かに凌駕する。鎧を脱ぎ捨てた人馬たちにも追いつくという代物である。
次に巨大な顎。騎乗している猫人たちが武器を使わずとも、その大口で敵を食い散らす。
そして尻尾。背後がどんな生物も弱点であるという前提を覆す長所。
では、それはどんな姿か。ワニである。
翼の無いドラゴン、という程もないが、見上げるほどの超巨大なワニの怪物である。
元は未踏破地帯から連れ帰られたともいわれ、善良王カー・ネレフトの統治に飼育が始まったという説が強い。
だが聖審王カー・ムヘアクによれば、もともとラ・ムール領内に住む生物で、
未踏破地帯から連れ帰られたというのは、特に優れた功績のなかったカー・ネレフトの偽装であるという。
その証拠として化石や彼らの生態を詳しく研究したが、カーの名誉を損なうとして抹消している。
我々の感覚でいうインドの戦象騎兵のようなもので、複数の兵が騎乗して操る。
だが象と違いワニは非情に大人しく、また頭の良い動物である。爬虫類マニアが好んで飼うのも、そのためである。
我慢強く、忍耐力がある。じっとしているかと思えば、獲物を見つけたら驚くほど速く走る。
この走る精肉機の前にイストモス軍はなす術がない。
他の軍獣として使役される魔獣と比べて、大人しく、敵兵の攻撃で混乱して暴れ出す危険がないので、
付け入る隙が全くないのだ。
「行け!」
「突っ込めーッ!!」
黄金と宝石で飾り付けられたペトスコスたちは頭上の主たちの命令で人馬の波に突進する。
彼らはドラゴンたちと違い、戦場では食事を摂らないように教育されている。
噛みついた人馬は飲みこまず、その場で吐き捨てて次を狙う。
「お、臆するな!」
「魔獣を使う呪われた民族め!!」
イストモス騎士たちが攻めあぐねている。出来るのは口を動かすぐらいだ。
前には大顎、後ろには尻尾。遠くであっても弓を食らう。どうあっても近づける相手ではない。
「騎士ならば剣で堂々と戦うがいい!」
若いイストモス騎士がペトスコスたちを前にがなり立てるが、次の瞬間にはミンチにされていった。
逃げようとする者に至っては味方の騎士とぶつかって同士討ちになった。
足を止めて戦意を喪失した者たちは、ペトスコスに乗る猫人たちに射殺された。
とはいえ、数が違い過ぎる。
敵は第1陣、第2陣、第3陣が息を整えて、矢や投げ槍を補充して戻ってくる。
一方的な殺戮に酔っている場合ではない。
「大帝、やはり敵の戦鰐騎兵です。」
「第5陣の投入を遅らせますか?」
「…陛下?」
元来、無口な大ハンである。
お付きの将軍たちも意を解しかねることが多々ある。
手と指の動きでたいていの場合は心内の聖旨を垂れることが日常である。
だが今日ばかりは重い口が開かれた。
「第5陣を投入する前に余の腹を話しておく。」
滅多にないことであり、将軍たちも目を丸くする。
思わず神妙になり、大帝の言葉に耳を傾けた。
「ドラゴンと手を結んだことで、諸国は余を分別の無い暗愚な王と罵るだろう。
お前たちはそれに礼を尽くす卑劣な家臣とそしられることもあるだろう。それを詫びる。」
将軍たちは顔色が変わった。
ここまで誰もがその点に不満を持っていた。だが面と向かって大帝には伝えていなかった。
大帝は続けた。
「ゲオルグ公は言った。亜人王をも従わせる気迫がなければドラゴンの生きる道はないと。
余は公の言葉に動かされるものがあった。公もドラゴンも信用できぬ。
だが、公が一族を思う心は嘘ではない。軽はずみな事をする男ではない。
だが、ラ・ムールはどうだ。
奴隷売買で財をなし、通商で栄え、王が倒れれば偽の王がはびこり、我が子の眼すらえぐる。
中央は王亡き間、クーデターと欺瞞が病の苗床となって腐臭を育てる。
地方は中央の眼を盗んで一層、醜悪となる。
清廉さも気高さもない。地上の汚物だ。何をするにも軽薄で信用ならぬ。
彼らはドラゴンの襲撃に対し、一度でも我らに助けを求めて来ただろうか。いや、ない。
宿敵である我が国への対面か。申し入れを受け入れられないと先入観を持つことも止むをえまい。
敵国に対する余の眼が曇っていることも否定はせん。
だが、真に国を思うならば宿敵とも手が組めるのではないか?
彼らは本当に国を思っているだろうか?
ラ・ムールよりゲオルグ公の方が我らとの溝を埋めるために誠を尽くしている。
そして公に従う一族も公と共にある。共に戦う戦友として、なんらいわれのない者たちだ。
例え彼らが亜人を食らう化け物でも、余は彼らの信義を認める。」
大帝の言葉に、全て納得したわけではない。
だが将軍たちもラ・ムールよりドラゴンの方が気持ちよく手を組めるというのは分かる。
大帝の言うようにどちらが卑劣であるかという点は個人の価値観だ。
ハッキリ言えば、どちらと手を組んだ方が勝ち目があるかという点では言うまでもない。
歴史的な憎悪に至っては、冷静になろうと努めても無理がある。
腹は決まった。
宿敵への憎悪、領土欲と勝利への打算、あるいはゲオルグの悪魔の誘惑か。
将軍たちは大帝と一人ずつ抱き合った。
戦う前にも大帝や兵士たちが家族と抱き合ったが、馬は互いに触れ合うことを何よりも喜ぶ。
互いに抱き合い、肌を合わせれば馬は強い信頼感を相手に持つ。
有名な計算馬などは人間の微妙な表情から、心を読み取って数式の答えを出していたとされる。
それほど敏感な感受性を持ちながら、馬は互いの信頼や友情を確かめるためには
身体を触れ合うというもっとも原始的な方法を好む。
それほどまでに彼らの情に対する考え方は厳しい。
人間が怖がったりすれば、馬は酷く不信がるし、友情を疑うという。
それほどまでに結びつきの強さに拘るケンタウロスたちである。
宿敵に対する不信感は、人間や他の亜人の感覚とはかけ離れている。
第5陣の投入が発令される機会を見計らって、一頭のドラゴンが降りて来た。
盲目公、ブラインド・ジョージである。
「陛下、私がお守りしましょう。」
「走れますかな?」
大帝が問うた。
「走るのは、不得手でございます。」
そう言って盲目公が会釈すると大帝も軽くうなづいた。
盲目公が顔を上げると、大帝が両手を広げて待っている。だが、盲目公は困惑した。
「君を抱きたいのだ。」
大帝が助け舟を出すと盲目公は言われるままに首を下した。
すると大帝は人間が馬の頭に抱き着いて顔をなでる様に、盲目公の頭を抱き、頬を合わせた。
ドラゴンである盲目公にとって全く経験のない感覚だった。
普段から仲間と触れ合う事も、セックスにさえ何の喜びも共感も感じない生物である。
まるで理解できない。
例えるなら日本人にとって欧米人が家族でもキスするのと同じ感覚だ。
だが、大帝は礼を尽くした。
馬は相手への信頼を態度で示すため、首を交差させて頬をすり合わせるが、強い友情の証として、
親密な相手に対しては、もう一度反対側に頬を寄せる。
そして最大の信頼を示すため、最初にすり合わせた側にまた頬擦りする。
「参ろうか、友よ。」
大帝が離れてそういうと、盲目公はなんだか分からないが、生まれて初めての感覚に戸惑った。
それが神聖な感覚であるように思われて、深くお辞儀をして感謝を示した。
そのまま二人は騎兵の一団に参陣すると、敵軍目がけて走り出していった。
「ウラーッ!!」
やや早い第5陣の突撃命令に戦場全体が慌ただしくなる。
上空で待機していたドラゴンたちも予定より早い作戦の推移に混乱したが、ゆっくりとドラゴンブレスの射程に降りていく。
走るのは苦手と答えた盲目公だが、正確には人馬を撥(は)ねない様に走るのが酷という話である。
幾人かの狗人たちが盲目公の周りにつき、騎士たちが近づき過ぎないように吠えたてる。
イストモス軍第5陣は大帝直轄軍と近衛騎士団から編制され、最大にして最重量級の騎士たちが集まっている。
もう同じ人馬とは思えないような巨大さ、圧倒的な圧力で敵軍に迫る。
ミズハミシマ軍の騎馬武者も相当、重装備だが、これには手が出せない。
「やーやー我こそは!!」
「イエア!乙姫様フォーエヴァー!!アイラブユー!!」
ハンド・カルバリン。
鉄砲よりも早く登場した馬上筒である。当たり前だが鉄砲より大砲の方が早く発明されてはいる。
それが小型化する途中、当然、騎士が馬上で使う携帯型の大砲も登場している。
雷のような爆音とともに山のような近衛騎士が吹き飛ぶ。
この手の武器は、当時のミズハミシマ軍は大量に保持していた。
理由は乙姫が隣国の争いを早急に終わらせるために、夫を派遣しまくっていたためである。
世界の警察気取りといわれても仕方がない時期だった。それに合わせ、武器も重装備化した。
何より
ドニー・ドニー海賊がまだまだ立派な海賊だった時期であり、軍事力の増強は必要だった。
そんな中、大砲や火器は海上戦では極めて有効と見做され、他国に先駆けて広まった。
だが先のミミナリ島海戦では軍艦がドラゴンに追いつけず、使えず仕舞いだったのだ。
「臆するな!」
イストモス軍の近衛騎士将校が大声をあげる。
ハンド・カルバリンは命中精度がそれほど高くはない。
むしろ騎士同士が離れてしまうと騎兵隊としての突撃力が落ちる上に、離れた所を狙い撃ちされる。
対して、取り出したのは眼をむく様な大きさの投げ斧。
それを苦も無くミズハミシマの騎馬武者たちに返礼として投げ返すイストモス騎士たち。
どこを狙っているのか。
ミズハミシマ軍の騎馬武者たちの体を貫通し、投げ斧は地面に突き刺さってしまっている。
