第191話 狂わしの国
1484年(1944年) 11月7日 午後2時 マオンド共和国クリンジェ
マオンド共和国トハスタ領の領主であるイロノグ・スレンラド侯爵は、住まいのあるトハスタ市から4日がかりの
道程を昨日終えた後、貴族専用の高級宿で休息を取り、体調を整えてから、首都クリンジェの中心にある首相官邸に
向かっていた。
馬車は、人通りの少ない道路をいつもよりも早いスピードで走っていく。
今、スレンラドを乗せている馬車は、通常ならば、両側に露天が立ち並び、行商人と買い物客で賑わっている筈であった。
スレンラドは、2年前にこの通りを訪れたが、人通りの多さに、馬車の御者も神経を使いながら馬を操る程であった。
しかし、首都クリンジェでも有数の市場は、今は寂れた通りになっている。
「いや、寂れただけではないな。」
スレンラドは、小声で呟きながら、通りの右側を向いた。
この通りの両側には、大小さまざまな家屋や店が立ち並び、ここを通るだけでも首都クリンジェの賑やかさが伝わってくる。
しかし、通路の片方……工場側との通り名で呼ばれている建物は、その大半が倒壊したり、一部が損傷したりしている。
損傷家屋は、全てにある特徴があった。
「……スーパーフォートレスの爆撃の被害は酷いとは聞いていたが…まさか、ここまでとは。」
彼は、焼け焦げた2階建ての建物を見ながら、そう呟く。
スレンラドは、以前から首都や主要都市で、アメリカ軍機の爆弾が市街地に落ち、住民や家屋に被害が出ていると聞いていた。
彼は、内心では酷い損害なのだろうと思ってはいたが、実際に目にすると、改めて、戦略爆撃という物の恐ろしさを実感していた。
今から1か月前の10月4日。
この日、首都クリンジェは、スーパーフォートレスによる3回目の戦略爆撃を受けた。
クリンジェは、これまでにも2度爆撃を受けている。米軍機の目標は、首都近郊にある魔法石精錬工場や武器製造工場であり、
投下された爆弾はこの工場群を狙って落とされたものだ。
しかし、5000グレル以上の高高度から放たれた爆弾は、多数の流れ弾を生み出し、第1回目と第2回目の空襲では、
工場のみならず、住宅地にも爆弾が落下した。
この2度の誤爆で、マオンド側は住民の死者280名、負傷者900名を出している。
住宅地の損害は無視しえぬ物があり、人的損害も甚大であったが、それでも被害の大半は工場の周辺に留まっているため、
工場から1グレル以上も離れていた、この通り…
スランレドが、今馬車で走っているこの市場にも被害は及ばないであろうと思われていた。
だが、その思いは一昨日の夜間に行われた空襲で、見事に打ち破られた。
これまで、B-29は昼間爆撃を行っていたが、一昨日…11月5日の空襲では、初めて夜間爆撃が行われた。
夜間に突然現れたB-29の群れに、住民達はパニックに陥り、慌てて指定された避難所に逃げ始めた。
マオンド軍は、この夜間侵入を敢行したB-29群に対して、有効な迎撃を全く行えないでいた。
60~70機以上は居るとみられるB-29の群れは、午後11時5分に、いまだ健在であった魔法石精錬工場と武器工場を目標に、
高度10000メートルから多数の1000ポンド爆弾、並びに、焼夷弾を投下した。
この爆撃で、2度の爆撃を受けても、何とか工場としての機能を維持してきた魔法石精錬工場と武器工場は完全に止めを刺された。
被害はそれだけに留まらず、市街地にも流れ弾が落ちてきた。
爆弾の半数以上は、空中で分解し、多数の子爆弾をバラ撒けるように作られた集束焼夷弾であり、これらは広範囲に渡って落下した後、
これまでにない大火災を引き起こした。
火災は、工場の周辺のみならず、今まで被害を免れてきた住宅地や重要な施設にも及び、最終的には、首都東区画の約3割……計12000戸
以上もの建物が焼失するか、損傷し、死者は現時点で1089人、負傷者は3400人にも及んだ。
全焼した建物の中には、マオンド共和国内で有数の貴族の館や、ナルファトス教教会の支部教会等も含まれている。
「一夜にして、多くのものが失われてしまった。もし、アメリカ軍機が、最初から市街地のみを狙っていれば、被害はこんな物では
済まなかっただろう。」
スレンラドはそう呟いた後、背中が冷えるのを感じた。
アメリカ軍の爆撃は、最初から工場などの戦略目標を狙ったのにもかかわらず、誤爆で、市街地に少なくない損害が出たのだ。
それが、最初から市街地を狙った爆撃であったならば……と考えるのは、当然の事と言える。
「それならば、尚の事、首相閣下にあの事を説明してもらわなければ。」
スレンラドは、心中でそう決意しながら、馬車が早く、共和国宮殿の隣にある首相官邸に到着するのを祈った。
それから15分ほどが経った。
スレンラドを乗せた馬車は、共和国宮殿の隣に建てられている、5階建ての幅広の建物の玄関前で止まった。
「領主様、到着いたしました。」
御者が、単調な声音でスレンラドに言う。
彼はありがとう、と返してから、馬車のドアを開く。
スレンラドが下りると同時に、建物の中から2人の男が出てきた。
「スレンラド侯でございますね?」
2人の男のうち、痩せ型で、頭髪の薄い年配の男が声を掛けてきた。
「そうです。」
「お待ちしておりました。中へご案内いたしましょう。」
年配の男……首相官邸の警備主任を務める近衛兵大佐は、慇懃な口調でそう言ってから、スレンラドを中へ案内する。
彼は、しばしの間をおいてから、3階にある応接室に招かれた。
「どうぞ、こちらへ。間もなく首相閣下がお見えになります。」
「わかりました。ご苦労様です。」
スレンラドは、役目を終えて、応接室から出ていく2人の警備担当者に労いの言葉を送る。
警備担当者が退出すると同時に、ドアが閉められた。
スレンラドは、重い足取りで、応接室のソファーに近寄り、腰を下ろす。
彼が入室して1分ほど経ってから、ジュー・カング首相が応接室に入って来た。
「いやはや、お待たせして申し訳ありません。」
「お久しぶりですな。カング首相閣下。」
幾分、慌てた様子で入って来たカング首相に対し、スレンラドは微笑みで迎えた。
「トハスタからこの首都までご足労頂き、本当にご苦労様です。」
「いえいえ、これも仕事のうちです。これぐらいは何ともありませんぞ。」
スレンラドは、気丈な笑みを浮かべる。
カングが、スレンラドの反対側のソファーに座った時、メイドがドアを開けて入って来た。
カングとスレンラドは、メイドから熱い香茶を受け取った。
「それでは、失礼いたします。」
メイドが恭しく頭を下げながら退出し、ドアを閉じた後、スレンラドは香茶に口を付ける暇もなく、本題に入った。
「首相閣下。私が、遠くトハスタからこのクリンジェに訪れた理由は、他でもありません。」
彼は、先ほどまでの微笑みを完全に打ち消し、真剣な表情でカングに語りかける。
