第194話 マッカーサー軍南進
1484年(1944年)11月17日 午前5時 マオンド共和国首都クリンジェ
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクは、心労が祟ってか、ここ最近はまだ夜も開け切らぬ内に目が覚めるようになっていた。
この日も、インリクは午前5時に目が覚めた。
瞼を開けると、そこはいつもの暗い寝室であった。
「ううむ……また、この時間に起きたのか……」
彼は、ベッドの側に置いてある時計を、忌々しげに見つめる。
時計の数字と、針の先には蛍光塗料が塗られており、それを見れば、暗い室内でも時間が分かる。
時計の針は午前5時を指している。眠りに付いたのが午前0時であるから、彼は5時間寝た事になる。
「はぁ……どうも、満足に寝れた気がしない。」
彼は深く溜息を吐いてからそう呟く。
以前、インリクは8時間ほど眠る事が出来たのだが、ここ1ヵ月はどうしても、5時間以上は眠る事が出来ない。
ある時は、午前2時に寝て、起きたのが午前5時という事もあり、彼は慢性的な睡眠不足に悩まされていた。
「……それもこれも、アメリカ人共のせいだ。奴らが大人しく、自分達の国に引っ込んでおれば、このような無用な苦しみを味合わずに
済んだ物を!!」
インリクは、腹立ち紛れに叫んだ。
このレーフェイル大陸にアメリカ軍が侵攻して以来、マオンドの誇っていた軍は各地で敗退を重ね、ついには外地の領土を根こそぎ
奪われるという事態に発展した。
今や、レーフェイル大陸の縮図は、マオンドが行動を起こす以前の物まで戻っている。
そればかりか、マオンドは今、下手をすれば国を失いかねない所まで追い込まれている。
マオンドの一領地である辺境の地域、トハスタの北には、既にアメリカ軍の大軍が終結し、マオンド本土の侵攻を企てているという情報が、
3日前に陸軍から伝えられている。
それに加え、昨日の夕刻前に、海軍から輸送船多数を含む大艦隊が、トハスタ領スメルヌの北西280ゼルドを、約7リンル(14ノット)
の速度で南東へ向かいつつあるという情報も知らされた。
インリクは、緊急に陸海軍の高官を呼び付け、敵の侵攻開始はいつ頃にあると予想しているか?と問い質した。
陸軍と海軍の最高司令官は、互いに顔を見合わせた後、異口同音に
「遅くても1週間以内です。」
と告げた。
その後、海軍総司令官はこう付け加えた。
「本土西岸には、敵の高速機動部隊の他に、上陸部隊を満載していると思われる輸送船団も近付きつつあります。敵側の考え次第では、
最低でも3日以内には侵攻を始める、という事も考えられます。この大船団がどこに向かっているかは、現在確認中です。」
その報告を聞いたインリクは、すぐに海兵隊という文字を頭に浮かべた。
彼は、シホールアンルから知らされた情報の中で、アメリカ軍が陸海軍とは別に、海兵隊という軍事組織を有している事を知っている。
情報によれば、アメリカ海兵隊は、アメリカが有する軍の中でも最も勇敢であり、先のエルネイル上陸作戦では、沿岸防御の部隊が
米海兵隊の猛攻の前に敗退し、その後の戦線後退に繋がった、とも言われている。
インリクは、すかさず陸軍総司令官に、輸送船団に乗り組んでいる敵部隊はどれほどの物か?と尋ねた。
「確認された輸送船は、最低でも150隻は下りません。敵の部隊の種類にもよりますが、最低でも3個師団。通常ならば4個師団程度は
乗っていると見てよいでしょう。」
その答えを聞いた時、インリクは目眩がした。
戦線の突破力では定評のある米海兵隊が、最低でも3個師団。多くて4個師団は居る。
普通の陸軍部隊が乗っているとしても、その中身は、これまでの戦いで散々痛い目に合わされてきた、あの戦車部隊であろう。
いずれにせよ、機動力が桁違いに向上した(馬匹輸送が主体のマオンド軍から見ればそうなる)敵部隊が1個軍相当もおり、
尚且つ、主戦線の後方に上陸を企てているとしたら、マオンドが考案した作戦計画は水泡に帰す事になる。
「敵の上陸部隊が、トハスタ以南の海岸に強襲上陸をしたならば……トハスタに残した2個軍は、想定よりも短い期間で撃滅され、
不死の薬を使った作戦も意味が無くなる……おのれ、一体、どうすれば良いのだ!?」
インリクは、右手で額を押さえる。彼の頭には、有効と思えるような策がなかなか浮かばなくなっていた。
いや、そればかりか、今まで有効であろうと確信した案……不死の薬を使った秘密作戦までもが無駄だと思いかけて来る。
(いや、決して無駄ではない。あれは、まだ実行してもいないじゃないか!!)
どす黒い不安感に苛まれていた彼だが、心中でそう叫ぶ事で、何とか平静さを取り戻した。
インリクはベッドから起き上がり、寝間着から通常の服装に着替える。
その間、彼は混乱しかけていた頭を整理した。
「大丈夫だ。あの作戦が成功すれば、北からやってくるアメリカ人共は必ず足止めされる。主力部隊の前進が止まれば、輸送船団の
動きにも変化が生じるだろう。まだまだ、勝機はある。」
彼はそう呟き、沈みかけていた気持ちを元に戻した。
「よし。これで支度は揃った。あとは、教会側に実行の指示と、現地軍へこの秘密作戦の全容を知らせねばな。」
インリクは、堂々とした足取りで寝室を出た。
ドアを開けた直後、宮殿付きの武官とばったりと出くわした。
「おお、これは陛下。お目覚めでございましたか。」
少佐の階級章を付けた魔道将校は、息を切らせながらインリクに言う。
「うむ、今目覚めた所だ。何やら慌ただしいが、何かあったのか?」
「ハッ!アメリカ軍がトハスタ領に向けて砲撃を開始したとの事です!それに加え、国境線の上空を敵機の大軍が続々と超えつつあります!」
魔道将校は、興奮で上ずった声で報告を終えた。
それに対して、インリクが言葉を言うべく、口を開いた。
その瞬間、首都クリンジェにけたたましい不協和音が鳴り響いた。
まだ夜も開け切らぬこのクリンジェに来襲し、空襲警報のサイレンを鳴らす相手が誰であるかは、もはやインリクにはわかっていた。
「またスーパーフォートレスか……おのれ、今に見ておれよ!」
彼は、暗闇の高空を飛んでいるであろう、B-29の大編隊に向けて恨み節を言い放ったのであった。
11月17日 午前7時 トハスタ領ジェシク
マオンド陸軍第58歩兵師団第18連隊に所属するタメグ・ロィグペ大尉は、埃に覆われた掩蔽壕の銃眼から、国境の向こう側より
押し寄せて来る米軍の大部隊を見つめていた。
「きやがった……本当に来やがった!!」
彼の隣で、接近するアメリカ軍部隊を見ていた中隊本部付き曹長が、興奮した口調で叫ぶ。
今から2時間前の午前5時。第18連隊が配属されている前線に、突如として猛砲撃が加えられた。
砲撃は20分前に終わったが、連隊の各隊は甚大な損害を被った。
ロィグペ大尉は、18連隊の第2大隊第4中隊を指揮していたが、120名居た兵員の内、戦死者は28名、負傷者は49名という
大損害を被っている。
米軍の砲撃は執拗かつ、正確であり、被害は前線部隊のみならず、3ゼルド(9キロ)離れた砲兵陣地にまで及び、師団砲兵隊は
戦力の6割を失っている。
師団砲兵を狙った砲撃は、155ミリM1榴弾砲…通称、ロング・トムと呼ばれる重砲である。
