「そのお魚、おいしそうね」
「あ、これは鰆の西京焼きですね。昨日の夕食の余り物でして」
「……夕食って、やっぱりみゆきが作ってるわけ?」
「ええ、最近作り始めました。父と母も喜んでくれますし。まあ、まだまだ未熟なものですけどね」
「うげ……。やっぱり、私も料理を習ったほうがいいのかしら……」
「ふふ、料理は、決して覚えておいて損はないと思いますよ。食べなければ生きていけませんしね」
そう言って、みゆきは鰆を口に入れた。その顔は、とても幸せそうで、見てるこっちが微笑ましくなってくる。
何というか、みゆきは何をしても絵になる気がする。全く、天は二物を与えず、なんて本当かどうか疑わしく思えちゃうわね。
さて、状況を説明しよう。今、私は屋上でみゆきとお弁当を食べている。どうして、そうなったのかといえば、今日はこなたとつかさが風邪で欠席したからだった。二人しかいないし、せっかくだから、と、私の提案で昼食は屋上で食べることになったのだ。
「それにしても……こうやって、二人で食べるのも久しぶりねー」
「そうですね。一年の秋ごろからは、四人で食べるようになりましたから」
「そう考えると、何だか感慨深いわねー。あれから二年か……」
「本当です。みんな、変わっていないようで変わりましたからね」
しみじみとみゆきは話す。確かに、その通りだった。
いつまでも無邪気な子供のようだった、こなたとつかさも、この二年間の間に著しく成長したように私は思う。著しい変化と言っても、外見は全く変わらない。私やみゆきのように、いつも一緒にいるような関係でないと、気付けないような成長だ。
そして、それは、みゆきにしても同じことが言えるだろう。
私が、初めて陵桜学園でできた友人といえるような存在は、みゆきだった。同じ学級委員長仲間ということで、仲良くなり、たまに昼食の席を一緒にする仲だった。その頃は、今の仲良し四人組は形成されていなかった。
初めて出会ったときは、みゆきのあまりの優秀さとその美貌に、思わず私は気後れした。そのままだったら、みゆきと友人となることはなかったかもしれない。
転機となったのは、一年生初めの学年レクリエーション大会だ。クラスを団結させ、親睦を深めようという目的の下に企画されたこれは、各学級委員長が二人ずつ組になって具体的な内容を企画することとなり、私はみゆきと組むことになった。
初めは、どうなるものか不安で仕方がなかった。しかし、みゆきは想像していたよりずっと、話しやすく、優しく、そして親しみやすかった。おかげで、企画は成功したし、新たな友人を作ることができたのだ。
まあ、秋頃まで「高良さん」、「柊さん」と、さん付けで呼び合っていたけど……。でも、それも遠い思い出の一つになりつつある。
あれから既に二年以上が経った。みゆきはあれから、ますます綺麗になったし、その頭に詰まっていく知識は留まることを知らず、格物致知の道をきわめつつある。
人間的にも物凄く成長した。一年生の頃はあれほど散見されたドジも、大分少なくなったように思えるし、その確かな知恵と優れた人格によって、みんなを確かな道へ導いている。みゆきがいて、私たちがどれだけ助かったことか。
それに比べ、私はどうなのだろうか。ちっとも成長していないし、だんだん、他の三人が遠くなっているような、そんな気がして思えなかった。それとも、私は他人への観察眼はあるくせに、自分への観察眼がちっともないだけなのか。
でも、こんなことを考えたって仕方がない。今は、前へ前へと道を進むことが大事なのだ。大切なのはこれまでの十年間じゃなくて、これからの十年間のはずだ。
そんな風に自分の気持ちに一旦区切りをつけて、ふと、みゆきの方を向くと、みゆきは空を仰ぎ見ていた。
その様子が何とも儚げで、そして綺麗で、思わず息をのんでしまう。やはり、みゆきは綺麗だった。一昨年も、去年も、そして今も。目を見張るような美しさが彼女にはあった。
当のみゆきはぼうっとしているようだ。どうしたんだろう。空に何かあったのか、と思って、空を見ても何もない。ただ、青い空が続いているだけだった。空は馬鹿みたいに澄み切っている。雲ひとつなかった。
「……あれからもう二年も経つんですね。月日がたつのは早いものです」
ぽつりとしたみゆきの一言で、私は我に返る。
私は空を見たまま、
「本当ね……。光陰矢のごとし、だっけ」
「そうですね。光陰矢のごとし、です。こうして、友達同士で、お弁当を一緒に食べられるのも、あと数ヶ月しかないんですね」
「数ヶ月、って聞くと長いように思えるけど、本当は短いのよねー」
「そうですね。悔いを残さないよう、毎日を120%生きたいものです」
「そうはいうけど、毎日、毎日、後悔や失敗だらけなのよねー。世の中、うまくいかないわ……」
「ふふふ、そうしていられるのも青春、ですよ」
「だといいんだけどね……。あ、そうだ、青春といえば。みゆき。今日、帰るときにちょっと付き合ってくれる?」
空を見るのをやめ、みゆきに向き直る。いつの間にか、みゆきも空を見るのをやめていた。
「寄り道、ですか? どちらに行かれるのです?」
「あー、ちょっと本屋にね。今日が、新刊の発売日なのよ。『メカニカルマジック』って言うんだけど」
まあ、知らないだろうなあ……ライトノベルだし。生まれてこの方、ライトノベルを読むという友人はできたことがないし。
全く、何でライトノベルの面白さをみんな、知ろうとしないんだろう。読んでみれば絶対に面白いのに。本当に勿体無い。
私は、このライトノベルの面白さ、楽しみを共有できない事に少しの孤独感を感じていた。でも、こればっかりは仕方ない。活字嫌いの友人しか作れなかった自分を恨むべきなんだろう。
……なんて思っていたら、みゆきは首をかしげながら、
「『メカニカルマジック』……。ライトノベルですか? 確かにあれは面白いですね」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
私の聞き間違いじゃ……ないわよね? 確かに、ライトノベルといったわよね……?