「2週間ほど前から、トハスタに駐留している軍は、どういう訳か、続々と前線から引き揚げつつあります。それも、我々への説明も無しに。」
「……は…それは、陸軍部隊だけですかな?」
「いえ、陸軍部隊だけのみならず、航空部隊までもが、領主である私の通達無しに、少なからぬ数が後方に引き揚げつつあります。
首相閣下、この軍の移動は、どのような狙いがあって行われたものですかな?」
スレンラドが一通り言い終えた後、カングは、少しばかり黙考してから答えた。
「…スレンラド候。私には、そのような情報は入ってきておりませんので、それに関する事は、私からは申し上げる事は出来ません。」
「情報が入ってきていない?いや、そのような事はあり得ないと思われますが。」
スレンラドは、鋭い目つきでカング首相を見つめる。
カングは、困惑したような顔つきを浮かべている。
(……何か怪しいな)
スレンラドは、カングの顔を見て、ふとそう思った。
スレンラドが管理を任されているトハスタは、マオンド本土北西に位置する辺境の領地であり、トハスタ領の北西側にはヘルベスタン、
北東側にはルークアンドと、2つの国と接している。
今年の6月に、米軍がレーフェイル方面に侵攻し、ヘルベスタン方面で50万もの陸軍部隊が包囲殲滅されてからは、トハスタの
戦略的価値は高まり、今年の10月初旬までには、マオンド陸軍の野戦軍、計4個軍が配備され、航空部隊も、虎の子の部隊も含む
9個空中騎士団が配備された。
米軍は、8月からはトハスタ領の軍事施設や主要拠点に対して、B-29のみならず、B-17やB-24等の大型爆撃機や、
B-25等の軽爆撃機を主力に爆撃作戦を敢行し続け、同地に展開していたマオンド軍ワイバーン部隊相手に、日々、激烈な
航空戦を繰り広げていた。
10月12日から15日までには、米大西洋艦隊の主力部隊が、丸3日に渡ってトハスタ沿岸を荒らし回り、トハスタ沿岸の主要な
軍港や、沿岸の防御陣地は、軒並み甚大な損害を被った。
日々激化する、アメリカ軍の航空攻勢の前に、スレンラドは、アメリカ軍のマオンド本土侵攻が秒読み段階に入ったと確信していた。
それと同時に、中央はトハスタの防備を固めるべく、増援部隊を送り込むであろうとも思っていた。
だが……10月の第3週目に入った時、スレンラドは、自身が持っていた騎士団(この時代の領主達は、正規軍とは別に、治安維持を
目的として設立した騎士団を持っていた。)の情報員から、気になる知らせが届いた。
「第9軍の部隊が続々と後退中」
この知らせを受け取ったスレンラドは、疑問に思った。
(アメリカ軍の侵攻が近いのに、どうして、部隊の一部を後退させるのか…もしかして、別の軍と交代するのだろうか?)
彼は初め、そう思った。
だが、それから次々と届けられる情報は、スレンラドの疑念をますます深めていった。
11月1日の時点では、トハスタに展開していた陸軍4個軍のうち、2個軍までもが、知らず知らずの内にトハスタ以南に下がっており、
航空部隊も、4個空中騎士団がトハスタ領内に残っているのみとなっていた。
スレンラドは、トハスタ領のマオンド軍司令官に面会を頼み、この急な兵力削減の説明を求めたが……
「首相閣下。フグニック将軍は、中央からの命令で軍の移動を行った、と、私に言っていました。カング首相。あなたは、インリク陛下の
次に大きな権力を握っておられる。この国の憲法では、軍の最高司令官は、通常時は首相であると言われている。国の序列が2番目の人であり、
軍のトップでもあるあなたが、トハスタの兵力削減について、何も知らぬ筈は無いと思われるのですが…」
彼は、一見穏やかな…しかし、鋭さを秘めた声音で、カングに問う。
「本当に、ご存知無いのですか?」
「……誠に申し訳無いことだが。」
カングは、重々しい口ぶりで答える。
「トハスタの軍移動に関しては、私自身知らぬのです。」
「知らない?どうしてですか?」
「実を言いますと……軍の移動命令は、私の知らぬ所で行われているようなのです。」
「知らないところ……と申しますと、まさか……」
スレンラドは、名前を口火出そうとする。しかし、それをカングが手を上げて制す。
「陛下……と、お思われのようですが……陛下は、この件に関しては何ら関わりはありません。」
「関わりはありません、ですと?」
スレンラドが更に問い詰める。自然に、口調が荒くなってきた。
「あなたは、共和国の首相です。このような、国家の存亡に関わりそうな事は、知ってて当然の筈ですぞ。」
「スレンラド候。何度も申し上げますが。この件に関しては、私も、陛下も知らぬのです。」
「陛下も知らぬ……首相であるあなたも知らぬ……では、この軍の移動命令は、一体、誰が命じたというのですか?」
「………」
カングは答えを返さない。スレンラドは、それに構う事無く続ける。
「アメリカ軍は、わが軍よりも遥かに優れた装備を持ち、我らが全く見た事も、聞いた事もない戦法や戦術を使って、
戦闘を有利に進めるようではありませんか。そんな強力な敵を迎え撃つためにも、まずは兵の数や、優秀な装備を
揃えなければいけない。その事は、首相閣下もご存知でしょう?」
「………」
「閣下、トハスタの南には、このクリンジェがあります。トハスタを敵に抜かれれば、敵兵達がクリンジェの土を
踏みにじるのも時間の問題です。それなのに、あなたは、トハスタの……いや、共和国の命運をも左右するかもしれぬ、
この軍の動きを、全く知らぬといわれるのですか?」
「…スレンラド候。」
カングは、先と変わらぬ口調でスレンラドに語りかける。
「何度も言うようで申し訳ありませんが、私と、陛下は、この件について知らぬのです。知らぬ事を質問されても、
答えようがありません。」
「……!!」
スレンラドは、一瞬、頭に血が昇るのを感じた。
「首相閣下……それは、本心で言っておられるのですか?」
彼は、押し殺した声音でカングに問う。
「無論です。正直、私も驚いておるところです。」
カングが、ため息を吐きながらスレンラドに言う。
「しかし、スレンラド候の言われる通りならば、これは確かに、由々しき事態であります。早速、私のほうから、軍部に
問い合わせてみましょう。」
「それならよろしい、という問題ではありませぬぞ。」
スレンラドは、憤りを滲ませた口ぶりで言う。
「もし、今。敵地上軍がトハスタに大挙襲来してくれば、悲惨な事になりかねません。一歩間違えれば、共和国の命運にも
関わる。そのような重大事を、今まで知らなかった、で済まされるはずは」
「スレンラド候!」
カングが、やや高い声音を発して、スレンラドの言葉を遮った。
「あなたのお気持ちはよく分かります。私としても、面目ない次第です。しかし、ここで、私を責める余裕はあるのですかな?
