太陽神を崇める猫人の国、
ラ・ムール。 この国は王として生まれた者を君主とする王制国家である。
一般的な王制であれば王の子女が次代の王の任を負うこととなるのが道理と捉えられているのだが、ラ・ムールではそれは異なる。 なぜならば、ラ・ムールにおいては、君主たる王は「大いなる太陽神ラーの名代」と同義であり、その存在は「王者の魂」により定義されるだからだ。
ラ・ムールの王とは、太陽神ラーが名代として繰り出した「魂」を持ち産み落とされた存在である。 それがラ・ムール王制の第一義。 魂などという不確かな存在を拠所とする、などと言うのは一見すると滑稽かもしれないが、死人を以って国を為す
スラヴィアの存在、そして生と死・魂の変遷を司り掌る太陽神ラーの神秘を以って国を為すラ・ムールを擁する「こちら側」では、当然のこととして受止められるに値する事象なのである。
この理に従えば、王の子女が必ずしも王とは成り得ない。 王がそこに存在している限り、他に王たる唯一の資格であり証明である「魂」を持ちえる者は存在しえないからである。
王の妻が妊娠した正にその時王が亡くなったならば王の子女が次代の王となる可能性を持ちうる。だが、ラ・ムール建国以後、后と夜を共にし腹上死、などという不名誉な最期を迎えた王は一度たりとも存在しえないことが確認されている。
なぜそのようなことが分かるのか? 何故ならば、王の死は厳格な記録として遺されるからである。 いつ王が亡くなったか、それが分からなければ「王たる者の魂」を受け継いだ次代の王を探し出すことなど叶わないため、王の崩御(特に死亡日時)に関しては国家的な重大懸案として処理されることになる。
ラ・ムール王の崩御、それはラ・ムールにとって激変を与える契機となる。
第一の契機は、王制への影響である。
原則として王の崩御後は、王の子女、ないしは王が健在の折に国政に重大に関与した個人あるいは集団が、「王の代行」として次代の王が玉座に着くまでの間の国政を担うことになる。 この時期においては、崇め奉る太陽神の権現ではなく、極論を言えばただの人が国政を担うこととなる。 それはつまり、王制が私欲に晒される機会が強まるということである。 悲しいかな、「そちら側」と同じく「こちら側」でも、ヒトは違えど、そこに思考と利害がある限り、権力欲もまた存在するのだ。
また、国は次代の王を探すため、ラ・ムール国内はもとより、「こちら側」全土に跨り調査団を派遣することとなる。 ここにも少なからず私利私欲が関わる隙があり、即座に見つかるなどということはまずありえない。 だがしかし、建国以後一度たりとも見つからなかったことがない。 それは、今日においてもラ・ムールという国が建国当初よりの王制システムを維持していることが証明している。 例は少ないながらもある王は先王崩御後即座に見つかり、また、自ら王であることを悟り王城へ赴いてきた者もいた。 偶然か必然か、必ず王の魂は玉座へ導かれているのである。
だが、王たる者が玉座に着くまでの「ヒトの治世」では人・金・物の関与は大きく、王自身による政権腐敗の粛清より新王制が始まるということも少なくはないのだ。
第二の契機は、人民への影響である。
ラ・ムールの王は必ず生来より左の目に光を宿さず生まれてくる。 この逸話はラ・ムールに限らず、ラ・ムールに関わりを持つ者全ての間に流布している。 ラ・ムール王当人からすれば事実に反する事ではあるのだが、それは自覚を持たぬ次代の王を含めた王でないもの全ての認識である。 そのため、王の崩御に前後し生まれた子に対し、出産直後あるいは調査団の来訪を聞きつけた折に、次代の王として売り込むために左目を親自ら、あるいは金品を対価に事故に見せかけ潰してしまうということが横行した時代があった。
故に、現在のラ・ムールでは王の崩御から次代の王が確定するまでの間、次代の王たる可能性がある全ての子供に対して特に眼器及びその周辺への故意の傷害を与えること、及び傷害を与えるべく第三者へ依頼することに関し、死罪を含む厳罰を以って処する旨が刑罰法に明文化されている。 だがしかし現在もなお、少なからず次代の王として売り込むための虐待は行われており、調査団はその行為に対し厳罰を以って処する権限を備え全土を旅することとなり、次代の王がごく短期間で見つかった代を除き、その権限が発動されることなく調査団が役目を終えることはない、というのが現状である。