いや、確かに言った。ついでに「面白い」とまで言った。読まずにその本を「面白い」なんていえる奴がいたら、それは立派なペテン師だ。このことから推理できる事は、みゆきはその本を知っているばかりでなく、その本を読んだということだ。
「知ってるの?」
確証を得る為に聞いてみる。思わず、声が上ずっていた。
すると、みゆきはニッコリと笑い、
「はい、私はライトノベルもたまに読むんですよ」
「何だ、早く言ってよ!」
思わず、顔をほころばせて、身を乗り出してしまい、ついでにみゆきの背中をバン、と叩いてしまう。
「ご、ごほっ。か、かがみさん、落ち着いて下さい」
「はっ……ごめん、ごめん。つい興奮しちゃって。えーと、それじゃあ、ライトノベルはどれくらいもってるの?」
「そうですね……。「メカニカルマジック」は3までありますね。あとは、「時雨タクシー」とか「涼宮ハルヒ」とか「狂乱家族日記」とか……。メカニカルマジックは結構好きですね」
「なーんだ、結構持ってるじゃない。いや、まあ、何というか……こんな身近にライトノベル仲間がいたなんて。いやー、メカニカルマジックは読まなきゃ損よー。もう、結構話が進んでいるしねー」
「そうなんですか? それでは、私も4を買いに行ったほうがいいでしょうか」
「絶対買ったほうがいいわ。いや、もう既刊を全部買っちゃって読んじゃうくらいじゃないと!」
「では、今日、一緒に参りましょう。私としても、買う機会を逃してましたから。ドラジン参謀長がどうなるか気になりまして……」
「あー、ドラジンはね、4で驚きの展開よ。それで、4はね、また、メイジンが大ピンチに見舞われるのよ、これが。もう、息をつく暇もないわ」
息をつく暇がないのは今のお前じゃないのか、というツッコミはいらない。
「それは楽しみですね。放課後が待ち遠しいです」
「全く同感ね。そうそう、それと……」
それから、ずっとお弁当を食べながら、ライトノベルの話をした。
「たまに読む」にしては、みゆきは非常に幅広くライトノベルを持っているようで、私がどんなライトノベルの話をしても、きちんと笑いながら返してくれた。
何というか、楽しかった。今までライトノベル仲間がいないのが、私は寂しかった。人の趣味なんてどうでもいい話、と誰かが言っていたけど、それでもやはりこのライトノベルというものの面白さを他の人にも知ってもらいたかったし、それを共有したかった。
今、やっと共有できる仲間ができた。私は非常にうれしかった。いつもより、声が弾んでいるのも分かる。
やがて、一通り喋りあうと、やがてみゆきはくすくすと笑う仕草を見せた。
「ん、どうしたの?」
「いえ、今日は随分とかがみさんがとても活き活きしているなあ、と思いまして」
「あ……」
言ってから、何となく視線をそらしてしまう。別に、悪いことをしたわけじゃないんだけども。
どうも、私は自分の世界に一回のめりこんでしまうと、もう止まらないらしい。今回の場合も、みゆきに迷惑をかけてしまったかも。
「ちょ、ちょっとはしたなかったかしら」
「とんでもない。私も、ライトノベルの話ができて楽しかったですよ。ただ、かがみさんがこんなに活き活きしているのは初めてでしたので、私としても、かがみさんのそういう顔が見れてうれしいです」
「い、いや、その、ね。こなたもつかさも、活字嫌いだからさ。ちょーっと……寂しかったっていうか……ね」
「良く分かりますよ。自分が夢中になっていることを他人にも知ってもらいたい、という欲求は、誰にだってあります。泉さんにも、つかささんにも、勿論私にだってあります。
それを隠しているか隠していないかの違いだけです。そして、それを隠さないことは悪いことじゃありませんよ」
「うーん、なるほどね……」
「ライトノベルは確かに面白い作品がいっぱいありますが、元来、中高生向けとして売り出されたものです。世間一般にあまねく知れ渡っているわけではなく、どうしても読者が限定的になってしまいます。
市場は拡大基調にありますが、犯罪の増加とサブカルチャーへの偏見が相まって、食わず嫌いする人も多いのです」
「やっぱりねえ。面白いのに、何で分かってくれないのかしらねえ」
思わず嘆息する。全く、偏見というのは恐ろしい。何故、少数の人間のために、私たちのような多数の人間が迷惑を被らなければいけないのか。何故、後ろ指を指されなければいけないのか。全く「一人の勝手がみんなの迷惑」とはこのことだ。
今だけなら、日ごろからオタクへの偏見への苦情をぶちまけているこなたに同感してしまう。……いや、私はオタクじゃないけど。断じて。
そして、何となく鬱屈した私の雰囲気を察したのか、みゆきは顔を幾分か和らげて、
「でも、趣味なんてみんなそのようなものだと思いますよ。いくら他人に無理に薦めようとしても、得手不得手がどうしてもありますから。趣味は、自分が楽しめればよろしいのですし」
と、フォローするように言った。やっぱり、みゆきは優しい。
「残念ね。でも、みゆきがいてくれて本当に良かったわ。話せる仲間ができて」
「ありがたいお言葉です。こちらこそ、かがみさんがいてくれて本当に良かったと思いますよ」
「ふ、ふふっ……。何か、面といわれると照れるわね」
気付くと、いつの間にか、弁当は食べ終わっていた。はっきり言うと、私はさっきまでライトノベルの話に夢中で、あまり食べていることに集中していなかった。
それでも、無意識に食事をしているという人間の本能に私は感服してしまう。人間というのは、本当に良くできているものだ。
私は弁当箱を片付けながら、
「そういえば……何だか、最近、疲労がたまっているみたいなのよねー」
と、何となく言ってしまった。みゆきには悪いが、私はこれまでにも何回かみゆきに愚痴を聞いてもらっていた。
何故かというと、こなたに言えば大抵は茶化されるし、つかさに話すと大抵は見当違いな事を言ってくる。結局、話せる友人はみゆきしかいない、というわけだ。
それに、みゆきはどんな愚痴も、真剣に聞いてくれるのだ。というわけで、何度も愚痴を聞いてもらっていた。
「え、そうなんですか?」
今日もまた、みゆきは従順に愚痴を聞く用意を見せた。
たまには断ってもいいのに、とは思うが「あなたの愚痴なんか聞いてられません」と、急にみゆきに突っぱねられる日が来たなら、明日から生きていく自信がなくなるような気もする。