野砲の事前砲撃で叩きのめされた58師団は、それよりも恐るべき相手……戦車を中心とする敵の地上部隊と、これから戦わねばならない。
「中隊長!敵の先鋒が、我が陣地より2ゼルドまで接近!」
掩蔽壕の外で張っていた観測兵が、ロィグペ大尉に知らせる。
「観測兵、砲兵隊に砲撃を開始せよと連絡しろ!」
「了解!」
観測兵は命令を受け取るや、すぐに魔法通信で後方に連絡を取る。
マオンド軍は、アメリカ軍の侵攻に備えて、進撃路と予想される平野部を、事前に座標で割り当て、敵が進軍して来た場合には、
すぐに野砲が集中砲火を浴びせられるように工夫されている。
砲撃は、前線の後方に居る師団砲兵と、前線に配備された対戦車部隊が行う。
後方の師団砲兵隊は、3ゼルドから1ゼルドの範囲を担当し、そこから先は対戦車部隊が対応する。
マオンド軍は、事前に用意された砲兵隊によって、迫り来るアメリカ軍部隊に出血を強要できると思っていた。
だが……それは、甘い考えであった。
ロィグペ大尉の率いる中隊の真上を、砲弾が空気を切り裂いて通過して行く。
やがて、草原を疾駆する米軍部隊の周囲に砲弾が落下し、爆煙が噴き上がった。
ロィグペ大尉は、忌々しげに顔を歪めた。
「く……飛んで来た砲弾は、たったあれだけか!」
彼は、半ば絶望しかけていた。
敵部隊の周囲に降り注いだ砲弾は、演習時の砲撃と比べて余りにも少なかった。
それから5分ほどの間、砲撃が続けられ、米軍部隊の中には、被弾して黒煙を噴き上げ、その場に停止する車両も現れた。
しかし、マオンド側が、アメリカ軍側に対して、一方的に砲撃を行う時間は、余りにも短かった。
「あっ!敵機です!11時方向!!」
観測兵が、悲鳴にも似た声音ですぐさま報告を伝えてくる。
地上を驀進する敵部隊の後方から、アメリカ軍機と思しき機影が多数現れ、前線の防御陣地に接近しつつある。
「来るぞ!敵の空襲だ!」
ロィグペ大尉は、上ずった声音で叫んだ。
敵機はさほど間を置かずに、陣地に襲いかかって来た。
陣地を攻撃して来た敵機は、56機のA-26インベーダーであった。
インベーダーは、まず、前線のやや後方にある砲兵隊を爆撃した。
それまで、アメリカ軍の地上部隊に向けて、必死に砲を撃ちまくっていた師団砲兵隊は、まともな対空防御も出来ぬうちに
(砲兵隊には、魔道銃と高射砲を装備した対空部隊が、偽装を施した状態で配置されていたが、米軍の砲撃で殆どが撃破されていた)
インベーダーの銃爆撃で悉く破壊されていった。
1機のインベーダーが、両翼に吊り下げていた2発の500ポンド爆弾を投下する。
2発の爆弾は、2つの野砲を砲兵ごと纏めて吹き飛ばし、その次に弾薬の誘爆を起こして、派手に火柱を噴き上げた。
別のインベーダーは、大慌てで前線から逃げ出した4台の馬車隊に追い縋り、十分に近付いた所で機銃掃射を行う。
12.7ミリ機銃、20ミリ機銃の掃射をまともに食らった馬車隊は、例外無く横転するか、バラバラになり、無残な姿を野に晒した。
インベーダーは砲兵陣地のみならず、前線部隊にも襲いかかる。
生き残っていた対空陣地が、魔道銃を撃って来た。
運良く、1機のインベーダーが魔道銃の集中射を食らって、左右のエンジンから火を噴き、地面に墜落した。
その報復は即座に返され、インベーダーを撃ち落とした対空陣地には、別の機から放たれた10発もの5インチロケット弾が叩き込まれ、
陣地に居た7名のマオンド兵は全員戦死した。
あるインベーダーは、塹壕線に沿って飛行しつつ、機銃掃射を行っている。
塹壕の中でうずくまっていたマオンド兵が、胴体を機銃弾によって串刺しにされ、ある者は、ひょっこり顔を出した所に20ミリ弾を
食らい、頭部を吹き飛ばされた。
インベーダーが猛速で飛び去って行くたびに、陣地内のマオンド兵は次々と倒れていく。
ロケット弾が、ロィグペ大尉の居る掩蔽壕のすぐ近くで炸裂した。
鼓膜に直接捻じ込むような、強烈な爆発音が鳴り響き、壕が頼りなさげに、激しく揺れ動く。
「く……アメリカ人共め、好き放題やりやがって!!」
ロィグペ大尉は、悔しさの余りそう叫んだ。
「中隊長!友軍の航空部隊はまだなのですか!?」
中隊付きの曹長が、興奮で顔を赤くしながらロィグペ大尉に聞く。
「ワイバーン隊は、敵の攻撃が始まれば、すぐに駆け付けると言ってたはず。一番近いワイバーン基地は、前線から10ゼルドしか
離れていません。なのに、どうして、ワイバーン隊は一向に現れないのですか!?」
「おい、落ち着け曹長!」
ロィグペ大尉は、叩き付けるように言う。
「ワイバーン隊も、別のアメリカ軍機と戦っているのかもしれん。彼らだって、すぐに応援に駆け付けたいのだろうが、この状況
からして、今しばらくは航空支援は望めないかもしれん。」
「航空支援は望めない、ですと?」
曹長は、更に顔を赤く染め上げながら、掩蔽壕の銃眼の先を指差した。
「では、我々は満足な支援を受けずに、敵の戦車と戦えというのですか!?」
ロィグペ大尉が言い返そうとした時、インベーダーの爆音が真上で響く。
その直後、爆弾の炸裂音が掩蔽壕の間近で響き、銃眼から爆風が吹きこんできた。
銃眼の真ん前に立っていた曹長はまともに爆風を浴びてしまい、すさまじい勢いで背後の壁に叩きつけられた。
爆風と共に吹き付けてきた土煙が、しばしの間、壕の中を覆い、内部の視界が悪くなった。
「ゲホッ!ゴホッ……くそ、曹長がやられたぞ!誰か!魔道士を呼んで来い!」
ロィグペ大尉は、煙に噎せながらも、大声でそう叫んだ。
やや間を置いて、魔道士が壕の中に飛び込んで来た。
「中隊長!負傷者がいると聞いて飛んできました!」
「曹長を見てくれ。爆風に吹き飛ばされてからずっと意識を失ったままだ。」
「わかりました。念のため、後方の救護所に連れて行きます。1人では曹長を運べませんから、誰か1人、手を借りて良いですか?」
「こいつを付けよう。2等兵!一緒に曹長を運んでやれ!」
彼は、壕の隅で戦闘記録を書き続けていた2等兵の背中を叩いた。
指示を受け取った2等兵は、慌てて席から立ち上がり、魔道士と共に、負傷した曹長を後方に運んで行った。
敵の空襲は、15分で終わった。
インベーダーは、対空部隊の反撃を物ともせずに、18連隊の陣地を好き放題に叩いた。
前線の歩兵部隊や、対戦車部隊の被害は大きかったが、それ以上に、後方の砲兵陣地の損害は凄まじかった。
「ん?阻止砲撃が全く来ないぞ。おい、砲兵隊はどうしたんだ?」
ロィグペ大尉は、外から壕の中に戻って来た中隊本部付の魔道士に声を掛ける。
「はっ、しばしお待ちを。」
魔道士は、後方の砲兵隊と連絡を取るべく、砲兵隊付きの魔道士に確認を取った。
1分ほどで確認は取れた。
ロィグペ大尉は、やり取りを行っている魔道士の顔が、見る見るうちに青くなるのを見て、最悪の事態が起きたかと、心中で呟く。
「……中隊長。砲兵隊は、インベーダーの銃爆撃を受けて、残っていた砲全てが破壊されたようです。」
「おい、砲兵隊が全滅したのか!?それも、たった15分足らずの空襲で!?」
彼は仰天してしまった。
師団砲兵連隊は、2個砲兵大隊と1個対空中隊で編成されている。
1個歩兵大隊は、野砲54門で編成され、師団砲兵全体では108門の大砲で持って相手の進撃を阻む事が出来る。