この、共和国の一大事という時に。」
「……何を言われておられる…?」
「分かりませんかな。」
カングは傲然とした態度で言う。
「私は、あなたの情報を今知った。あなたがお教えした情報は、とても大変なものです。首相である私は、すぐに軍の関係者と
会って確認を取らなければならない。要するに、ここで、あなたの責めを受けるほど、私の時間の余裕は無い、という事です。」
「……それは…!!」
スレンラドは、相手がこの国のナンバー2である事も忘れて、思わず怒声を発しそうになった。
その時、空襲警報のサイレンが鳴り始めた。
聞いただけで、心臓を鷲掴みにされるような、甲高い不協和音がクリンジェに響き渡っている。
「……どうやら、アメリカ軍の空襲のようですな。」
カングは、窓の向こうの空を見つめ、眉をひそめた。
「スレンラド候、申し訳ありませぬが、今日のところはお引き取り願い無いでしょうか?丁度、アメリカ軍の爆撃隊も迫っている頃です。
ここはひとまず、所定の避難場所に避難されてはいかがです?」
彼は、やんわりとした口調でスレンラドに言う。
しかし、スレンラドには、カングが早く帰ってくれと言っているようにも思えた。
スレンラド候が首相官邸から去ってから15分後。
カングは、首相官邸の地下壕に避難していた。
「しかし、アメリカ軍もしつこいものだ。」
カングは、周囲に居る近衛兵や秘書官達を気にする事無く、忌々しげに吐き捨てる。
米軍は、解放したヘルベスタン領やルークアンド領に航空基地を作り、そこから本土へ向けて、断続的に攻撃機を飛ばしている。
中でも、一番厄介なのは、高高度から飛来してくるB-29である。
米軍がヘルベスタン領や、ルークアンド領に基地を作ったため、マオンド本土は、国土の大部分がスーパーフォートレスの行動半径内に
入る事となり、10月からは、マオンド北西部のみならず、南部や中東部あたりまでもが、B-29の爆撃に晒されている。
この執拗な戦略爆撃の影響で、マオンドの国力は、少しずつ、しかし、確実に蝕まれつつある。
(今頃、国王陛下は、あの宮殿の内部で、米軍機の来襲をどう思っているのだろうか……)
ふと、カングはそう思った。
彼の脳裏に、インリクが口にしたあの言葉が響き渡る。
……トハスタは生贄にする……勝利のためのな……
その言葉を思い出した瞬間、カングは急に吐き気を催したが、何とか堪える。
(インリク陛下は…勝利のためには止むを得ぬと言っていた。一領地の住民を、あの不死の薬を使って、即席の軍団にし、米軍の足止めをする……
戦争に勝つためとはいえ、本当に、これでいいのだろうか)
インリクは、悶々とした心境で呟いた。
スーパーフォートレスの空襲は、マオンド本国の国力のみならず、インリクの精神力をも、著しく蝕んでいた。
それに加えて、本国に敵がいつ雪崩れ込むか分からない、という今の状況も、インリクの変調を促進する原因にもなっていた。
それに追い打ちをかけたのが、長い時間を掛けて占領した、レーフェイル大陸内の領地の激減である。
レーフェイル大陸を統一した時は、誰もが、夢見ていた、超大国マオンドの誕生を喜んでいたものだ。
だが、アメリカの参戦で、マオンドの努力は無に帰した。
いや、無に帰すどころか、それよりも更に酷い状況……敵軍の本土侵攻という恐るべき事態に達しつつある。
インリクが狂気に駆られるのも、ある意味では致し方ない事であった。
(狂った国王が、あの宮殿に居座っている限り、わがマオンドの未来は……明るくは無いだろうな)
カングは、心中でそう確信した。
そして、自分の未来も明るくないという事も、既に分かっていた。
スレンラドに返したあの言葉も…本当は嘘である。
「私は、トハスタの兵力削減の理由を知っているのだ。そして、その理由を知らぬと言え、と、命令された事も、私は知っている。」
カングは、誰にも聞きとれぬような小声で呟く。
「だが……トハスタの犠牲で、敵がこちらが突き付ける講和案を受諾すれば、希望は持てる。今は、ただ、その時を待つしかない。
間違っているといことは分かっていても…今は、それしか、無いのだから……国王陛下に使える身としては、それを支持するしかない。」
彼は、そこまで言ってから口を閉じた。
その直後に、スーパーフォートレスの発する爆音が聞こえ始めた。
カングの耳には、スーパーフォートレスの爆音が、お前達の努力は全て無意味だと、声高に宣言しているように思えた。
1484年(1944年)11月8日 午前9時 バージニア州ノーフォーク
大西洋艦隊司令長官であるジョン・ニュートン大将は、執務室の窓から、曇り空を眺めていた。
「これは、ひと雨きそうだな。」
ニュートンは、東の洋上に垂れ込む、雲の塊を見ながら言う。
東の洋上には、厚い雨雲があり、今日の予報では、その雨雲がノーフォークにやって来て、激しい雨が降るであろうと、伝えられている。
「今日から、ヘルベスタンに行こうと思っていたのだが、これは1日延期するしかないな。」
「延期ですか……マッカーサー司令官に小言を言われるかもしれませんな。」
隣に立っていた、大西洋艦隊参謀長のレイ・ノイス中将が言う。それを聞いたニュートンは、苦笑しながら肩をすくめた。
「ふぅ…それは嫌なものだ。」
ニュートンは、おどけた口調でノイスに返した。
彼は、11月10日に予定されている連合国軍合同作戦会議に出席するため、今日の10時までには、用意されたPB4Yリベレーターに
乗って、レーフェイル大陸へ向かう筈だった。
だが、その予定は、生憎の悪天候で覆る事となった。
「後で、マッカーサー司令官に連絡を取ろう。」
ニュートンはそう言ってから、話題を変えた。
「そういえば、大西洋艦隊に配属された新型潜水艦だが……あの潜水艦は使い物になると思うかね?」
「アイレックス級潜水艦ですね。」
ノイスはそこまで言ってから、しばしの間考える。
「……私は、潜水艦専門ではありませんから良く分かりませんが、私的には使えると思います。特に、索敵においては、最も威力を
発揮するでしょう。」
「飛行機を積んでるからな。」