まあ、それはともかくとして、
「うん。まあ、最近は遅くまで勉強しているせいもあると思うんだけどね。でも、勉強しないわけにはいかないし。みゆきなら、何かいい方法を知らないかな、と思ってね」
「でしたら……そうですね、お休みになったらいかがです? 色々あると思いますが、やっぱり横になるのが一番の解決法だと思いますよ。昼休みはまだ時間がありますしね」
「んー、そうね。……いや、でも、屋上の床って硬いからとても寝てられないのよ」
「あ、す、すみません。えー、それでは、そうですね……」
みゆきはそういって、目を瞑って考え込み始める。
そして、暫くしてから、みゆきはゆっくりと目を開けると、
「では……こちらはいかがです?」
みゆきは自分の太ももをポンポンと叩いた。
「え? ……え、いや、それは、あの、その」
なに言ってんだ、落ち着け、私。
えーと、太ももってことは……やっぱり、あれよね、あれ。
でも、さすがに親友にそんなことをさせていいのか? 結局は、私のわがままだし。あまり、みゆきに迷惑をかけさせたくないのが私の正直な気持ちである。
「そ、それは、さすがにみゆきといえども、ちょっと悪いわよ」
「私は何も気にしませんよ。私は、かがみさんのお役に立ちたいだけです。いけませんか?」
みゆきは、そう言って、じっと私の目を見つめた。う……そんな顔をされると、弱い。きっと、私が承諾するまで、この状態を頑固として続けるだろう。
でも、みゆきには迷惑ばっかりかけているような気がして、本当に申し訳ない。本当に、毎日毎日迷惑ばっかりかけているような気がするのよね。
でも……まあ……本人が言っているんだから、ありがたく頂戴することにしよう。それに……確かに、あの太ももは柔らかくて気持ちよさそうだしね。屋上の硬い床の上で寝るよりはずっと、寝心地が良いに違いないわ。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
結局、言い出した私の言葉は、すぐにでも消え入りそうなほど、小さかった。そして、とてもみゆきの顔は直視できなかった。言ったときの私の顔は、赤かったに違いない。
それでも、みゆきは私の小さな声を聞き取り、破顔すると、
「ふふ、どうぞ。頭をお預け下さい」
と、言った。
私はその指示通り、みゆきの太ももに頭を預け、横になる。ふわりとやわらかい感触とみゆきの温もりが後頭部に広がり、涼しく吹き渡るそよ風と相まって、何だか気持ちよかった。
ああ、膝枕ってこんな感じなんだ、道理で膝枕をしているカップルは幸せそうなわけだ、と感心してしまう。ならば、今の私は幸せなのかしらね。まあ、傍目から見てみれば幸せものなんだろうな、多分。
ふと、上を見ると、上にいるみゆきと目が合った。みゆきは、怪我人を看病するような、困惑と慈愛が入り混じった微妙な表情をしていた。
「大分、疲れていらっしゃるようですね……」
「……分かるの?」
「ええ。約二年間だけですけど、かがみさんの顔はずっと見てきていますから。異常があればすぐに分かります」
「……やっぱり、みゆきは凄いわねえ。ってことは、やっぱりこなたとつかさの顔でも分かるわけ?」
すると、みゆきは何故か一瞬、視線をそらした。
どうしたんだろう、と思っている間に、みゆきは視線を戻し、こくんと頷くと、
「……ええ、恐らく、ですけどね。さて、話は変わりますが……疲労の原因は勉強だけと思われますか? 何か思い当たる節があったのでしたら、ご相談にのりますよ」
「んー……。まあ、勉強が主な原因だろうけど、それ以外にあいつらが原因かしら。あいつらに付き合っていると、何か疲れるのよね……」
「あいつら、とは……泉さんや日下部さん、といったところでしょうか。確かに、いつもあのお二方は、かがみさんにじゃれられていますね。ふふふ、慕われている証拠ですね」
「まあ、確かにそうかもしれないけど。悪気がないのは分かっているわよ。でもねえ、やっぱり、少し疲れることがあるのよ。これって、贅沢な悩みかしら?」
泉こなた。そして日下部みさお。二人とも、どうしたことか私に引っ付くことが好きだ。別に私は二人の事が嫌いなわけじゃない。むしろ私は、二人のことが好きだと思う。
でも、時々、二人と付き合っていて疲れると思うことがある。これは贅沢な悩みなんだろう。友人とじゃれあっていて幸せなくせに、何が疲れるだ、と自分でも反論を加えたくなる。
みゆきは首をかしげて、少し考えているようだった。言うべき言葉を慎重に選んでいるような、そんな感じがする。
やがて、みゆきは口を重そうに開き、
「……かがみさんには、贅沢な悩みをする権利があると思いますよ。これだけ、尽力されているお方ですから。誰にも頼りにされているお方ですから」
「いや、でも……」
「今は、こうやってごゆっくりとお休みください。少しくらい私に甘えても、何の罰もありませんよ?」
みゆきは、反論しようとした私の言葉を遮り、そして言い聞かせるように、私の髪の毛を撫でた。
瞬間、ふわっとした柔らかな感触が私の頭を包み込む。思わず力が抜け、何だか癒やされるというか、心がほんのりと温まっていくような気持ちになった。
誰かに甘える、というのがこれほど気持ちよいものだったのか。甘える、という言葉としばし無縁だった私には、とても新鮮なように思えた。
「もし……疲れたり、困ったりしたときは、いつでも私にお声がけください。何もできないかもしれませんが、相談に乗ることだけならいつでもできます。かがみさんの悲しい顔なんて見たくありませんから。私なんかでよければ、ですけど……」
眩暈がした。
どうしてみゆきはこうも、優しすぎるのだろう。優しい。優しすぎるわ、みゆき。いつか悪い人に騙されても知らないわよ。でも……そんな優しさが、私にはとてもうれしかった。
私の苦しみをみゆきはとても分かってくれる。そしてそれを癒やそうとしてくれる。こんなに親身になってくれる親友を持てて、私はきっと幸せ者なんだろう。
「……みゆきは、良いお母さんになるわね」
「え? そうですか?」