また、この王探しの大紀行は単に王を探すためのものではなく、全土に今だ埋もれたままとなっている、ラ・ムールの将来を担う逸材を発掘する機会を兼ねている。 調査団は国家的なスカウトキャラバンでもあるのだ。 王たる巡り合せにない者でも、調査団に見初められることで、この機に成り上がるチャンスがある。王の崩御は悼むべきことではあるが、才を隠し持った者にとっては世に出て名を上げるまたとない好機でもある。 才の種類・価値・大小はともかく、聖人偉人に奇人変人、数多の人材が頭角を現すこの時期は、ラ・ムール全土がさまざまな意味で賑やかとなる時期でもある。
なお、「太陽神ラーは生きとし生けるもの、魂を持ち世に在る全てに試練を課す」という神代よりの伝承があるが、次代の王発見に至るまでの動乱がラ・ムールという国家の運営に対する試練なのかどうかは、神のみぞ知ることである。
今現在、ラ・ムールの玉座に座すべき者は宮には居ない。
先王崩御より幾年、現在のラ・ムール国政は、先王遺児ネネ=アフ・ラ・ムールを先王名代とした仮の政権が動かしている。
既に相当の年月が経過しているが、今だ「次代の王発見せり」の真報は届かない。誤報なら連日連夜届いているのだが。
だが、王たる魂を受け継ぎし少年は、確かに存在しているのである。
これから綴られるのは、その少年が未来にあってラ・ムール王となるまでに歩んだ道の、ほんのひと時の話。
未来王の顕現 始まりの日
ディエル=アマン=ヘサー、15歳。
ラ・ムールの全土を占める砂漠の片隅にある、大オアシスをはじめとするオアシス群とそれを取り囲む群生林を中心に形成された村落に住まう、ごく普通の少年。 先王崩御の前後に彼はその生を授かるが、生まれた直後より罹患した原因不明の病により左目の光を失っている。
一時期は王の生まれ変わりかと村落を巻き込むレベルで騒がれたものだが、調査団により「先天性のものではなく疾病による失明」と判断され、落胆と共にごく普通の生を約束された。
ごく一般的な村落のごく一般的な家庭の子であるディエルは、よくある村落のよくある光景の一部として、今日も元気に王都より派遣された教員らが執り行う授業を友人共々華麗にサボタージュしていた。
まだ幼かった頃は世代を問わず左目のことでとやかく言われたものだが、特に同年代の子らとは毎日顔を突き合わせるもの同士、そんなことをいつまでも言い続けたところで意味のないこと。 結論、最終的には小オアシスのほとりでグーパンチのクロスカウンターを以って理解しあった、年相応にやんちゃな悪ガキ集団の一員として、村をあまり芳しくない意味で賑わすに至っている。
授業を抜け出してきた悪ガキどもの今日の標的は、毎月決まって村落に食料や資材を売りに来る行商人。 果実や青果をかっぱらい、木陰で成果を競い合いつつ食い散らかし、そして夜には親父の鉄拳制裁。 ディエルだけでなく、やんちゃ坊主どもは皆最終最後のオチを理解していても、やんちゃの盛りは止められないのだ。
今日も大オアシス前の大広場にて露天を広げる果実商から俊敏に果実を掠め取り、友人らとのコンビネーションと路地に精通したが故のフットワークで追い迫る果実商を手玉に取り、そして撒いたら小オアシスの木陰に拵えた通称「俺たちのアジト」で互いの健闘を称えつつ運動後のデザートにありつく。 今日も果たしてそうなるはずだった・・・のだが。
「うわぁ!?」
いつもなら左折後直ちにトップスピードで駆け抜ける路地に入る曲がり角、そこでディエルは人影と衝突してしまう。
「いっつつ・・・ったく」
これだから左が見えないのは不便だぜ、ディエルはそんなことを愚痴りながらも、この遅れを取り戻しつつ逃げる算段だけは常に立て続ける。 だが、目の前でぶつかった相手は未だ立ち上がれない様子だ。 その様子に焦れるディエルだが、やがて倒れている者に手を差し出し