完全なオーバーキルだ。
だが、この程度でミズハミシマの荒武者たちは動じない。
続いてクロスボウ。
装填されているのは矢弾、ボルトではなく鉄球だ。
騎兵では再装填はできないため、撃ったらその場で捨てていく。後で狗人に回収させる。
これはもうハンド・カルバリンより、あちらの方が威力が高いのではないか、という破壊力。
次々とミズハミシマ軍の騎馬隊が撃ち減らされ、陣形はズタズタにされる。
それでも持ち堪える。
同じようにラ・ムールの戦鰐騎兵も決死隊の戦士たちも踏み止まって戦い続ける。
だが、とどめだ。
近衛騎士たちは、今度は投げ槍を取り出して、専用の器具に固定して投げつける。
空気が震え、瞬きした後に悲鳴が戦場を駆け巡る。
「抜刀!!」
ついに大分体の軽くなった近衛騎士たちがロングソードを装備する。
速度と密度を増し、完全に一つのかたまりになって進む。
大帝も自らの宝剣を抜いた。
イストモスに伝えられる数々の宝のひとつ、星剣スカイフォール。
「開け。」
大帝の声に応じる様に、星剣の柄に埋め込まれた不気味な眼球がまぶたを開ける。
星神の眼と伝えられるこの目は、この現世(うつしよ)に実体化した神霊の一種と考えられている。
「ズット 君 タチ ヲ 見テイル ゾ。」
眼球は気味の悪い文句を吐くと主を見る。
「ヤア、うるてぃうす、元気カ。僕 ハ 元気 ダ。今日 モ 頑張ッテ 一日 ヲ 楽シモウ。
オヤ、かあ・ら・むうる ヲ 殺スノカ!面白イ ゾ、早ク 呼ンデクレレバ 良イ ノニ!!」
持ち主と違ってかなり口数の多い神霊だ。
大帝は黙って聞いているようだが、物騒なことを散々、手の中でほざいている。
「見ツケテイタ ゾ。ソコ ダ。」
星剣が目線を送る先に、カー・ラ・ムール、シンが戦っていた。
血反吐にまみれ、一兵卒として戦いながら、前線を維持している。
しかし大帝がシンと戦おうとすると、星剣が情けない声をあげた。
「アア、駄目 ダ。龍神 ダ。アイツ ハ 本当 ニ 嫌ナ ヤツ ダ ヨ。
悪イ ガ、ボク ハ 龍神 ノ 神力 ヲ 抑エル。太陽神 ノ 神霊 ハ 見当タラナイ ガ、注意シロ。」
「たわけ、探せ。」
大帝が短く命令すると、眼球がくるくる回転して結論を出した。
「良イ にゅーす ダ!アノ かあ・ら・むうる ハ 神霊 ヲ 連レテナインダ。
一方的 ニ 殺シテヤル。手 ヲ 出スナ ヨ、ボク ハ アイツ ガ 大嫌イ ナンダ。」
「貴公は龍神を抑えろ。」
大帝が命令するとうっかりしていたように眼球の瞳が大きく開いた。
「オウ、ソウダッタ。
嫌ナ コト ハ 忘レテシマウンダ。悪イ ナ。デモ、楽 ニ 殺ス ナ ヨ。
かあ・ら・むうる ハ 大嫌イ ダ。らあ ノ ヤツ、僕 ヲ イジメルンダ。本当 ニ 嫌ナ 奴ラダ ヨ。」
眼球はそういいながら、一定の方向を睨み続ける。
どうやら龍神の神力を抑え込み始めたようだ。
「悪イ ナ。御封地 ヲ 離レタ ヤツ ヲ イジメルノハ 楽シインダ。
モット 嫌ガッテ 見セテクレ。ボク ハ 人 ノ 嫌ガル 顔 ハ 大好キダ。イイ ゾ。イイ ゾ。
君 ガ アノ地球人 ヲ ドウヤッテ 可愛ガッテ イルノカモ、見テイルンダ。
ココ デ 皆 ニ 話シテヤロウカ?
オヤ、怒ッタ ナ。単純 ナ ヤツダ ヨ オ前 ハ。
ボク ニ 隠シ事 ハ 出来ナイゾ。ズット 見テイルンダ 君 タチ ヲ。」
「スターゲイザー!」
星剣の無駄話を無視する大帝の呼気と共に星剣から七色の光が撃ちだされ、帯となってシンを撃つ。
とっさの攻撃にシンは戦斧で受け止めるが、小石のように吹き飛ばされる。
「オイオイ!イキナリ 振リ回スナ ヨ。」
眼球はまぶたを下して大帝を睨む。
「アア、見ロ。疲レテキタ。少シ 視界 ガ 狭クナッタ ヨ。シバラク ハ 無理ダ。」
「たわけ。」
続けて光の帯が吹き飛ばされたシンに打ち下される。
だが最初の攻撃より遥かに光の強さが落ちている。
「出力を絞り、攻撃範囲を狭くしろ。攻撃の手数を落とすな。」
「絞ッテイル ヨ。
龍神 ガ 邪魔スル カラ、中途半端 ナ 出力ダト 撃テナイゾ。考エテ 使エ。
トコロデ 君、可愛イナ。ボク ト 着キ合ワナイカ?
神霊ト 精霊ノ 身分ヲ 超エテ 愛シ合オウ。
ボク ノ えろ知識 ハ 凄イゾ。
何、断ル?オイオイ バカ イウナ ヨ。
僕 ハ 君ノ 全テ ヲ 知ッテイル。無駄ダゾ。イツマデ モ 監視シテヤル。」
「少し黙れ。」
苛立つ大帝が釘をさすと眼球は途端に
「君 ニハ 嫌ワレタクナイ。」
それだけいって静かになった。
身体を引きずりながら頭を振るシン。
声は聞こえないし、気配も感じないが精霊たちは可能な限り、彼女のダメージを軽減させている。
「向こうは神霊アリかよ。」
シンは自分の持つ戦斧を睨む。
歴代カーが指定する場所を調べて見つかった古い戦斧だ。
スステパ・モアイの近郊に、まるでこの時を見越したように用意されていた。
だが光線が出る訳でもないし、何か特殊能力があるようには見えない。
強いて言うなら亜神となった亜人王の圧倒的な身体能力に耐えられる耐久性があるというだけだ。
「こっちは光線とか出せないのに。」
といってもドラゴンブレスに比べれば、あんな光線は問題ではない。
つくづくドラゴンは反則気味な生物だ。亜人王クラスの連中が、普通なんだから。
文句を言っている間に大帝はシンの眼前に迫る。
ここで初めて二人は直接剣を交えることになった。
ウォーハンマー、ポールアックスなどの長柄武器は対騎兵用の武器である。
その点でもこの戦斧は、この戦いを予知していた様に思われる。
星剣は戦斧の衝撃に驚いて目をしろくろさせる。
黙れといわれた以上、必死に堪えているが、大帝に許しを請う憐れみの目線を向ける。
武器の有利不利によって騎兵と歩兵の差は埋まった。
そもそもシンと大帝の身体能力に差があり過ぎる。大帝はせいぜいごく普通の亜人に毛が生えた程度。
先天的に選別され、神代の英雄たちに鍛えられ、賢者と讃えられたカーたちの科学的トレーニングを受けた人造英雄は
精神的な強さや経験の不足を除けば基本性能は武王に勝る。
「なんだ、弱!」
神代の豪傑たちと比べられれば、大帝の評価はそんなものだろう。
「何その動き、あり得ないって。」
相手が弱しと見るや、一気に勝負をつけようと攻撃を重ねるシン。
横目に見守るラ・ムール兵は歓声を上げるが、イストモス騎士たちは焦りが見える。
だが大帝の方は違う印象を受けていた。
ぬるい。確かに腕は立つが、今日まで実戦で鍛えた様な戦い方ではない。
自分の能力に根拠がない。指導者の指示通りに訓練して来ただけという感触だ。
全ての攻撃が理に適っている。これまでの誰もやって来なかったが、見れば武芸者ならピンとくる。
そういう攻撃の組み立て方があるのか。なるほどそれの方が攻めやすい。
だが自分が考えた動きではない。明らかに誰かに教え込まれたものだ。
戦士というよりスポーツマン。
命がけの勝負の最中にすぐに集中力が途切れる。熱がない。真剣みがない。
才能は優れたものがあるのだろうが、今の状態ならば脅威ではない。
「おらよっと!!」
シンの必殺の横薙ぎが外れる。
攻撃を繰り出した早さと斬撃の速度からいって、回避することは不可能な技の冴えである。
戦闘センス、技術力、恐らく大帝が相手でなければ十分に勝機があったはずだ。
「なんで外す!」
シンは困惑した。
自身のあった攻撃を避けられた。
読まれているという感じではない。
だが、まるで心の中まで見透かされているような印象だ。
しかし、頭の中を本当に覗かれている訳ではない。
フェイントと巧みな連係によって練り上げられた攻撃を、予知したように回避する。
それは観察力の差。
星神の神霊、星剣スカイフォールの眼球によるものである。
彼はシンが地上に帰還した時から全ての動きを観察し、その情報を統合した。
亜人では到達できない微妙な挙動から、その動きを予測する。その精度は言葉通りの神の域。
「戦え!逃げるな!!」
歴代カーさえ見破れない必殺の攻撃がかすりもしない。
ここで戦闘経験が豊かなら、精神的な動揺、自分のミスにも抑えがきく。
だが、シンのもろさが大きく出て、実力が発揮できない。
その動揺は大帝には伝わっていない。
そこまで未熟者ではない。だが、眼球にはお見通しだ。
大帝は待っている。
龍神と眼球が必死に押し合いを続けている。だが、眼球の体力が回復するまで時間はかからない。
それまでは眼球の提案通り、無理をする必要はない。
戦場全体はラ・ムール、ミズハミシマ軍がかなり押し込まれてきた。
説明するまでもなくドラゴンたちが本格的に戦闘に参加し始めているからだ。
「ドラゴンブレスの威力が弱すぎる!」
「精霊の影響か。」
「高度を下げろ。」
宿老たちの命令が飛び交い、ドラゴンたちは普段よりも低く飛ぶ。
「狙え!!」
対するラ・ムール軍は弩弓砲でそれを狙い撃つ。
距離が近い分、俄然、命中率は高くなる。
スステパ・モアイの時と同じようにドラゴン同士で衝突し、墜落するドラゴンが続出する。
何より、今日の弩弓砲は先のものよりも威力も次の発射までの時間の間隔も狭い。
「新型か!?」
「どうせ大したことはないわ。」
他のドラゴンたちは気にも留めていないが、老いた族長は変化に気付いている。
根本的に攻城用の兵器ではない。
完全に空中の敵を狙うための工夫がみられる。これはもうドラゴン専用といっていいのではないか?