この108門の大砲を、高射砲8門、対空魔道銃36丁で守っている。
事前の砲撃で甚大な損害を被ったとはいえ、それでも2、30門以上の砲は残っていたはずだ。
その砲兵隊が、僅か15分で壊滅した。
中隊長としては信じられない気持で胸が一杯であった。
「そんな……何かの間違いではないのか!?」
「いえ、あり得ぬことではありません。」
うろたえるロィグペ大尉に対して、魔道士は比較的冷静であった。
「アメリカ軍攻撃機の対地攻撃力はかなりの威力があります。砲兵隊には30機のインベーダーが向かったと言われています。
数字の上では少ないように思えますが、米軍機の武器搭載量はかなり多く、2、30機でも恐ろしい破壊力を持っています。」
「そういえば、君はヘルベスタンとルークアンドの戦いを経験していたな。」
「はっ。最も、私はあまり活躍出来ませんでしたが……」
魔道士は、幾分、沈みがちな声音で返した。
ヘルベスタンとルークアンドの戦いは、終始マオンド側が劣勢な形で推移している。
一連の負け戦を経験して来たこの魔道士にとって、砲兵隊が敵の航空攻撃で壊滅する事は予想していたのだろう。
「中隊長!敵の地上部隊が更に接近します!距離は1ゼルド!」
外に居た部下の歩兵が、銃眼の前に顔を出して、壕の中に叫んでくる。
ロィグペ大尉は、銃眼の向こう側に居る敵の地上部隊に目を向けた。
草原の向こう側から、幾重にも重なった重低音が聞こえて来る。
その音の上空には、先程飛び去った航空隊とは、別の航空部隊が既に現れ、地上部隊の上空で待機している。
「中隊長、後方より味方のワイバーン隊が飛び立ったとの事。間もなく、前線上空に現れます。」
先程の魔道士が、彼に報告して来る。
普段ならば、この報告を聞けば小躍りして喜ぶであろう。しかし、ロィグペ大尉には、そんな気は湧かなかった。
「くそ、敵の備えは万全だぞ。18連隊の命運は、もはや決まったも同然だな。」
11月17日 午後1時 トハスタ領都トハスタ市
トハスタ領の領主である、イロノグ・スレンラド侯爵は、トハスタ市の中心部に設けられた庁舎で、陸軍トハスタ方面軍司令官
ラグ・リンツバ大将から戦況の説明を受けていた。
「現在、国境の防衛線は、各所で破られています。アメリカ軍はケリステブルとジェシク方面に配備されていた第50歩兵師団と
第58歩兵師団の防衛線を突破した後、急速に南下しつつあります。ケリステブルを突破した敵は、既に9ゼルド南に進出し、
同地にあったカマスリの陸軍ワイバーン隊は南方へ撤退、ダツバ市は敵に制圧されました。ジェシクを突破した敵部隊も、
先鋒は7ゼルド南に進出し、現在、リーシテブ市に配備された第58師団の部隊と交戦中です。」
「ダツバの町には、多くの負傷兵が収容されていると聞く。この負傷兵達は、なんとか脱出できたのかな?」
「はっ……敵の進出が余りにも早いので……負傷兵を脱出させる事は不可能でした。」
ダツバ市の病院には、陸海軍、軍属合わせて300名の負傷兵が収容されていた。
負傷した者の中には、絶望的な撤退戦の中、機転を利かせて包囲網から脱出した歩兵隊の名指揮官や、先月末まで続けられた
ワイバーン輸送中の際に、敵機動部隊から発艦した艦上機に襲われながらも、無事に生還を果たした凄腕のワイバーン乗り等も含まれている。
それらの負傷兵は、逃げる間もなく米軍に捕えられ、栄光ある軍歴に幕を閉ざされたのである。
「ダツバ市の守備に付いていた第50歩兵師団の将兵も応戦したのではありますが、同地を守っていた1個大隊は、3割の損害を被り、
撤退を余儀なくされました。」
「敵の攻撃は、このトハスタ北方のみに留まりません。」
同席していた参謀長のフィリメド・イルグレイ中将が付け加える。
「夜明け前には、首都クリンジェが、スーパーフォートレス約80機の空襲を受けています。米軍は、首都の南方に健在であった軍の施設や
工場に爆弾を降らせただけで、市街地の誤爆はありませんでしたが、この空襲で、首都近郊にあった主要工場は、事実上、全滅状態となります。
更に……」
イルグレイ中将は、机に広げられた地図に指をさした。
指差された場所は、海である。
「コルザミの北西200ゼルドの海域には、敵機動部隊が現れ、正午過ぎにはコルザミの軍港とワイバーン基地が、敵艦載機の空襲を
受けています。現在、コルザミの近辺に駐屯していた、第47空中騎士団と第41空中騎士団が攻撃隊を発進させておりますが……
ワイバーン隊には相当な損害が出るでしょう。」
「この敵機動部隊の後方30ゼルドには、歩兵部隊を乗せていると思しき輸送船団も確認されています。偵察ワイバーンが、消息を絶つ
前に知らせて来た情報では、少なくとも、敵船団の数は、150隻は下らぬとあります。」
「150隻……この150隻には、どれほどの敵部隊が乗っているのかね?」
スレンラドは、すかさず質問する。
「……正確な予測は出来ませんが、我々は、3年前にアメリカ本土へ侵攻しようとした際、226隻の船団に1個軍団、8万7千の
将兵を乗せました。この8万7千という数字は、将兵や物資を、通常よりも多く積め込んだ為に出来た数字で、通常なら5万程度です。
米軍は、我々と違って、戦車や自動車といった移動車両も多数含むので、その分、兵員は少なくなるかもしれませぬが、最低でも3個師団、
多ければ4個師団…6万名程度は乗せているでしょう。」
「6万名……」
スレンラドは、思わず頭が痛くなった。
軍は、コルザミに1個旅団の守備隊を置いているが、この部隊は2戦級の部隊であり、しかも定員の8割しか数が揃っていない。
その代わり、敵の航空攻撃には対応できるように、コルザミの周囲には3個空中騎士団を配備している。
航空部隊はコルザミだけではなく、コルザミから40ゼルド北東のコバギナリクからも、万が一の場合は2個空中騎士団が応援に
駆けつける予定だ。
この5個空中騎士団が保有するワイバーンは、総計で530騎にも上り、トハスタ北方の4個空中騎士団を含めて、敵航空部隊に対する
決戦兵力とされている。
「スレンラド候、ワイバーン部隊を上手く活用すれば、敵機動部隊が護衛している輸送船団に痛打を浴びせられる筈です。」
「輸送船団か。確か、攻撃隊は敵機動部隊に向かっているのでは?」
スレンラドはすぐさま聞き返した。
「それは先発隊の事です。後続部隊には、輸送船団の攻撃を命じています。後続部隊も30分前に発進し終えましたから、
あと1時間半ほどで、敵船団に取り付く事が出来るでしょう。」
「敵船団に関しては、海軍のベグゲギュスが逐一、位置を知らせてきておりますので、接敵を失敗する恐れはありません。」
リンツバ大将が言い終えた後、イルグレイ中将がそう付け加える。
「なるほど……敵機動部隊、輸送船団に対しては、既に手は打ってあるのだね。それならば良いが……」
スレンラドは、納得したように頷く。
だが、心中では、果たして、攻撃隊は敵に痛打を浴びせられるのだろうか?という疑念が湧き起こっている。
(アメリカ艦隊の対空砲火は、異常なほど強力であると言われている。リンツバ将軍とイルグレイ将軍の話からして、南部の
5個空中騎士団は総力出撃を仕掛けているようだから、必ず戦果は挙げてくれるだろう……しかし、その後はどうなるのだろうか?
