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【未来王の森林浴】


 東大陸《キリマオリエグル》の地上を6割以上を覆い尽くす緑。
 曰く、その深淵には誰も見たことのない財宝が眠っている。
 曰く、その深淵には誰にも知られることなく千年の時を生き続ける仙人が住まう。
 曰く、その深淵には生命の力を司る、大いなる大樹がそびえ立っている。

 曰く、その深淵を目指したヒトは、等しく二度とその身を森の外に晒すことはない。

 ある者は地上からそこに立ち入るも、森にひしめき蠢く生命の糧となり果てる。
 ある者は技術と財の粋を凝らした空挺で臨むも、粉微塵に粉砕され、芥すらも残らない。

 故に、人々はその緑の絨毯を『深緑龍のはらわた』と呼ぶ者もいる。
 だが、世界中の誰にも即座に理解してもらえるようにするならば、『帰還不能大森林《ケンバリ・ヴォイマーツ》』と呼ぶ方が良いだろう。
 そこは未開地の中の未開地。 深い霧と緑に覆われた、いまだヒトの存在を許さぬ獣の楽園。


 キチキチと節が鳴く。 ずし、ずし、と力強い足音を立て、節足が大地を踏みしめる。 巨大な甲殻蟲が、破城鎚もかくやという前足を振りかざし、木々を薙ぎ倒しながら歩く。
 荒い息を立て、土竜人の少年が鼠人の少年を背負い、只管に、ただ只管に、限界さえも越えて、生への渇望のみを糧に、直走る。 背負う鼠人の背からは鮮血が溢る。 鮮血の匂いは、彼らを追う甲殻蟲のみならず、森に息づく野生までも煽り始める。
 立ち止まれば死。 後ろは振り返らない。 見据えるは正面のみ。 疾走のみが、土竜人の少年が己に今課す総て。
 だが、既に限界を超えた肉体は、突発の事態に対応できるだけの余力を残してはいなかった。 足が縺れ、下草と根に絡み、少年らは崩れ落ちる以外の選択肢を選ぶことが出来ない。

 迫る破壊の権化。
 鼠人の少年は既に生の限界に近く、土竜人の少年は、動きを止めてしまった肉体を再度動かすだけの活力が体から失われ、逸る心に追いつかない肉体に悪態を吐く。
 だがしかし、本能のみで動く甲殻蟲には、彼らはようやく動きを止めた餌でしかない。
 幾多の野生を屠り潰した戦鎚が高々と振り上げられ、人外の膂力を以て振り下ろされようとした、その刹那。
 深緑の迷宮に、紅玉と翆玉の閃光が奔る。



未来王の森林浴



「・・・ちいっとばっかしデカすぎやしませんかね、この樹獣?」
 立って歩くことも出来るほどに密集した緑葉の絨毯の上に降り立ったディエル=アマン=ヘサー(16)は、着地と間を置かずして現れた、一対の翼で飛翔する巨大な樹獣と相対していた。
「つかあんなの世界樹のてっぺんにも居なかったぞ! まぁ分かりやすいだけ、あの糞神霊の御出迎えよりはマシだが!」
 かつて世界樹の直上で出会った神霊の腹の底を決して見せない態度を思い起こせば、いかにも「見敵必殺」な態度剥き出しの樹獣のほうが理解に易い。
 過去の経験を振り返ったディエルは早速両手の太陽牙《ゾン・ブレザ》と獅子牙《ジンガ・ブレザ》を抜き放ち、左眼が眩く輝く視線で樹獣を睨みつけ、相手の出方が如何なものであろうと即応できるよう、全身を緊張と弛緩の狭間に落とし込む。
 樹獣の双翼がひときわ強く羽ばたき、ディエルが樹獣へ向けて斬り込もうとした、まさにその時、
「ちょおっと、まったぁ~!」
 ディエルが腰に下げた鞄の蓋を内側から勢いよく開け放ち、中からエリスタリア来訪以来の旅の供であるチカ=シズニペリ(79)がしゅぽーん!と勢いよく飛び出してくる。
「・・・何がしたいんだ、お前は? ホレ見てみぃ、あんなのが居るんだから、邪魔だから引っ込んでろ」
「ふっふっふ・・・『すべての樹獣と友達になる』という私の特技をもってすれば、あのおっきいのが私のお友達になるのも風前の灯火ですよ! さぁデルさん、私の特技に慄いちゃってください!」
「死亡直前でどうすんだよ・・・ま、いいや。 骨は拾ってやるからがんばってこい」
「はいなー!」
 無駄に元気だけ有り余ったチカは、早速樹獣に向かってかっ飛んでいく。
「・・・食われなきゃいいけどな」
 半ば呆れ顔でチカを送り出したディエルは、とりあえず神霊コロナに毛玉をけしかけて暇を潰すことにした。

