【オルニト=デ=オリルト】

 1991年1月16日。
 突如として光の柱が出現した。
 地球の各地に合計11本。
 やがてその光が消え、残されたのは巨大な『穴』であった。
 目には見えない空間の揺らぎ。
 地面の下ではないどこかへと通じる、巨大な穴。

 あらゆる物理法則も当てはまらない、奇跡の存在。
 それは来たるべき世紀末を告げる恐怖の使者か?
 はたまた新時代の夜明けを知ろしめす希望の光か?
 世界の反応は様々だった。
 崇める人。恐れる人。
 解明を試みる国。攻撃を企てる国。
 いずれの『穴』にも分厚いバリケードと厳重な警備が施された。
 人が近寄らぬように。そして中から何も出てこないように。
 そんな『穴』の中へ今、一人の人間が足を踏み入れる。

 どこかへ落ちていく。
 無限に広がる真っ白な空間で上か下かも分からない。
 いや、本当に落下しているのだろうか。
 そう思った時には、音も風も重力もない空間にただ自分だけが漂っていた。

 不意に背後から圧迫されるような気配がして振り返る。
 天体のように巨大な眼球があった。
 驚く声も出ない。
 顔も瞼もない、純白の真円。
 血よりも紅い虹彩の煌きと、闇より黒い瞳孔。
 眼差しは何も語らずただこちらを見ている。
 その押しつぶされそうなほどの視線に、意識はむしろ吸い込まれていく。

 ガクン。
 突如として足元が抜けるような感覚が、体に意識を引き戻す。
 あっと声を上げた時にはまたどこかへ落下していた。
 巨大な眼球が急速に遠ざかっていく。
 だがその深淵から放たれる眼差しはいつまでも残っていた。

「うわぁぁぁぁっ!」
 背中に食い込む荷物。
 気が付くと真っ白な無重力空間ではなく、平らな地面の上で仰向けになっていた。
 体を支配する重力と地面の感覚に安堵する。
 見上げる空は地球と同じく青く澄み切っていた。
 雲一つない快晴。
 そんな頭上に巨大な岩。
 圧倒的な質量に思わず身構えたが、それは落ちてくることなく、ただ悠然と空に浮いていた。
 浮遊島だ。
 しかも一つや二つではなく、いくつも空にあった。
 更には視界の端、地上のどこかから伸びる巨大な鎖が青空の中心へ向かって伸びている。

 光の柱が生み出したのは『ゲート』だった。
 そしてその先には『異世界』があった。
 エルフドワーフ、獣人の国があり、ドラゴンが住まう世界。
 そして意思を持つ物理法則、『神』が存在する。
 11のゲートはそれぞれ異世界各地の11の大国に繋がっていて、その国を支配する大神の力が開いたものであった。

 そう発表されたのは光の柱が現れてからしばらく経っての事だった。
 ゲートが出現した地球とゲート向こうの『異世界』国家は、ゲートを通じて極秘裏に対話と交渉を重ねていた。
 そのプロセスの多くは国家機密であり、どれだけの苦労があったかは分からない。
 だが彼らはとうとう互いにゲートを超えた国交を結んだ。
 少しずつ人や物の交流が始まり、やがてゲートは一般解放された。
 時は流れて2012年。
 今や一般人でもバックパック1つで異世界へ行ける、異世界交流の時代。

「起き上がれますか?」
 力強い眼光。
 シャープな流線形の嘴。茶褐色のシュッとした羽毛の頭。
 人ほどもある鷹の顔がこちらをのぞきこんでいた。
 いや、鷹の様な人の顔と言うべきだったか。
 ここは鳥人の国『オルニト』。
 逆巻く嵐神住まうアステカ風神権国家。
 この国の主神にしてゲートの審査者は、眼球の付いた乱雲『ハピカトル』。
 先程ゲートで見たのがおそらくそうだったのだろう。
 審査らしい審査を受けた記憶はないが、こうして異世界にいるのは審査に通ったという事か。