敵の迎撃で、ワイバーン隊は間違いなく少なからぬ損耗を被る事になる。この攻撃で、ワイバーン隊の戦力を消耗し尽くせば、
南部の空中騎士団に出来る事は、もはや、何もないだろう)
スレンラドは、不安げな気持ちでそう思った。
彼としては、ワイバーン隊がなるべく少ない損害で、敵機動部隊や輸送船団に大損害を与える事を期待するしかなかった。
リンツバ大将は、壁に掛けられている時計に目を向けた。
時刻は午後1時20分を回ろうとしている。
「そろそろ、先発のワイバーン隊200騎が、敵機動部隊に取り付く頃ですな。」
彼は、期待を込めた口調でスレンラドにそう言った。
11月17日 午後5時 コルザミ沖北東360マイル地点
第7艦隊旗艦である重巡洋艦オレゴンシティ内部にある作戦室では、第7艦隊の幕僚達が地図を見つめながら、今日の戦闘報告を行っていた。
「長官。マオンド軍は、午後1時30分から4時までの間に、計3波の攻撃隊を放っています。3波のうち、最初の第一波はTG72.3に
襲いかかりました。残りの2波は、輸送船団を狙って来ました。」
第7艦隊司令長官オーブリー・フィッチ大将は、参謀長のフランク・バイター少将から報告を聞く傍ら、他の幕僚達と同様に、机に敷かれた
地図を見つめている。
「敵編隊の進路を推測した所、敵の航空基地は、コルザミ方面にあると思われます。」
「コルザミの周辺は、深い森林地帯に覆われています。」
情報参謀のウォルトン・ハンター中佐も発言しつつ、コルザミと描かれた地名の周囲を、一指し指でなぞる。
「我々が送った攻撃隊からは、コルザミ軍港の付近には森林だけで、航空基地らしき物はないと報告がありましたが、マオンド軍は我々が
来る事を予め予想し、森林地帯に航空基地を設けた可能性があります。」
「あるいは、やや内陸部からワイバーンを飛ばして来た、という事も考えられます。」
航空参謀のウェイド・マクラスキー中佐も言う。
「マオンド軍が有しているワイバーンの行動半径は、最低でも800キロ程度はあります。コルザミから輸送船団までの距離は700キロ程度。
ぎりぎりではありますが、届かぬ範囲ではありません。」
「ふむ……となると、マオンド軍は、やや遠方に展開していた航空部隊までも動員して、TF72と輸送船団を叩き潰そうとしていたのか。」
フィッチ大将はそう言ってから、口元に微笑を浮かべる。
「敵が500騎以上の航空部隊を投入して来たという事は、敵が本気で、我々を上陸部隊と思い込んでいる。という事になると思うが……
諸君らはどう思うかね?」
「その点に付きましては、同感であります。」
バイター少将が即答する。
「敵は、我々の迎撃によって、航空部隊に相当な損害を被っていますからな。マオンド側は、防備の厚さからして、船団に上陸部隊が
乗せられていると確信しているでしょう。」
第72任務部隊は、マオンド側から航空攻撃を受ける前に、260機の艦載機でもってコルザミ軍港を爆撃した。
コルザミ軍港には、哨戒艇5隻と雑艦12隻が停泊していたのみであったが、攻撃隊はこれらの艦艇を1隻残らず叩き沈め、
軍港の敷地内にあった建物に片っ端から銃爆撃を加えた。
攻撃隊は、途中で40騎のワイバーンと交戦し、F6F3機とF4U5機、SB2C3機が失われたが、相手側のワイバーンを
28騎撃墜して蹴散らしている。
攻撃隊は、午後12時30分には攻撃を終え、帰投したが、攻撃隊が戻る前に、機動部隊は敵ワイバーンの空襲を受けていた。
機動部隊を攻撃しようとしたワイバーン隊は、総数で200騎程であったが、TF72は、ピケット艦のレーダーでこの編隊を
いち早く探知し、各空母から計350機の戦闘機を発艦させて、この攻撃隊を迎え撃った。
200機のワイバーン隊は、350機のF6F、F4Uに襲われ、ワイバーンは次々と撃ち落とされて行った。
最終的に、100騎前後にまで減少した敵ワイバーン隊は、機動部隊より20マイル前方まで進んだ所で攻撃を断念し、引き返して行った。
午後2時から4時の間には、別のワイバーン隊が輸送船団に襲いかかった。
TF72は、このワイバーン隊に対しても果敢な迎撃戦を挑んだが、輸送船団を襲撃したワイバーン隊には手錬が多く、最後の第5波、
100騎の敵ワイバーン隊は、なんと超低空飛行で船団に迫っていた。
この最後の敵攻撃隊は、米側が過去の戦訓を基に、艦体の周囲に配備していたS1Aハイライダーの報告によって、最終的にはTF72や、
護衛空母から発艦した戦闘機にたかられ、輪形陣に到達するまで大損害を被った。
この一連の迎撃戦で、米側は輸送船2隻と、LSM(LST改造のロケット弾発射艦)1隻を撃沈された他、戦艦ニューメキシコとアイダホ、
護衛空母メレヴェルト・ヒルと駆逐艦3隻が損傷した。
航空機の損害は、F6Fが38機、F4Uが25機、護衛空母のFM-2が18機失われている。
喪失機数の中には、被弾で損傷し、やむなく不時着水した機や、着艦事故で失われた機も入っている。
損傷艦の中で、被弾した戦艦ニューメキシコはレーダー機器を全損し、アイダホは舵機に異常が生じたため、後方へ引き返すことが決まった。
また、護衛空母のメレヴェルト・ヒルも、飛行甲板に3発の直撃弾を受け、エレベーターが動作不良に陥ったため、修理のために本国へ
帰還する事が決まっている。
以上が、米側が被った損害である。
この損害に対して、TF72、73は、敵ワイバーン350騎の撃墜を報告している。
撃墜されたワイバーンの大半は、上空直衛に当たっていたF6FやF4Uに落とされた者だ。
マッケーン提督が提案した戦闘機専用空母論は、既に太平洋戦線でその効果が実証されたが、このコルザミ沖でも、改めて威力を発揮したのだ。
「ワイバーンの撃墜騎数は、計350騎に上ります。この戦果が本当ならば、コルザミ近郊の敵航空部隊は壊滅したも同然です。
無論、空戦時の戦果には誤認が付き物でありますから、この撃墜350騎という戦果を頭から信じるのは危うい。しかし、話半分
だとしても、敵は200機近いワイバーンを失った事になります。」
マクラスキー中佐の言葉に、フィッチは深く頷く。
「戦果が本当であれば、敵の航空戦力は壊滅状態になっている。話半分だとしても、結局は出撃した内の4割程度が失われた事になるから、
以降の航空作戦に大きな支障をきたす事には間違いは無い。」
「長官。当初の目的であった、敵航空戦力の撃滅は、今の所、順調に進んでいると言っても良いでしょう。」
バイター少将が言う。
「あす以降には、TF73の戦艦部隊も、コルザミに艦砲射撃を行います。今の所、TF73で使える戦艦は、ミシシッピー、テキサス、
ニューヨークの3戦艦しかおりませんが、それでも、敵を脅すには十分な戦力です。」
「参謀長の言う通りだな。」
フィッチは、頷きながら相槌を打った。
「ひとまず、今日1日の戦闘で、トハスタ南部に展開していた航空部隊の戦力を減殺出来た。これで、マオンド軍は前線の航空部隊の
応援がやり辛くなる。敵の航空支援が薄くなれば、その分、マッカーサー将軍のレーフェイル派遣軍も前進し易くなるだろう。情報参謀。」
フィッチは、情報参謀のハンター中佐に顔を向ける。
「マッカーサー軍は、今はどの辺りまで前進しているかね?」
「はっ。陸軍から伝えられた情報によりますと……」
ハンター中佐は、赤鉛筆で地図に印と線を書き付けていく。
「ケリステブル方面から侵入した第14軍は、午後4時までに50キロ前進し、現在はフィキシデの敵部隊と交戦中のようです。次に、
ジェシク方面から侵入した第15、17軍は、午後4時までに60キロ前進、現在はラジェリネの北方10キロの地点を進軍中都の事です。」
「陸軍部隊は、途中で敵の抵抗や空襲を受けたと言われているが、全体的には順調に行っているようだな。」
「防御側であるマオンド軍の装備が、シホールアンル軍のそれよりも劣っている、という事が、陸軍の前進に弾みを付けさせる原因に