 それから幾らか過ぎたころ。
 いい加減襲ってこない樹獣の挙動に不審を抱いたディエルは、とりあえずチカと樹獣の傍に寄ってみることにした。
「つかコイツはなんで喋りもせずにこんなせっせか動いてるんだ?」
<どうやら、袂を同じくする同士ということもあり、念話のようなものが成立するのではないかと>
「なるほどねぇ・・・割り込めるか?」
<波長さえ合えば可能かと思われますれば>
「よし、ちょっとやってみっか・・・つかオマエきったねぇな」
<誰のせいで御座いますかぁ!>
 毛玉にガシガシかじられてよだれ塗れのコロナを余所に、神気を細い糸のように編み込み、チカと樹獣に向けて投射する。

「ふむ・・・口を開かないで声を出すってのも慣れないもんだな」
 念話の世界に初めて踏み込んだディエルが、なんとかチカと樹獣の会話に混じろうと試行錯誤していると
「そこでこう、ガッときて、ぶわぁーってなって、どばぁー!ってなったんですよぉ!」
「ほう・・・」
 チカが身振り手振りを交えた上に擬音語擬態語ばかりの理解しがたいトークを樹獣はふむふむと聞き入っていた、という珍妙な状況であることが確認できた。
「おいチカ! お前は何言ってんだかサッパリわかんねぇよ!」
「あれ、デルさん何時からそこに? って言うか、あんなにわっかりやすく話をしてたのに、わかんないんですかぁ?」
「あんなどかーんとかずばーとかばっかりの内容で分かってたまるかぁ!」
「途中からだったから分からないのでしょう」
「そっちのオマエは半分合ってるが解釈が飛びすぎてるぞ! つかお前は何じゃい?」
 ディエルは値踏みするような目線を巨大な樹獣に向け、念話で問いかける。
「私は、足下におられます創生樹《クレウェボル》により生み出された、守護樹龍《ガルディオ・ナガス》で御座います」
「創生樹・・・エリスタリアにある世界樹の親戚みたいなもんか?」
「その御認識で問題ないかと。 して私、父より『直上より飛来する猫を特別待遇で歓待せよ』と命ぜられておるのですが」
「歓待、とな」
「おでむかえごくろーさまなのです!」
「チカお前は黙ってろ。 絶対お前の想像と違う意味だから」
 言うが早く、守護樹龍はビシィと敬礼するチカとの念話の回線を一方的に切断し、翼をはためかせ飛翔を再開する。
「ほえ? どうして行っちゃうですか?」
「あのなチカ、こういう時の『歓待』ってのは」
 ディエルは話も半ばにチカを鷲掴みにして腰の鞄に突っ込み
「全力でぶっ放すので死にたくなかったらお好きなように抵抗してくださいねって意味なんだよォ!」
 再度両手の光刃を抜き放ったディエルは、飛翔する守護樹龍の口から放たれる種の弾丸乱射を弾きつつ回避に専念する。
「何処を見ても葉っぱばっかりか! 身を隠すなら下しかないな、こりゃ!」
 使徒があんだけ遠慮なく種子弾幕打ち込んでるくらいだから多少切って穴開けたくらい問題ないだろ、との判断に基づき、ディエルは獅子牙と太陽牙で足下の緑を薙ぎ払い、穴をあけて飛び込む。
 ようやく見つけた隙間に身を潜らせたディエルは、障害物のない上面で飛翔する弾幕吐き樹獣をいかに撃退するかの算段を立てるべく、黙考に入る。