「当たり前よ。保障するわ。ついでに、あんたを泣かせるような男がいたら承知しないわ。それは、こなたにしても、つかさにしてもそうね。親友を泣かせる奴がいたら、メッタメタにしてやるわ」
「ふ……ふふふ」
「ん? 何よ?」
「……いえ。やっぱり、かがみさんは、皆さんの保護者のようなお方だなあ、と。決して表には出しませんが、本当に友だち想いで。うらやましいです」
そう言って、みゆきは悪戯っぽく笑った。
「そ、そうかしら……。私は別に……」
「ふふふ、ツンデレかがみん萌え♪ですね」
「み、みゆきっ……!」
さすがに私も慌てる。というか、私はみゆきの膝に頭を載せているという都合上、どうしてもみゆきと真正面で向き合う体勢となる。
それ自体は、別に構わないのだけど、そういう恥ずかしいことをこういう体勢……まあ、面と向かって言われると、恥ずかしさ倍増、という訳だ。
ともかく、私はツンデレじゃない。ツンデレは、時間経過による心境の変化を指し示すものだ。私は今も昔も、大して性格は変わっていない。
こなたがいうツンデレは、明らかな誤謬だ。我々は今こそ真の意味を回復し、この堕落した言語文化に警鐘を慣らし、日本語の乱れを治さなくてはならない。
……いや、話がそれたわね。今はツンデレの定義などどうでもいい。
ともかく、私はごまかしに咳払いしてから、
「そ、そのね、みゆきにまで冗談を言われると、何ていうの、調子狂っちゃうというか……ともかくね、私はそのままのみゆきが好きだから、さ」
何だろう、言い訳したはずなのに、もっと恥ずかしいことを言ってしまった気がする。おかげで、さっきよりも頬が熱い。
案の定、みゆきはまた悪戯っぽく笑うと、
「ふふふ、さりげなく凄いことをおっしゃいましたね。でも、私もたまには冗談を言ってみたいんですよ?」
「そう?」
「ええ。いつもいつも、豆知識だけを話しているようではダメかな、と思いまして」
「そうかしら。私はいつも楽しみにしているけど。結構毎日の楽しみの一部になっているのよ?」
それはお世辞ではない。本心からのことだ。
みゆきの豆知識はとてもためになるし、とても面白い。今度はどんな豆知識を話すのか、それが私には、毎日の楽しみの一部となっていた。
そして、みゆきがそれを披露するたびに、その貪欲な知識欲にただただ感服してしまうのだ。
「……そう言っていただけるなら、私は世界で一番の幸せ者ですね」
「なに言っているのよ。世界で一番の幸せ者は私よ」
自分で言うか、ってツッコミがきそうだけども。
でも、こんなに優しい親友にこんなに甘えていられる私は、世界で一番の幸せ者、だと思う。
思えば、私は昔から甘える事をはばかるような気がしてならない。
以前、つかさが「お母さんに抱いてもらったのは、いつが最後か」と言い、私は「つかさは、結構甘えん坊だから、結構最近だ」と答えた。
これを逆に考えれば、私が最後にお母さんに甘えたのは、随分前という事だ。
これまでの日々を振り返っても、いつも私はつかさと一緒で、そして私は妹の手前、いつも気丈に振舞っていた。甘えることなどとても許されなかった。
姉の威厳を保つ為、というか、つかさの前であまり弱みを見せたくなかった。
だから、いつも私は、甘えられる立場だった。
そして、こなたにも、かがみは寂しがり屋、とよく言われる。これも甘える機会を失ってきたからこそ、かしら……?
私は、それをみゆきに話した。
みゆきは、頷きながら真剣に聞いてくれた。
やがて、私が話し終わると、
「……そうですね。そうかもしれません。でも、それなら、私にとって名誉な事かもしれません」
「何で?」
「私は、かがみさんに唯一甘えていただける存在となっているからですよ」
みゆきは、はにかむように笑った。
確かにみゆきの言うとおり、現時点で私が甘えられるのは、みゆきだけだ。意地っ張りな私が、どうしてすんなり甘えてしまったかは、良く分からない。
でも、推測はできる。きっと、慈愛に満ちた雰囲気をかもし出すみゆきに惹かれて、つい心を許してしまいたくなったからだろう。あくまでも推測だけど……。
「……た、確かにそうね」
でも、それが素直に言えなくて。私はつい目をそらして、そんなことを言ってしまった。ああ、私の馬鹿、馬鹿。
どうして、自分の気持ちを素直にいえないのか。もっと別に言うべき言葉があるはずなのに。それを思うととても不甲斐なかった。でも、原因は他ならない自分だ。全く、自分が嫌になる。これが、私がツンデレといわれる所以か。
そんな私の憂鬱を知ってか知らずか、
「ふふっ。素直じゃありませんね。でも、それが、かがみさんらしいです」
みゆきは優雅に笑った。どこまでも、みゆきの仕草は優雅だった。
そうなのだ、どこまでも優雅でいて、容姿端麗、品行方正、成績優秀、文武両道、そして誰にでも慕われ、頼られる、愛すべき私の親友。
それでいて、天然で、なおかつドジばっかり、いくら歯磨きをしても虫歯は出来るし、水中で目が開けられない。欠点でさえ、何となく微笑ましくて、かわいいと思ってしまう。どこまでもずるい私の親友だ。
それなのに、ちょっとからかっただけで顔を赤くしてあたふたする、こんなにかわいくて、尊敬できて、私の誇れる親友なのに。
彼女とこうして同じ時を刻めるのは、あと数ヶ月だけだと思うと、心にぽっかりと穴が開いてしまうような、そんな何とも言いがたい気持ちになった。
こうして膝枕をさせてもらっているこのときも、絶え間なく時は過ぎていく。でも、この何だかやわらかい感覚に包まれているこのゆっくりとした時間を、私は手放したなくなかった。
「いつまでもこうしていられればいいのに」
誰にも聴こえないよう、ポツリとひとりごちる。
「……はい? 何かおっしゃられましたか?」
「……いや、その…………ねえ、みゆき」
これを言っていいのか。私のわがままなんか聞いてくれてよいのだろうか。そういう戸惑いはあったけど。
私は、意を決し、言うことにした。
「はい、何でしょう」
「もう少しだけ……こうしてていい?」
「はい、お気の召すままに」
みゆきが見せた笑顔は、今までに見たことがないくらい、とっても清々しかった。
いつまでもこの笑顔を見ていたい……そんな邪な考えが頭に浮かび、慌てて私は頭を振る代わりに、目を瞑った。
太陽は相変わらずポカポカと屋上を照らしている。そんな太陽とみゆきの温かさで、私は眠気を催してきた。