なっているのでしょう。この調子で行けば、1週間ほどでトハスタを縦断できるでしょう。」
「装備の優劣……か。恐らく、マオンド側は錬度の高い部隊を配置していたのだろうが、旧態依然たる装備のままでは、機動力に優れた
部隊には太刀打ち出来んだろうな。」
「しかし長官。陸軍の報告からは、午後からは余り抵抗を受けずに進む事が出来た、という物もかなりあります。もしかすると……
敵軍の主力は、特に、2個軍の侵攻を受けている敵部隊は、狭隘な土地であるジクス方面に移動しているのではないでしょうか?」
ハンター中佐が指摘した。
「……私は陸軍の作戦については良く知らんが……もし、装備の優劣を埋めたいと思うのならば、一方が不利な状況を作り出す必要がある。」
フィッチは、地図のとある一点を目指した。
ジクス方面は、山岳地帯の間に挟まれており、防御側には有利な地形となっている。
陸軍の作戦計画では、まず、ジクス方面を早急に突破した後、トハスタ市に攻め入り、第14軍を迎え撃とうしているマオンド野戦軍を撃破して、
敵部隊を南部に押し込む事が目的とされている。
第14軍は、スメルヌ以南は湿地帯が広がる地域を進軍しなければならぬため、必然的に速度が鈍る。
トハスタ市周辺に配備されている敵は、進軍速度の遅くなった第14軍に決戦を挑むことが予想されている。
それを早い内に防ぐため、第15軍と17軍には、迅速な機動が求められていた。
しかし、本番を迎えた今、陸軍の作戦がその通りに行くとは限らない。
その問題となりそうな場所……作戦遅延の原因となりそうな場所が、ジクス方面である。
「ジクス方面で陸軍が足止めを食らえば、作戦計画は次第にズレが生じて来るだろう。戦争という物は、上手くいかぬ場合が殆どだからな。」
フィッチはそう断言した。
「それはともかく、我々としては、陸軍の負担を減らすために、色々とやらなねばならん。場合によっては、クリンジェを直々に艦載機で
叩く事もあり得るだろう。」
フィッチの言葉に、幕僚達は頷いた。
「ひとまずは、敵の空襲を警戒しつつ、TF73の援護を続けよう。明後日には、頼もしい上陸部隊も現れる。敵が地上部隊を
分派させるまでは、しっかりと任務を果たさねばな。」
1484年(1944年)11月17日 午前5時 マオンド共和国首都クリンジェ
マオンド共和国国王ブイーレ・インリクは、心労が祟ってか、ここ最近はまだ夜も開け切らぬ内に目が覚めるようになっていた。
この日も、インリクは午前5時に目が覚めた。
瞼を開けると、そこはいつもの暗い寝室であった。
「ううむ……また、この時間に起きたのか……」
彼は、ベッドの側に置いてある時計を、忌々しげに見つめる。
時計の数字と、針の先には蛍光塗料が塗られており、それを見れば、暗い室内でも時間が分かる。
時計の針は午前5時を指している。眠りに付いたのが午前0時であるから、彼は5時間寝た事になる。
「はぁ……どうも、満足に寝れた気がしない。」
彼は深く溜息を吐いてからそう呟く。
以前、インリクは8時間ほど眠る事が出来たのだが、ここ1ヵ月はどうしても、5時間以上は眠る事が出来ない。
ある時は、午前2時に寝て、起きたのが午前5時という事もあり、彼は慢性的な睡眠不足に悩まされていた。
「……それもこれも、アメリカ人共のせいだ。奴らが大人しく、自分達の国に引っ込んでおれば、このような無用な苦しみを味合わずに
済んだ物を!!」
インリクは、腹立ち紛れに叫んだ。
このレーフェイル大陸にアメリカ軍が侵攻して以来、マオンドの誇っていた軍は各地で敗退を重ね、ついには外地の領土を根こそぎ
奪われるという事態に発展した。
今や、レーフェイル大陸の縮図は、マオンドが行動を起こす以前の物まで戻っている。
そればかりか、マオンドは今、下手をすれば国を失いかねない所まで追い込まれている。
マオンドの一領地である辺境の地域、トハスタの北には、既にアメリカ軍の大軍が終結し、マオンド本土の侵攻を企てているという情報が、
3日前に陸軍から伝えられている。
それに加え、昨日の夕刻前に、海軍から輸送船多数を含む大艦隊が、トハスタ領スメルヌの北西280ゼルドを、約7リンル(14ノット)
の速度で南東へ向かいつつあるという情報も知らされた。
インリクは、緊急に陸海軍の高官を呼び付け、敵の侵攻開始はいつ頃にあると予想しているか?と問い質した。
陸軍と海軍の最高司令官は、互いに顔を見合わせた後、異口同音に
「遅くても1週間以内です。」
と告げた。
その後、海軍総司令官はこう付け加えた。
「本土西岸には、敵の高速機動部隊の他に、上陸部隊を満載していると思われる輸送船団も近付きつつあります。敵側の考え次第では、
最低でも3日以内には侵攻を始める、という事も考えられます。この大船団がどこに向かっているかは、現在確認中です。」
その報告を聞いたインリクは、すぐに海兵隊という文字を頭に浮かべた。
彼は、シホールアンルから知らされた情報の中で、アメリカ軍が陸海軍とは別に、海兵隊という軍事組織を有している事を知っている。
情報によれば、アメリカ海兵隊は、アメリカが有する軍の中でも最も勇敢であり、先のエルネイル上陸作戦では、沿岸防御の部隊が
米海兵隊の猛攻の前に敗退し、その後の戦線後退に繋がった、とも言われている。
インリクは、すかさず陸軍総司令官に、輸送船団に乗り組んでいる敵部隊はどれほどの物か?と尋ねた。
「確認された輸送船は、最低でも150隻は下りません。敵の部隊の種類にもよりますが、最低でも3個師団。通常ならば4個師団程度は
乗っていると見てよいでしょう。」
その答えを聞いた時、インリクは目眩がした。
戦線の突破力では定評のある米海兵隊が、最低でも3個師団。多くて4個師団は居る。
普通の陸軍部隊が乗っているとしても、その中身は、これまでの戦いで散々痛い目に合わされてきた、あの戦車部隊であろう。
いずれにせよ、機動力が桁違いに向上した(馬匹輸送が主体のマオンド軍から見ればそうなる)敵部隊が1個軍相当もおり、
尚且つ、主戦線の後方に上陸を企てているとしたら、マオンドが考案した作戦計画は水泡に帰す事になる。
「敵の上陸部隊が、トハスタ以南の海岸に強襲上陸をしたならば……トハスタに残した2個軍は、想定よりも短い期間で撃滅され、
不死の薬を使った作戦も意味が無くなる……おのれ、一体、どうすれば良いのだ!?」
インリクは、右手で額を押さえる。彼の頭には、有効と思えるような策がなかなか浮かばなくなっていた。
いや、そればかりか、今まで有効であろうと確信した案……不死の薬を使った秘密作戦までもが無駄だと思いかけて来る。
(いや、決して無駄ではない。あれは、まだ実行してもいないじゃないか!!)
どす黒い不安感に苛まれていた彼だが、心中でそう叫ぶ事で、何とか平静さを取り戻した。
インリクはベッドから起き上がり、寝間着から通常の服装に着替える。
その間、彼は混乱しかけていた頭を整理した。
「大丈夫だ。あの作戦が成功すれば、北からやってくるアメリカ人共は必ず足止めされる。主力部隊の前進が止まれば、輸送船団の
動きにも変化が生じるだろう。まだまだ、勝機はある。」
彼はそう呟き、沈みかけていた気持ちを元に戻した。
「よし。これで支度は揃った。あとは、教会側に実行の指示と、現地軍へこの秘密作戦の全容を知らせねばな。」
インリクは、堂々とした足取りで寝室を出た。
ドアを開けた直後、宮殿付きの武官とばったりと出くわした。
「おお、これは陛下。お目覚めでございましたか。」
少佐の階級章を付けた魔道将校は、息を切らせながらインリクに言う。
「うむ、今目覚めた所だ。何やら慌ただしいが、何かあったのか?」
「ハッ!アメリカ軍がトハスタ領に向けて砲撃を開始したとの事です!それに加え、国境線の上空を敵機の大軍が続々と超えつつあります!」
魔道将校は、興奮で上ずった声で報告を終えた。
それに対して、インリクが言葉を言うべく、口を開いた。