「・・・ふむ、どうしたものかな」
 枝葉を掻き分け道を作りつつ、ディエルは上空の樹龍といかに対峙するかを引き続き検討していた。
 これまでも何度かやってきたように神気で熱風を生み出して足から放出して上空で応戦する手もある。 オルニトで世話になっている間に、消耗を抑えて上空に留まり続ける術と高速飛行に必要となる身体制御と急転換制動については身に着けることが出来たが、長時間飛び続けながらの戦闘による損耗が激しいことには何ら変わりはない。
 幾ら何でも守護樹龍が戦神ウルサより強いということは流石にないだろうが、オルニト大図書館の文献によれば古代クルスベルグが作った空飛ぶ船を単独で破壊したこともあるという程の存在。 持てる破壊力は氷壁牢獄《ゲウル・ディ・シエタ》の暴力的な生物すら上回っているだろうことは想像に難くない。
「下から迎撃するなら飛び道具か、あるいは跳ねるか、か」
 まだ日も高く活力も十分にあるため両手の獅子牙・太陽牙とも刃渡りを延長することは可能だが、重さの無い刃とはいえ不釣り合いな程に長すぎる得物を振り回しても打力は十分に得られない。 地に足を付けたままであれば、斬撃波を飛ばす、毛玉もとい氷霊獣ヴァズハリムバズルに氷鎗を撃たせる等、飛び道具での応戦が主体となるだろうが、空中戦に長けた相手に地上から応戦すること自体が難しい話だ。
「戦において『上』を取ることの優位性ってやつか。 何とかしてあのデカい翼をたたっ斬って墜落させる、ってのが現実的な落とし所かねぇ」
 とりあえずの方針が立ったところで、ディエルは進行方向を上向きに切り替えて、背中に圧し掛かる枝葉の壁の向こうへ意識を向けつつ、どの辺りから飛び出すかの算段を立てる。

 天空の樹上に氷霊獣ヴァズハリムバズルの咆哮が唸りを上げ、雹の弾丸と氷柱の鑓が上空を舞う守護樹龍へ向けて飛翔を始める。
「いやはや、<向こう側>で言う所の怪獣大決戦ってやつだなこりゃ」
 先に毛玉の状態のまま放り出し、表に出た所で励起し毛玉を真の姿へと戻してけしかけてやれば、当然ながら守護樹龍としては迎撃せざるを得ない。
 そうして守護樹龍の意識をハリムの猛攻に集中させたところで、
「さて、行きますか!」
 一打必中が求められるが故に、ディエルは針の穴すら通すほどに鋭い目線で守護樹龍の動きを追い、狙い定めた一点へ目がけ、神気爆発、翔け上がる!
 ハリムの氷撃に対抗していた守護樹龍も真後ろの位置から飛び出してくるディエルを察知するが
「残念ながら一手遅いな!」
 太陽牙の紅と獅子牙の緑、二色の閃光が真昼の半月を2つ描き、守護樹龍の両翼が切り落とされ、
「悪いが、ちょっと下で話をしようぜ!」
 翼を失い空中での制動力を失った守護樹龍は、下から繰り出される氷撃乱舞と背中側からの火炎熱風《ファイアストーム》の挟撃を受け、受け身すら取れずにその巨躯を緑の絨毯に叩き付けられる!