 威厳に満ちた鳥人の顔が怪訝そうな表情に変わる。
「あの、聞こえていますか?」
「あー…いや、大丈夫。今起きる」
 そう言うとその鳥人は少し安心したようだ。
「ふむ、翻訳の加護はちゃんと授かっているようですね」
 そういえば彼の喋る言葉が日本語のように理解できていた。
 ゲートで神様の審査を受けた旅行者は翻訳の加護なるものを授かる。
 今こうして聞いている事も言っている事も、全て神様が翻訳してくれているらしい。
 もっとも対話も通じぬハピカトルや、鬼族の国『ドニー・ドニー』の戦神ウルサがそんな事をしている訳がない、一人一人に翻訳の精霊が付いているのだ、という意見もある。

 起き上がって見ると、周囲は神殿のような石造りの建物に覆われていた。
 鳥人の男性は見事な刺繍のローブの下からこれまた立派な翼を広げ、神殿への入り口を指す。
「入国審査の受付はあちらです」
「あ、どうも」
 異世界といえど国家で、ここが国境である事に変わりはない。
 地球で出国審査を受け、ゲートで神の審査を受けて異世界へ着いた者は、今度は異世界国家の入国審査を受けることとなる。
 ふと振り返ると自分が出てきた『ゲート』があった。
 目には見えない揺らぎの向こうで、今まさにゲートに入らんとする人影が見えた。

 入国審査と出国審査のために建てられたという神殿の中は、朝から自分と同じような旅行者でごった返していた。
 黒人、白人、アジア人。
 ケンタウロスホビット、魚人。
 ありとあらゆる地球人と異世界人が入国審査を受けるための列を作っていた。
 本来、このオルニトゲートにはペルーのナスカを通って来る必要がある。
 だが毎年6月は大ゲート祭期間として、大ゲート同士が繋がっているのだ。
 普段は鱗人の国『ミズハミシマ』と通じている日本のゲートからでも、オルニトに行くことができる。
 逆にオルニトのゲートからイギリスや北極のゲートへ出ることも可能だ。
 大ゲートの神々が一般交流が始まった最初の6月を記念して、特別にやっているらしい。
 そういう大ゲート間の移動をしてきた者は、許可証としてブルーリボンを身に着けている。

「ハイコンニチワ!ホホウ、これまた荷物が多いね!これ背負うと飛ぶ時大変じゃない?」
 入国審査の窓口にいたのはさっきの厳かな鷹人とは対照的に、陽気でよく喋るインコ人の神官だった。
「ホウホウ、これは何?…テント!キャンプするの?動植物の持ち込みはないよね?」
 持ち込んだ荷物の事から何の関係もなさそうな地球の話まで、あれやこれやと聞かれる。
「あ、そうそう動物と言えば。地球のドラゴンは翼がないって聞いたんだけど…え!?ドラゴンはいない?ホントに?」
 ただでさえ大勢の旅行者がいる上に、この調子でおしゃべりをするので、審査を終えて開放された頃には昼が近づいていた。

 神殿から出ようとした時、ちょうど最初に出会った鷹人の神官がいた。
「やあ、さっきはどうも」
「お困りのことはありませんか?例えばミズハミシマへ行くつもりがオルニトへ来てしまった、とか」
 とんでもない例えだが、この世界ではそんなこともあるのだろう。
「いや、それは大丈夫。それよりオススメの食事ができる所を教えてくれないか?向こうの出国審査とこっちの入国審査で、すっかり腹ペコなんだ」
「申し訳ないのですが、周辺の事には不案内なのです。なにぶん今日は他の神殿から来たものですから」
「そっか…」
「しかし外に出れば屋台が一杯出ていますから、きっと食べる物には困らないでしょう」
「へぇ、それは楽しみだ」
 それから彼は整えられた羽を震わせて掲げた。
あなたがいずこに向かわれるにせよ、ハピカトルがそのゆくてをさえぎることがありませんように
 祈りのようなものだろう。手を振って返す。
「ありがとう、良い一日を」
 ゲート神殿を出ると、また浮遊島の見える青空が広がっていた。

 聞いていた通り、オルニトのゲートは山の上に墜落した浮遊島の上にあった。
 神殿の外では様々な屋台や土産物屋、そして観光ガイドが旅行者を待ち構えている。
 大ゲート祭という事もあってか熱気に溢れていたが、近くに街らしい住居や泊まる場所は見当たらなかった。
「アミーゴ、アミーゴ!」
 何かの客引きだろうか、威勢のいい声が聞こえてくる。
 周辺の案内図が書かれた大きな看板を見ると、周辺にはいくつか最寄りの街があるらしい。
 大きな街もあれば小さな村もある。
 さて、どこに行ったものか。