その瞬間、首都クリンジェにけたたましい不協和音が鳴り響いた。
まだ夜も開け切らぬこのクリンジェに来襲し、空襲警報のサイレンを鳴らす相手が誰であるかは、もはやインリクにはわかっていた。
「またスーパーフォートレスか……おのれ、今に見ておれよ!」
彼は、暗闇の高空を飛んでいるであろう、B-29の大編隊に向けて恨み節を言い放ったのであった。
11月17日 午前7時 トハスタ領ジェシク
マオンド陸軍第58歩兵師団第18連隊に所属するタメグ・ロィグペ大尉は、埃に覆われた掩蔽壕の銃眼から、国境の向こう側より
押し寄せて来る米軍の大部隊を見つめていた。
「きやがった……本当に来やがった!!」
彼の隣で、接近するアメリカ軍部隊を見ていた中隊本部付き曹長が、興奮した口調で叫ぶ。
今から2時間前の午前5時。第18連隊が配属されている前線に、突如として猛砲撃が加えられた。
砲撃は20分前に終わったが、連隊の各隊は甚大な損害を被った。
ロィグペ大尉は、18連隊の第2大隊第4中隊を指揮していたが、120名居た兵員の内、戦死者は28名、負傷者は49名という
大損害を被っている。
米軍の砲撃は執拗かつ、正確であり、被害は前線部隊のみならず、3ゼルド(9キロ)離れた砲兵陣地にまで及び、師団砲兵隊は
戦力の6割を失っている。
師団砲兵を狙った砲撃は、155ミリM1榴弾砲…通称、ロング・トムと呼ばれる重砲である。
野砲の事前砲撃で叩きのめされた58師団は、それよりも恐るべき相手……戦車を中心とする敵の地上部隊と、これから戦わねばならない。
「中隊長!敵の先鋒が、我が陣地より2ゼルドまで接近!」
掩蔽壕の外で張っていた観測兵が、ロィグペ大尉に知らせる。
「観測兵、砲兵隊に砲撃を開始せよと連絡しろ!」
「了解!」
観測兵は命令を受け取るや、すぐに魔法通信で後方に連絡を取る。
マオンド軍は、アメリカ軍の侵攻に備えて、進撃路と予想される平野部を、事前に座標で割り当て、敵が進軍して来た場合には、
すぐに野砲が集中砲火を浴びせられるように工夫されている。
砲撃は、前線の後方に居る師団砲兵と、前線に配備された対戦車部隊が行う。
後方の師団砲兵隊は、3ゼルドから1ゼルドの範囲を担当し、そこから先は対戦車部隊が対応する。
マオンド軍は、事前に用意された砲兵隊によって、迫り来るアメリカ軍部隊に出血を強要できると思っていた。
だが……それは、甘い考えであった。
ロィグペ大尉の率いる中隊の真上を、砲弾が空気を切り裂いて通過して行く。
やがて、草原を疾駆する米軍部隊の周囲に砲弾が落下し、爆煙が噴き上がった。
ロィグペ大尉は、忌々しげに顔を歪めた。
「く……飛んで来た砲弾は、たったあれだけか!」
彼は、半ば絶望しかけていた。
敵部隊の周囲に降り注いだ砲弾は、演習時の砲撃と比べて余りにも少なかった。
それから5分ほどの間、砲撃が続けられ、米軍部隊の中には、被弾して黒煙を噴き上げ、その場に停止する車両も現れた。
しかし、マオンド側が、アメリカ軍側に対して、一方的に砲撃を行う時間は、余りにも短かった。
「あっ!敵機です!11時方向!!」
観測兵が、悲鳴にも似た声音ですぐさま報告を伝えてくる。
地上を驀進する敵部隊の後方から、アメリカ軍機と思しき機影が多数現れ、前線の防御陣地に接近しつつある。
「来るぞ!敵の空襲だ!」
ロィグペ大尉は、上ずった声音で叫んだ。
敵機はさほど間を置かずに、陣地に襲いかかって来た。
陣地を攻撃して来た敵機は、56機のA-26インベーダーであった。
インベーダーは、まず、前線のやや後方にある砲兵隊を爆撃した。
それまで、アメリカ軍の地上部隊に向けて、必死に砲を撃ちまくっていた師団砲兵隊は、まともな対空防御も出来ぬうちに
(砲兵隊には、魔道銃と高射砲を装備した対空部隊が、偽装を施した状態で配置されていたが、米軍の砲撃で殆どが撃破されていた)
インベーダーの銃爆撃で悉く破壊されていった。
1機のインベーダーが、両翼に吊り下げていた2発の500ポンド爆弾を投下する。
2発の爆弾は、2つの野砲を砲兵ごと纏めて吹き飛ばし、その次に弾薬の誘爆を起こして、派手に火柱を噴き上げた。
別のインベーダーは、大慌てで前線から逃げ出した4台の馬車隊に追い縋り、十分に近付いた所で機銃掃射を行う。
12.7ミリ機銃、20ミリ機銃の掃射をまともに食らった馬車隊は、例外無く横転するか、バラバラになり、無残な姿を野に晒した。
インベーダーは砲兵陣地のみならず、前線部隊にも襲いかかる。
生き残っていた対空陣地が、魔道銃を撃って来た。
運良く、1機のインベーダーが魔道銃の集中射を食らって、左右のエンジンから火を噴き、地面に墜落した。
その報復は即座に返され、インベーダーを撃ち落とした対空陣地には、別の機から放たれた10発もの5インチロケット弾が叩き込まれ、
陣地に居た7名のマオンド兵は全員戦死した。
あるインベーダーは、塹壕線に沿って飛行しつつ、機銃掃射を行っている。
塹壕の中でうずくまっていたマオンド兵が、胴体を機銃弾によって串刺しにされ、ある者は、ひょっこり顔を出した所に20ミリ弾を
食らい、頭部を吹き飛ばされた。
インベーダーが猛速で飛び去って行くたびに、陣地内のマオンド兵は次々と倒れていく。
ロケット弾が、ロィグペ大尉の居る掩蔽壕のすぐ近くで炸裂した。
鼓膜に直接捻じ込むような、強烈な爆発音が鳴り響き、壕が頼りなさげに、激しく揺れ動く。
「く……アメリカ人共め、好き放題やりやがって!!」
ロィグペ大尉は、悔しさの余りそう叫んだ。
「中隊長!友軍の航空部隊はまだなのですか!?」
中隊付きの曹長が、興奮で顔を赤くしながらロィグペ大尉に聞く。
「ワイバーン隊は、敵の攻撃が始まれば、すぐに駆け付けると言ってたはず。一番近いワイバーン基地は、前線から10ゼルドしか
離れていません。なのに、どうして、ワイバーン隊は一向に現れないのですか!?」
「おい、落ち着け曹長!」
ロィグペ大尉は、叩き付けるように言う。
「ワイバーン隊も、別のアメリカ軍機と戦っているのかもしれん。彼らだって、すぐに応援に駆け付けたいのだろうが、この状況
からして、今しばらくは航空支援は望めないかもしれん。」
「航空支援は望めない、ですと?」
曹長は、更に顔を赤く染め上げながら、掩蔽壕の銃眼の先を指差した。
「では、我々は満足な支援を受けずに、敵の戦車と戦えというのですか!?」
ロィグペ大尉が言い返そうとした時、インベーダーの爆音が真上で響く。
その直後、爆弾の炸裂音が掩蔽壕の間近で響き、銃眼から爆風が吹きこんできた。
銃眼の真ん前に立っていた曹長はまともに爆風を浴びてしまい、すさまじい勢いで背後の壁に叩きつけられた。
爆風と共に吹き付けてきた土煙が、しばしの間、壕の中を覆い、内部の視界が悪くなった。
「ゲホッ!ゴホッ……くそ、曹長がやられたぞ!誰か!魔道士を呼んで来い!」
ロィグペ大尉は、煙に噎せながらも、大声でそう叫んだ。
やや間を置いて、魔道士が壕の中に飛び込んで来た。
「中隊長!負傷者がいると聞いて飛んできました!」
「曹長を見てくれ。爆風に吹き飛ばされてからずっと意識を失ったままだ。」
「わかりました。念のため、後方の救護所に連れて行きます。1人では曹長を運べませんから、誰か1人、手を借りて良いですか?」
「こいつを付けよう。2等兵!一緒に曹長を運んでやれ!」
彼は、壕の隅で戦闘記録を書き続けていた2等兵の背中を叩いた。
指示を受け取った2等兵は、慌てて席から立ち上がり、魔道士と共に、負傷した曹長を後方に運んで行った。
敵の空襲は、15分で終わった。
インベーダーは、対空部隊の反撃を物ともせずに、18連隊の陣地を好き放題に叩いた。
前線の歩兵部隊や、対戦車部隊の被害は大きかったが、それ以上に、後方の砲兵陣地の損害は凄まじかった。
「ん?阻止砲撃が全く来ないぞ。おい、砲兵隊はどうしたんだ?」
ロィグペ大尉は、外から壕の中に戻って来た中隊本部付の魔道士に声を掛ける。
「はっ、しばしお待ちを。」