 轟音と共に枝葉を大きく揺らし、翼を失った守護樹龍が墜落する。 いつでも仕掛けられる状態でヴァズハリムバズルを待機させ、意識の糸を守護樹龍に連結する。
「さて、俺としてはチカの友人にこれ以上の攻撃はしたくない。 が、そちらさんがやる気なら、そちらが枯れ果てるかこっちが力尽きるまでやるしかない」
「・・・」
「ダンマリ、か。 まいったね、こりゃ。 ふむ・・・別に俺たちは、この地で何かしようとか考えてるわけじゃない。 少なくとも俺としては早い所この森を抜けて新天地から船乗って、ラ・ムールにある家に帰りたいだけだ」
「・・・」
「ま、何も言いたくないならそれでもいいや。 とりあえず俺はこれ以上戦う気はないんで、話が終わったらすぐにでも降りる。 創生樹のことやおまいさん方の事を大々的に言うつもりもないし、秘密にしろと言うならそうする」
「・・・」
「俺はとにかく、帰りたいだけだ。 そこだけは分かってくれると助かる。 それじゃ」
 言いたいことは言ったとばかりに、ヴァズハリムバズルを毛玉に戻したディエルは、守護樹龍に背を向け緑の絨毯の端へと歩を進める。
「・・・父の裁定が出ました。 貴殿の言を真とし受け入れる代わりに、『大樹《ファーナギー》』の仲介をして欲しい、とのことです」
「アンタはともかく、あの胡散臭い神霊のお使いを頼まれろ、ってことか・・・ま、あくまでもお宅らの距離的な都合を解消するためだけでいいなら、受けよう。 どうせまた行くだろうし」
「父もそれで問題ないと申しております。 また、機会があれば『終末樹《デュロコダマー》』の状態を確認して欲しい、とのこと。 知る折があれば、父か『世界樹《イグドラシル》』へお伝え頂ければ」
「・・・三本目の世界樹、って事か。 聞いたことないが、どうせ試練馬鹿なお天道様のことだ、面倒そうな状況にあれば近くに放り込まれるだろ。 生きてりゃ協力するよ」
「感謝いたします、太陽の子よ。 試す様な事をして済まなかった、と父も申しております。 それと、友好の証として貴殿らを模した守護樹龍を作ろう、と」
「マジかよ・・・ま、栄誉だと受け取っておこうかな」
 将来この森を訪れたときに自分そっくりの樹が生えているところを想像したディエルとしては何とも言い様の無い気持ちではあるが、友好の証ということであれば悪い気はしない。
「ところでアンタ、翼切り落としちまって申し訳なかったな」
「お気になさらず。数日もこうして日を浴びておればまた生えてきます故」
「さすが樹獣、日光があれば元気百倍ってわけか・・・でもま、その間ぼっちってのもアレだろ。 おいチカ、こっちの用事は終わったから、友達の話し相手してやってくれ」
「うゆ? もう出て大丈夫なんです?」
「おう、こっちの用事は終わったからな」
「りょうかいでありますー!」
 鞄から飛び出したチカは、早速守護樹龍の傍へと移動し、念話での会話を始める。 内容はどうせ理解しがたい内容だろう、と判断したディエルは、傾き始めた太陽を眺めながら、安息の時を過ごしていた。


「もうこんな経験ないだろうと思ってすっかり忘れてたが、木の上にゃロクに食えるものが無いんだよなぁ」
 全ヒト初かもしれない創生樹からの降下を始めたディエルにとって、最大の問題はまたしても食であった。
 世界樹を半月強かけて下った時には幹を渡り歩く花獣の蜜を頂いて凌いだが、創生樹にはそういう類の存在はいないらしい。
 捕獲すれば食えそうな鳥類や飛行する生も、創生樹が発散する神気を避けての事か、樹龍の存在を危険視しているからか、姿を現さない。
 オルニト出立の折にイブライト神官が用意してくれた包みの携帯食が無ければ、胃に何も入れられないままの行軍を余儀なくされているところであった。
「葉っぱとか食うのはいろんな意味でマズそうだし、しゃあないから下まで我慢するか」
「ふぁいとですよー!」
 頭上にて帽子にしがみつくチカ(光合成でエネルギー摂取可能)と右肩でウニャウニャ鳴く毛玉(素霊状態なので僅かな神気の供給で十分現界可能)、チカには聞こえないがやはり左肩側から「これも試練に御座いますれば」などと鳴く羽虫(ラーが存在する限り存在可能)の声援を受け、ひとり食料供給に難を抱えたまま、ディエルはひたすらに創生樹の枝葉や幹を伝い、下降を続ける。
「まったく、面倒な事になったもんだ・・・せめて上から降らすなや」
「というかデルさん、樹龍さんに下まで乗せてもらったら良かったんじゃないですか?」
「もしこの創生樹や樹龍が、森に棲んでて意志疎通が図れるヒト達と敵対するような存在だったらどうするよ?ってな。 樹龍に乗って下まで降りた所を目撃されたら、樹龍や創生樹の仲間だと思われるだろうな。 そしてそれは半ば事実でもある。 それにここは、いまだかつて全容が判明していない土地だ。 何があるか分からんからこそ、最終的に麓の様子をしっかり確認して着地できる自力下降を選んだんだ」
 世界樹の麓に近しい冬の国を中心に在住するハイランダーの皆様のお世話になるのは相当に面倒であることが予測されたように、同様の過激派信仰者や敵対者の動向を確認して下降することで、少しでも身の安全の質を高めておきたい、というのがディエルの腹積りである。