ニュートンは頷きながら言った。
アイレックス級潜水艦は、アメリカ海軍が開発した最新鋭の潜水艦で、バラオ級潜水艦の後継艦にあたる。
アイレックス級の特徴は、米海軍では初めて、水上機を搭載した事にある。
この水上機は、機動部隊で活躍しているS1Aハイライダーを開発した、あのブリュースター社が開発した新型機であり、
航続距離は1800キロ程である。
この最新鋭の潜水艦は、2日後の早朝に、レーフェイル方面へ向けて出撃し、予定では、レーフェイル大陸東岸部で哨戒に当たるという。
「その他の性能も、バラオ級と同じか、上がっているとも言われているが、今度の実戦で、それが試される……か。」
「大戦果を期待したいところですな。」
ノイスの相槌に、ニュートンは無言で頷いた。
「それにしても、レーフェイル大陸の戦いも、ようやく折り返し地点に到達したな。」
「ええ。」
ノイスは頷いてから、壁に掲げられている地図に、視線を移した。
レーフェイル大陸侵攻が始まってから、既に5か月が経過した。
陸軍は、ヘルベスタン包囲戦の勝利の後に、破竹の進撃を続け、今では大陸の各所に有力な航空基地を作るまでになった。
陸軍航空隊の主力が、スィンク諸島からレーフェイル大陸に移動した後は、第7艦隊の出番は余り無いと思われていた。
しかし、それは誤りであった。
第7艦隊所属の高速機動部隊は、ヘルベスタン戦が終結した後も、沿岸部の戦闘地域で航空支援を続け、10月12日から15日の
3日間は、第72任務部隊の全空母を動員して、マオンド本土北西部沿岸を荒らし回り、最終日の15日夜半には、アイオワ級戦艦の
ウィスコンシン、ミズーリを投入して、沿岸部の要塞に艦砲射撃を加えた。
その後、第7艦隊は、休息のために、スィンク諸島の泊地や、ノーフォークに引き返し、来るべきマオンド本土侵攻作戦に備えている。
現在、陸軍は、エンテック領のマオンド軍を殲滅するため、大攻勢を行っている。
6日から始まった攻勢は順調に推移し、今日までに、残っていたマオンド側の支配圏は、その大半をアメリカ軍に奪われてしまった。
10日までには、マオンドがエンテック領を完全に失う事はほぼ確実であり、マオンドが有していた占領地は、これでゼロとなる。
エンテック解放後に残るのは、マオンド本土侵攻である。
侵攻作戦には、第7艦隊も総力で出撃するため、11月中旬からは、久方ぶりに忙しい日々が続く事になるだろう。
「マオンド側の抵抗もかなり激しくなるでしょうが、侵攻部隊の主役を務める陸軍には、電撃戦を行える機甲師団も多数おりますから、
敵の首都クリンジェまであっという間に行けるでしょう。」
「あっという間か……そう簡単にはいかんと思うがね。」
ニュートンはそう言って、ノイスの楽観的な発言を否定する。
「今度の戦は、文字通り本土決戦だ。マオンドの奴らが住民を義勇兵に仕立てる事も考えられない事ではない。それ以前に、戦闘が
短期間で終わる、という考えは良くないと思うね。クリスマスまでにはなんたらかんたら、というジンクスもあるしな。」
「はは、長官の言う通りです。」
ノイスは、幾分済まなさそうな口調で呟く。
「だから、私は今が折り返し地点だと言ったのさ。何が起き、どのように物事が変わるか…それが分からんのが戦争だからな。」
ノイスはそう言ってから、再び窓辺に顔を向ける。
空の雲は、先ほどよりも厚みを増したのか、幾分暗いようにも思えた。
「しかし、これだけは確実に言える。我々は、マオンドに勝てる、とね。」
「確かに。」
ノイスは相槌を打つ。
「マオンドは、持てる被占領地を全て失おうとしています。後は、長いながらも、確実な方法で王手をかけるだけですな。」
「ああ。その通りだ。」
ニュートンは、外に顔を向けたまま頷く。
「敵がどんなに抵抗しようが、勢いに乗った我々を止められはしないさ。」
彼は、自信が滲んだ声音でそう言い放った。
その時、軍港の方から気笛の音が響き渡って来た。ニュートンは、視線を空から、港へ移す。
港には、11月の初めから休養のため停泊していた、第72任務部隊第2任務群が居る。
その第2任務群が、今出港を開始したようだ。
「TG72.2は、予定通り出港を開始したようですね。」
「そうだな。空は荒れ模様だが、船の航行にはあまり支障はないからな。」
ニュートンは苦笑する。
「こういう場合は、船の方が羨ましいと感じてしまうよ。」
「同感です。」
ノイスは、微笑みながら相槌を打った。
「さて、これで今日の出発は無くなってしまった。今からマッカーサー司令官に、私の到着が遅れる事を伝えなければな。」
ニュートンはそう言うと、窓辺から離れ、ノイスと共に執務室から出て行った。
1484年(1944年) 11月7日 午後2時 マオンド共和国クリンジェ
マオンド共和国トハスタ領の領主であるイロノグ・スレンラド侯爵は、住まいのあるトハスタ市から4日がかりの
道程を昨日終えた後、貴族専用の高級宿で休息を取り、体調を整えてから、首都クリンジェの中心にある首相官邸に
向かっていた。
馬車は、人通りの少ない道路をいつもよりも早いスピードで走っていく。
今、スレンラドを乗せている馬車は、通常ならば、両側に露天が立ち並び、行商人と買い物客で賑わっている筈であった。
スレンラドは、2年前にこの通りを訪れたが、人通りの多さに、馬車の御者も神経を使いながら馬を操る程であった。
しかし、首都クリンジェでも有数の市場は、今は寂れた通りになっている。
「いや、寂れただけではないな。」
スレンラドは、小声で呟きながら、通りの右側を向いた。
この通りの両側には、大小さまざまな家屋や店が立ち並び、ここを通るだけでも首都クリンジェの賑やかさが伝わってくる。
しかし、通路の片方……工場側との通り名で呼ばれている建物は、その大半が倒壊したり、一部が損傷したりしている。
損傷家屋は、全てにある特徴があった。
「……スーパーフォートレスの爆撃の被害は酷いとは聞いていたが…まさか、ここまでとは。」
彼は、焼け焦げた2階建ての建物を見ながら、そう呟く。