そして、私はそのまま、太陽とみゆきという二つの暖かな感触に身を委ね、深い眠りに落ちた。
視界が真っ暗闇の世界に落ちゆく中、どこかからみゆきの声が聞こえたような気がした。
「あ、これは鰆の西京焼きですね。昨日の夕食の余り物でして」
「……夕食って、やっぱりみゆきが作ってるわけ?」
「ええ、最近作り始めました。父と母も喜んでくれますし。まあ、まだまだ未熟なものですけどね」
「うげ……。やっぱり、私も料理を習ったほうがいいのかしら……」
「ふふ、料理は、決して覚えておいて損はないと思いますよ。食べなければ生きていけませんしね」
そう言って、みゆきは鰆を口に入れた。その顔は、とても幸せそうで、見てるこっちが微笑ましくなってくる。
何というか、みゆきは何をしても絵になる気がする。全く、天は二物を与えず、なんて本当かどうか疑わしく思えちゃうわね。
さて、状況を説明しよう。今、私は屋上でみゆきとお弁当を食べている。どうして、そうなったのかといえば、今日はこなたとつかさが風邪で欠席したからだった。二人しかいないし、せっかくだから、と、私の提案で昼食は屋上で食べることになったのだ。
「それにしても……こうやって、二人で食べるのも久しぶりねー」
「そうですね。一年の秋ごろからは、四人で食べるようになりましたから」
「そう考えると、何だか感慨深いわねー。あれから二年か……」
「本当です。みんな、変わっていないようで変わりましたからね」
しみじみとみゆきは話す。確かに、その通りだった。
いつまでも無邪気な子供のようだった、こなたとつかさも、この二年間の間に著しく成長したように私は思う。著しい変化と言っても、外見は全く変わらない。私やみゆきのように、いつも一緒にいるような関係でないと、気付けないような成長だ。
そして、それは、みゆきにしても同じことが言えるだろう。
私が、初めて陵桜学園でできた友人といえるような存在は、みゆきだった。同じ学級委員長仲間ということで、仲良くなり、たまに昼食の席を一緒にする仲だった。その頃は、今の仲良し四人組は形成されていなかった。
初めて出会ったときは、みゆきのあまりの優秀さとその美貌に、思わず私は気後れした。そのままだったら、みゆきと友人となることはなかったかもしれない。
転機となったのは、一年生初めの学年レクリエーション大会だ。クラスを団結させ、親睦を深めようという目的の下に企画されたこれは、各学級委員長が二人ずつ組になって具体的な内容を企画することとなり、私はみゆきと組むことになった。
初めは、どうなるものか不安で仕方がなかった。しかし、みゆきは想像していたよりずっと、話しやすく、優しく、そして親しみやすかった。おかげで、企画は成功したし、新たな友人を作ることができたのだ。
まあ、秋頃まで「高良さん」、「柊さん」と、さん付けで呼び合っていたけど……。でも、それも遠い思い出の一つになりつつある。
あれから既に二年以上が経った。みゆきはあれから、ますます綺麗になったし、その頭に詰まっていく知識は留まることを知らず、格物致知の道をきわめつつある。
人間的にも物凄く成長した。一年生の頃はあれほど散見されたドジも、大分少なくなったように思えるし、その確かな知恵と優れた人格によって、みんなを確かな道へ導いている。みゆきがいて、私たちがどれだけ助かったことか。
それに比べ、私はどうなのだろうか。ちっとも成長していないし、だんだん、他の三人が遠くなっているような、そんな気がして思えなかった。それとも、私は他人への観察眼はあるくせに、自分への観察眼がちっともないだけなのか。
でも、こんなことを考えたって仕方がない。今は、前へ前へと道を進むことが大事なのだ。大切なのはこれまでの十年間じゃなくて、これからの十年間のはずだ。
そんな風に自分の気持ちに一旦区切りをつけて、ふと、みゆきの方を向くと、みゆきは空を仰ぎ見ていた。
その様子が何とも儚げで、そして綺麗で、思わず息をのんでしまう。やはり、みゆきは綺麗だった。一昨年も、去年も、そして今も。目を見張るような美しさが彼女にはあった。
当のみゆきはぼうっとしているようだ。どうしたんだろう。空に何かあったのか、と思って、空を見ても何もない。ただ、青い空が続いているだけだった。空は馬鹿みたいに澄み切っている。雲ひとつなかった。
「……あれからもう二年も経つんですね。月日がたつのは早いものです」
ぽつりとしたみゆきの一言で、私は我に返る。
私は空を見たまま、
「本当ね……。光陰矢のごとし、だっけ」
「そうですね。光陰矢のごとし、です。こうして、友達同士で、お弁当を一緒に食べられるのも、あと数ヶ月しかないんですね」
「数ヶ月、って聞くと長いように思えるけど、本当は短いのよねー」
「そうですね。悔いを残さないよう、毎日を120%生きたいものです」
「そうはいうけど、毎日、毎日、後悔や失敗だらけなのよねー。世の中、うまくいかないわ……」
「ふふふ、そうしていられるのも青春、ですよ」
「だといいんだけどね……。あ、そうだ、青春といえば。みゆき。今日、帰るときにちょっと付き合ってくれる?」
空を見るのをやめ、みゆきに向き直る。いつの間にか、みゆきも空を見るのをやめていた。
「寄り道、ですか? どちらに行かれるのです?」
「あー、ちょっと本屋にね。今日が、新刊の発売日なのよ。『メカニカルマジック』って言うんだけど」
まあ、知らないだろうなあ……ライトノベルだし。生まれてこの方、ライトノベルを読むという友人はできたことがないし。
全く、何でライトノベルの面白さをみんな、知ろうとしないんだろう。読んでみれば絶対に面白いのに。本当に勿体無い。
私は、このライトノベルの面白さ、楽しみを共有できない事に少しの孤独感を感じていた。でも、こればっかりは仕方ない。活字嫌いの友人しか作れなかった自分を恨むべきなんだろう。
……なんて思っていたら、みゆきは首をかしげながら、
「『メカニカルマジック』……。ライトノベルですか? 確かにあれは面白いですね」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
私の聞き間違いじゃ……ないわよね? 確かに、ライトノベルといったわよね……?