「ちっ、くっそ・・・ほれ、立ちな!」
と引き起こしてやる。
情けはヒトの為ならず。 「
ゲート」の向こうから来た、という物好きな旅行者を宅に招いたディエルの父がやけに気に入って、酒が入るたびに説教くれるので彼としては図らずも覚えてしまった言葉。 他人に情けを掛けてもいいことなんてねぇぞ、という意味ではないということは、グーと一緒に叩き込まれたディエルはよく知っている。
「ああ、すいませんねぇ・・・はっは、年はとりたくないもんだねぇ」
めんどくせぇババァを引っ掛けたか? それともコレは罠か何かか? 様々な可能性を巡らせるが、「どうでもいいからとっとと逃げる!」という結論は変わらない。
「じゃなバァさん! 曲がり角には気をつけるんだぜ!」
「あいや待たれぃ! 坊主、ババァに当身食らわせてそれで済むと思うちょるんか!」
「・・・めんどくせぇ!」
これ以上手間をかける義理はない、とばかりにディエルは老婆の制止を振り切っ・・・たつもりだが、その足は地に縫い付けられたかのごとく動かない。
「てっめ、何しやがんだ!」
「ほっほ、地霊の術じゃて。 ババァが坊主の影から足を離さん限り、坊主は動けんのよ、ひゃっひゃ」
「・・・で、何をしろっつーんだ?」
「まったく、最近の坊主はなっとらんなぁ・・・どれ、ババァが説教のひとつもくれてやろうぞ。 ひゃっひゃ、ありがたかろうよ?」
「・・・マジかよ」
その後こってり、日が傾き始める時分まで延々と、最近の若いもんは的説教と、ディエルにとっては全くもって意味のない昔話と、ラ・ムールの民なら何処に住まおうと誰もが知る太陽神ラーの伝承を5ループほど聞かされることとなった。
「ほっほ、もうええじゃろうて」
「1回聞きゃ、十分だぜ・・・」
既にゲンナリの極みに達したディエルにとって、打ち切りの台詞は僥倖そのもの。 ここを逃す手は無いとばかりに機先を制するため動・・・きたいのだが
「もう話は終わったんなら、足退けてくれよ!」
「ひゃっひゃ、まぁ落ち着きなされな。ほれ、イイもんをやろう」
ディエルの影を踏んだまま歩み寄る老婆が手を広げると、そこには不思議な形をした装飾に宝玉を込めた指輪が二つ。 片方は煌く赤、もう片方には透き通る様な橙の宝玉が据えられている。
「まぁ何じゃ、売っても金にならんからの。それは坊主のもんじゃからな、ほっほ」
「んあ? どういう意味だぞりゃ?」
「いずれ分かることじゃて、話すまでもなかろ」
さっきまで延々してた説教のほうがよっぽど話すまでもないだろ、とは口には出さずに苦虫を噛み潰したまま、ディエルは黙って変てこな指輪を受け取る。
「やかましいのが来寄るでな、ババァは去るよ。 達者でな坊主」
老婆はそう言い残し、ディエルから離れていく。
「何だったんだ、一体・・・?」
老婆が去り自分以外誰も居なくなった路地裏で、一人呟くディエル。 だが
「・・・ま、考えても仕方ない。 とりあえず果物屋が追っかけてこないうちにアジトに行くか」
時間も時間だし誰も居ないかもな、とりあえず向かうだけは向かってみるか。 ディエルはそう考え、アジトへ駆ける。
「ひゃっひゃ、偉大なる神ラーはいかな者にも等しく試練を与えなさる。 ヒトによりけりじゃがの」
誰にでもなく、老婆は身を引きずりながら路地を歩く。
「さてさて、ラーはいかな試練を与えなさるかの」
老婆の身は、徐々に小さくなる。
「達者での、坊主・・・いや、未来王《カー・マス・デバン》かの・・・ああ、漸く逝けるわぃ・・・」
薄明の陽光の中、老婆は太陽神の庇護に包まれ、仮初の生より解脱した。
「俺たちのアジト」へディエルが辿り着いた時、既に仲間は解散した後だった。
「ま、そうだわな。 あのババァに捕まって大分時間経っちまったからなぁ。 よし、俺も帰るか」
誰も居なければ、いつまでもここに居ても仕方がない。 ディエルは仕方なく、一人寂しく宵の明星が輝き始める赤の空の下、帰路に着く。
「はぁ・・・明日は畑の手伝いかぁ。先生んトコに行かなくてもいい、っつーのはいいけどなぁ」