スレンラドは、以前から首都や主要都市で、アメリカ軍機の爆弾が市街地に落ち、住民や家屋に被害が出ていると聞いていた。
彼は、内心では酷い損害なのだろうと思ってはいたが、実際に目にすると、改めて、戦略爆撃という物の恐ろしさを実感していた。
今から1か月前の10月4日。
この日、首都クリンジェは、スーパーフォートレスによる3回目の戦略爆撃を受けた。
クリンジェは、これまでにも2度爆撃を受けている。米軍機の目標は、首都近郊にある魔法石精錬工場や武器製造工場であり、
投下された爆弾はこの工場群を狙って落とされたものだ。
しかし、5000グレル以上の高高度から放たれた爆弾は、多数の流れ弾を生み出し、第1回目と第2回目の空襲では、
工場のみならず、住宅地にも爆弾が落下した。
この2度の誤爆で、マオンド側は住民の死者280名、負傷者900名を出している。
住宅地の損害は無視しえぬ物があり、人的損害も甚大であったが、それでも被害の大半は工場の周辺に留まっているため、
工場から1グレル以上も離れていた、この通り…
スランレドが、今馬車で走っているこの市場にも被害は及ばないであろうと思われていた。
だが、その思いは一昨日の夜間に行われた空襲で、見事に打ち破られた。
これまで、B-29は昼間爆撃を行っていたが、一昨日…11月5日の空襲では、初めて夜間爆撃が行われた。
夜間に突然現れたB-29の群れに、住民達はパニックに陥り、慌てて指定された避難所に逃げ始めた。
マオンド軍は、この夜間侵入を敢行したB-29群に対して、有効な迎撃を全く行えないでいた。
60~70機以上は居るとみられるB-29の群れは、午後11時5分に、いまだ健在であった魔法石精錬工場と武器工場を目標に、
高度10000メートルから多数の1000ポンド爆弾、並びに、焼夷弾を投下した。
この爆撃で、2度の爆撃を受けても、何とか工場としての機能を維持してきた魔法石精錬工場と武器工場は完全に止めを刺された。
被害はそれだけに留まらず、市街地にも流れ弾が落ちてきた。
爆弾の半数以上は、空中で分解し、多数の子爆弾をバラ撒けるように作られた集束焼夷弾であり、これらは広範囲に渡って落下した後、
これまでにない大火災を引き起こした。
火災は、工場の周辺のみならず、今まで被害を免れてきた住宅地や重要な施設にも及び、最終的には、首都東区画の約3割……計12000戸
以上もの建物が焼失するか、損傷し、死者は現時点で1089人、負傷者は3400人にも及んだ。
全焼した建物の中には、マオンド共和国内で有数の貴族の館や、ナルファトス教教会の支部教会等も含まれている。
「一夜にして、多くのものが失われてしまった。もし、アメリカ軍機が、最初から市街地のみを狙っていれば、被害はこんな物では
済まなかっただろう。」
スレンラドはそう呟いた後、背中が冷えるのを感じた。
アメリカ軍の爆撃は、最初から工場などの戦略目標を狙ったのにもかかわらず、誤爆で、市街地に少なくない損害が出たのだ。
それが、最初から市街地を狙った爆撃であったならば……と考えるのは、当然の事と言える。
「それならば、尚の事、首相閣下にあの事を説明してもらわなければ。」
スレンラドは、心中でそう決意しながら、馬車が早く、共和国宮殿の隣にある首相官邸に到着するのを祈った。
それから15分ほどが経った。
スレンラドを乗せた馬車は、共和国宮殿の隣に建てられている、5階建ての幅広の建物の玄関前で止まった。
「領主様、到着いたしました。」
御者が、単調な声音でスレンラドに言う。
彼はありがとう、と返してから、馬車のドアを開く。
スレンラドが下りると同時に、建物の中から2人の男が出てきた。
「スレンラド侯でございますね?」
2人の男のうち、痩せ型で、頭髪の薄い年配の男が声を掛けてきた。
「そうです。」
「お待ちしておりました。中へご案内いたしましょう。」
年配の男……首相官邸の警備主任を務める近衛兵大佐は、慇懃な口調でそう言ってから、スレンラドを中へ案内する。
彼は、しばしの間をおいてから、3階にある応接室に招かれた。
「どうぞ、こちらへ。間もなく首相閣下がお見えになります。」
「わかりました。ご苦労様です。」
スレンラドは、役目を終えて、応接室から出ていく2人の警備担当者に労いの言葉を送る。
警備担当者が退出すると同時に、ドアが閉められた。
スレンラドは、重い足取りで、応接室のソファーに近寄り、腰を下ろす。
彼が入室して1分ほど経ってから、ジュー・カング首相が応接室に入って来た。
「いやはや、お待たせして申し訳ありません。」
「お久しぶりですな。カング首相閣下。」
幾分、慌てた様子で入って来たカング首相に対し、スレンラドは微笑みで迎えた。
「トハスタからこの首都までご足労頂き、本当にご苦労様です。」
「いえいえ、これも仕事のうちです。これぐらいは何ともありませんぞ。」
スレンラドは、気丈な笑みを浮かべる。
カングが、スレンラドの反対側のソファーに座った時、メイドがドアを開けて入って来た。
カングとスレンラドは、メイドから熱い香茶を受け取った。
「それでは、失礼いたします。」
メイドが恭しく頭を下げながら退出し、ドアを閉じた後、スレンラドは香茶に口を付ける暇もなく、本題に入った。
「首相閣下。私が、遠くトハスタからこのクリンジェに訪れた理由は、他でもありません。」
彼は、先ほどまでの微笑みを完全に打ち消し、真剣な表情でカングに語りかける。
「2週間ほど前から、トハスタに駐留している軍は、どういう訳か、続々と前線から引き揚げつつあります。それも、我々への説明も無しに。」
「……は…それは、陸軍部隊だけですかな?」
「いえ、陸軍部隊だけのみならず、航空部隊までもが、領主である私の通達無しに、少なからぬ数が後方に引き揚げつつあります。
首相閣下、この軍の移動は、どのような狙いがあって行われたものですかな?」
スレンラドが一通り言い終えた後、カングは、少しばかり黙考してから答えた。
「…スレンラド候。私には、そのような情報は入ってきておりませんので、それに関する事は、私からは申し上げる事は出来ません。」