「攻め辛くなることを。」
しわがれた声で唸る黒い長角のゲオルグだが、皆にこれを説く時間はない。
いったところで、この愚物どもは、その脅威のほども理解しようとしないだろう。
したところで消極的になられても困る。
残酷だが、このまま戦い続けて貰うしかない。
ドラゴンが新型兵器の前に臆したなどと亜人に知られるのも厄介だ。
盲目公はと言えば、大帝を狙う戦鰐騎兵を追い払っていた。
想像よりも素早い。急いで飛び上がっても追いつけないだろう。
何より、今は味方が入り乱れて戦っているため、ドラゴンブレスも使えない。
「面倒だが。」
盲目公はそういうと、例の口笛を使う。
いきなり糸を切られた人形のようにペトスコスに跨る猫人たちが胸を抑えて崩れ落ちる。
鯨の中には超音波を使って魚を攻撃する技があるという。
これはそれのドラゴン版だが、音が伝わりやすい海の中と違い、これには骨が折れる。
十分に集中した状態で、せいぜい一人を狙うのがやっとなのだ。
もとは奴隷たちを脅すために作られただけであり、滅多に使うことはない。
盲目公も逃げる奴隷より、同じ奴隷に暴力を振るうような手に負えない者を止む無く始末する時にしか使ったことはない。
「大帝陛下は何処におわす!」
突然、走り寄った近衛騎士将校が盲目公に訊ねる。
「あちらだ!」
盲目公が答えると、近衛騎士は早口で応じる。
「いや、ご無事であればいいのです。陛下から離れないで頂きたい!陛下を頼みます!!」
それだけ言うと乗り手を失って大人しくなったペトスコスに向かっていった。
もともと数に劣る戦鰐騎兵である。こうなると大して活躍することもできない。
だが、次の瞬間。
落ちた。
ドラゴンが大帝の真上に落ちてきてしまった。
それは近くにいた誰の目にも明らかだった。
ラ・ムール軍はここぞとばかりに歓声を上げ、勝利を確信して喜んだ。
盲目公も震えた。
神の天罰か?神に仇なしたドラゴンと手を結んだ者への神罰だと。
いや、そんな馬鹿げた話はどうでもいい。自分が近くに居ながら、とんでもないことになった。
どうすればいい。
自分のせいだ。若いドラゴンは目線が泳ぎ、何も考えられなくなってしまった。
「見エテタ ヨ。デモ、アンナ ノ 避ケラレナイ ヨ。」
星剣は挽き肉になった主から目線を逸らしつつ、呟いた。
だが次第に流れ出る愛するものの血が、冷たい刃に触れると堪らなくなって、泣いてしまった。
ラ・ムール軍、勝利の凱歌が響き、気の逸った兵士たちが騒ぎ始める。
騒ぎは波動となって各地に広がり、すぐにもその場にいない者にまで、大帝戦死の報が伝わった。
「イストモスの大将が死んだぞ!!」
「ドラゴンが落ちて来たんだ!」
「俺たちの勝ちだ!!」
四半刻もしないうちに、というより太陽神の神霊の助けで戦況を把握しているカウのもとにも、
前線のイストモス大帝の戦死が伝えられた。
「陛下、我が軍の勝ちにございます!」
「待て!」
カウが鋭くいった。
驚いた伝令の兵士が顔を上げると、厳しい表情の副王が立っている。
「勝ちを確信するのは早い。イストモスは騎士の国。
例え大帝を討ち取ったからと言って、やすやすと総崩れになるような敵ではない。」
副王の厳しい言葉に兵士は困惑した。
あちこちの兵士たちはすっかり調子に乗っている。浮かれるなという方が難しい。
既に喜び勇んで敗残兵狩りに洒落込もうという勢いまである。
「敵は動揺しているはずだ!」
「ここを押しつぶせば、我が軍勝利は動きようがないぞ!」
「進め!!」
前線の将校たちは次々に部隊を押し出し、イストモス軍に攻勢をかける。
だがイストモスは大帝戦死に、少なからず動揺はあったが、今すぐに逃げ出すような雰囲気ではない。
それどころか第1陣、第2陣が戦線に復帰し、第4陣、第5陣が代わって後方に逃れ、陣形の再編を始める。
再び射突が始まり、ラ・ムール、ミズハミシマ軍は矢の雨の前に飛び出した格好になる。
そして、再び場面はラ・ムール軍本陣。
カウは神霊に向き直った。
「陛下を頼みます。」
副王がそういうが、神霊は動こうとしない。
「カー・シンは用済みだというのですか?」
カウがなおも神霊に迫るが、当然ながら神霊は満足できるような答えを与えてはくれない。
「分かりました。」
カウはそれだけいうと部下を呼び寄せた。
青い顔をした将校たちが集まってくる。
誰もが、この副王に指揮官としての能力を認めていないからだ。
「副王陛下、何用でしょう!?」
「撤退の用意だ。」
雷に打たれたような全員の表情。
一斉に顔を見合わせ、言葉なく目線を交わす。カウも言葉にならない形相をしている。
本陣を警備する兵士たちは、やにわに聞こえて来た危険な言葉に石化した。
「わ、分かっております。」
「ですが、本当によろしいのですか!?」
将校たちが副王に迫る。
副王カウは、意を決したように兵たちに説いた。
「この判断は陛下とナシマ殿が俺様に任せると予め決めていたことだ。
げへへへ。笑っちまうぜ。俺様にそんな大それた役を振らなくてもいいのによ!」
将校たちは互いに目を見合わせて頷き、副王の命令を伝えに走った。
誰もいなくなった本陣で、カウはどさっと椅子に倒れ込んだ。
ふと見ると神霊たちの中でリーダー格らしい奴がいなくなっている。
なんだ。そういうことか。
「へっへっへっへ。」
カウは震えが止まらなかった。
自分にこれだけの兵士たちの命を懸けた決断が出来ただけでも驚いている。
同時に死んでいった将軍たちの立派さも思い知らされた。
シンは浮かれていた。
結末は気に入らないが、とにかく勝った。
「おっし!お前ら、私に着いて来いよ!!」
ガゼルを追うライオンのように血に飢えたラ・ムール軍はイストモス騎士たちに飛びかかる。
さっきまでは矢の雨に怯えていたというのに、今は死を恐れずに突進していく。
「慌てるな。ラ・ムール軍は勢いに乗じておるだけだ。」
弓騎馬の将校たちが味方の動揺を抑える。
大将で自国の元首である大ハンの死に、イストモス騎士がまるで動じないのには理由がある。
まず彼らが純然たる戦士であるということ。状況が目まぐるしく変わるのは戦場では常識。
むしろ動揺して敵に付け入られる隙を与えてはならないと教えられている。
次に大ハンは諸王の王、神の寵愛を受け、建国の王の血を継ぐ至尊の存在であるが、
所詮は大部族連合の首長に過ぎない。皆、それぞれに仕える族長がいる。
また大ハン死すとも皇統が絶えた訳ではない。権威の担い手が失われぬ限り、恐れることはない。
今は冷静に、この勝ちつつある戦局を手中にしなければならぬ。
そう。
大局的にはイストモス軍が圧倒的に有利なのだ。
大帝の死など、後で幾らでも話し合えばよい。今は戦勝を確定させることが大事である。
「大帝陛下が亡くなろうとも、我が軍勝利は動かぬ。
皆の者、手伝い戦のミズハミシマ軍に攻撃を集中させよ。」
イストモス軍、将軍首座であるカヴァメスが号令をかける。
数の上でも、戦局の上でも自軍の勝利は疑いようがない。
将軍たちの中には次代の大帝に関して早くも考えを巡らせている者もいるだろうが、関係ない。
今は勝つために団結することが祖国の大事。それを見誤るイストモス騎士はいない。
「王が死ぬごとに顔を青くする猫どもに、我々の騎士道をお見せしよう。」
カヴァメスはそういうと星剣スターナイトを構え、自らも近衛騎士団の陣に加わる。