王都やその周辺部であれば、然るべき勉学を経て文官に就くことも、また武に優れれば武官の道を選ぶことも出来よう。 それ以外にも才があるのなら、それに応じた役職を得るに至る事もあるだろう。
だが、場末の村落の生まれでは、男は畑を、女は織機を継ぎ、受け継ぐ財の無い者や身寄りが無い者は人に傅く作法を学び村を出るより他に無い。 それがラ・ムールのごくありふれた村落の少年少女が大人になる過程である。
父も祖父もその前もみんなそうだったから自分もそうなのだろう、と漠然と考えるディエルだが、前途に対しまだ希望を抱きたい年頃の彼には、素直にそれを承服できない心根が燻っている。
「そちら側」で言うところの、思春期にありがちな万能感と現実とのギャップに対する苦悩と、それでも俺には何かでっかいことが出来る筈だと言う根拠の無い自信、というやつである。 「こちら側」の少年少女であっても同じヒト、同じ悩みを抱えていることに変わりは無い。
「あぁ~、カー・ハグレッキみたいな大冒険でもしてみてぇもんだなぁ~!」
カー・ハグレッキとは、ラ・ムール神代に武王と称えられた王の一人である。 18の時にラーの導きに従い幾多の試練を乗り越え、神代の化生を打ち倒し、その末に王座に着いたという昔話。 これは特に男児向けの子守唄や読み物として語り継がれ、ラ・ムール国政の礎を築いた賢王カー・サリエ神話と並びラ・ムール国民に馴染み親しまれている。
幼い時分よりハグレッキ神話を聞かされて育ってきたディエルも、今なお神話への憧憬を捨てられない少年の一人である。
「え?」
何か声が聞こえた気がして頭を振ってみるが、誰も知らないアジトへの抜け道の最中、誰も居るはずがない。
「気のせいか・・・ババァの変な話聞かされて参ってるのかな。 とっとと帰るか」
帰宅したディエルを待っていたのは、香ばしい夕餉の匂いと、電光石火の親父アッパーであったことは言うまでもない。
それから数日。 村落は不穏な噂もあるものの、今日も平穏そのもの。
授業を抜け出す前に見つかってしまった悪ガキ一団は、存分に絞られた後愚痴りながらアジトへ向かい、特に何かやるでもなく思い思いに過ごすことにした。
何か面白いことでもないか、こんな田舎村で何か起こるわけも無いだろ、と幾度と無く繰り返されアジトの日常となった問答に割って入ったのは、今日の授業の後で聞かされたこと。 何でも、村の近くに砂漠大線虫《ワームビースト》や大甲虫《メガクロウラー》が接近している、という話だ。 どちらも砂漠に住まう多くのラ・ムール民にとっては身近な脅威である。
然るべき防衛手段を持つ王都であれば話は別だが、碌な迎撃手段も備えず旅する者や、自衛手段を用意することもままならない小規模村落にとっては、水・食料に次ぐ死活問題なのだ。
基本的に特段刺激しない限りは襲ってこないのだが、これらも当然ながら本能に忠実な生物であり、巨躯を維持するのに多量の食料を要することから、腹を空かせている彼らに遭遇することになれば、砂漠渡航最大の脅威の到来となる。 個体によっては間近に見れば山の如き巨大な甲殻虫や中流貴族の屋敷をぐるり一回りしてなお余る線虫が、心身鍛え上げた屈強な
イストモスの
ケンタウロス兵の、装備を全て捨てての全速力に匹敵する速度で迫り来る、と言えばどれほどのことかお分かり頂けよう。 この巨獣に対抗する術はいくつも確立されているが、武王神話で語られる物以外のいずれを為すにも相当の人員と相応の準備が必要となる。 どちらも用意できなければ・・・遭遇しないことを祈るより他無い。
これほどの脅威とはいえ、たとえラ・ムールに住まう民であっても、知識としては知っていても遭遇することが無ければ実感を得る事も無い。 いわんや村の外を知らない子供であれば尚の事。 アジトの子供たちも、大人が何とかしてくれんだろ、と気楽に構えている。
刻はそろそろ日が傾こうかという時間。
先ほど近くのオアシスでおやつ代わりに釣るなり掴み取るなりで捕獲した魚が焼けるいい匂いを肴に、アジトの仲間たちと「次は何を狙ってみようか?」などと話をしていたディエルだが、不意に左目があるべき辺りに違和感を覚える。
(ん・・・何だ? 今頃昨日の親父右フックが効いてきたか?)