「情報が入ってきていない?いや、そのような事はあり得ないと思われますが。」
スレンラドは、鋭い目つきでカング首相を見つめる。
カングは、困惑したような顔つきを浮かべている。
(……何か怪しいな)
スレンラドは、カングの顔を見て、ふとそう思った。
スレンラドが管理を任されているトハスタは、マオンド本土北西に位置する辺境の領地であり、トハスタ領の北西側にはヘルベスタン、
北東側にはルークアンドと、2つの国と接している。
今年の6月に、米軍がレーフェイル方面に侵攻し、ヘルベスタン方面で50万もの陸軍部隊が包囲殲滅されてからは、トハスタの
戦略的価値は高まり、今年の10月初旬までには、マオンド陸軍の野戦軍、計4個軍が配備され、航空部隊も、虎の子の部隊も含む
9個空中騎士団が配備された。
米軍は、8月からはトハスタ領の軍事施設や主要拠点に対して、B-29のみならず、B-17やB-24等の大型爆撃機や、
B-25等の軽爆撃機を主力に爆撃作戦を敢行し続け、同地に展開していたマオンド軍ワイバーン部隊相手に、日々、激烈な
航空戦を繰り広げていた。
10月12日から15日までには、米大西洋艦隊の主力部隊が、丸3日に渡ってトハスタ沿岸を荒らし回り、トハスタ沿岸の主要な
軍港や、沿岸の防御陣地は、軒並み甚大な損害を被った。
日々激化する、アメリカ軍の航空攻勢の前に、スレンラドは、アメリカ軍のマオンド本土侵攻が秒読み段階に入ったと確信していた。
それと同時に、中央はトハスタの防備を固めるべく、増援部隊を送り込むであろうとも思っていた。
だが……10月の第3週目に入った時、スレンラドは、自身が持っていた騎士団(この時代の領主達は、正規軍とは別に、治安維持を
目的として設立した騎士団を持っていた。)の情報員から、気になる知らせが届いた。
「第9軍の部隊が続々と後退中」
この知らせを受け取ったスレンラドは、疑問に思った。
(アメリカ軍の侵攻が近いのに、どうして、部隊の一部を後退させるのか…もしかして、別の軍と交代するのだろうか?)
彼は初め、そう思った。
だが、それから次々と届けられる情報は、スレンラドの疑念をますます深めていった。
11月1日の時点では、トハスタに展開していた陸軍4個軍のうち、2個軍までもが、知らず知らずの内にトハスタ以南に下がっており、
航空部隊も、4個空中騎士団がトハスタ領内に残っているのみとなっていた。
スレンラドは、トハスタ領のマオンド軍司令官に面会を頼み、この急な兵力削減の説明を求めたが……
「首相閣下。フグニック将軍は、中央からの命令で軍の移動を行った、と、私に言っていました。カング首相。あなたは、インリク陛下の
次に大きな権力を握っておられる。この国の憲法では、軍の最高司令官は、通常時は首相であると言われている。国の序列が2番目の人であり、
軍のトップでもあるあなたが、トハスタの兵力削減について、何も知らぬ筈は無いと思われるのですが…」
彼は、一見穏やかな…しかし、鋭さを秘めた声音で、カングに問う。
「本当に、ご存知無いのですか?」
「……誠に申し訳無いことだが。」
カングは、重々しい口ぶりで答える。
「トハスタの軍移動に関しては、私自身知らぬのです。」
「知らない?どうしてですか?」
「実を言いますと……軍の移動命令は、私の知らぬ所で行われているようなのです。」
「知らないところ……と申しますと、まさか……」
スレンラドは、名前を口火出そうとする。しかし、それをカングが手を上げて制す。
「陛下……と、お思われのようですが……陛下は、この件に関しては何ら関わりはありません。」
「関わりはありません、ですと?」
スレンラドが更に問い詰める。自然に、口調が荒くなってきた。
「あなたは、共和国の首相です。このような、国家の存亡に関わりそうな事は、知ってて当然の筈ですぞ。」
「スレンラド候。何度も申し上げますが。この件に関しては、私も、陛下も知らぬのです。」
「陛下も知らぬ……首相であるあなたも知らぬ……では、この軍の移動命令は、一体、誰が命じたというのですか?」
「………」
カングは答えを返さない。スレンラドは、それに構う事無く続ける。
「アメリカ軍は、わが軍よりも遥かに優れた装備を持ち、我らが全く見た事も、聞いた事もない戦法や戦術を使って、
戦闘を有利に進めるようではありませんか。そんな強力な敵を迎え撃つためにも、まずは兵の数や、優秀な装備を
揃えなければいけない。その事は、首相閣下もご存知でしょう?」
「………」
「閣下、トハスタの南には、このクリンジェがあります。トハスタを敵に抜かれれば、敵兵達がクリンジェの土を
踏みにじるのも時間の問題です。それなのに、あなたは、トハスタの……いや、共和国の命運をも左右するかもしれぬ、
この軍の動きを、全く知らぬといわれるのですか?」
「…スレンラド候。」
カングは、先と変わらぬ口調でスレンラドに語りかける。
「何度も言うようで申し訳ありませんが、私と、陛下は、この件について知らぬのです。知らぬ事を質問されても、
答えようがありません。」
「……!!」
スレンラドは、一瞬、頭に血が昇るのを感じた。
「首相閣下……それは、本心で言っておられるのですか?」
彼は、押し殺した声音でカングに問う。
「無論です。正直、私も驚いておるところです。」
カングが、ため息を吐きながらスレンラドに言う。
「しかし、スレンラド候の言われる通りならば、これは確かに、由々しき事態であります。早速、私のほうから、軍部に
問い合わせてみましょう。」
「それならよろしい、という問題ではありませぬぞ。」
スレンラドは、憤りを滲ませた口ぶりで言う。
「もし、今。敵地上軍がトハスタに大挙襲来してくれば、悲惨な事になりかねません。一歩間違えれば、共和国の命運にも
関わる。そのような重大事を、今まで知らなかった、で済まされるはずは」
「スレンラド候!」
カングが、やや高い声音を発して、スレンラドの言葉を遮った。
「あなたのお気持ちはよく分かります。私としても、面目ない次第です。しかし、ここで、私を責める余裕はあるのですかな?