「アミーゴ!」
 巨大な猛禽類の顔。
「うおっ!?」
 いつの間にかすぐ隣に大きな鳥人がいた。
「アミーゴ、そうアナタね」
 おそらく中年ぐらいのトンビが、派手な腰布を巻いて立っている。
 さっきから聞こえていた声はこちらに呼び掛けていたらしい。
「ああ、そうだったのか。何か用かい?」
「お客さん、浮遊島へ行くつもりなら巨鳥の大籠は行っちゃったばかりヨ」
 翼が指す先には浮遊島の縁へと斜めに伸びる石畳の滑走路があった。
「なるほど」
 離着陸しているのは飛行機ではなく、鳥人達だ。
「しかしお客さん運が良い。今ならミーが特別に浮遊島へ連れてってあげられる。それも一番高い王都島まで!」
 彼がそう言って翼で示したのは、地上から鎖が伸びた先にある浮遊島だった。
 オルニトの浮遊大地は行くのも大変、出るのも大変と聞いて準備もしてきたのだが、こことは別の事らしい。
「それで、どれくらいかかるんだ?」
 彼が鉤爪の付いた鳥脚を上げて提示したのは、オルニトの銀貨で8枚。
 地球で換金してきたが、決して安くはない額だ。
 それでも見上げた大空に浮かぶ島々とは比べるべくもない。
「よし乗った」
「毎度あり!ミーの名前はラノケー、よろしくアミーゴ」

 前金で半分渡すと、ラノケーは立派な嘴の隙間から耳をつんざくような口笛を鳴らした。
 それから何とも調子外れな唄を歌いだす。
 聞いた事もない曲調で、上手いのか上手くないのか分からない。
 1曲丸々歌い終わった頃だろうか、どこからともなく風が吹いてきた。
「ふぅ、やっと来たネ」
 風と共にやってきたのは、無数の翼が生えた透明な球体。
「これが精霊か」
 この異世界ではエネルギーもまた意思を持ち、『精霊』と呼ばれている。
 彼らに働きかけることで、魔法のように自然現象を意図的に起こせるのだとか。
 これはさしずめ風精霊といったところだろう。
「もしかして、これで空を飛べたりするのか?」
 そう聞くと彼はケラケラと笑った。
「駄目駄目。アミーゴの体格と荷物、この程度の風精霊ではピクリともしないヨ」
 それから先端の羽が放射状に分かれた裂翼を広げて見せた。
「それに風精霊の力がないと飛べないの、オルニトじゃ飛べる内に入らない。自分の翼だけで飛べないと」
 飛べると言っても色々あるらしい。翼を持つ種族ならではの誇りだろうか。
「それじゃこの精霊はどうするんだ?」
「それは…こうするネ!」
 彼は広げたまま翼で大きく羽ばたき、風精霊を吹き飛ばした。
 飛んできた精霊の無数の翼がほどけるように伸び、幾重にも顔にまとわりつく。
「これで良し。手人は空を飛ぶと体調が悪くなる。だからこうして風精霊の加護が要るヨ」
 そう言われると見えない空気の層が頭を覆っている、ような気がする。
 空気の薄い上空へ急上昇して、高山病になるのを防ぐためか。

「ハイ、じゃあ次はコレ付けて」
 今度はロープの付いたねじれたベルトのような物を渡された。
 言われた通り、タスキ掛けのようにそれを背負う。両肩からロープを結んだ取っ手が突き出していた。
「これでいいかい?」
 リュックを背負い直して振り返ると、いつの間にかラノケーの隣に同じくらい大きな鳥人が立っていて、ロープは左右それぞれ彼らの足に繋がっていた。
 二人の鳥人がバッサバッサと音を立てて走ってくる。
「さぁ走った走った!」
「へ?」
 広げた翼の威圧感に押されて、思わず走り出す。

 追い立てられる内に、いつの間にか滑走路へ入って真っすぐ走っていた。
 平らな地面を頭上越しに影が駆け抜ける。
 一瞬遅れて両肩の紐がピンと伸び、体が一気に宙へ引き上げられた。
 そのまま放り出されるようにして浮遊島の外へ飛び出す。
「おおおぉぉぉ!?」
 体がふわりと浮く感覚と、眼下に広がる硝石の丘。
 その時ようやくラノケーと相方の鳥人が頭上を飛び、繋がれたロープで体が引っ張り上げられている事を理解した。