「どうしたディエル? 左目痛いのか?」
「いや大丈夫。 多分昨日親父にブン殴られた痛みがぶり返してきただけさ」
心配そうに声をかけてきた友人にディエルは応える。
この左目には何ら意味も光も無く、生まれてすぐの病気で使い物にならなくなっただけ。 王都から来たエラい神官様が念入りに調べてそう結論を出したんだから、お天道様が引っ繰り返ったってオマエが王様なんてことはない、王様なんてのは貴族様の息子がなるもんだからいい加減諦めろ、とは母親がよく言っていた。 流石に15歳ともなれば、自分がもしかしたら王なのかもしれない、などという誇大妄想を抱くことは無い。
「何だ? 今誰か呼んだか?」
「別に呼んじゃいないが・・・精霊の声でも聞こえたんじゃないのか?」
「いやそれは無いから」
ラ・ムールの民に限らず、「こちら側」に限らず「あちら側」から来たヒトであっても、程度に差はあれ精霊と対話することが出来るものだが、ディエルはどういうわけかそれが極端に出来ない。火精の加護に満ちるラ・ムールの地にあって何とか小さな火を灯すことが出来る程度で、精霊の声を聞くなんてことは生来出来た例がない。
それに聞こえてきた声は女声だったが、このアジトに来るような物好きな女子は、たまに怒鳴り込んでくる村長の娘にして級長のメイレくらいなものだが、そのメイレも居ない以上女声がするわけが無い。
それじゃあ何だ?と首をかしげるディエルだが、思考は地鳴りと共に中断させられることとなる。
自然に出来たにしても子供達1グループで使うには十分すぎるほどに広い穴倉を、子供の手で多少均して捨てられた家財で取り繕ったただけ。耐震構造など樹木の根に頼るのみのアジトは、激しい地鳴りに震え、家財は倒れ、たちまち混乱の坩堝と化す。 いったい何だ? これが地震ってヤツか!? ドタバタと駆け回るメンバーだが、我先にと急いで出ようとした仲間が青褪めた顔で戻ってきたとき、全員の動きが止まる。
「大甲虫、いた、そこに」
なんでこんなトコに? どうしてここに? 砂漠最大の脅威を眼前に、そんな思考が出来るほど冷静で居られる子供など居ようはずも無い。今の彼らにとっての唯一の救いは、穴倉の中なので相手方の全容が見えていないことと、逃げようが無い場に居るが故に混乱し散り散りになることもないこと、ただそれだけ。 もしアジトの外で遭遇してしまったのであれば、混乱し、逃げ惑い、漏れなく捕食されることとなっていただろう。
大甲虫からすれば、水場の近くから魚肉の焼ける匂いがするのであれば、そこに行って飯を食うのは極自然な行動であるのだが、そんなことを混乱の最中にある子供達が理解できるはずも無い。
「仕方ない、窪み側の出口から出よう! 食われて死ぬよりは、転げ落ちてケガするなり骨を折る方が安いもんだ! 『ゲート』の向こうじゃ『命あっての物種』って言うらしいしな!」
意を決したディエルが、アジトにいる全員を鼓舞するように、震える膝を叩きながら声を張り上げる。 他にどうする術も浮ばない以上、その案に食いつくより他無い一団は、窪み側の穴を塞いでいる木板を打ち破る準備に入る。 それと同時に、授業で「砂漠の巨獣は匂いに敏感だから焼き物と匂いの強いものは外で食べないように」と言われていたことを思い出しだ仲間の発案で、大甲虫を釘付けにするために釣ってきた魚や残しておいた果物を焼き始める。
ディエルは一人火の番をしつつ、仲間が皆アジトから出たことを確認する。 転げ落ちるなり足をくじくなりしてしまった者もいたが、協力し合えば動けないことも無い。 最後に出る仲間に「声をかけたら気づかれるかも知れないから静かに村に逃げろ。 オレはここに残って食いもん焼いて時間を稼ぐ。 頃合を見てオレも逃げる。 誰がここを見つけたと思ってるんだ?」と伝えてある。
仲間が皆いなくなったアジトは、魚や果実が焼ける音と焼けた肉身の匂い、それと地鳴りと激突音に満ちている。
ディエルは一人焚き火を見つつ、地響きがすることに逆に安心しながら、時を待つ。 仲間達が村に辿り着きさえすれば、あとは村の周りに撒かれた巨獣除けが村共々守ってくれるはず。
先日何故か変なババァから押し付けられた、捨てようと思っても何故だか捨てることが出来ずに持ち歩いてしまっている指輪をいじりながら、時間経過を計る。足をケガしている奴もいたから、その分を加味しなければならないだろう。
<なぜこのような無謀な策に賭けたのですか?>
「知るか! ここで誰かがデカブツを止めなきゃ逃げる時間も稼げないだろ。 あとはまぁ何となく、ハラ減ってるならメシの匂いが優先だろうと思っただけだ」
何か幻聴がしたが、どうせ一人きりだから誰にも聞かれることは無いと思い、ディエルは幻聴に付き合ってやることにした。
<左様で御座いますか・・・さすれば、これもカー・ラ・ムールとなるための試練なので御座いましょう>
どうやら幻聴は、ディエルがかつて抱いた痛々しい妄想と結びついたらしい。 もっと小さかった頃は本気で自分は王になると思っていたがそんなことはありえない、ディエルは既にそう悟っている。
「カー・ラ・ムール? ばっかばかしい、オレだってもうガキじゃねーんだ。 何が王様だよ・・・どうせ俺には、親父の畑を継いでずっとこの村で暮らしていくしかないんだからな・・・!」
こんな時に御伽噺にしても馬鹿馬鹿しい話に付き合う位なら黙ってりゃよかった、そう考え直したディエルは頭を振り幻聴を振り払おうとする。
<そんな! それは困ります! 貴方には未来王《カー・マス・デバン》として>
「そっちは困っても俺は困らないんだよ!」
あまりの誇大妄想ぶりに苛立ちを抑えきれなくなったディエルは、手近な小石と砂を握り締め焚き火に叩きつける。 どうせもう焼くものもない以上、息苦しくなる前に消すしかない。 地鳴りも大分続いている。 そろそろこのまま残っているのも危険だと判断したディエルは、最後に焼けた魚や果物を普段の出口付近にぶちまけて、全速力で逃げ出すための準備運動に入る。
(ちょっとだけでもカッコつけてみたかっただけだってのに・・・!)