いや、確かに言った。ついでに「面白い」とまで言った。読まずにその本を「面白い」なんていえる奴がいたら、それは立派なペテン師だ。このことから推理できる事は、みゆきはその本を知っているばかりでなく、その本を読んだということだ。
「知ってるの?」
確証を得る為に聞いてみる。思わず、声が上ずっていた。
すると、みゆきはニッコリと笑い、
「はい、私はライトノベルもたまに読むんですよ」
「何だ、早く言ってよ!」
思わず、顔をほころばせて、身を乗り出してしまい、ついでにみゆきの背中をバン、と叩いてしまう。
「ご、ごほっ。か、かがみさん、落ち着いて下さい」
「はっ……ごめん、ごめん。つい興奮しちゃって。えーと、それじゃあ、ライトノベルはどれくらいもってるの?」
「そうですね……。「メカニカルマジック」は3までありますね。あとは、「時雨タクシー」とか「涼宮ハルヒ」とか「狂乱家族日記」とか……。メカニカルマジックは結構好きですね」
「なーんだ、結構持ってるじゃない。いや、まあ、何というか……こんな身近にライトノベル仲間がいたなんて。いやー、メカニカルマジックは読まなきゃ損よー。もう、結構話が進んでいるしねー」
「そうなんですか? それでは、私も4を買いに行ったほうがいいでしょうか」
「絶対買ったほうがいいわ。いや、もう既刊を全部買っちゃって読んじゃうくらいじゃないと!」
「では、今日、一緒に参りましょう。私としても、買う機会を逃してましたから。ドラジン参謀長がどうなるか気になりまして……」
「あー、ドラジンはね、4で驚きの展開よ。それで、4はね、また、メイジンが大ピンチに見舞われるのよ、これが。もう、息をつく暇もないわ」
息をつく暇がないのは今のお前じゃないのか、というツッコミはいらない。
「それは楽しみですね。放課後が待ち遠しいです」
「全く同感ね。そうそう、それと……」
それから、ずっとお弁当を食べながら、ライトノベルの話をした。
「たまに読む」にしては、みゆきは非常に幅広くライトノベルを持っているようで、私がどんなライトノベルの話をしても、きちんと笑いながら返してくれた。
何というか、楽しかった。今までライトノベル仲間がいないのが、私は寂しかった。人の趣味なんてどうでもいい話、と誰かが言っていたけど、それでもやはりこのライトノベルというものの面白さを他の人にも知ってもらいたかったし、それを共有したかった。
今、やっと共有できる仲間ができた。私は非常にうれしかった。いつもより、声が弾んでいるのも分かる。
やがて、一通り喋りあうと、やがてみゆきはくすくすと笑う仕草を見せた。
「ん、どうしたの?」
「いえ、今日は随分とかがみさんがとても活き活きしているなあ、と思いまして」
「あ……」
言ってから、何となく視線をそらしてしまう。別に、悪いことをしたわけじゃないんだけども。
どうも、私は自分の世界に一回のめりこんでしまうと、もう止まらないらしい。今回の場合も、みゆきに迷惑をかけてしまったかも。
「ちょ、ちょっとはしたなかったかしら」
「とんでもない。私も、ライトノベルの話ができて楽しかったですよ。ただ、かがみさんがこんなに活き活きしているのは初めてでしたので、私としても、かがみさんのそういう顔が見れてうれしいです」
「い、いや、その、ね。こなたもつかさも、活字嫌いだからさ。ちょーっと……寂しかったっていうか……ね」
「良く分かりますよ。自分が夢中になっていることを他人にも知ってもらいたい、という欲求は、誰にだってあります。泉さんにも、つかささんにも、勿論私にだってあります。
それを隠しているか隠していないかの違いだけです。そして、それを隠さないことは悪いことじゃありませんよ」
「うーん、なるほどね……」
「ライトノベルは確かに面白い作品がいっぱいありますが、元来、中高生向けとして売り出されたものです。世間一般にあまねく知れ渡っているわけではなく、どうしても読者が限定的になってしまいます。
市場は拡大基調にありますが、犯罪の増加とサブカルチャーへの偏見が相まって、食わず嫌いする人も多いのです」
「やっぱりねえ。面白いのに、何で分かってくれないのかしらねえ」
思わず嘆息する。全く、偏見というのは恐ろしい。何故、少数の人間のために、私たちのような多数の人間が迷惑を被らなければいけないのか。何故、後ろ指を指されなければいけないのか。全く「一人の勝手がみんなの迷惑」とはこのことだ。
今だけなら、日ごろからオタクへの偏見への苦情をぶちまけているこなたに同感してしまう。……いや、私はオタクじゃないけど。断じて。
そして、何となく鬱屈した私の雰囲気を察したのか、みゆきは顔を幾分か和らげて、
「でも、趣味なんてみんなそのようなものだと思いますよ。いくら他人に無理に薦めようとしても、得手不得手がどうしてもありますから。趣味は、自分が楽しめればよろしいのですし」
と、フォローするように言った。やっぱり、みゆきは優しい。
「残念ね。でも、みゆきがいてくれて本当に良かったわ。話せる仲間ができて」
「ありがたいお言葉です。こちらこそ、かがみさんがいてくれて本当に良かったと思いますよ」
「ふ、ふふっ……。何か、面といわれると照れるわね」
気付くと、いつの間にか、弁当は食べ終わっていた。はっきり言うと、私はさっきまでライトノベルの話に夢中で、あまり食べていることに集中していなかった。
それでも、無意識に食事をしているという人間の本能に私は感服してしまう。人間というのは、本当に良くできているものだ。
私は弁当箱を片付けながら、
「そういえば……何だか、最近、疲労がたまっているみたいなのよねー」
と、何となく言ってしまった。みゆきには悪いが、私はこれまでにも何回かみゆきに愚痴を聞いてもらっていた。
何故かというと、こなたに言えば大抵は茶化されるし、つかさに話すと大抵は見当違いな事を言ってくる。結局、話せる友人はみゆきしかいない、というわけだ。
それに、みゆきはどんな愚痴も、真剣に聞いてくれるのだ。というわけで、何度も愚痴を聞いてもらっていた。
「え、そうなんですか?」
今日もまた、みゆきは従順に愚痴を聞く用意を見せた。
たまには断ってもいいのに、とは思うが「あなたの愚痴なんか聞いてられません」と、急にみゆきに突っぱねられる日が来たなら、明日から生きていく自信がなくなるような気もする。
まあ、それはともかくとして、
「うん。まあ、最近は遅くまで勉強しているせいもあると思うんだけどね。でも、勉強しないわけにはいかないし。みゆきなら、何かいい方法を知らないかな、と思ってね」
「でしたら……そうですね、お休みになったらいかがです? 色々あると思いますが、やっぱり横になるのが一番の解決法だと思いますよ。昼休みはまだ時間がありますしね」
「んー、そうね。……いや、でも、屋上の床って硬いからとても寝てられないのよ」
「あ、す、すみません。えー、それでは、そうですね……」
みゆきはそういって、目を瞑って考え込み始める。
そして、暫くしてから、みゆきはゆっくりと目を開けると、
「では……こちらはいかがです?」
みゆきは自分の太ももをポンポンと叩いた。
「え? ……え、いや、それは、あの、その」
なに言ってんだ、落ち着け、私。
えーと、太ももってことは……やっぱり、あれよね、あれ。
でも、さすがに親友にそんなことをさせていいのか? 結局は、私のわがままだし。あまり、みゆきに迷惑をかけさせたくないのが私の正直な気持ちである。
「そ、それは、さすがにみゆきといえども、ちょっと悪いわよ」
「私は何も気にしませんよ。私は、かがみさんのお役に立ちたいだけです。いけませんか?」
みゆきは、そう言って、じっと私の目を見つめた。う……そんな顔をされると、弱い。きっと、私が承諾するまで、この状態を頑固として続けるだろう。