 やがて落下が始まり、空気抵抗の風が吹きつけてくる。
 頭上に広がる二対の翼は前に向かって滑空していたが、次第に右へ旋回しだした。
 空気抵抗だけじゃなく、吹いている風の向きも変わってきた気がする。
 いつの間にか先程飛び出した浮遊島の周りを回るように、大きく弧を描いて飛んでいた。
「上昇している…?」
 右上からラノケーの返事が聞こえてくる。
「そうヨ!これがオルニト王都島群の上昇帯、この辺で上に向かって飛ぶならこの風に乗るネ!」
 この一帯は地上から空高く王都島まで、浮遊島群を包むように緩やかな竜巻が吹き続けている。
 上へ飛ぶ場合は時計回りの上昇気流に乗り、下へ降りる場合は内側か、あるいは更に外側を飛ぶのがここの航空ルールだ。
 長年に渡って鳥人たちが弧を描いて飛び、それに風精霊たちが風を吹かせる内に、いつしかここには絶えず風が吹き続けるようになったらしい。

 自分が出てきたゲート神殿も遠のいてきた。
 その屋根の上には槍のような長い棒を片足で構えた神官兵が何人も立っていた。
 ゲートの周囲四方は神殿の高い壁で覆われていたが、空を飛べる鳥人ならこうして軽々と飛び越えられるはずだ。
 きっと彼らは神殿で審査を受けずにゲートを出入りしようとする輩がいないか、見張っているのだろう。

 鳥人たちの祝福の歌が聞こえてくる結婚式場やら浮遊島をいくつか超えた辺りで、ラノケーが休憩と称して焼き鳥の屋台が建てられた小さな島に着陸する。
「「いらっしゃいませー」」
 屋台の左右から鳥人の少女が出てきて、ちょこちょこと走り寄ってくる。
「ねぇねぇ、焼き鳥はいかが?」
「アツアツ、焼き鳥はいかが?」
 可愛らしい双子のハーピーが翼で器用に持った焼き鳥の串を売り込む。
「ねぇねぇ、こっちからも買ってね」
「どうどう?こっちからも買ってよ」
 全く同じ見た目、同じ声の二人が、こちらを取り囲むようにくるくると歩き回る。
「分かった分かった…待った、入れ替わらないでくれ」
「ふへへ」
「えへへ」
 地球人のような頭部を持つハーピーだが、これではどっちがどっちか見分けがつかない。
 結局4本買うことになり、ラノケーと相方の鳥人に分けた。
 店主の鳥人と親しげに話す様子を見るに、ここに観光客を立ち寄らせているのだろう。
 普通であれば客は途中で降りられないのだから、上手い商売だ。

 ラノケーのサービスで浮遊島の近くの、天と地を繋ぐ巨大な鎖の輪に腰掛ける。
 人間よりも太く大きな鋼鉄のリングは、人ひとり乗ったところでびくともしない。
 悠久の刻を感じさせる、年季の入った表面に触れながら、出来たての焼き鳥にかじりつく。
 上の輪に立ったラノケーの話を聞くに、地球人が思うほど、鳥人は鳥類に対してシンパシーを抱いてないらしい。
 一方で、空を飛ぶ者に対しては一定の敬意があるらしく、鳥類に限らず翼の部位を食べるのは忌避しているようだ。
 串を口に近づけると、モモ肉から出る湯気がゆらりと渦を巻く。
 頭に覆い被さった風精霊も肉の焼けた匂いを楽しんでいる。

 唐辛子ベースのスパイシーな味付けを堪能していると、どこからともなく管楽器の音が聞こえてきた。
「アミーゴ、本当にラッキーね。『にわとり号』が来たヨ」
 音のする方を見ると、透明な回転翼を付けた船が空を飛んでいた
 赤銅色に輝く船体の周囲で無数のプロペラと大小様々な三角帆が、風を受けてフル稼働している。
 その船体を包む、目には見えない賑やかな雰囲気。
「まさか、アレは風精霊の力で飛んでるのか?」
 甲板では大勢の乗組員が楽器を奏でたり、何かを周囲にバラまいたり、歌うように喋りかけたり大忙しだった。
「まぁネ。でもあれくらいやらないと、精霊の力では飛べない」
「はー、凄いなぁ」
 飛空艇『にわとり号』は心地よい旋律と爽やかな追い風を残して、浮遊島群から去っていった。