壮年の将軍は振り返らず、若い女騎士にいった。
「後は任せる。」
「はい、兄上。」
カヴァメスが向かうのは、大帝と戦っていたシン、敵の王である。
戦場での勝利を掴んでも、自国の王だけが死んだというのでは、やはり確実な勝利とは言えない。
やはり敵の王にも死んで貰わねばならぬ。
「封魔、解放。」
カヴァメスの号令で、彼に従う近衛騎士たちが一斉に剣を構える。
いや、全て星剣だ。カヴァメスに従う全ての騎士が持っている剣は大帝の星剣の兄弟剣である。
星剣の柄に埋め込まれた眼球が姿を見せ、一斉にシンを睨む。
「スターゲイザー!!」
近衛騎士たちの呼気と共に解放された光の柱はラ・ムール軍とミズハミシマ軍を引き裂いた。
砂塵が舞い、土砂や小石が吹き飛んで、絶叫が響き渡る。
「ウラーッ!!」
一団は続いて突撃をかける。
言うまでもなく、全員がイストモス軍でも名うての手練れである。
星剣の威力を抜きにしても、十分に戦働きが出来る勇者たちである。
だが敵軍の様子がおかしい。
「撤退!」
「退けー!!」
ラ・ムール軍が、仕切りに後退しようとしている。
さっきまでは熱に浮かされ、血気に流行って猛攻に転じていたはずの敵が急に態度を豹変させたのだ。
「不味いな。浮かれてこちらの前に出て来てくれた方がやり易いのだが。」
カヴァメスは舌打ちした。
実にいやなタイミングで逃げを打たれた。敵は大将を討ち取ったのだ。
こうなれば、もう首をどれだけとっても意味はない。今すぐに逃げ出しても問題はない。
だが、イストモス軍としては形勢は有利なのだから、このまま敵の被害を拡大させたい。
逃げられては困るのだ。
「逃がすな!先回りして敵を叩け。歩兵もありったけ連れていって構わん!!」
カヴァメスの命令を聞いた狗人の従士が、素早く騎兵隊から離れ、伝令となって本陣に戻る。
頼もしい部下を見送ると、カヴァメスは口の端を柔らかに曲げて微笑んだ。
「…だが、逃げるタイミングが悪すぎたな。こちらに打つ手がある内に逃げるとは。」
カヴァメスが考えるに、恐らく敵の戦略はこうだ。
まず初めから大帝を討ち取る算段だったのだろう。ラ・ムール軍ではイストモス軍の騎兵軍団には勝てない。
そうなれば博打のような軍略とも呼べない稚拙な作戦も頷ける。
悔やむべきは敵の博打が当たったこと。
そして察するに敵軍は、戦局の内容にかかわらず、大帝を討ち取った時点で逃げを打つ計画だった。
だが、馬鹿な指揮官もいたものだ。
これだけお互いの乱戦がもつれている時に撤退するなど、余程の名将でなければ被害が出るだけ。
やはりラ・ムールの猫どもは十露盤(そろばん)勘定しか出来ぬ戦を知らぬ者ばかりと見える。
そう思いながら敵陣に突入しようとカヴァメスたちが突撃していると、シンが目の前に躍り出た。
数十名の決死隊も王である彼女に従い、戦意が衰えぬ様子は、まるで獲物を求める飢えた獅子のようではないか。
「ふん。この勇者たちが逃げる味方を援護するということか。
バカな。既に我が軍は貴様らの退路を断つべく動き出しておるのだ。」
カヴァメスは鼻で笑うと星剣を構える。
確認すると眼球はほぼ体力を回復させている。
「スターゲイザー!!」
カヴァメス将軍率いる近衛騎士団から、再び光の柱の林が撃ちだされ、シンを襲う。
だが神霊たちの加護を受けているシンを盾に、決死隊は攻撃を免れ、イストモス近衛騎士に襲い掛かった。
一合で数名の騎士が挽き肉になり、その倍近い猫人たちが無残にも叩き潰された。
やはり騎兵と歩兵の差は大きく、戦士としての練度も違う。
「つまらぬ。猫の知恵遅れは相当なものよ!」
カヴァメスも数人のラ・ムール兵を撥ね、血に濡れた顔をぬぐわずに、吐き捨てる様にいった。
「騎士に歩兵が勝てるものか。」
「将軍、あれはカー・ラ・ムールではありませんか?
精霊たちがただならぬ気配に騒ぎ出しておりますれば。」
将校のひとりがカヴァメスにそう進言した。
壮年の将軍は眉をひそめて振り返らずに、一団の先頭を駆けながら答える。
「噂は聞いているが、先王が死んで1年半で大人のカー・ラ・ムールが現れるものか!」
「ですが、あの黒い豹の猫人、只者とは思えません。」
部下たちの進言を聞いていると、カー・ラ・ムールかどうかはともかく、腕の立つ武人だという。
女というのは気に入らぬが、強い敵と戦うことが自分を鍛える励みとなる。
カヴァメスは色気づいて、その黒豹と戦いたいと考えた。
「カー・ラ・ムールかはともかく、気になるな。
よし、決死隊も目障りだ。敵陣に突入する前ににじり殺してやろう。」
大きく旋回してシンと決死隊に再び突撃をかける近衛騎士団。
生き残った決死隊もシンを中心に集まると、息を整えて、おのおのの武器を握りしめる。
「正直、自分みたいな訳の分からない奴を王と信じて着いて来てくれてありがとうな。
あと少しだ。」
シンが声をかけると全員が頷き合って決死の覚悟を確かめた。
人馬どものように抱き合うなんて、そんなものは必要ない。俺たちは笑って死ねるぜ。
「うおーッ!」
決死隊の唸り声が近衛騎士たちに叩き付けられた。
混乱の度合いを深める戦場の真っ只中で、盲目公は茫然としていた。
目の前には守るべきハズだったイストモスの大ハンが、仲間の死体の下で朽ち果てている。
自分が目を離さなければ。どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった。
だが暗い感情が突き上げてくる。
飢えだ。食欲だ。抑えきれない欲望のうねりだ。
ドラゴンたちは普段、我慢しきれない程に飢えている。
それは仲間を戦場の最中で食い尽くしてしまう程だ。
「駄目だ。こんな時に…!」
自国の王が死に、その死体をドラゴンが食ったなどと許されることではない。
最大の侮辱だ。
第一、自分は取り返しのつかない失態を犯したのだ。
欲望に飲みこまれていてどうする。なんと良い訳をすればいい。
誰か助けてくれ。
「怪我でもしたか!」
一人の若いイストモス騎士が盲目公に駆け寄った。
「う、あ。…大帝陛下が。…私が、とんでもないことを。」
若いドラゴンは混乱して状況を上手く説明できずに、狼狽えた。
だが、若い騎士は容赦しない。
「戦場でおのれを見失うな!」
「ドラゴン相手に何をしている!?」
他の騎士も気付いて近寄って来た。
「どうやら、このドラゴン、大帝陛下のお傍に着いていたらしい。」
「では、ここに大帝陛下のご遺体が?」
新しくやってきた騎士に、最初の若い騎士が落ちて来たドラゴンの死体に潰された大帝を指差す。
無残に潰れた死体の傍には血に濡れた星剣が転がっている。
「わ、私はどうすればいい!?」
自分の体の何十分の一にも満たない人馬たちにすがりつく様に盲目公は救いを求めた。
再び人馬の騎士たちは厳しい語勢でこのドラゴンに言い放つ。
「済んだことだ!」
「考えを切り替えろ。それでも神に等しいと大言する一族の末裔か。
しっかりせよ。大帝陛下をお守りする役目は済んでおらぬ。」
「しかし、大ハンは死んでいます…。」
口々に騎士たちは若いドラゴンに声をかけるが、盲目公は立ち直れずにいる。
焦点の合わない暗い目が、二人の騎士の方をぼんやりと見ている。
「確かに地上の大ハンは滅びた。だが、今や英雄の列に並び、天空の星となって坐す。