魔道士は、後方の砲兵隊と連絡を取るべく、砲兵隊付きの魔道士に確認を取った。
1分ほどで確認は取れた。
ロィグペ大尉は、やり取りを行っている魔道士の顔が、見る見るうちに青くなるのを見て、最悪の事態が起きたかと、心中で呟く。
「……中隊長。砲兵隊は、インベーダーの銃爆撃を受けて、残っていた砲全てが破壊されたようです。」
「おい、砲兵隊が全滅したのか!?それも、たった15分足らずの空襲で!?」
彼は仰天してしまった。
師団砲兵連隊は、2個砲兵大隊と1個対空中隊で編成されている。
1個歩兵大隊は、野砲54門で編成され、師団砲兵全体では108門の大砲で持って相手の進撃を阻む事が出来る。
この108門の大砲を、高射砲8門、対空魔道銃36丁で守っている。
事前の砲撃で甚大な損害を被ったとはいえ、それでも2、30門以上の砲は残っていたはずだ。
その砲兵隊が、僅か15分で壊滅した。
中隊長としては信じられない気持で胸が一杯であった。
「そんな……何かの間違いではないのか!?」
「いえ、あり得ぬことではありません。」
うろたえるロィグペ大尉に対して、魔道士は比較的冷静であった。
「アメリカ軍攻撃機の対地攻撃力はかなりの威力があります。砲兵隊には30機のインベーダーが向かったと言われています。
数字の上では少ないように思えますが、米軍機の武器搭載量はかなり多く、2、30機でも恐ろしい破壊力を持っています。」
「そういえば、君はヘルベスタンとルークアンドの戦いを経験していたな。」
「はっ。最も、私はあまり活躍出来ませんでしたが……」
魔道士は、幾分、沈みがちな声音で返した。
ヘルベスタンとルークアンドの戦いは、終始マオンド側が劣勢な形で推移している。
一連の負け戦を経験して来たこの魔道士にとって、砲兵隊が敵の航空攻撃で壊滅する事は予想していたのだろう。
「中隊長!敵の地上部隊が更に接近します!距離は1ゼルド!」
外に居た部下の歩兵が、銃眼の前に顔を出して、壕の中に叫んでくる。
ロィグペ大尉は、銃眼の向こう側に居る敵の地上部隊に目を向けた。
草原の向こう側から、幾重にも重なった重低音が聞こえて来る。
その音の上空には、先程飛び去った航空隊とは、別の航空部隊が既に現れ、地上部隊の上空で待機している。
「中隊長、後方より味方のワイバーン隊が飛び立ったとの事。間もなく、前線上空に現れます。」
先程の魔道士が、彼に報告して来る。
普段ならば、この報告を聞けば小躍りして喜ぶであろう。しかし、ロィグペ大尉には、そんな気は湧かなかった。
「くそ、敵の備えは万全だぞ。18連隊の命運は、もはや決まったも同然だな。」
11月17日 午後1時 トハスタ領都トハスタ市
トハスタ領の領主である、イロノグ・スレンラド侯爵は、トハスタ市の中心部に設けられた庁舎で、陸軍トハスタ方面軍司令官
ラグ・リンツバ大将から戦況の説明を受けていた。
「現在、国境の防衛線は、各所で破られています。アメリカ軍はケリステブルとジェシク方面に配備されていた第50歩兵師団と
第58歩兵師団の防衛線を突破した後、急速に南下しつつあります。ケリステブルを突破した敵は、既に9ゼルド南に進出し、
同地にあったカマスリの陸軍ワイバーン隊は南方へ撤退、ダツバ市は敵に制圧されました。ジェシクを突破した敵部隊も、
先鋒は7ゼルド南に進出し、現在、リーシテブ市に配備された第58師団の部隊と交戦中です。」
「ダツバの町には、多くの負傷兵が収容されていると聞く。この負傷兵達は、なんとか脱出できたのかな?」
「はっ……敵の進出が余りにも早いので……負傷兵を脱出させる事は不可能でした。」
ダツバ市の病院には、陸海軍、軍属合わせて300名の負傷兵が収容されていた。
負傷した者の中には、絶望的な撤退戦の中、機転を利かせて包囲網から脱出した歩兵隊の名指揮官や、先月末まで続けられた
ワイバーン輸送中の際に、敵機動部隊から発艦した艦上機に襲われながらも、無事に生還を果たした凄腕のワイバーン乗り等も含まれている。
それらの負傷兵は、逃げる間もなく米軍に捕えられ、栄光ある軍歴に幕を閉ざされたのである。
「ダツバ市の守備に付いていた第50歩兵師団の将兵も応戦したのではありますが、同地を守っていた1個大隊は、3割の損害を被り、
撤退を余儀なくされました。」
「敵の攻撃は、このトハスタ北方のみに留まりません。」
同席していた参謀長のフィリメド・イルグレイ中将が付け加える。
「夜明け前には、首都クリンジェが、スーパーフォートレス約80機の空襲を受けています。米軍は、首都の南方に健在であった軍の施設や
工場に爆弾を降らせただけで、市街地の誤爆はありませんでしたが、この空襲で、首都近郊にあった主要工場は、事実上、全滅状態となります。
更に……」
イルグレイ中将は、机に広げられた地図に指をさした。
指差された場所は、海である。
「コルザミの北西200ゼルドの海域には、敵機動部隊が現れ、正午過ぎにはコルザミの軍港とワイバーン基地が、敵艦載機の空襲を
受けています。現在、コルザミの近辺に駐屯していた、第47空中騎士団と第41空中騎士団が攻撃隊を発進させておりますが……
ワイバーン隊には相当な損害が出るでしょう。」
「この敵機動部隊の後方30ゼルドには、歩兵部隊を乗せていると思しき輸送船団も確認されています。偵察ワイバーンが、消息を絶つ
前に知らせて来た情報では、少なくとも、敵船団の数は、150隻は下らぬとあります。」
「150隻……この150隻には、どれほどの敵部隊が乗っているのかね?」
スレンラドは、すかさず質問する。
「……正確な予測は出来ませんが、我々は、3年前にアメリカ本土へ侵攻しようとした際、226隻の船団に1個軍団、8万7千の
将兵を乗せました。この8万7千という数字は、将兵や物資を、通常よりも多く積め込んだ為に出来た数字で、通常なら5万程度です。
米軍は、我々と違って、戦車や自動車といった移動車両も多数含むので、その分、兵員は少なくなるかもしれませぬが、最低でも3個師団、
多ければ4個師団…6万名程度は乗せているでしょう。」
「6万名……」
スレンラドは、思わず頭が痛くなった。
軍は、コルザミに1個旅団の守備隊を置いているが、この部隊は2戦級の部隊であり、しかも定員の8割しか数が揃っていない。
その代わり、敵の航空攻撃には対応できるように、コルザミの周囲には3個空中騎士団を配備している。
航空部隊はコルザミだけではなく、コルザミから40ゼルド北東のコバギナリクからも、万が一の場合は2個空中騎士団が応援に
駆けつける予定だ。
この5個空中騎士団が保有するワイバーンは、総計で530騎にも上り、トハスタ北方の4個空中騎士団を含めて、敵航空部隊に対する
決戦兵力とされている。
「スレンラド候、ワイバーン部隊を上手く活用すれば、敵機動部隊が護衛している輸送船団に痛打を浴びせられる筈です。」
「輸送船団か。確か、攻撃隊は敵機動部隊に向かっているのでは?」
スレンラドはすぐさま聞き返した。
「それは先発隊の事です。後続部隊には、輸送船団の攻撃を命じています。後続部隊も30分前に発進し終えましたから、
あと1時間半ほどで、敵船団に取り付く事が出来るでしょう。」
「敵船団に関しては、海軍のベグゲギュスが逐一、位置を知らせてきておりますので、接敵を失敗する恐れはありません。」
リンツバ大将が言い終えた後、イルグレイ中将がそう付け加える。
「なるほど……敵機動部隊、輸送船団に対しては、既に手は打ってあるのだね。それならば良いが……」
スレンラドは、納得したように頷く。
だが、心中では、果たして、攻撃隊は敵に痛打を浴びせられるのだろうか?という疑念が湧き起こっている。
(アメリカ艦隊の対空砲火は、異常なほど強力であると言われている。リンツバ将軍とイルグレイ将軍の話からして、南部の
5個空中騎士団は総力出撃を仕掛けているようだから、必ず戦果は挙げてくれるだろう……しかし、その後はどうなるのだろうか?