この、共和国の一大事という時に。」
「……何を言われておられる…?」
「分かりませんかな。」
カングは傲然とした態度で言う。
「私は、あなたの情報を今知った。あなたがお教えした情報は、とても大変なものです。首相である私は、すぐに軍の関係者と
会って確認を取らなければならない。要するに、ここで、あなたの責めを受けるほど、私の時間の余裕は無い、という事です。」
「……それは…!!」
スレンラドは、相手がこの国のナンバー2である事も忘れて、思わず怒声を発しそうになった。
その時、空襲警報のサイレンが鳴り始めた。
聞いただけで、心臓を鷲掴みにされるような、甲高い不協和音がクリンジェに響き渡っている。
「……どうやら、アメリカ軍の空襲のようですな。」
カングは、窓の向こうの空を見つめ、眉をひそめた。
「スレンラド候、申し訳ありませぬが、今日のところはお引き取り願い無いでしょうか?丁度、アメリカ軍の爆撃隊も迫っている頃です。
ここはひとまず、所定の避難場所に避難されてはいかがです?」
彼は、やんわりとした口調でスレンラドに言う。
しかし、スレンラドには、カングが早く帰ってくれと言っているようにも思えた。
スレンラド候が首相官邸から去ってから15分後。
カングは、首相官邸の地下壕に避難していた。
「しかし、アメリカ軍もしつこいものだ。」
カングは、周囲に居る近衛兵や秘書官達を気にする事無く、忌々しげに吐き捨てる。
米軍は、解放したヘルベスタン領やルークアンド領に航空基地を作り、そこから本土へ向けて、断続的に攻撃機を飛ばしている。
中でも、一番厄介なのは、高高度から飛来してくるB-29である。
米軍がヘルベスタン領や、ルークアンド領に基地を作ったため、マオンド本土は、国土の大部分がスーパーフォートレスの行動半径内に
入る事となり、10月からは、マオンド北西部のみならず、南部や中東部あたりまでもが、B-29の爆撃に晒されている。
この執拗な戦略爆撃の影響で、マオンドの国力は、少しずつ、しかし、確実に蝕まれつつある。
(今頃、国王陛下は、あの宮殿の内部で、米軍機の来襲をどう思っているのだろうか……)
ふと、カングはそう思った。
彼の脳裏に、インリクが口にしたあの言葉が響き渡る。
……トハスタは生贄にする……勝利のためのな……
その言葉を思い出した瞬間、カングは急に吐き気を催したが、何とか堪える。
(インリク陛下は…勝利のためには止むを得ぬと言っていた。一領地の住民を、あの不死の薬を使って、即席の軍団にし、米軍の足止めをする……
戦争に勝つためとはいえ、本当に、これでいいのだろうか)
インリクは、悶々とした心境で呟いた。
スーパーフォートレスの空襲は、マオンド本国の国力のみならず、インリクの精神力をも、著しく蝕んでいた。
それに加えて、本国に敵がいつ雪崩れ込むか分からない、という今の状況も、インリクの変調を促進する原因にもなっていた。
それに追い打ちをかけたのが、長い時間を掛けて占領した、レーフェイル大陸内の領地の激減である。
レーフェイル大陸を統一した時は、誰もが、夢見ていた、超大国マオンドの誕生を喜んでいたものだ。
だが、アメリカの参戦で、マオンドの努力は無に帰した。
いや、無に帰すどころか、それよりも更に酷い状況……敵軍の本土侵攻という恐るべき事態に達しつつある。
インリクが狂気に駆られるのも、ある意味では致し方ない事であった。
(狂った国王が、あの宮殿に居座っている限り、わがマオンドの未来は……明るくは無いだろうな)
カングは、心中でそう確信した。
そして、自分の未来も明るくないという事も、既に分かっていた。
スレンラドに返したあの言葉も…本当は嘘である。
「私は、トハスタの兵力削減の理由を知っているのだ。そして、その理由を知らぬと言え、と、命令された事も、私は知っている。」
カングは、誰にも聞きとれぬような小声で呟く。
「だが……トハスタの犠牲で、敵がこちらが突き付ける講和案を受諾すれば、希望は持てる。今は、ただ、その時を待つしかない。
間違っているといことは分かっていても…今は、それしか、無いのだから……国王陛下に使える身としては、それを支持するしかない。」
彼は、そこまで言ってから口を閉じた。
その直後に、スーパーフォートレスの発する爆音が聞こえ始めた。
カングの耳には、スーパーフォートレスの爆音が、お前達の努力は全て無意味だと、声高に宣言しているように思えた。
1484年(1944年)11月8日 午前9時 バージニア州ノーフォーク
大西洋艦隊司令長官であるジョン・ニュートン大将は、執務室の窓から、曇り空を眺めていた。
「これは、ひと雨きそうだな。」
ニュートンは、東の洋上に垂れ込む、雲の塊を見ながら言う。
東の洋上には、厚い雨雲があり、今日の予報では、その雨雲がノーフォークにやって来て、激しい雨が降るであろうと、伝えられている。
「今日から、ヘルベスタンに行こうと思っていたのだが、これは1日延期するしかないな。」
「延期ですか……マッカーサー司令官に小言を言われるかもしれませんな。」
隣に立っていた、大西洋艦隊参謀長のレイ・ノイス中将が言う。それを聞いたニュートンは、苦笑しながら肩をすくめた。
「ふぅ…それは嫌なものだ。」
ニュートンは、おどけた口調でノイスに返した。
彼は、11月10日に予定されている連合国軍合同作戦会議に出席するため、今日の10時までには、用意されたPB4Yリベレーターに