この戦が負け戦となれば、大ハンは敗軍の将として名誉を傷つけられる。
貴様は今、大ハンの名誉を損なっていると知れ。」
なおも後から来た騎士が盲目公に心得を説くが、全く反応がない。
相変わらず、気の抜けた返事があやふやに返ってくるだけだ。
ついに後から来た方の騎士が、ふぬけたドラゴンのひげを掴むと力いっぱい引っ張った。
信じられない激痛に盲目公の顔が歪み、振り払うように首をもたげ、騎士の手からひげを奪い返した。
これはドラゴン自身は勿論、彼らに仕えている奴隷たちすら知らない急所のひとつである。
未だに目の前がクラクラする。
盲目公は何が起こったのか分からないが、未知の痛みに目が覚めた。
「貴公、何をした!?」
先に盲目公に声をかけた若い騎士が、後から来た騎士に驚いて訊ねる。
後から来た騎士は答える。
「ドラゴンの急所の一つだ。もっとも普通に戦っている間に狙うのは無理だが、髭には彼らの痛覚が集中している。
我が部族に伝わるドラゴンの対処法として古くから教えられて来た。」
「急所だと!…だ、大丈夫なのか!?」
先に来ていた騎士が盲目公の様子を心配そうに伺う。
急所というからには生理的に危険な部位ということではないのか。別状はないのか。
何より、逆上したこの巨大な魔物が暴れ出したら、自分たちなど木端のように踏みつぶされてしまう。
「目がチカチカする…。」
盲目公が返事をすると、先に来た騎士は安心した。
後から来た騎士が再び口を開く。
「どうやら若いドラゴンのようだが、ここは戦場だ。おのれを見失うでない。」
目の覚めた盲目公が辺りを伺うと、戦場は様変わりしている。
まずラ・ムール軍は次々に後退、というよりも逃げ出そうとしている真っ最中だ。
次にイストモス軍も、大部分が敵の退却路を予想して先回りするべく、既に戦場を離れている。
「例の決死隊が邪魔をしているようです。」
「ラ・ムールの大猫は体力だけは大した物だな。しかし無駄なことだ。」
イストモス騎士の二人が話している間に、盲目公は空高く飛び上がった。
何かに感づいたのか、真っ直ぐに何処かへ向かって飛び去っていく。
「吹っ切れたかな。」
二人の騎士も、盲目公を見送ってから敵の中へと突進していった。
大帝よりも戦闘経験の長いカヴァメスは、シンにとって大帝以上にやり難い相手だった。
加えて星剣を装備した近衛騎士たち、数十騎も同時に相手しなければならないのだ。
「そのスターなんとか、やめろ!!」
シンは何度目かの星剣から放たれる光線を耐え切った。
だが、他の決死隊の勇士たちはひとり、また一人と倒れていく。
「くっそ、こっちは疲れて来てるっていうのに。」
シンの苛立ちは相当なものだったが、カヴァメス率いる近衛騎士たちの焦りも高まっている。
自分たちより少数だった歩兵相手に、ここまで食い下がられ、苦楽を共にした仲間たちが大勢、殺されている。
しかし彼らは高潔な騎士である。
未熟なシンのように無暗に吠えたりはしない。
「一人ずつ戦え、卑怯だと思わないのか!」
とはいえ、シンも口で喚き散らすほどは追い詰められていない。
苛立っているように見せ、その実は敵が一気に攻め込んでくることを待ち構えている。
結果、今はどちらが先に集中力を切らして、無理な攻めを打つかという我慢比べに入っている。
「スターゲイザー!!」
性懲りもなくカヴァメスの星剣が光の束を撃ちだす。
爆炎と共に砂塵が舞い上がり、シンの視界が遮られる。
馬鹿なやつ。
この隙に乗じて一気に決めるつもりか。
シンは心の中でほくそ笑んだ。
焦る理由があるのは、こちらより向こうである。いつまでもこんな所で遊んでいられないハズだ。
思ったよりも堪え性がない。
「これに乗じ、あの黒豹を蹴散らせ。」
実際、カヴァメスの焦りはあった。
問題は本人がそれを自覚して、自制しているつもりになっていたことだ。
一斉にカヴァメスに従う騎士たちが砂煙に向かって突進する。
視界は遮られている。一列に並んだ騎士の蹄に敵は刈り取られるハズだった。
しばらくの後、やおらに砂埃の中から出て来たのは、突入した騎士の半数。
しかもカヴァメスは砂煙の中から出てきた時点で倒れ、ねじ切られた首が胴を離れて転がった。
「か、カヴァメス将軍!!」
近衛騎士たちが悲鳴のような声をあげる。
だが、損害を受けたのはイストモス騎士だけではなかった。
「があッ!?」
シンは半分になった視界に、全身を貫く激痛の正体に気付いた。
カー・ラ・ムールの輝く虎石眼は視界の遮られた空間では、敵に位置を知らせる格好の的となる。
それでも生半な攻撃では神力の根源である、この左目を撃ち抜くことは出来ない。
撃ち抜いたのは極小出力のまま、高い精度に絞られたスターゲイザーである。
カヴァメスはラ・ムールの宿敵、イストモスの騎士、その古豪である。
先祖からカー・ラ・ムール対策を教えられていたということだ。
「畜生。」
とはいえ、歴代カーであれば大問題となる致命傷もシンに限っては何の問題もない。
ドラゴンの因子の効力によって、眼球程度であれば復元可能なのだ。
ただし復元されたのちは本来の輝きを放つことは出来ないかも知れない。
その時はさしずめ、ドラゴンの瞳とでもいうべきものが再構築されることだろう。
「残った連中をやる。」
シンは素早く気持ちを切り替えて、残りの近衛騎士に襲い掛かった。
事後処理は呆気なかった。
大帝戦死には動じなかったイストモス騎士たちだが、カヴァメスは自軍のかなめである。
それでも表面には出さないものの、動揺は大きかった。
「うわ!」
「ぎゃ!」
次々にシンの戦斧の餌食になる近衛騎士たち。
こうなると遺伝子に刻まれた殺戮本能の違いが如実に両者の闘争心の違いを見せた。
目をえぐられても臆することのない黒豹の動きに、所詮、教え込まれた闘争心の付け焼刃では勝負にならない。
「逃げるのか!」
シンは逃げる敵を追う。
だが、騎士たちと入れ違いで、シンに飛びかかっていく影があった。
従士である狗人たちである。
体格に勝る黒豹の、加えて比類なき機械のような精密な攻撃設計。
鍛え上げられた武術の冴え、緻密なコンビネーション。人体の構造を熟知した急所への攻撃。
科学的な考証と精密さと生体医学に裏打ちされたシンの攻撃は、数に勝る狗人たちを一瞬で殴殺した。
「なんだ、こいつら。」
シンはさっきまで戦っていた近衛騎士とは比べ物にならない玩具のような敵の感触に、勝負の熱が冷めていく。
この女の悪癖だ。すぐに集中力を切ってしまう。
そこにすかさず飛び込む狗人たち。
彼らの頭の中に勝ち負けという概念はない。結果として双方に生死があるのみだ。
主が危機であれば、相手がドラゴンだろうと飛び込んで守ろうとする。理解を超えた忠誠心だ。
「ちょっとビビらせるか。」
シンの大振りな斬撃で、派手に吹き飛んで血潮を噴き上げる狗人。
出来るだけ派手に殺してやる。
そうすれば、こんな連中は戦意喪失するだろう。
だがそれは逆効果だ。
むしろシンの雑な動きに、狗人たちは敵の熱が冷めていることに感づいた。
戦場で集中力を切らすのは、素人だけだ。
強さこそ尋常ではないが、こいつはただの素人だ。どういう訳かは知らないが。
技術力や目を見張る動きに騙されるな。
ほら、また雑な動きが入った。
「弱いワンちゃんだなー!」
次の瞬間、捨て身の狗人がシンの戦斧を受け止めた。