敵の迎撃で、ワイバーン隊は間違いなく少なからぬ損耗を被る事になる。この攻撃で、ワイバーン隊の戦力を消耗し尽くせば、
南部の空中騎士団に出来る事は、もはや、何もないだろう)
スレンラドは、不安げな気持ちでそう思った。
彼としては、ワイバーン隊がなるべく少ない損害で、敵機動部隊や輸送船団に大損害を与える事を期待するしかなかった。
リンツバ大将は、壁に掛けられている時計に目を向けた。
時刻は午後1時20分を回ろうとしている。
「そろそろ、先発のワイバーン隊200騎が、敵機動部隊に取り付く頃ですな。」
彼は、期待を込めた口調でスレンラドにそう言った。
11月17日 午後5時 コルザミ沖北東360マイル地点
第7艦隊旗艦である重巡洋艦オレゴンシティ内部にある作戦室では、第7艦隊の幕僚達が地図を見つめながら、今日の戦闘報告を行っていた。
「長官。マオンド軍は、午後1時30分から4時までの間に、計3波の攻撃隊を放っています。3波のうち、最初の第一波はTG72.3に
襲いかかりました。残りの2波は、輸送船団を狙って来ました。」
第7艦隊司令長官オーブリー・フィッチ大将は、参謀長のフランク・バイター少将から報告を聞く傍ら、他の幕僚達と同様に、机に敷かれた
地図を見つめている。
「敵編隊の進路を推測した所、敵の航空基地は、コルザミ方面にあると思われます。」
「コルザミの周辺は、深い森林地帯に覆われています。」
情報参謀のウォルトン・ハンター中佐も発言しつつ、コルザミと描かれた地名の周囲を、一指し指でなぞる。
「我々が送った攻撃隊からは、コルザミ軍港の付近には森林だけで、航空基地らしき物はないと報告がありましたが、マオンド軍は我々が
来る事を予め予想し、森林地帯に航空基地を設けた可能性があります。」
「あるいは、やや内陸部からワイバーンを飛ばして来た、という事も考えられます。」
航空参謀のウェイド・マクラスキー中佐も言う。
「マオンド軍が有しているワイバーンの行動半径は、最低でも800キロ程度はあります。コルザミから輸送船団までの距離は700キロ程度。
ぎりぎりではありますが、届かぬ範囲ではありません。」
「ふむ……となると、マオンド軍は、やや遠方に展開していた航空部隊までも動員して、TF72と輸送船団を叩き潰そうとしていたのか。」
フィッチ大将はそう言ってから、口元に微笑を浮かべる。
「敵が500騎以上の航空部隊を投入して来たという事は、敵が本気で、我々を上陸部隊と思い込んでいる。という事になると思うが……
諸君らはどう思うかね?」
「その点に付きましては、同感であります。」
バイター少将が即答する。
「敵は、我々の迎撃によって、航空部隊に相当な損害を被っていますからな。マオンド側は、防備の厚さからして、船団に上陸部隊が
乗せられていると確信しているでしょう。」
第72任務部隊は、マオンド側から航空攻撃を受ける前に、260機の艦載機でもってコルザミ軍港を爆撃した。
コルザミ軍港には、哨戒艇5隻と雑艦12隻が停泊していたのみであったが、攻撃隊はこれらの艦艇を1隻残らず叩き沈め、
軍港の敷地内にあった建物に片っ端から銃爆撃を加えた。
攻撃隊は、途中で40騎のワイバーンと交戦し、F6F3機とF4U5機、SB2C3機が失われたが、相手側のワイバーンを
28騎撃墜して蹴散らしている。
攻撃隊は、午後12時30分には攻撃を終え、帰投したが、攻撃隊が戻る前に、機動部隊は敵ワイバーンの空襲を受けていた。
機動部隊を攻撃しようとしたワイバーン隊は、総数で200騎程であったが、TF72は、ピケット艦のレーダーでこの編隊を
いち早く探知し、各空母から計350機の戦闘機を発艦させて、この攻撃隊を迎え撃った。
200機のワイバーン隊は、350機のF6F、F4Uに襲われ、ワイバーンは次々と撃ち落とされて行った。
最終的に、100騎前後にまで減少した敵ワイバーン隊は、機動部隊より20マイル前方まで進んだ所で攻撃を断念し、引き返して行った。
午後2時から4時の間には、別のワイバーン隊が輸送船団に襲いかかった。
TF72は、このワイバーン隊に対しても果敢な迎撃戦を挑んだが、輸送船団を襲撃したワイバーン隊には手錬が多く、最後の第5波、
100騎の敵ワイバーン隊は、なんと超低空飛行で船団に迫っていた。
この最後の敵攻撃隊は、米側が過去の戦訓を基に、艦体の周囲に配備していたS1Aハイライダーの報告によって、最終的にはTF72や、
護衛空母から発艦した戦闘機にたかられ、輪形陣に到達するまで大損害を被った。
この一連の迎撃戦で、米側は輸送船2隻と、LSM(LST改造のロケット弾発射艦)1隻を撃沈された他、戦艦ニューメキシコとアイダホ、
護衛空母メレヴェルト・ヒルと駆逐艦3隻が損傷した。
航空機の損害は、F6Fが38機、F4Uが25機、護衛空母のFM-2が18機失われている。
喪失機数の中には、被弾で損傷し、やむなく不時着水した機や、着艦事故で失われた機も入っている。
損傷艦の中で、被弾した戦艦ニューメキシコはレーダー機器を全損し、アイダホは舵機に異常が生じたため、後方へ引き返すことが決まった。
また、護衛空母のメレヴェルト・ヒルも、飛行甲板に3発の直撃弾を受け、エレベーターが動作不良に陥ったため、修理のために本国へ
帰還する事が決まっている。
以上が、米側が被った損害である。
この損害に対して、TF72、73は、敵ワイバーン350騎の撃墜を報告している。
撃墜されたワイバーンの大半は、上空直衛に当たっていたF6FやF4Uに落とされた者だ。
マッケーン提督が提案した戦闘機専用空母論は、既に太平洋戦線でその効果が実証されたが、このコルザミ沖でも、改めて威力を発揮したのだ。
「ワイバーンの撃墜騎数は、計350騎に上ります。この戦果が本当ならば、コルザミ近郊の敵航空部隊は壊滅したも同然です。
無論、空戦時の戦果には誤認が付き物でありますから、この撃墜350騎という戦果を頭から信じるのは危うい。しかし、話半分
だとしても、敵は200機近いワイバーンを失った事になります。」
マクラスキー中佐の言葉に、フィッチは深く頷く。
「戦果が本当であれば、敵の航空戦力は壊滅状態になっている。話半分だとしても、結局は出撃した内の4割程度が失われた事になるから、
以降の航空作戦に大きな支障をきたす事には間違いは無い。」
「長官。当初の目的であった、敵航空戦力の撃滅は、今の所、順調に進んでいると言っても良いでしょう。」
バイター少将が言う。
「あす以降には、TF73の戦艦部隊も、コルザミに艦砲射撃を行います。今の所、TF73で使える戦艦は、ミシシッピー、テキサス、
ニューヨークの3戦艦しかおりませんが、それでも、敵を脅すには十分な戦力です。」
「参謀長の言う通りだな。」
フィッチは、頷きながら相槌を打った。
「ひとまず、今日1日の戦闘で、トハスタ南部に展開していた航空部隊の戦力を減殺出来た。これで、マオンド軍は前線の航空部隊の
応援がやり辛くなる。敵の航空支援が薄くなれば、その分、マッカーサー将軍のレーフェイル派遣軍も前進し易くなるだろう。情報参謀。」
フィッチは、情報参謀のハンター中佐に顔を向ける。
「マッカーサー軍は、今はどの辺りまで前進しているかね?」
「はっ。陸軍から伝えられた情報によりますと……」
ハンター中佐は、赤鉛筆で地図に印と線を書き付けていく。
「ケリステブル方面から侵入した第14軍は、午後4時までに50キロ前進し、現在はフィキシデの敵部隊と交戦中のようです。次に、
ジェシク方面から侵入した第15、17軍は、午後4時までに60キロ前進、現在はラジェリネの北方10キロの地点を進軍中都の事です。」
「陸軍部隊は、途中で敵の抵抗や空襲を受けたと言われているが、全体的には順調に行っているようだな。」
「防御側であるマオンド軍の装備が、シホールアンル軍のそれよりも劣っている、という事が、陸軍の前進に弾みを付けさせる原因に
なっているのでしょう。この調子で行けば、1週間ほどでトハスタを縦断できるでしょう。」
「装備の優劣……か。恐らく、マオンド側は錬度の高い部隊を配置していたのだろうが、旧態依然たる装備のままでは、機動力に優れた
部隊には太刀打ち出来んだろうな。」
「しかし長官。陸軍の報告からは、午後からは余り抵抗を受けずに進む事が出来た、という物もかなりあります。もしかすると……
敵軍の主力は、特に、2個軍の侵攻を受けている敵部隊は、狭隘な土地であるジクス方面に移動しているのではないでしょうか?」
ハンター中佐が指摘した。
「……私は陸軍の作戦については良く知らんが……もし、装備の優劣を埋めたいと思うのならば、一方が不利な状況を作り出す必要がある。」
フィッチは、地図のとある一点を目指した。
ジクス方面は、山岳地帯の間に挟まれており、防御側には有利な地形となっている。
陸軍の作戦計画では、まず、ジクス方面を早急に突破した後、トハスタ市に攻め入り、第14軍を迎え撃とうしているマオンド野戦軍を撃破して、
敵部隊を南部に押し込む事が目的とされている。
第14軍は、スメルヌ以南は湿地帯が広がる地域を進軍しなければならぬため、必然的に速度が鈍る。
トハスタ市周辺に配備されている敵は、進軍速度の遅くなった第14軍に決戦を挑むことが予想されている。
それを早い内に防ぐため、第15軍と17軍には、迅速な機動が求められていた。
しかし、本番を迎えた今、陸軍の作戦がその通りに行くとは限らない。
その問題となりそうな場所……作戦遅延の原因となりそうな場所が、ジクス方面である。
「ジクス方面で陸軍が足止めを食らえば、作戦計画は次第にズレが生じて来るだろう。戦争という物は、上手くいかぬ場合が殆どだからな。」
フィッチはそう断言した。
「それはともかく、我々としては、陸軍の負担を減らすために、色々とやらなねばならん。場合によっては、クリンジェを直々に艦載機で
叩く事もあり得るだろう。」
フィッチの言葉に、幕僚達は頷いた。
「ひとまずは、敵の空襲を警戒しつつ、TF73の援護を続けよう。明後日には、頼もしい上陸部隊も現れる。敵が地上部隊を
分派させるまでは、しっかりと任務を果たさねばな。」