 創生樹直上への到着から経過すること約15日、ようやく一行が地上に至る最終段階へ入る時が来た。
「静かすぎるな」
 創生樹が発散する神気も薄れているにも関わらず、異様なほどに生気が感じられない。
「世界樹は麓までホビット庄が広がっていたが・・・樹龍のせい、というだけとは思えんが」
 確証が取れない状態での行動は危険を伴うが、樹上からでは確認出来ないこともある。 ディエルは意を決し
「よし、こうなりゃ<向こう側>の言葉で言えば『鬼が出るか蛇が出るか』ってやつだ。 いっちょ降りるか!」
 言うが早くディエルは最後の幹から駆け出し、自然落下の加速を神気熱風で緩和しつつ、エリスタリアでの乗船で離れて以来暫くぶりの地面へ到着する。
「ま、一度下ってれば兄弟とはいえ慣れたもんだな・・・いやこんなん慣れても何にもならんのだが」
 深緑の風がもたらす静謐なる、神聖の領域。 株は違えどやはり世界樹、幽かながらも麓まで発散される神気が、その清浄なる気配をより濃厚にしている。 さらに感覚を引き延ばせば、神域にそぐわぬ匂いが混じることにディエルは気付く。
「下でのお出迎えはなし、と。 さて、そいじゃ・・・ふむ。 まずは向こうの血の匂いがするほうから回ってみるか。 ヒトなら助けにゃならんし、獣なら食えるかもしれん」
「デルさんはいつもハラペコさんですねぇ」
「やかましい! こちとら食わなきゃ腹は膨らまねぇんだよ!」
 鞄から顔を出したチカの暢気な台詞に横槍を入れつつ、血の匂いの源へ向けて、ディエルは疾走する。

 血の匂いはやがて、圧し折れる木々の列に重なる。 その先を見やれば、遥かな故郷の砂漠に住まう大甲虫ほどではないにせよ、巨躯のトロルですら見上げるほどの甲虫がずかずかと歩いている。
「こりゃ追うのが楽でいいな。 おいチカ」
「ういうい、何でございましょう?」
「薬草の知識はあるか? ほぼ間違いなくこの先に怪我人が居る。 風に乗ってきたとは言え結構な距離まで拡散してる以上、覚悟すべき出血量だろうが、止血出来れば助かるかも分からん」
「う~ん・・・薬草のことはお勉強しましたけど、このあたりの植物はエリスタリアと違いすぎて、お薬が出来るかどうかも分からないですぅ・・・」
「それでも、なんとか頼む。 あのデカいのとかは俺が何とかするし、ハリムを護衛に付ける。 出来るだけでいい、やってみてくれ」
「はいです!」
 鞄から出てきたチカを、毛玉から獣大のサイズになり併走するヴァズハリムバズルの頭に乗せ、ディエルは更に甲虫への距離を詰める。


 疲労の極みにあり、指先ひとつ動かせない土竜人の少年は、振り上げられた甲殻蟲の破壊的な前足を直視できず、思わず目を瞑る。
 我が身に振り下ろされるその瞬間を絶望と共に待ち受けていたが、いつまで待っても少年の身には衝撃ひとつ来ない。
 そればかりか、衝撃は我が身より離れた所から発し、正面からは形容しがたい奇声が唸るのが少年の耳に聞こえてくる。
「ちっ、踏み抜けるかもと試してみたが、思ったよりかってぇ殻してんなコイツ! まぁ節は思ってたより頑丈だったが、斬れないことはなくて助かったわ」
 土竜人の少年は、眼を開き、見た。 目の前に、外套を風にたなびかせ、眩しい二色の剣を携えた者の姿を。 その先で猛る、前足を失った甲殻蟲の姿を。
「さて、そいじゃこの蟹、始末しますかね!」
 二色の閃光を奔らせ駆ける外套の姿を最後に、少年の意識の糸は途切れた。