でも、みゆきには迷惑ばっかりかけているような気がして、本当に申し訳ない。本当に、毎日毎日迷惑ばっかりかけているような気がするのよね。
でも……まあ……本人が言っているんだから、ありがたく頂戴することにしよう。それに……確かに、あの太ももは柔らかくて気持ちよさそうだしね。屋上の硬い床の上で寝るよりはずっと、寝心地が良いに違いないわ。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
結局、言い出した私の言葉は、すぐにでも消え入りそうなほど、小さかった。そして、とてもみゆきの顔は直視できなかった。言ったときの私の顔は、赤かったに違いない。
それでも、みゆきは私の小さな声を聞き取り、破顔すると、
「ふふ、どうぞ。頭をお預け下さい」
と、言った。
私はその指示通り、みゆきの太ももに頭を預け、横になる。ふわりとやわらかい感触とみゆきの温もりが後頭部に広がり、涼しく吹き渡るそよ風と相まって、何だか気持ちよかった。
ああ、膝枕ってこんな感じなんだ、道理で膝枕をしているカップルは幸せそうなわけだ、と感心してしまう。ならば、今の私は幸せなのかしらね。まあ、傍目から見てみれば幸せものなんだろうな、多分。
ふと、上を見ると、上にいるみゆきと目が合った。みゆきは、怪我人を看病するような、困惑と慈愛が入り混じった微妙な表情をしていた。
「大分、疲れていらっしゃるようですね……」
「……分かるの?」
「ええ。約二年間だけですけど、かがみさんの顔はずっと見てきていますから。異常があればすぐに分かります」
「……やっぱり、みゆきは凄いわねえ。ってことは、やっぱりこなたとつかさの顔でも分かるわけ?」
すると、みゆきは何故か一瞬、視線をそらした。
どうしたんだろう、と思っている間に、みゆきは視線を戻し、こくんと頷くと、
「……ええ、恐らく、ですけどね。さて、話は変わりますが……疲労の原因は勉強だけと思われますか? 何か思い当たる節があったのでしたら、ご相談にのりますよ」
「んー……。まあ、勉強が主な原因だろうけど、それ以外にあいつらが原因かしら。あいつらに付き合っていると、何か疲れるのよね……」
「あいつら、とは……泉さんや日下部さん、といったところでしょうか。確かに、いつもあのお二方は、かがみさんにじゃれられていますね。ふふふ、慕われている証拠ですね」
「まあ、確かにそうかもしれないけど。悪気がないのは分かっているわよ。でもねえ、やっぱり、少し疲れることがあるのよ。これって、贅沢な悩みかしら?」
泉こなた。そして日下部みさお。二人とも、どうしたことか私に引っ付くことが好きだ。別に私は二人の事が嫌いなわけじゃない。むしろ私は、二人のことが好きだと思う。
でも、時々、二人と付き合っていて疲れると思うことがある。これは贅沢な悩みなんだろう。友人とじゃれあっていて幸せなくせに、何が疲れるだ、と自分でも反論を加えたくなる。
みゆきは首をかしげて、少し考えているようだった。言うべき言葉を慎重に選んでいるような、そんな感じがする。
やがて、みゆきは口を重そうに開き、
「……かがみさんには、贅沢な悩みをする権利があると思いますよ。これだけ、尽力されているお方ですから。誰にも頼りにされているお方ですから」
「いや、でも……」
「今は、こうやってごゆっくりとお休みください。少しくらい私に甘えても、何の罰もありませんよ?」
みゆきは、反論しようとした私の言葉を遮り、そして言い聞かせるように、私の髪の毛を撫でた。
瞬間、ふわっとした柔らかな感触が私の頭を包み込む。思わず力が抜け、何だか癒やされるというか、心がほんのりと温まっていくような気持ちになった。
誰かに甘える、というのがこれほど気持ちよいものだったのか。甘える、という言葉としばし無縁だった私には、とても新鮮なように思えた。
「もし……疲れたり、困ったりしたときは、いつでも私にお声がけください。何もできないかもしれませんが、相談に乗ることだけならいつでもできます。かがみさんの悲しい顔なんて見たくありませんから。私なんかでよければ、ですけど……」
眩暈がした。
どうしてみゆきはこうも、優しすぎるのだろう。優しい。優しすぎるわ、みゆき。いつか悪い人に騙されても知らないわよ。でも……そんな優しさが、私にはとてもうれしかった。
私の苦しみをみゆきはとても分かってくれる。そしてそれを癒やそうとしてくれる。こんなに親身になってくれる親友を持てて、私はきっと幸せ者なんだろう。
「……みゆきは、良いお母さんになるわね」
「え? そうですか?」
「当たり前よ。保障するわ。ついでに、あんたを泣かせるような男がいたら承知しないわ。それは、こなたにしても、つかさにしてもそうね。親友を泣かせる奴がいたら、メッタメタにしてやるわ」
「ふ……ふふふ」
「ん? 何よ?」
「……いえ。やっぱり、かがみさんは、皆さんの保護者のようなお方だなあ、と。決して表には出しませんが、本当に友だち想いで。うらやましいです」
そう言って、みゆきは悪戯っぽく笑った。
「そ、そうかしら……。私は別に……」
「ふふふ、ツンデレかがみん萌え♪ですね」
「み、みゆきっ……!」
さすがに私も慌てる。というか、私はみゆきの膝に頭を載せているという都合上、どうしてもみゆきと真正面で向き合う体勢となる。
それ自体は、別に構わないのだけど、そういう恥ずかしいことをこういう体勢……まあ、面と向かって言われると、恥ずかしさ倍増、という訳だ。
ともかく、私はツンデレじゃない。ツンデレは、時間経過による心境の変化を指し示すものだ。私は今も昔も、大して性格は変わっていない。
こなたがいうツンデレは、明らかな誤謬だ。我々は今こそ真の意味を回復し、この堕落した言語文化に警鐘を慣らし、日本語の乱れを治さなくてはならない。
……いや、話がそれたわね。今はツンデレの定義などどうでもいい。
ともかく、私はごまかしに咳払いしてから、
「そ、そのね、みゆきにまで冗談を言われると、何ていうの、調子狂っちゃうというか……ともかくね、私はそのままのみゆきが好きだから、さ」
何だろう、言い訳したはずなのに、もっと恥ずかしいことを言ってしまった気がする。おかげで、さっきよりも頬が熱い。
案の定、みゆきはまた悪戯っぽく笑うと、
「ふふふ、さりげなく凄いことをおっしゃいましたね。でも、私もたまには冗談を言ってみたいんですよ?」
「そう?」
「ええ。いつもいつも、豆知識だけを話しているようではダメかな、と思いまして」
「そうかしら。私はいつも楽しみにしているけど。結構毎日の楽しみの一部になっているのよ?」
それはお世辞ではない。本心からのことだ。
みゆきの豆知識はとてもためになるし、とても面白い。今度はどんな豆知識を話すのか、それが私には、毎日の楽しみの一部となっていた。
そして、みゆきがそれを披露するたびに、その貪欲な知識欲にただただ感服してしまうのだ。
「……そう言っていただけるなら、私は世界で一番の幸せ者ですね」
「なに言っているのよ。世界で一番の幸せ者は私よ」
自分で言うか、ってツッコミがきそうだけども。
でも、こんなに優しい親友にこんなに甘えていられる私は、世界で一番の幸せ者、だと思う。
思えば、私は昔から甘える事をはばかるような気がしてならない。
以前、つかさが「お母さんに抱いてもらったのは、いつが最後か」と言い、私は「つかさは、結構甘えん坊だから、結構最近だ」と答えた。
これを逆に考えれば、私が最後にお母さんに甘えたのは、随分前という事だ。
これまでの日々を振り返っても、いつも私はつかさと一緒で、そして私は妹の手前、いつも気丈に振舞っていた。甘えることなどとても許されなかった。
姉の威厳を保つ為、というか、つかさの前であまり弱みを見せたくなかった。
だから、いつも私は、甘えられる立場だった。
そして、こなたにも、かがみは寂しがり屋、とよく言われる。これも甘える機会を失ってきたからこそ、かしら……?