 再び上昇気流に乗り、大図書館の島や様々な浮遊島を超え、とうとう一番高い島に近づく。
 鎖の繋がれた底面だけが見えていた浮遊島の上に、石造りの見事な大神殿が見えてきた。
 神殿の周囲には大小様々な塔で彩られた街が広がり、鳥人が飛び交う。
「ここがオルニトの王都島、『天空の島』。この国で一番高い島ヨ」
 島の周りには衛星のようにいくつかの浮遊島があった。
「周りの島は何て言うんだい?」
「手前にあるのが『太陽の島』で、奥にあるのが『月の島』ネ。どっちも神官や貴族の住む島、案内は出来ないヨ」
「へぇ」
 足元に広がる『太陽の島』にも立派な神殿が建てられているようだが、残念ながら工事中のシートで覆われていた。
 最も高いこの島を天に見立て、その周辺の島を太陽や月とする所に、オルニトの宇宙観が垣間見える。
 彼らにとって信仰の中心にあるのは太陽でも月でもなく、『空』そのものなのだろう。

 地球人を一人ぶら下げて、二人並んで飛んでいるにも関わらず、ラノケーたちは丁寧に減速しながら滑走路へ近づく。
 おかげで観覧車から降りるくらい簡単に着陸することができた。
 滑走路の表面には地球のルーン文字にも似た記号が彫り込まれている。
 神様の加護でも翻訳されないのは、おそらくこれが精霊と意思疎通するための記号だからに違いない。
 頭を覆っていた風精霊はいつの間にかいなくなっていた。
 しかし島全体が同じような空気に覆われているようで、息苦しさは感じない。
 縁から少し身を乗り出すと、真下に無人の浮遊島が見える。
 これは都合がよさそうだ。

 鳥人飛び交う滑走路から、旅行者でごった返す正面広場へ移動する。
 ラノケーに報酬を渡し、そこから彼が相方に分け前を払っていると、猛禽の鳥人がやって来た。
「よう、兄さん。ここまでの長旅で空腹じゃないかね?」
「へ?」
 友好的な音色で話しかけてきた彼を追い払うようにラノケーが翼を広げる。
「ダメよイーファス。この人ミーのお客さんネ」
「なんだ、先約がいたか。がっつり食いたいならいい店紹介するから、またここへ来てくれよ!」
 そう言い残すと猛禽の鳥人は雑踏の中へ消えた。

「鳥人はお喋り。嘴の上手い人間が一杯いるから何でもすぐ鵜呑みにしちゃダメ」
「ああ、それはオルニトに来てすぐに学んだよ」
 無口だったのはラノケーの相方くらいで、彼は分け前を確認するとどこかへ飛んで行ってしまった。
「それともう一つ…オルニトでは頭上に気を付けることネ」
「頭上…うおっ!?」
 迫る鳥脚。
 間一髪で転げるように回避すると、大きな鳥人が華麗に着地した。
「おお、地面ではなかったのか。上から顔が見えぬと人か地面か分からんのだ」
 飛行に特化したフォルムの鳥人が美しい翼をたたむと、首をひねる。
「ところで、我は何故ここに着陸したのだろう?」
 続いて着陸したオウム人がうやうやしく答える。
「『忘れ物をした』とおっしゃっていましたよ、ご主人様」
「そうであったか、我が秘書よ。その事を忘れておったわ」
 そう聞くと思い出したかのように、すたすた去っていった。
「ご主人様、ご主人様、お待ちくださいぃ…!」
 その後ろを侍従服を着た鳥人の少女がパタパタと追いかけていく。

「ネ、だから言ったヨ」
「こういう事ね…」
「それにホラ、今から軍の飛行ショーが見られるヨ」
 空高く浮かぶこの浮遊島の、更に上空を3人の鳥人が編隊を組んで飛んでいた。
 浮遊島の近くを飛ぶ連中とは一線を画す、戦闘機のような飛びっぷりだ。
 V字編成の左側を担うのは、威厳に満ちたコンドル人。
「あれは太陽の島で神官を束ねてる大神官ヒュアキュゴアル
 首回りの羽毛は鮮血のように赤く、威厳の中に何かを滾らせているかのようだった。
 右側を担う鷹のように精悍な鳥人は、がっしりと大柄で白い神官の衣装を着ている。
「あっちが月の島で有力なファルコ。最近神官界でも勢力を広げてて、地上で色々やってるみたいヨ。ミーは太陽の島出身だから、月の島の事は詳しくないけどネ」
 彼の力強い羽ばたきもまた、研ぎ澄ました野心を匂わせる。