「ちぇりゃぁぁぁ!」
 ディエルは甲虫の眼球と思しき部位両方に腕を突き込み、内部で光爪と神気熱風を暴れさせる。
 甲虫は口と思しき箇所から緑色や赤黒い色の体液をびちびちと吐き、やがて地に這った足は崩れ落ち、動かなくなる。
「よし、こんなもんかな。 で、とりあえずコイツは後にして」
 腕を引き抜いてひと払い、体液と臓器を両腕から払い落としたディエルは振り返り、追われていたと思われる存在を探す。
「血の匂いはどこからだ・・・? っと、アイツか。 それとこの坊主かな」
 近場の枝葉を掻き集めたディエルは、焚火の用意をしつつ、血の匂いの基である鼠人の少年の様子を伺う。
「まだ辛うじて息はある、か。 さて、あとはチカが上手くやってくれりゃいいんだが・・・」 
 生命流転を司るラーの神力を繰るとはいえ、その力で直接肉体を修復なんてことは出来ない。 それは真に神たる存在のみが可能な奇蹟の領域なのだから。 
「チカとハリムはあっちか。 ここに留まると甲虫が吐いたばっかの濃い血の匂いに釣られるヤツも出る・・・みたいだな。 よし、待つよかマシだ、行くか!」
 ディエルは両の腕で鼠人と土竜人を抱え込み、チカとハリムの動向を察知した方角へ向けて駆け出す。


「・・・ん、うぅ・・・」
 土竜人の少年が目を覚ます。 最初は現状が理解できていないようだったが、覚醒するにつれて
「え? あ? あれ、デンカラクビトスは? それとも俺死んだ?」
「死んでた方が良かったんなら残念だが、まだ生きてるぞ」
「うわぁぁぁ!? 誰だアンタ!」
 土竜人の少年は、声の主のほうを振り返りつつ後ずさる。 目線の先には、見たこともない装束を身に着けた見たこともないヒトが焚火の番をしていた。
「おう、唯の通りすがりの猫のあんちゃんだぞ。 一緒に居たおチビもあっちで寝てる。 血はかなり出たが、何とか命は繋ぎとめられた。 朝になったら名薬師に感謝しとけよ?」
「そっか・・・で、デンカラクビトスはどうなったんだ?」
「デンカラ・・・あの蟹のことか? 流石に胴体の中身はグチョゲロだったんで、足だけ3本ほどもぎ取ってきたぞ。 殻割って身を食ってみたが、生でもそこそこだったけど、焼くと甘みが出て中々ウマいなアレ。 ホレ、食うか?」
「あれ・・・食った、のか?」
「おう。 腹が減ってりゃ何だって食えるさ。 さらに旨けりゃいう事ないな。 オマエも丸一日寝てたんだから腹減ったろ。 遠慮なんてしねぇで食えって」
「う、うん・・・」
 土竜人の少年は、最初は恐る恐るではあるが、猫のあんちゃんから差し出された焼きデンカラクビトスの身を受け取り食べ始める。 一口味を見た後の所作は早かった。
「いい食いっぷりだ。 イケる味だろ? 焼いただけってんなら俺はヨニャ・ナーシのほうが好きだが、贅沢は言うもんじゃねぇ。 ま、食ったらもう一眠りしときな。 夜が明けたら坊主の家まで案内してもらわにゃならんからな・・・って聞いちゃいねぇ」
 土竜人の少年が一心不乱にデンカラクビトスの身を頬張る姿を猫のあんちゃんは微笑ましく見守りつつ、夜は更けてゆく。