胸中に少なからずあった虚栄心を抉られた、そう感じたディエルはもう一度頭を振って、村まで一直線に走り出すため最後の準備に入る。
<意に沿わぬ話をしてしまい、申し訳ございません・・・せめて、せめて最後に>
「・・・何だよ?」
そろそろ出なければここも潰れてしまう。 そんなときにまだ尚話しかけてくる妄言への腹立たしさを臆面も無く言葉に乗せたディエルの言葉だが、妄言からしたら僥倖だったらしい。
<最後に一つだけ、お持ちの指輪を、左右に一つずつ嵌めて頂ければ、それで充分でございますから・・・>
「最後って言う割には、そんなことかよ・・・」
妄言の割には余りに悲痛な声に、落としてしまうのも癪だし嵌めておいたほうがいいか、と思わされてしまう。
渋々ながら指輪を左右の指に嵌めて
「先ほどは失礼を致しました、カー・ディエル。 御気分は如何でしょうか?」
「ああ、何だろ、何だか急にさっぱりしたような、そんな気分」
先ほどまでの焦燥感も、苛立ちも、もう感じない。
「それよりも、だ・・・誰だオマエ」
誰も居ないはずのアジトに、何故かヒトが突然現れたように見えたのだから、ディエルとしては聞かないわけにはいかない。
「ああ、大変申し訳御座いません! 私、主ラーの命により代々カー・ラ・ムールにお使えしております、神霊コロナと申します」
「しん・・・れい? 精霊じゃないのか? というか何で見えるんだ!?」
精霊は密度が濃くなったり精霊場と呼ばれる特定の属性に強く偏った場にあれば光量の濃淡のような形で見えるようになる、とは聞いたことがあるが、こんな
エリスタリアの妖精みたいな見姿の精霊なんて聴いたことが無いし、そもそも精霊を見聞きすることが出来ない体質のはずのディエルには理解が追いつかない。
「私ども神霊は、神の代行たるカー・ディエルのような方のために主神より使わされるもので御座いますれば。 顕現を嫌う神と王と繋ぐものとお思い頂ければ相違御座いません。 それと、私どもの姿をご覧頂けるのは、主に連なる左目の御力によるものに御座います」
「いやだって、俺生まれつき左目無い・・・え!?」
普通のヒトなら左目があるあたりに手をかざしたディエルは、その行為で視界が狭まるという人生15年初の体験に驚愕を隠せない。
「カー・ラ・ムールとして覚醒されました故、生来宿りし王の証にして浄解の力の源泉、虎目石の瞳《タイガーズアイ》が開かれたのです」
「・・・はぁ?」
「詳しい話は後ほど。まずは、あの忌まわしい臭いのするあの大甲虫モドキを打ち倒しましょう。 アレはヒトの魂を狙い、取り込む化生に御座います。 野放しにしておけば、散る必要の無い命が道楽に玩ばれるだけで御座いますれば」
「よく分からんが、それも、そうだな!」
ディエルの決意の言葉と、アジト天井の崩落は同時であった。
「・・・すげぇな、コレ」
<当然に御座います。星紅玉《スタールビー》により陽・月・星の光を刃と為す太陽牙《ゾン・ブレザ》に、紅玉髄《カーネリアン》により勇気を刃と為す獅子牙《ジンガ・ブレザ》、数多の神話獣を打ち倒した名爪にして名刀に御座いますれば>
神霊コロナの自慢げな声を聞くディエルは、コロナを指輪に宿したことで両手に生み出された爪牙により、天井と倒れこむ大木をぶち抜き、久方ぶりに穴倉の外に飛び出る。
そしてついに見る、大甲虫の姿。だがそれは伝え聞く大甲虫とは似て非なるものであった。
「なんだありゃ・・・つか何だこの吐き気のする臭いは!?」
<恐れながら、忌々しき
モルテの棲家、スラヴィアからの置き土産か何かと推察致します。彼の者に生の息吹が感じられないことは、カー・ディエルの左目でも御確認頂けるかと>
お互い地上で相対すれば、大甲虫というだけあり「村長の家より遥かにデケェな!」と率直な感想が出るが、よく見れば確かに「生き物」感がしないことにディエルは気づく。
「しかしどうする? あんなデケぇの」
<ご安心を。 アレは殻のみに御座いますれば。 唾棄すべきスラヴィア貴族共が屍骸を自動で回収・運送するために生み出し野に放ったものでしょう。 アレなら生きた大甲虫に紛れて砂漠で我らがラ・ムールの民や来訪者を食らおうとも直ぐには気付かれますまい。 故に、破壊しようとも問題御座いません>