「で、何といっても真ん中にいるのが大王キュアカァコール
 オルニトでは国王も空を飛ぶ。
 一際大きな阿呆鳥(アルバトロス)人の飛行は圧巻の一言に尽きる。
 戦闘機のごとく空を駆け抜けたかと思うと、蝶が舞うようなターンで戻ってきた。
 左右に随伴する猛禽類の大神官すら置き去りにしそうだ。
 その飛行は威厳や野心を振り切った無我の境地、まさしく『空』そのものだった。
「王様ってあんなに飛べるのか」
「当たり前ネ。オルニトの王様はトラトアニ言って、一番飛ぶのが上手い人。『帰還祭』で皆で決める」
「王様って飛行能力で選ばれてるの?」
「そうヨ、王様決めるのに飛ぶのが上手い以外に何かある?」
 鳥人は飛行能力が社会的地位に直結しているという。
 その理屈で言えば、最も飛行能力が高い者が王様という事になるのか。

「我々の王選びには理由があるのです」
 背後から声がしてラノケーがビクッとする。
 そこにいたのは、若い鷹人の神官だった。
 鳥人の年齢はイマイチ分からないが、ゲートで会った鷹人やラノケーに比べると大分若々しい気がする。
「何だイブライトか。驚かさないで欲しいネ」
 イブライトと呼ばれた神官が答える。
「この時期は大図書館もこの島の大神殿も一般開放されていますからね、ラノケーさん。我々も浮遊島間の公共交通手段を増やしているのですが、観光客を許可なく浮遊島へ連れてきて、法外な報酬を請求する人がいないか、見回る必要があるのです」
「もちろんミーは大神殿から許可を貰ってやってるネ。適正価格ヨ?」
 同意を求めるようにラノケーはこっちを見て言う。
「まあね」

 若き鷹人が端正な翼を差し出してきた。
「ようこそオルニトへ。この世界を代表して歓迎しましょう」
「これは丁寧にどうも」
 出された翼と握手を交わす。異世界でも握手は通じるのだろうか。
 ラノケーがエンガチョと言いたげな顔で見ていたが、イブライトは「先程の話ですが」と続ける。
「貴方は『亜神』という言葉をご存じですか?」
 前にニュースで聞いた記憶がある。
「確か、ミズハの乙姫様がそんな事を言っていたような…」
「そうです。ミズハミシマの首長・オトヒメ様のように神の加護ではなく、神の御力そのものを授かった方々を亜神と言います。龍神シマハミスサノタツミノミコトの寵愛を受けた彼女の拳は、島を割り海を穿つとも言われています」
 ここが異世界といっても、人間が自力で魔法や超能力を使える訳ではない。
 どうやら亜神とはとんでもない存在のようだ。
「亜神はただ人を超えた力をふるうだけではなく、神の御声の代弁者でもあります。オトヒメ様や、スラヴィアの吸血姫サミュラ様のように、国を治められるのはごく自然なこと」
「ふむふむ」

「しかしこのオルニトではそうはいかないのです。あなたもゲートで会ったなら分かるかと思いますが、我らが主神ハピカトル様の言葉をまともに聞いた者も、聞いてなお正気のままでいられた者もそうそうおりません」
「あー、確かにそうかも」
 ゲートの中で見たあの眼球が喋る姿は、想像も付かない。
「ハピカトル様がこの国に亜神を御遣わし下さっているのか、そもそもハピカトル様の御力を授かって正気を保った亜神など存在しうるのか、我々は知るべくもありません。ゆえに今は最も空の声を聞き、風に乗る事に長けた者を我らが嵐神の代弁者、大王(トラトアニ)としているのが実情なのです」
 そこまで言ったところでラノケーが口、というより嘴を挟む。
「ハピカトルのやる事なんか考えるだけ無駄ヨ。オジサンが神官時代に学んで役に立った言葉は『真理などなかったのだ』の一つだけネ」
「ええ、それは確かに過去の神官が残した言葉です」
「そんな事より『落とし物』や『雛鳥』の管理をちゃんとして欲しいネ。この間だってあんな事件があったのに」
「もちろんそれについては再発防止に取り組んでいます。しかし、あの出来事にもハピカトル様の何らかの思し召しがあるのではないかと…」
「それは神官の仕事、オジサンにも地球から来たアミーゴにもそんな暇はないヨ。それじゃあネ」
 話を強引に切り上げたラノケーの翼に背中を押されて、広場を後にする。
「そうですね…せっかく地球から来たのですから、これ以上の嵐神論は控えましょう。ともかく気を付けてオルニトを楽しんでください」
「ああ、色々教えてくれてありがとう」
 後ろから聞こえるイブライトの声に、手を振って返した。