 一夜明け、一行はディエルを先頭に、土竜人と鼠人をヴァズハルムバズルの背に乗せて密林を歩く。
「で、坊主らの家はどの辺なんだ?」
「多分、あっちの方だと思うんだけど・・・」
 話を聞けば、少年らの集落は土神龍《クリティーカ》とやらが掘った地下の洞穴に形成されているらしい。 で、年の近い何人かと度胸試しと称して地表に出たはいいものの、戻り際を見失ったところにデンカラクビトスに襲われ、決死の逃避行を繰り広げていたそうな。
「なるほど、地下に集落があるってんなら、創生樹の付近が妙に静かだったのも納得だ。 信心じゃ腹も膨れなければ身も守れないからな」
「地上は大産魔樹《デモニーカ》から出てきた深緑獣《モルグロン》が居て危険だからって、クリティーカ様が掘ってくれた穴の中に住むようになったんだって」
「そりゃ大変だな・・・っつっても、生まれた時からその暮らしなら、どうと言うこともないのか」
「ところで、あんちゃんはどっから来たんだ? たまーに緩んだ地盤踏み抜いて落ちてくるヒトたちとは違うんか?」
「まぁ似たようなもんだな。 いろいろあってな」
「へぇ~、でも落人《オルマク》とはずいぶん違うね。 大抵のオルマクなら『もう地上には行きたくないぃ~』って泣いて過ごすのに」
「そりゃまぁ・・・仕方ないかもしれんな。 デンガクヒドスギルだっけ?あんなのとかいたりしたら、そりゃまぁ帰りたくても帰れないって泣くわな」
 昨日倒したデンガクヒドスギルにしても、先に地元や氷壁牢獄《ゲウル・ディ・シエタ》での対獣戦経験が無ければ苦戦していただろうと判断出来るだけに、一攫千金どころか明日をも知れぬどん底に叩き落された哀れな冒険家の胸中に少なからずディエルは共感を覚える。
「デンカラクビトスだよあんちゃん。 でもすっげぇなぁ、村の大人が大がかりな罠まで張ってようやく一匹弱らせられるかどうかって位なのに、たったひとりで倒しちまうなんて!」
「あんちゃんもそれだけ苦労してるのさ」
 そういって周囲を警戒しつつ、ディエルは隣の連れに目線を向ける。
「チカ、そっちの小さいのはどうだ?」
「はい、鎮痛剤の副作用でぐっすりおねむですよ~」
「・・・で、そのちっこいのは何だ」
「この子ですか?」
 非常に小柄な妖精種のチカが愛用縫ぐるみのように抱きかかえている植物のようなものが、ディエルの目の前に突き付けられる。 その見た目は・・・どことなく猫のようでもある。
「傷薬になる薬草を探してる時に見つけたですよ。 薬草のことをいろいろ教えてくれたので助かったのです!」
「あー・・・まぁ半月もありゃ芽吹きもするんか。 まぁ何はともあれ、このチビが助かったのはオマエのおかげだな」
 ディエルが指先で猫のような植物の頭と思しき場所を撫でてやると、くすぐったそうに猫型植物がもぞもぞ動く。
「えへへ~、かわいいですね~♪」
 その様子にチカもご満悦のようだ。
「なぁあんちゃん、それ何だ?」
「ん? このちっこいのなら、守護樹龍《ガルディオ・ナガス》の幼木だぞ、たぶん」
「ナガス様・・・あんちゃんはすげぇなぁ」
 そんな話をしながら、一向は不出の森を尚も歩き続ける。