「やけにスラヴィアにキツいね・・・ま、いいや。用は『アレはもう生き物じゃないから何やっても構わない』ってことだろ?」
<ご明察に御座います。 村からの救援が来てしまう前に、取り急ぎ始末致しましょう>
「応!」
駆け出すディエルの身は、オアシス林の不安定な足場を物ともせず、風を切り、繰り出される大甲虫の爪や足をかわし、事も無げに大甲虫の腹の下に辿り着く。
「まさか憧れの武王とおんなじことが出来るとはね!」
太陽牙が地平線に沈む前の赤々とした陽光を受け巨刃の剣と化し、獅子牙は次代を切り開く決意と覚悟を受けて雄々しき巨爪となる。
「見様見真似、武王十字爪斬! ぶち抜けぇぇぇぇ!」
巨大な斬撃の前に、殻だけとは居え堅牢極まりないはずの大甲虫モドキの巨躯は十文字に斬り砕かれ、内包された数多くの屍骸共々砕け散る。
「天に座します主神ラー、今より行き場無くし彷徨える御霊を送り申す。彼らの魂に、永久の、安息、を・・・」
無意識のうちに主へ奉げる鎮魂の詔を言い終えると同時に、精根使い果たしたディエルは倒れこむのであった。
ディエルが目覚めたのはそれから3日後。
既にアジトの件やら言いつけを守らなかった件でコッテリ絞られ済みの仲間同様、ディエルも目覚めて直ぐの親父ボディブローで再度昏倒した後に説教されることとなった。
大甲虫については先に逃がした仲間達が連れてきた大人達も確認したが、直ぐに爆発してしまったため実際どうなったのかは確認出来ていなかったようだ。 その後、誰が通報したのかは知らないが中央より役人が来て、何が起こったのか説明するよう何度も請われたが「埋まってた俺が知るか!」で押し通した。 完全に意識を失う前にディエルはコロナに頼み込み、元アジトの天井をぶち抜いて出来た穴に自分を埋めさせたので、「埋まってた」という件については事実である以上覆しようが無い。
また、虎目石の左目については、また閉じたままになってしまった。 鍛錬すればこれまでの王と同様に日中ずっと開けていられるようになると言うが、まだ覚醒したばかりの今では少しずつ慣らしていかないと、左目から得る右目からとは比較にならないほどの莫大な情報量が心身に疲弊をもたらすことになるので普段は閉じておいたほうがいい。コロナからの助言を受けたディエルはその通りにしている。大甲虫モドキと戦っていたときは無我夢中だったので気にならなかったが、今左目を開けるとほんの少しの間でもかなり辛いのだ。
ちなみに、何でエラい神官様が間違って王じゃないと判定したのかといえば、コロナが言うには「時が来るまで左目が開かぬよう神霊の力を以って細工した上、来訪した神官が伴っていた精霊に『めっ』しました。えっへん」ということらしい。 当たりクジを見間違えさせられて捨てることとなった調査団の心情を慮るに辛いものがあるが、今自分がこうしてここにいることは、それはそれで感謝すべき事なのかもしれない。ディエルはそう考えるに至った。
かくして、この件は何故かは分からないが問題なく解決した事件として処理され、後には生存の危機と直結した恐怖を体験した子供らと、未来王たる自分を自覚した少年だけが残ることとなった。
とりあえず目は覚めたものの、暫くは安静にするよう旅医者に言われてしまい、やることがないディエルはコロナとこの前のことについて話すことにした。
「で、アレも結局、試練ってヤツだったのか?」
「さぁ、どうなのでしょうか? 主の思し召しは私にも図りかねます故」
「・・・ひょっとして、ラーって実は意外と行き当たりばったりなんじゃないのか?」
「流石にそれはないかと思われますが、かつて主ラーはこのような事を仰っておられました。全ての彷徨える御霊を救え、と」
「無茶言うなぁ」
ラーが司る生命流転・生命賛歌の理念と噛み合わない、仮初の生による半永久の延命と死肉による饗宴を好しとするスラヴィアと、最悪事を構えることを視野に入れなきゃならんって事ではないか?とディエルは思うが、絶対に激烈に諸手を上げて賛同した上に過激な要求までしてくるに違いないコロナには言わないでおくことにした。 コロナも目覚めた後暫くは「埋めさせるなんて、そんな、ひどい・・・」以外の応答をしてくれなかったが、最近ようやくまともに話が出来るようになった。 ディエルとしては今後の事を話し合わなければならない以上、ここで変に臍を曲げさせてまた話が暫く出来なくなる、という事態は避けたいのだ。