 王都島の外周沿いに伸びる道を、道なりに進む。
「強引に行っちゃったけど、良かったのか?」
 足元は地上のようにしっかり舗装された道だが、色とりどりの塔の隙間からは青空が見える。
「いいネいいネ。ハピカトルの事なんか考えてても天気は良くならないヨ」
 天気とはオルニトらしい言い回しだ。
 この島はそこらの雨雲よりよっぽど上空にあるので、天気が悪くなることも滅多になさそうだが。
 地面に視線を戻すと、歩道の先が用水路のような溝で分断されていた。
 車道くらいに幅がある溝の中には、水も川底もない。
 一歩踏み外せば下の青空へ真っ逆さまだ。
 近くにモノリスのような一枚岩で、手すりもない石橋が掛かっている
「おっと、そっちは色々と危ないから行っちゃ駄目ヨ」
 ラノケーが島の内側へ迂回する道を示した。

 彼に払ったのはこの島へ来るまでの分なので、こうして島の中を案内しているのはサービスだという。
 だが、地面をくり抜くように作られた開放的な円形劇場が見えてくると、ラノケーが黄色い鳥脚を止めた。
「おっと、ここまで来たアミーゴにとっておきの話。そろそろここでハルピュイアの女の子のショーが始まるネ」
 合点がいった。
 道中の屋台のように、ここを紹介するのが目的だったようだ。
「そう来たか…」
 すり鉢状の観客席には、様々な種族の観客がひしめいていた。
「大丈夫大丈夫、ホラ同じようなお客さんもいっぱいいる。今ならミーの紹介で特別に安く入れるヨ」
 自分と同じようにここへ連れてこられたのか、地球人もちらほら座っている。
「そうそう、ハルピュイアをハーピーと呼ぶ手人も多いけど、ちゃんとハルピュイアと呼ぶ方が女の子の好感度も高いネ」
 こういう事を教えてくれる分にはとてもありがたい。
「やっぱり野郎が飛んでるトコ見るより、女の子の歌と踊りを見る方が楽しい。それに今日はアミーゴの世界の人も大好きなハルピュイアの踊りヨ?」
 それも確かだ。
 だが。
「いいや、折角だけどまた今度にするよ。他にやっておきたい事もあるしね」
「そう?イブライトもうるさいから無理にとは言わないネ」
 ラノケーの反応は意外にもあっさりしていた。
 他のお客さんもいるし、ダメなら他に切り替えるということだろうか。
「ここまでありがとうな。初日から浮遊島に来られるとは思ってもなかったよ」
「また後でネ。ここへ来てくれたら帰りや泊まりも案内するヨ」
「ああ、また今度」
 周囲でタダ見できないよう人払いが始まったので、残ってステージを見ていくラノケーと別れる。
 終わった後も、連れてきた観光客相手に何か商売があるのだろう。

 再び島をぐるっと回って、最初に着陸した滑走路へ戻ってきた。
 上空でも軍の飛行ショーが繰り広げられている事もあってか、鳥人の離着陸はまばらだった。
 やはり準備をしておいて良かった。
 背中の荷物からメットと防風のゴーグルを取り出し、全身にハーネスを装着する。
 ハーネスの首元と繋がった袋をリュックの上に固定した。
 メットとゴーグルを被り、滑走路から身を乗り出して真下の浮遊島を見定めておく。
 近すぎず遠すぎず、ちょうどいい高さだ。