それは本当に一息程の時間もなかった。すぐにシンは信じられない怪力で止まった刃を再び振りぬいた。
人並み外れた体力と膂力がなければできない芸当だ。
これを一度、戦斧を引き抜いてから加速をつける動作が入っていたら、終わっていた。
それだけに狗人たちも驚かされた。あの体勢から、刺さった斧を振りぬくとは。
だが、あいつの犠牲は無駄ではないぞ。
次々に飛びかかる狗人たちの短刀がシンに突き立てられる。
視界が狭くなっていることも手伝って、防御が間に合わない。
「この、死にたいのか!!」
シンは必死で狗人たちを薙ぎ払うが、キリがない。
「うざ!」
集中力の切れたシンの迂闊な攻撃を、狗人たちは見透かしていた。
ひとり、ふたり、三人、シンの戦斧の斬撃の軌道上に並ぶと深々と切り込んだ刃が三人目で止まった。
「ふっ!」
シンは、また止まった刃をそのまま振りぬこうとするが、先に二人も切り下げているのだ。
シンの両腕はすっかり疲れ切って、しばらくは全力で動かない。
そこに狗人たちが押し寄せる。
戦斧がシンの手から離れる。
こうなればと、生まれ持った爪で狗人たちを爪撃するが、鎧に阻まれて致命にはならぬ。
なれば何人かは蹴り飛ばしたが、今度は脚も抑え込まれる。
結局のところ、武王を凌ぐ英才教育で作られた天才も、数の前には取り押さえられてしまった。
「殺せ!」
狗人のひとりが怒鳴った。
とはいえ、抑え込んでいるだけでも精一杯なのだ。
首を撥ねようにも、信じがたい馬力で今にも抜け出されそうになって、首を狙うどころではない。
当然だ。
寝技も屈強な歴代カー相手に教え込まれている。
それに遥かに劣る貧弱な痩せ狗ぼっくりに、シンの動きは抑えきれない。
落ち着け。順番に手足を抑えている連中から抜け出せばいい。
こんな柔術の心得もない連中の、雑な拘束から脱出するのは訳もない。
だが冷静にならなければならない。鎧や武器で体を傷つけないように、機械のように慎重に。
「何やってるんだ、抑えろ!」
狗人のひとりが怒鳴るが、シンはするすると狗人たちを振りほどいていく。
脱出は簡単だった。
シンは素早く抜け出ると、戦斧を持っていた狗人を肘撃で倒して奪い返した。
「ああ、もうウザい!」
狗人たちを振り切って、さっきの近衛騎士たちを追いかけようとするが、徒歩では到底、追いつけない距離まで逃げられた。
シンは状況を確認しようとあたりを見まわした。
カウの命令で退却を始めた味方は、もう粗方、危険を脱しているようだ。
決死隊としては役目を終えたと言っていいだろう。
「上手く逃げろよ。」
シンは独り言を言うと、自分も適当に敵を蹴散らして逃げる算段に入る。
まずは腹立ちまぎれにさっきの犬ころどもにはミンチになって貰う。
イストモス軍の追撃は成功した。
イストモス軍の大半から編制された一団は、ラ・ムール軍の後背に出て、敵の退却路に先回りした。
かつてナポレオンは「逃げる者に、追う者は追い着けない。」と語ったが、
戦場に置いては、それが簡単にできないからこそ、このような言葉を残したのである。
「カヴァメス将軍が討ち取られました!」
追撃隊を率いるイストモスの副将、バネールはその報告に、その場ではとくに感想をもらさなかった。
「兄上は死んだか。では、こちらは勝たせてもらう。」
バネールの合図で騎兵隊が集合し、陣形を整え始める。
「着いて来れない者が多過ぎる。」
バネールは厳しい表情で味方を睨んだ。
いくら慣れない土地とはいえ、こうも落伍者が多いとは。
これでは敵の追撃の成功は五分五分といったところか。
「待ちまするか?」
副官らしい将校が駆け寄って訊ねる。
そこへ別の将校が口を挟む。
「敵が姿を見せるまで、時がありませぬ。」
「バネール様、如何に!?」
部下たちが彼女の号令を待って口を閉じる。
冷たい眼光を放つ女将軍は右手を上げて、全体に攻撃命令を伝える。
「構わぬ。我がオルランテス族は勇名無比!ラ・ムールの猫どもなど、この数にて十分!!」
「ウラー!!」
地の利は取った。
このなだらかで、先が急に狭くなった平野は、こちら側から攻撃するに有利。
だが、敵が前進を続けるにも、後退するには困難な地形。ここで突撃を受ければ敵の壊滅は避けられない。
天の利もこちらにある。
数こそもっと欲しいところだが、精鋭なる我が部族が息を整えて、攻撃に備える時間はある。
「憎き猫ども、兄上の仇は取らせて貰う!」
勝利を確信して、女将軍は気を吐いていた。
だが、ラ・ムール軍の到着は予想よりも遅くなっていった。
理由はドニー・ドニーの海賊たちが戦場に紛れ込んで、武器やら兵糧を奪いに来ていたのだ。
「か、海賊だと!?」
蛇人の将軍、ナシマは真っ赤になって怒鳴った。
ドニー・ドニーとミズハミシマには因縁がある。
ともに海洋国家であるが故に、お互いに何度も戦って来た宿敵である。
陸戦専門のナシマとはいえ、その名前を聞けば平静ではいられない。
「くそったれ!ドラゴンに組みするイストモスも許せぬが、その戦いに水を差すとは。
海賊どもめ。奴らは鬼畜。北海に引っ込んでおれば良いものを!!」
「落ち着いてください、ナシマ様!」
鯛や平目の将校たちが短気を抑えようと、天を仰いでくねくねと昇り立つ将軍の首を見つめながらいった。
イライラするとナシマには、こういった悪癖があった。
これは彼個人のもので、蛇人に頭を天に向けてくねくねさせるという共通の特徴はない。
「ともかく前方のイストモス軍に集中するのだ。味方の退却を助ける。」
ナシマがそういって慌ただしい前線を睨む。
だが、明らかにイストモス軍の数が少なくなっている。
「…イストモス軍の数が少なすぎる。」
「もしや背後に!?」
将校たちが血相を変えて慌てたが、ナシマは冷静になだめた。
「落ち着くのだ。今から退却する味方に追いつくことは出来ぬ。手遅れじゃ。
それよりも自分の持ち場を守ることに専念なされよ。」
だが、将校たちは慌てている。
「しかし追撃を受けておるやも!」
「左様(さも)もありなん!
だが、ここは堪えて持ち堪えるのだ!!」
長い首が将校たちの眼前を順番に回って、ナシマは鋭い瞳で彼らを見つめる。
蛇人の眼には催眠効果があり、軽いマインドコントロールが可能だという。
将軍としての彼の実力か、あるいは邪眼の効果なのか、部下たちは落ち着きを取り戻した。
「分かりました。前線を支えます。」
「部下たちも、そのように納得させましょう。」
そういって部下たちは自分の部隊に駆けていった。
残されたナシマと数名の部下たちは、ミズハミシマ軍本陣に用意された地図を見る。
最初にシンが立てた作戦は、ほぼトラブルなく推移している。
例外はドラゴンに押しつぶされた大ハンの存在にある。
それ以外は、作戦通り。
さて、バネールたちは困惑している。
予想よりも自分たちが早かったのか?敵はいつ来るのだ。
「将軍、お味方が到着しました。」
「…再編成しますか?」
部下たちは遅れて来た味方が到着する度に、バネールに意見を求めた。
最初は、もう間に合わないということで無視していたが、あまりに追いついた味方が増えすぎている。
「いいだろう。戦いに参加する機会をくれてやろう。」
バネールも仕方なく同意する。
やれやれ、このタイミングで敵が見えたらどうしてくれる。
遅れて来て足を引っ張った挙句に、攻撃のチャンスまで潰されてなるものか!