 その日の夕暮、唯でさえ高木の枝葉が日を遮る林内が、陽光の陰りと共に更に闇の度合いを高め始めたころ。
「この辺か?」
「うん、そうだと思うんだけど・・・」
 土竜人の少年は、自宅のある地下村落と地上とを繋ぐ出入り口の穴を探しているようだが、出てきたときにはあったはずの目印が見当たらないようだ。
「こりゃ悪たれ共が後に続かないように塞いだな。 ハリム、周囲警戒代われ。 俺は下を探る」
 ディエルがハリムの背に乗せていた鼠人の少年を地に降ろしてやると、ハリムはその身をさらに大きく雄々しく変貌させ、怜悧な氷剣にも似た怒気の如き波動を撒き散らす。
「ハリム落ち着け。 何も取って食うとか・・・いや食えそうなら取って食おう。 続行でいいぞ」
 低い唸り声で応じたハリムは、撒き散らす波動に若干の煽意を混ぜ始める。
「ふむ・・・坊主、土神龍《クリティーカ》っつったっけ?穴掘りしてるのって。 ソイツはただ穴掘ってるだけか? それともたまにゃ大人達と話をしたりとかしてんのか?」
「よく知らないけど・・・お祭りしたり、御供え物をしたりすることはあるよ。 でも話をしてるかは分かんない」
「そか。 土着の精霊が変遷進化したか極限進化した潜掘蟲の類なら知性次第で交渉の余地はあろうが、ただ本能で掘ってるだけとなるとちぃっと厳しいが・・・よっと」
 煽りに乗せられて高木から急降下してきた怪鳥とも大蜥蜴ともつかない生物を獅子牙で両断しつつ、もう一方の手は地面に置き、ソナーのように神気を放ち、反応を伺う。
「・・・ふむ。 確かに空洞はあるっぽいし、風精がけっこう居るっぽいが・・・肝心のクリティーカと思しき反応がないな。 となれば、風精から辿るか」
 さて、と立ち上がるディエルに呼応するように、ヴァズハリムバズルが威嚇の唸り声を上げる。
「む、やる気があるのも結構いるってか。 さて、と。 坊主、クリティーカ以外の目的で定期的に祭とかお供えとか、そんなのやってるか?」
「週にいっぺん、村の人みんなでシルフィ様たちに雅楽奉納してるよ。 何でも地下で生活するために必要だからだって」
「やっぱりな。 空気の循環が無かったら穴倉暮らしを延々続けられるわけがない。 とすれば、必ずどこかに風精が風を通すための穴が開いてるはずだが・・・」
 どうやって空気穴を探そうかとディエルは思案する。 微細な空気の流れを把握する方法があれば、と考えているところに
「ねぇねぇデルさんデルさん、この子が『あっちに下に抜ける穴があるみたい』って言ってますよ」
 守護樹龍の幼木を抱えたチカが進むべき道を指さし確認で伝えてくる。
「・・・何でもアリだなお前。 さすがは土地神様の使いだな」
 ディエルがうりうりと指先で幼木猫の喉元をくすぐってやると、実に心地よさそうな反応が返ってくる。
「よしじゃあ適宜煽られてやってきたメシでも捕獲しつつ、その穴を目指してみるか」
 今のところの唯一の手がかりを求め、さらに深緑の迷宮を一行は進む。

 それから一刻程歩いたところで、巨大な蟹の足と甲羅に積んだ生肉を引きずりながら移動した一行は、件の空気穴に到達する。
「確かに穴開いてるな。 風の流れもある。 ふむ・・・あとはどうやって下に行くか、か」
 見つけた穴は空気穴としての用途しか考えられていないためか、チカや毛玉くらいしか通れそうもない。
「よし、とりあえずチカ行ってこい。 護衛に毛玉を付けるぞ」
「・・・デルさん」
「なんじゃ」
「最近面倒事は何かと私に押し付けてませんか?」
「しゃあねぇだろ、こんな細い穴、俺じゃ腕一本しか通らねぇよ」
「がんばりましょう!」
「物理的に無理だわバカタレ!」
「掘りましょう!」
「何処まで深いか見当付かないのにか?」
「何はともあれまずはチャレンジすることが大事ですよ!」
<その通りに御座いますれば! ここはもう試練しか御座いませぬ! 試練あるのみで御座いますよ!>
「やかましいわお前らァ!! ・・・とは言うがあまり時間もかけられんな。 坊主もそろそろ家に帰らせてやらんといかんし」
 言うが早く、ディエルは太陽牙と獅子牙を発動し、空気穴の拡張工事を開始する。
「穴掘りなんてガキのころに遊びで砂山に開けたくらいだが、まぁガイドはあるし、何とかなるだろ!」



 それから、開けた大穴に繋がるまで一昼夜掘り続けたことは、もはや言うまでもないことだろう。



  • とっても賑やかでまっすぐで最終どんだけ一行が増えているのか楽しみ -- (としあき) 2012-09-01 02:02:30
  • 試練と冒険を経たディエルの力が身体能力の向上以上に体に染み込んでいく経験や知識というものがいいですね。自然と使いこなしていく太陽神の力の出具合もくどくならない按配ですね。毎度スケールの大きさと身近なキャラ描写の合わせ技が光っています -- (名無しさん) 2014-12-21 20:15:10
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最終更新:2013年03月09日 22:04