乗って、レーフェイル大陸へ向かう筈だった。
だが、その予定は、生憎の悪天候で覆る事となった。
「後で、マッカーサー司令官に連絡を取ろう。」
ニュートンはそう言ってから、話題を変えた。
「そういえば、大西洋艦隊に配属された新型潜水艦だが……あの潜水艦は使い物になると思うかね?」
「アイレックス級潜水艦ですね。」
ノイスはそこまで言ってから、しばしの間考える。
「……私は、潜水艦専門ではありませんから良く分かりませんが、私的には使えると思います。特に、索敵においては、最も威力を
発揮するでしょう。」
「飛行機を積んでるからな。」
ニュートンは頷きながら言った。
アイレックス級潜水艦は、アメリカ海軍が開発した最新鋭の潜水艦で、バラオ級潜水艦の後継艦にあたる。
アイレックス級の特徴は、米海軍では初めて、水上機を搭載した事にある。
この水上機は、機動部隊で活躍しているS1Aハイライダーを開発した、あのブリュースター社が開発した新型機であり、
航続距離は1800キロ程である。
この最新鋭の潜水艦は、2日後の早朝に、レーフェイル方面へ向けて出撃し、予定では、レーフェイル大陸東岸部で哨戒に当たるという。
「その他の性能も、バラオ級と同じか、上がっているとも言われているが、今度の実戦で、それが試される……か。」
「大戦果を期待したいところですな。」
ノイスの相槌に、ニュートンは無言で頷いた。
「それにしても、レーフェイル大陸の戦いも、ようやく折り返し地点に到達したな。」
「ええ。」
ノイスは頷いてから、壁に掲げられている地図に、視線を移した。
レーフェイル大陸侵攻が始まってから、既に5か月が経過した。
陸軍は、ヘルベスタン包囲戦の勝利の後に、破竹の進撃を続け、今では大陸の各所に有力な航空基地を作るまでになった。
陸軍航空隊の主力が、スィンク諸島からレーフェイル大陸に移動した後は、第7艦隊の出番は余り無いと思われていた。
しかし、それは誤りであった。
第7艦隊所属の高速機動部隊は、ヘルベスタン戦が終結した後も、沿岸部の戦闘地域で航空支援を続け、10月12日から15日の
3日間は、第72任務部隊の全空母を動員して、マオンド本土北西部沿岸を荒らし回り、最終日の15日夜半には、アイオワ級戦艦の
ウィスコンシン、ミズーリを投入して、沿岸部の要塞に艦砲射撃を加えた。
その後、第7艦隊は、休息のために、スィンク諸島の泊地や、ノーフォークに引き返し、来るべきマオンド本土侵攻作戦に備えている。
現在、陸軍は、エンテック領のマオンド軍を殲滅するため、大攻勢を行っている。
6日から始まった攻勢は順調に推移し、今日までに、残っていたマオンド側の支配圏は、その大半をアメリカ軍に奪われてしまった。
10日までには、マオンドがエンテック領を完全に失う事はほぼ確実であり、マオンドが有していた占領地は、これでゼロとなる。
エンテック解放後に残るのは、マオンド本土侵攻である。
侵攻作戦には、第7艦隊も総力で出撃するため、11月中旬からは、久方ぶりに忙しい日々が続く事になるだろう。
「マオンド側の抵抗もかなり激しくなるでしょうが、侵攻部隊の主役を務める陸軍には、電撃戦を行える機甲師団も多数おりますから、
敵の首都クリンジェまであっという間に行けるでしょう。」
「あっという間か……そう簡単にはいかんと思うがね。」
ニュートンはそう言って、ノイスの楽観的な発言を否定する。
「今度の戦は、文字通り本土決戦だ。マオンドの奴らが住民を義勇兵に仕立てる事も考えられない事ではない。それ以前に、戦闘が
短期間で終わる、という考えは良くないと思うね。クリスマスまでにはなんたらかんたら、というジンクスもあるしな。」
「はは、長官の言う通りです。」
ノイスは、幾分済まなさそうな口調で呟く。
「だから、私は今が折り返し地点だと言ったのさ。何が起き、どのように物事が変わるか…それが分からんのが戦争だからな。」
ノイスはそう言ってから、再び窓辺に顔を向ける。
空の雲は、先ほどよりも厚みを増したのか、幾分暗いようにも思えた。
「しかし、これだけは確実に言える。我々は、マオンドに勝てる、とね。」
「確かに。」
ノイスは相槌を打つ。
「マオンドは、持てる被占領地を全て失おうとしています。後は、長いながらも、確実な方法で王手をかけるだけですな。」
「ああ。その通りだ。」
ニュートンは、外に顔を向けたまま頷く。
「敵がどんなに抵抗しようが、勢いに乗った我々を止められはしないさ。」
彼は、自信が滲んだ声音でそう言い放った。
その時、軍港の方から気笛の音が響き渡って来た。ニュートンは、視線を空から、港へ移す。
港には、11月の初めから休養のため停泊していた、第72任務部隊第2任務群が居る。
その第2任務群が、今出港を開始したようだ。
「TG72.2は、予定通り出港を開始したようですね。」
「そうだな。空は荒れ模様だが、船の航行にはあまり支障はないからな。」
ニュートンは苦笑する。
「こういう場合は、船の方が羨ましいと感じてしまうよ。」
「同感です。」
ノイスは、微笑みながら相槌を打った。
「さて、これで今日の出発は無くなってしまった。今からマッカーサー司令官に、私の到着が遅れる事を伝えなければな。」
ニュートンはそう言うと、窓辺から離れ、ノイスと共に執務室から出て行った。