 周囲にぶつかる人がいない事を確かめながら、滑走路に沿って縁から十分な距離を取る。
「ふーっ…」
 深呼吸をして顔を上げた。
 鳥人を誘導する地面の白線が、足元から青空へ向かって伸びている。
 今だ。
 滑走路を駆け出す。
 近くで見ていた鳥人がアッと叫んだ気がする。
 ぐんぐんと手足のストライドを広げると、地面を走る白線が加速する。
 あっという間に大地の終わり。
 最高速度でそのまま断崖から飛び出した。

 青空へ真っ逆さま。
 飛び交う鳥人たちの間を大の字ですり抜ける。
 視界に飛び込む浮遊島群と、その先遥か彼方の地表。
 極限の自由落下。
 ゲートのような無重力の感覚。

 そんな気の迷いを振り払い、肩のコードを引く。
 リュックに取り付けた袋から飛び出した布が風を受けて長方形に広がり、首元から離れて一枚のパラシュートになる。
 短い落下距離で開傘し、飛び立った浮遊島にも引っかからないよう、短距離のベースジャンプ用から表面積を切り詰めたキャノピー。
 全身のハーネスが重力と空気抵抗で締め上げられ、ぐるんと脚から落下する姿勢へ変わる。
 パラシュートとハーネスを繋ぐラインを調節しながら、真下の浮遊島目指して降下していく。
 脚先を通して見る岩塊は恐ろしく小さかったが、ギリギリ冷静を保ってその中心を狙う。
 そのまま勢いよく着地した。10点満点だ。
 人ひとり飛び乗った所で浮遊島はびくともしない。
「っー…!」
 小さくして開きやすくした分、空気抵抗による減速が少ないので、服の下にプロテクターを付けて受け身を取っても結構な衝撃だ。

 空気抵抗がなくなると、パラシュートの中央を通るセンターラインがするする巻き取られて、地面から首元に戻ってきた。
 しまう手間を減らし、浮遊島群を次々に飛び降りることができるよう改造したおかげだ。
 立ち上がると二枚の長いマフラーのようになびく。
 風を受けても広がらないよう、首元で固定する留め具を掛ける。
「これでよし、と」
 オルニトの浮遊大地は行くのも大変、出るのも大変と地球で聞いていた。
 だから、せめて自力で浮遊島から出られるように準備をしてきた。
 異世界交流によって、地球の文化と科学技術も飛躍的に進歩を遂げたと言われている。
 これも異世界から様々な知識や人材が来なければ、きっと作れなかったはずだ。

 軍の鳥人飛行ショーやハルピュイアの舞もそれなりに興味がある。
 一般開放されている大神殿や大図書館も魅力的だろう。
 だが、今一番に見たいものではない。
 首元の留め具を外し、まずは地上を目指して次の浮遊島へ飛び降りる。

 そして冒険は【浮遊島群のあまぐも】へ続く…

 本作は2012年6月の大ゲート祭を舞台としておりますが、オルニトや鳥人について投稿時点での公式設定に独自解釈を加えて書かれています。
 全部が公式設定という訳ではありません。
 またシェアさせていただいた各作品についても、本作における記述はあくまで独自解釈となります。
 ご了承ください。

  • 異世界行きの見本のようなゲート移動と入国は正に今の今まで幾度となく瞼の裏に浮かんだ光景。そして強烈な存在感を持つ反面、行動理解不能の神of神のハピカトル -- (名無しさん) 2020-05-01 00:57:36
  • オルニトに降りると?大自然の中の旅行と牧歌的なオルニト民と触れ合う印象がありますが、やはりランダムかつ突発イベントハピカトルは心のどこかで準備しておかないといけませんね -- (名無しさん) 2020-05-01 03:09:56
  • 1回目の加筆。様々なSSで培われたハピカトルの存在感は強烈ですね。後日、もう一度加筆して完成予定です。 -- (書いた人) 2020-05-10 06:06:23
  • 加筆完了。今回はオルニトを形作る魅力的な作品の数々を少しでも紹介できればと、キャラクターの直接登場含めて多数シェアさせていただきました。改めてオルニトやイレゲを作り上げてきた先人の皆様にこの場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございました。 -- (書いた人) 2020-06-13 23:46:04
  • 接客・名所・道具・手法などなど交流が前に進んでいくのと一緒に色々生まれたり発見されたり現在進行形なんだなぁと感慨深くなっちゃう -- (名無しさん) 2020-06-16 01:28:00
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最終更新:2020年08月31日 01:27