私は、それをみゆきに話した。
みゆきは、頷きながら真剣に聞いてくれた。
やがて、私が話し終わると、
「……そうですね。そうかもしれません。でも、それなら、私にとって名誉な事かもしれません」
「何で?」
「私は、かがみさんに唯一甘えていただける存在となっているからですよ」
みゆきは、はにかむように笑った。
確かにみゆきの言うとおり、現時点で私が甘えられるのは、みゆきだけだ。意地っ張りな私が、どうしてすんなり甘えてしまったかは、良く分からない。
でも、推測はできる。きっと、慈愛に満ちた雰囲気をかもし出すみゆきに惹かれて、つい心を許してしまいたくなったからだろう。あくまでも推測だけど……。
「……た、確かにそうね」
でも、それが素直に言えなくて。私はつい目をそらして、そんなことを言ってしまった。ああ、私の馬鹿、馬鹿。
どうして、自分の気持ちを素直にいえないのか。もっと別に言うべき言葉があるはずなのに。それを思うととても不甲斐なかった。でも、原因は他ならない自分だ。全く、自分が嫌になる。これが、私がツンデレといわれる所以か。
そんな私の憂鬱を知ってか知らずか、
「ふふっ。素直じゃありませんね。でも、それが、かがみさんらしいです」
みゆきは優雅に笑った。どこまでも、みゆきの仕草は優雅だった。
そうなのだ、どこまでも優雅でいて、容姿端麗、品行方正、成績優秀、文武両道、そして誰にでも慕われ、頼られる、愛すべき私の親友。
それでいて、天然で、なおかつドジばっかり、いくら歯磨きをしても虫歯は出来るし、水中で目が開けられない。欠点でさえ、何となく微笑ましくて、かわいいと思ってしまう。どこまでもずるい私の親友だ。
それなのに、ちょっとからかっただけで顔を赤くしてあたふたする、こんなにかわいくて、尊敬できて、私の誇れる親友なのに。
彼女とこうして同じ時を刻めるのは、あと数ヶ月だけだと思うと、心にぽっかりと穴が開いてしまうような、そんな何とも言いがたい気持ちになった。
こうして膝枕をさせてもらっているこのときも、絶え間なく時は過ぎていく。でも、この何だかやわらかい感覚に包まれているこのゆっくりとした時間を、私は手放したなくなかった。
「いつまでもこうしていられればいいのに」
誰にも聴こえないよう、ポツリとひとりごちる。
「……はい? 何かおっしゃられましたか?」
「……いや、その…………ねえ、みゆき」
これを言っていいのか。私のわがままなんか聞いてくれてよいのだろうか。そういう戸惑いはあったけど。
私は、意を決し、言うことにした。
「はい、何でしょう」
「もう少しだけ……こうしてていい?」
「はい、お気の召すままに」
みゆきが見せた笑顔は、今までに見たことがないくらい、とっても清々しかった。
いつまでもこの笑顔を見ていたい……そんな邪な考えが頭に浮かび、慌てて私は頭を振る代わりに、目を瞑った。
太陽は相変わらずポカポカと屋上を照らしている。そんな太陽とみゆきの温かさで、私は眠気を催してきた。
そして、私はそのまま、太陽とみゆきという二つの暖かな感触に身を委ね、深い眠りに落ちた。
視界が真っ暗闇の世界に落ちゆく中、どこかからみゆきの声が聞こえたような気がした。
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- いい作品でした。和みますねぇ。
原作だと2人っきりでいるシーンが少ないから
友達の友達感があったのですがこのSSを見て
やっぱりいい友達なんだなと実感しました。 -- 名無しさん (2017-02-11 04:45:02) - なんかいいわ。なごむ -- 名無しさん (2009-04-26 18:17:25)
- かがみとみゆきさんって良いコンビなんだよなぁ‥‥ -- 名無しさん (2008-08-30 23:56:14)
- かがみゆGJ! -- 名無しさん (2008-08-30 13:04:19)
- 2828しまくった -- 名無しさん (2008-08-17 11:01:51)
- 作者GJなんだぜ!
もっとかがみゆSSが増えてくれるといいなあ -- 名無しさん (2008-08-17 09:58:28) - 本当に和む話で、実にいい。 -- 名無しさん (2008-07-12 17:19:31)
- 和む…。いやーこんな友達がいたらいいなー…。 -- 名無しさん (2008-07-05 12:25:35)
- ↓我ながら長すぎ・・・すみませんorz -- 名無しさん (2008-07-04 23:47:06)
- 自分の中にも、かがみは些細なことでも孤独を感じてしまったり、時には傷つきさえしてしまいそう
そして心の奥底に誰にも言ってはいけないような悩みや苦しみをしまいこんでいそう
でもみゆきはやさしくそれを和らげてくれるのじゃないかな、みたいな世界観があったりします。
こなたやつかさも好きですが、優等生同士ならではのストーリの雰囲気に魅せられました。 -- 名無しさん (2008-07-04 23:45:32) - なんて綺麗な話しだ…
GJとしか言いようがないぜ -- 名無しさん (2008-07-04 08:30:59)