苛立つバネールだが、兵たちの方がずっと苛立っている。
ラ・ムール軍はどうしたというのか。
「敵はどうした?」
「何のために急いで来たのか分からん。」
「陣形を再編するぞー!」
隊長たちは遅れて来た味方を再編するために、一旦密集した隊形を解けと触れ回っている。
「おいおい、大分多いな。」
「時間がかかりそうだ。」
そんなことを言っていると、耳慣れない鳴き声が聞こえてくる。
なんだ。この奇妙な鳴き声は。
イストモスの騎士たちが音のする方を見れば、あの醜い化け物どもが這い出して来た。
ラ・ムール軍の呪われた魔獣、ペトスコスだ。
「わ、ワニ騎兵だーッ!」
「うわー!!」
それはシンの作戦で、予めこの場所に伏せられていた伏兵だった。
シンがカウに与えた作戦は簡単にはこうである。
戦況の良し悪しに関わらず、お前が「悪し」と思った場面で味方を撤退させろ。
敵が追撃可能な余裕がある場面で撤退し、地形を読んで、そこに伏兵を仕掛ける。
逃げる者を追う時、その敵は崩れ易い。
追撃を見越した上での伏兵。
口で理屈を並べる分には単純だが、どこに伏兵を配置するか、高度な軍略が要求される作戦である。
だが今回は、かなり条件が絞られる。
まずイストモスが敵軍である以上、通常のように騎兵が馬を捨てて徒歩で移動することができない。
これは移動するルートを予想する上で、かなり有効だ。
次に騎兵主体である以上、追撃も騎兵が十分に効果を発揮する地形を選ぶハズ。
つまり追撃する敵の通るルート、そして攻撃を仕掛ける場所が、簡単に推定できる。
ここからが問題だ。
百人隊長平原の周囲に、それに似合う地形は一つとは限らない。
場合によっては敵が、歩兵である狗人だけを差し向ける可能性もあった。
「どこまで戦略を積み上げても、運の要素は存在する。
その運の要素を、カウに任せる。」
シンの決断だ。
「お前は全く軍略の知識がない。私も知識だけだが。
敵がどこで撤退する味方を攻撃するのか、完璧に予測することは不可能だ。
敵に十分な騎兵が自由にならない場面なら、敵は歩兵を使って追撃を仕掛ける。
だが敵の手元に騎兵が戻ってきている場面なら、可能性はぐっとあがる。」
「あくまで可能性が上がるだけです。」
ナシマも聞いていて、それは納得している。
何事にも完璧などありえない。だが、このカー・ラ・ムールの読み以上には信頼できる案は今ない。
青くなったカウが口を開く。
「陛下、それは危険すぎます…。」
「悪いが私は戦力として前に出ざるを得ない。
騎兵の破壊力は歩兵がどうあっても防ぎきれるものじゃない。私が必要になる。」
シンがきっぱりいうと、カウはナシマに目線を移す。
だが、ナシマも長すぎる首を振る。
「私は逃げるラ・ムール軍の背中を預からねばなりませんし、ミズハミシマ軍が撤退しても、
敵は追撃して来ようとは思わないでしょう。」
結局、カウに運命の決断が委ねられた。
そして現在。
伏兵の登場に潰走状態に陥るイストモス軍。再編成のために陣形を解いていたため、騎兵の攻撃力が半減している。
おまけに完全に意表を突かれた形になって、そのまま訳も分からず押し潰されて行った。
「しょ、将軍!ラ・ムール軍の伏兵が!!」
「そんなことがあるものか!」
バネールは部下の報告をはねつけるが、現実からは逃げられない。
今にも闘志にみなぎるラ・ムールの勇士たちが、ここにもなだれ込んでくる。
それでも異変は始まっていた。
ラ・ムール軍の伏兵たちも、味方がここまで退却していないことに焦っていた。
「味方はどうした!?」
「分からん!」
「ともかく敵は再編成中でまともに反撃できない、今がチャンスだ!!」
戦鰐騎兵の将校たちが吠えさえずり、イストモス軍の陣形を破砕する。
走り出してから、その重量と速度と密度を生かした衝力を基本とする騎兵である。
まばらにばらけて動きが止まっている所に攻撃を受けては、一溜りもない。
イストモス軍の敗着は、ここに決定的になった。
大帝戦死、将軍首座カヴァメス戦死、副将バネール戦死。
そしてラ・ムール軍追撃のために後背に回り込んだ大半の騎兵が壊滅したのだ。
主な将軍たちと全体の半分近い味方が戦死して、イストモス軍は武威を喪失した。
これによりドラゴン襲撃で弱体化したラ・ムールとはいえ、それより被害が上回った今、侵攻することは不可能である。
「近寄れませぬ!」
「ドラゴンブレスが届く距離まで近づけぬか!?」
「無理ですー!」
五つ首のジョージと他のドラゴンたちは、何度も新型弩弓砲の破壊を試みるが失敗。
憐れみを求める目線を、老いた父に向けるが、冷たい眼光が睨み返すのみ。
「ぞ、族長。」
五つ首のジョージは、一族の者が父をそう呼ぶように、彼を呼んだ。
「大ハンも戦死した。負けじゃ。」
黒い長角のゲオルグは、短く呟いて遥かな空の高みに逃げ込んだ。
それに続く様に他のドラゴンたちも引き上げていく。
ジョージ一族が味方したにも関わらず、イストモス軍は痛烈なダメージを受けた。
これはゲオルグの脅威を薄れさせる要因となり、これ以降、自国を侵すドラゴンへの反撃は激しくなった。
シンが退却する自軍と合流すると、そこには胸をえぐられる光景が待っていた。
海賊たちが紛れ込んで、手当たり次第に味方を襲っている。負傷兵だろうと容赦しない。
あちこちに火を放ち、混乱する味方を尻目に金目の物を探している。
「何も襲う必要はないんじゃありませんか?」
「そうですよ。死体から剥ぎ取りゃいいじゃないですかぁ!」
海賊たちは、口ではそう言いながら、手はしっかりと動いている。
「なら、止めてもいいんだぜ!」
包帯で身を包んだ頭目らしい女がラ・ムール軍の兵士たちを金棒で叩き殺しながら、そう言った。
「ははは!冗談ですよ!!」
獅子の猫人よりも、さらに大きなオウガや鬼人たちは、軽々とラ・ムール兵を引き裂く。
数で対抗しようにも、海賊たちの方は戦い始めたばかりで体力にも余裕があり、疲れたラ・ムール兵では抑えきれない。
突き詰めれば、これである。
どんなに勇猛なカー・ラ・ムールが世に送り出されても、たった一人で何ができる。
自分の手が届かない場所では、あっさりと大切なものは失われる。
「また、これかよ。」
シンは歯を食いしばった。
歴代カーから聞かされていたことだ。太陽神は残酷にも試練を与える。
どんな祈りも努力も突き崩され、次々と悲劇はお前を飲みこむだろう、と。
自分の未熟さも思い知った。
格下相手に苦戦する。雑魚を蹴散らして得意になっている場合じゃなかった。
王ならば、自分の武勇を誇る前に、味方と合流するべきだったのに。
駆け出して行ってシンは海賊たちの中に割って入る。
「お頭、黒い奴が!」
「ほほう!まだ元気な奴があったか!!」
包帯女がシンを迎え撃つ。
そのまま激しく激突するハズだった二人。
だが、簡単にシンは包帯女に吹き飛ばされてしまった。
「うなッ!?」
地面に転がりながら、シンは頭の中を収拾する。
そんな馬鹿な!こうも簡単に、同じ亜人相手に苦戦させられるのは初めてだ。
それこそ初めての時はともかく、武王や名立たるカー・ラ・ムールたちと勝負しても、最後の訓練ではこうはならなかった。
全く強さの次元が違い過ぎる。
「疲れてるせいか?」
シンは落ち着いて呼吸を整える。
黒豹人である自分より、一回り大きな包帯女。全身が包帯で隠れているが、オウガと見て間違いない。
大きな角が包帯から突き出し、炎が燃えるような瞳が爛々と輝いている。
包帯は随分と深い傷をおおっているようだ。
あちこちから血と脂、膿がにじんで、包帯が黄色く、ガビガビになって固まっている。
「あれで動けるのかよ。」
信じられないことだが、立って歩けるような傷ではない。
火傷か?だが、傷の深さから見て、火傷ではない。何か強力な酸でもかけられたような傷だ。
素早い洞察力で敵の実力を計るシン。
種族の差、体格、傷と自分の疲労、あらゆる要素を計算に入れ、攻撃設計を組む。
次の瞬きの間に、シンは軽く、素早く包帯女を圧倒した。
包帯女はしばらくは、軽すぎる攻撃に様子見かとたかをくくったが、そうではない。
この攻撃の意図を察して、素早く距離を取ろうとするが、シンは離されない。
致命傷を与える必要はない。
とにかく攻撃を重ねて、相手を運動させ続ける。あの傷は最近のものだ。
相当の血が流れたとみていい。体力は思った以上に減っているはずだ。
「姑息な真似をッ!」
包帯女はすかさずシンの死角に回り込もうとする。
「させるか!」
シンも潰された左目の死角を補うように立ち回り、回り込ませない。
だが、腕力が違い過ぎる。打ち合った途端に吹き飛ばされ、その度に敵は息を整えてしまう。
それでも、次第に包帯女の方が追い込まれている場面が増えていく。
「く、な!?」
包帯女は力任せに吹き飛ばそうと大振りを繰り返すが、金棒は空振りする。
その隙を逃さず、シンの戦斧は斬撃を重ね、ついに包帯女の身体から血しぶきが飛んだ。
理由は簡単だ。
何も考えずに打ち合っている包帯女と違い、シンは手癖を覚え、攻撃設計に反映させる。
何より自分より強い相手を前にすることで、この女は普段以上に研ぎ澄まされるムラのあるタイプ。
今まで以上の敵を前にして、新たな段階へと進化したと見るべきか。
しかし相手は海賊だ。
自分が気持ちよく勝っている間はいいが、苦戦すると気持ちが萎えてくる。
女頭目が苦戦し始めると、手下たちも逃げ出し始めた。
「ち!調子に乗って遊ぶんじゃなかったよ!!」
包帯女も手下たちの後を追うように逃げ出そうとした。