「ま、とりあえずはもう暫くはいつも通りに過ごすとするか。 都に出る前に親孝行もしないといかんしな」
「流石はカー・マス・デバン、よい心掛けに御座いますれば。 私も微力ながらお手伝い致しましょう」
アンタが微力なら精霊は何なんだ、ということになるが、それを言うとまた自慢話が始まることを知っているので、ディエルはぐっと言葉を飲み込む。 と、そこに来客の足音がする。父母との話し声からするに、どうやらメイレが来たらしい。
「失礼するわよ・・・さっきからアンタ、一人で何ブツクサ言ってるのよ。 生き埋めになって気でも変になったんじゃない?」
コロナ曰く「私のことを見聞き出来うるヒトは、カー・ディエルを除けば各国の元首やそれに比肩する力の持ち主位でしょう」と自慢げに話していたが、それは本当のことらしいとディエルは得心する。
「やかましい。 嫌味を言いに来ただけならとっとと帰れや、メイレ」
「ふーん、そういう事言うんだ。 ま、いいわ、病み上がりの言う事だから、特別に大言壮語も大目に見てあげる。 で、ハイこれ」
と言ってメイレは紙束をディエルに突き付ける。
「何じゃこれ」
「見れば分かるわ。 提出は来週だって。 あとこれ、適当に果物買ってきておいたから、良かったら食べて。 それじゃ」
バスケットの中には見慣れた果実が幾つか入っていた。 頂けるというのならありがたく貰っておこう、ということで、ディエルは早速一個皮も剥かずに齧り付く。
「うん、美味いな。 サンキューな、メイレ」
「何その変なの。 またおじ様が連れこんだっていう『向こう』の人の言葉?」
「ああ。 ありがとう、って意味なんだってさ」
「そ、じゃあね」
何故かいそいそと身支度して帰るメイレを見送り、部屋から出て暫く経ったのを確認して、ディエルは嘆息ひとつ漏らす。
「はぁ・・・何かと思ったらコレ宿題かぁ。 めんどくせぇけど、やらなきゃマズいもんなぁ」
「左様で御座いますれば。 応援だけは致します、カー・ディエル。 それはともかくとして、メイレは随分と献身的な方なのですね。 奥方とするに相応しい方とお見受けいたしますが」
「うん、それはないな」
言葉の意味するところを理解するのに一瞬間が空いたが、ディエルの中で結論は即座に出た。
「何故にで御座いますか!?」
ディエルとしては、むしろ何故コロナがそんなことを自信たっぷり気に話して否定されて狼狽するのかが理解できない。
こうして、未来王に課された最初の試練は幕を閉じるに至る。
彼がラ・ムールの玉座に辿り着くのは、まだ先の話。
- 未来王シリーズの記念すべき第一話。緻密な設定に支えられた王道の少年冒険物。ラ・ムールの世界構築はここから始まった。ディエル君の艱難辛苦もここから始まった。 -- (名無しさん) 2012-03-26 23:17:51
- 描写 -- (名無しさん) 2012-03-27 03:54:06
- ↑ミスった。「描写は丁寧だけどあまり引き込まれない。新鮮さがなくて古典っぽい」 -- (名無しさん) 2012-03-27 03:55:56
- 舞台が砂漠ということもあり、序盤の説明プロローグから某スターウォーズをまず彷彿した。 とりあえずのディエル君の紹介的な展開だけど、場所や出てくる生物をどう想像するかでアクションシーンの度合いが結構変わってくるのではなかろうか -- (名無しさん) 2012-03-27 23:24:33
- 問答無用で王たる王を選出する仕組みとそれを活かして主人公や物語が始まっているのに壮大な叙事詩を予感しました。展開も主人公の旅立ちまでを一つの編として丁寧に描いていて時間も気にせず読み通しました -- (ROM) 2013-02-18 18:18:45
- 冒頭の背景設定にまず感心。世界丸ごと一つ構築する勢い。これがあるから物語に厚みが出るんだと思う。ストーリーとキャラ配置は割とベタなんだけどね -- (名無しさん) 2013-03-09 20:17:46
最終更新:2012年05月03日 14:09