だが、逃げきれなかった。渾身のシンの戦斧が首と胴体を切断し、地に着く前に第2撃で破砕された。
飛び散る頭蓋と脳ミソの欠片が降り注ぐ頃には、残った骸も倒れて果てた。
盲目公が目指していたのは、残った海賊船団である。
彼は別にラ・ムール軍が海賊に襲われたから海賊を攻撃する訳ではない。
単純に、船を見かけて、それがミズハミシマ軍ではないかと警戒しただけだ。
「ドラゴンだ!」
船に残っていた海賊たちは、かなり接近するまで盲目公に気付かなかった。
戦場と違い、龍神の影響のない海上では、ドラゴンブレスが常の威力で使用できる。
呆気なく、彼らは焼け死んだ。船も沈められ、跡形もなくなった。
「許さんぞ、ドニー・ドニーの海賊どもめ。」
海賊を撃退したラ・ムール軍の兵士たちは、怒りに震える唇を噛みしめた。
助かるハズだった大勢の仲間が殺された。耐えられない悲しみが胸を突き上げてくる。
「あんな国、ドラゴン共のように滅ぼすべきだったんだ。」
勿論、現在は真っ当な海賊が少ないドニー・ドニーだが、当時はまだまだ海賊行為を続ける者はいた。
とはいえ、国ごと亡ぼすというのは当時でもやり過ぎだろう。
しかし、そう思うのも無理はない。
卑怯な横槍を入れられたようなものだ。
「おい、船が燃えてるぞ。」
一人が立ち上がって、うっすら見える海の端を指差した。
「ミズハミシマ軍の援軍か?」
「いや、海賊らしい。」
「ドラゴンにやられたのか。」
「はは。いい気味だ。」
一同が指を指して、遠くに見える燃え盛る海賊船を笑った。
やがて一人が言う。
「ドラゴンも話が通じるわけだし、海賊退治には便利かもな。」
「バカ言え。食われちまう。」
「でもよ、海賊の国ってのもある訳だし、ドラゴンの国っていうのもいつかできるかね?」
「…その時は、あのゲオルグが神の代理人ってことかよ。」
ゲオルグは、もうラ・ムールから立ち去るだろう。
過去の記録によれば、王位空座が終わると彼は
マセ・バズークに移動するという。
「まあ、俺らが生きてる間には、ねえな。」
兵士たちは小石でも蹴り飛ばす様に海賊船を焼きはらって、陸地に帰るドラゴンの姿を見ながら腰を下ろした。
「俺たち、よくあれと戦ったよな。」
全員、苦笑いするしかなかった。
でも、全て終わった。イストモスもドラゴンも追い返し、新王が正式に即位すれば、ラ・ムールは安泰だ。
骸骨要塞(スケルトン・キラー)。
この要塞の名前の”キラー”とは”殺し屋(killer)”ではなく、”要塞(Qila)”という意味である。
ちなみにこれはイストモスがここに要塞を建設した当時の名前であり、
今はラ・ムール名でコプレンツ要塞と呼ばれている。
元はイストモスが国境付近一帯を占領した時期に建設したため、一階部分が非常に広い。
「カー・シン・ガフ陛下、戦勝おめでとうございます!」
「陛下!!」
夜半に要塞まで帰還したラ・ムール、ミズハミシマ両軍。
出迎えるのは要塞に残った補給部隊や軍医たち。
「軍医長、陛下が負傷しておられる!」
大声で呼ばれた軍医長と軍医たちが見せられたのは、カーの証である左目を欠損した王だった。
思わず固まる一同。あまりのことに声も出ない。
「た、ただちに治療にかかります!」
「しかし、元には戻らないと存じます。」
カウもシンも分かり切ったことを言うなという表情で睨み返す。
その殺気に、軍医たちは口をつぐんで二人を奥まで通した。
身体は大人のシンが、唯一、カーであることを証明できるハズの左目が欠損してしまった。
無論、無知な民衆の中にはカー・ラ・ムールは隻眼であるという根も葉もない話が流布している。
だが生来、両目の開いたカーがいることも知る者は少なくない。
カウはシンを見送ると、将軍たちと共に事後処理に入った。
敵軍の主なった人物を討ち取った大勝利だが、兵の損失も大きい。
手放しで喜べない状況だが、全員の表情が暗いのはそのせいではない。
「一難去って、か。」
案の定、今度は
エリスタリアが動き始めているらしい。
両国の間にあるハロルド高地は、80年近く前にラ・ムール領に取り込まれたが、元はエリスタリア領である。
他にもエリスタリアが奪い返そうという土地、手に入れたがっている領土が広がっている。
平和な現在からは想像できないかも知れないが、この時代では、この程度の剣呑さは普通なのである。
一見、現在のエリスタリアとラ・ムールの国境線は短い。
だが、一時期はお互いに海洋を挟んで幾らか飛び地を持っていた時代があり、今は整理されているものの、
エリスタリア半島のあちこちにラ・ムールの領土があった地図も残っている。
「オルニト軍も動き出したか?」
「ルント条約が生きている間は、手出しできないハズです。」
ルント条約とはスラフ島の半分をラ・ムール領として認める、オルニト、ラ・ムールの国際条約である。
ドニー・ドニーを牽制させるためにオルニトが認めたものであるため、わざわざ破るとは考えられない。
しかし、この数十年でドニー・ドニーが弱体化し、オルニトの気が代わってもおかしくない。
「いっそ、あの島を我々だけで独占できれば…。」
書記官のひとりが迂闊な事を口にして、ナシマの顔を伺う。
「ミズハミシマとしては、あまり強固な外交政策は感心しませんぞ。」
そういって長い首をテーブルの向こう側、カウの前まで伸ばす。
苦笑いして答える副王カウ。
「へへへ。今のラ・ムールにそんな軍事力はねえし、そんな冒険は俺様がやらせねえって。
正直ぃ、まあ、俺様が思うに国内の復興とエリスタリアの警戒が最優先ってことだよなぁ?」
久しぶりに気障なサングラスをかけ、お調子者に戻ったカウ。
書記官たちは上司の元気な様子に微笑ましい印象を持ったが、始めて見るナシマは首をかしげる。
仮にも二人目の国王という大任を預かる重臣が、こんなお調子者では驚かない方がおかしい。
「カウ陛下は、失礼だがそれが普段からなのですかな?」
「そーですよぉ。これが俺様の普段通り!ししし!!」
カウが大げさな身振りで答えると、ますますナシマは不安そうな顔になる。
書記官の一人が口を挟んだ。
「普段通りといっても、この半年はずっと真面目でしたから!」
痛い所を突かれて、カウは口をとがらせてシュンとなった。
思わず書記官たちや将校たちが笑い出す。
逆にナシマとミズハミシマの軍人たちだけが取り残されて顔を見合わせる。
そんな中、目が飛び出すほど狼狽した軍医が部屋に飛び込んでくる。
あまりの形相に、一同が席を立ち、カウに至ってはテーブルの上を走って駆け寄る。
「陛下に何かあったのかッ!?」
軍医の襟元を掴むと、虎人の副王は加減もしないで力いっぱいに引き寄せる。
「がああ!!」
思わず軍医は悲鳴をあげる。
見かねたナシマが駆け寄って、あの例の眼でカウを見つめる。
「落ち着かれよ!」
途端にカウは平静になって、軍医を放した。
いきなり床に突き飛ばされた軍医は、そのまま尻餅をついて倒れ込む。
「シン陛下の容体は?」
そう言ってナシマが軍医に向かって首を伸ばして訊ねる。
蛇人特有の、ギラギラした瞳が軍医を覗き込む。すると軍医も落ち着いて話し始める。
「カー・シン・ガフ陛下が、赤ん坊になりました。ごく普通の1歳半ほどの赤ん坊に。」
この夜を最後に、シンは普通の猫人に戻った。
正確にはカー・ラ・ムールで、ドラゴンの因子、左目の欠損だけはそのままに、普通の子供に戻ったのだ。
成長してもドラゴンと戦ったこと、歴代カーから与えられた武術や知識は失っていた。
『付録』
「イストモス(480年前)」
当時は現代では途絶えている建国王イストモスの血筋、大ハンの皇統が残っており、大帝を名乗って諸部族を率いていた。
時の大帝ウルティウスはドラゴン部族の一派、ジョージ一族の黒い長角のジョージと手を結び、
建国以来の宿敵、ラ・ムールの百人隊長平原(プレーン・オブ・センチュリオン)を巡って開戦する。
この戦いでウルティウスは戦死し、帝位継承権争いが始まる。
「蛇人(ボアマン)」
鱗人の一種だが、未踏破地帯から入り込んで来たという亜人の一種。
ラミアと違い足がある。
人間の体に、全身鱗が生え、首から先がニシキヘビになっているという、かなり大型の亜人。
尻尾を合わせれば4m近い巨体の者もあり、脱皮する。体毛はない。
神経質で大人しい性格。
蛇が人間を噛むのは、人間を怖がって動かずにじっとしている所に人間が現れ、見つかったと思って反撃するからである。
蛇人も攻撃性が低く、平和を愛する大人しい気質の者が多いが、戦闘力は高い。
数日は休まずに戦い続けることもでき、冷たい水の中に半月も潜って姿勢を維持するスタミナを持つ。
顎を外し、頭蓋骨も縦2つに分離し、牛やケンタウロスでも丸呑みに出来る。
ただしドラゴンのように自分たちと同じ言葉や感情を示す亜人を、ためらいなく食うようなことはしない。
「ペトスコス」
古代エジプトのワニの神のひとつ。
ここではラ・ムールで軍獣として飼育されている超大型のワニである。
大人しく賢い性格。肉食だが、無暗に噛んだりはしない。
大きい以外は、全く普通のワニと同じ生物である。
善良王カー・ネレフトが未踏破地帯から連れ帰って、軍獣や農耕に使うために広めたとされるが不明。
- 処々の内容の濃さは言わずもがなだけど作者の観念を一本立ててそれとは別に異世界それぞれの観念を作っているのが面白いというか冷静な客観 -- (名無しさん) 2015-07-28 23:31:43
最終更新:2015年07月28日 23:27