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  • 第1章 責任の構造

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第1章 責任の構造

最終更新:2011年08月21日 12:22

kameyama2011

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福嶋卒論


第1章 責任の構造

 「責任」とは何かを考えるにあたり、まず通常どのような場面で語られるものなのかを例を挙げて考えてみたいと思う。この「責任」という語は、誰が誰に対して、どんなときに何に対して用いる語なのであろうか。この疑問のうちには、「責任感がある」という場合と「責任能力がある」という場合では、同じ語を用いながらもそれらの「責任」の内容は異なるのではないか、という違和感にも近い直観があるのだが、この事態について私はここで、それが何によるものなのかを整理したい。

1-1 主体、主題そして条件
 私たちの日常生活において、「責任」という言葉はどのような文脈で使われているだろうか。 「あの人は責任感が強い人だ」「事故が起こったのは運転手の責任だ」「責任をとって辞職すべきだ」「失業したのは自己責任だ」などなど、ニュースや紙面でも会話の中でもよく使われる、耳慣れた言葉ではある。しかし実際「責任」のなかみは、その都度変化する曖昧なもので、ある場合によっては問われるが、違う状況に置かれれば同じ結果であっても問われないこともある。さらに「責任をとって辞職すべきだ」という例においては、その人自身が行ったことではない結果に対しても問われる場合も多い。その反面「責任感」は人に言われたから持つものではなく、その人がそうするべきであると考え、その人なりの方法で遂行することに対して用いられる語であるように、あくまで自発的なものと考えられる。環境問題を解決するには、一人ひとりの自発的な「責任」において資源の節約を心がけなければならない、という場合も「責任感」と同じといえるであろう。
 このように考えていくと、まずは「責任」はその主体たる個人 がどこに位置づけられるかによって、大きく二分できるといえるのではないだろうか。すなわち、責任とは個人がその内面において持つべきものであり、それを何らかの行動や態度で表明すべきもの、という個人に起点が置かれる場合と、何らかの事態や結果に対してその原因を追究した場合に、その帰結の対象となる人に対して問われるもの、という個人を終点とする場合という二つの場合である。このような二つの区別という仮説を基礎においた上で、以下の考察を進めて行きたいと思う。
 ところで、「責任」という語の示すものを考えるうえで、語そのものの成り立ちを概観することは理解の手助けとなると思われるので触れておきたい。私たちが通常使用する日本語の「責任」は、明治20年代に法律用語として定着し、一般に使われるようになったということであるが、漢字でいうところの「責任」と英語のresponsibility或いは仏語のresponsabilitéをあわせた概念であると言えそうである。桜井哲夫氏の解説によれば、この二つの「責任」には以下のような成り立ちがあり、その意味するところも異なる部分がある 。

漢字文化圏での「責任」―漢字そのものの成り立ちから
「責」(セキ サイ もとめる せめる つとめ)
 もともと賦貢を課することをいう
もとめる・賦貢をもとめる、とりたてる・せめとる、せめる・とがめる・しかる・
なじる、つとめ・責務、債と通じおいめ・負債
 「任」(ニン ジン あたる になう つとめ まかす)
  荷物、負担・負任に堪える意より、任務・責任の意となり、人に任せることを委任という
  →「権力者から一方的に何か重荷を押し付けられる」というイメージ

 英語のresponsibility或いは仏語のresponsabilité
  ラテン語のrespondeō(保証する・応答する)が語源
  語源のrespondeōは、「裁判で保証人となる、誰かのための身元保証人となる」の意で
  「お前が約束するなら、私も約束しよう」という互酬的な保証のやり取りから「答える」の意
  →「ある約束に対する応答、保証」

 日本語で言うところの「責任」には、やはり前者の漢字文化圏のイメージが強いと感じるが(つまり個人が終点とされる場合)、ラテン語由来の「責任」に含まれる「答える」という行動のうち特に自問に対しての答えを行動として発現する側面が持つ自発性(個人が起点とされる場合)も含まれているということができそうである。
 さてここで、責任を負うことのできる、または責任を問われる主体とはどのようなものかについて考えてみたい。何らかの行動・態度にたいして責任が問題になるということは、どうすることが適切なのかという了解が、問う側にも問われる側にも共通してなされていることが前提である。つまり何らかのルールや規則、基準を共有していなければならない。その意味では、責任を負う(問われる)主体はそれらに縛られている。しかしこの束縛の上で、主体が自由でなければならない。主体は正気を失っていたり、精神をコントロールされていたり、脅迫などにより適正な判断ができない状態であってはならないのである。しかし、縛られていながら自由とは一体どういうことだろうか。
 また、責任とは何に対して問われるのであろうか。当然ながらある結果や事態を引き起こした直接の原因としての行動がある場合は、その行動をとったという事実及び行動をとった人に対して問われるのであり、また何もしなかったという行動もここには含まれるであろう。ただし、意図せずして行った行動が思わぬ悪い結果をもたらす場合もある。故意かそうでないか、という違いは大きいが、それは責任の所在の有無ではなく問われる責任の重さや大きさが異なるだけである。その逆に、意図したこととは異なり何らかのよい結果が生じることもある。その意図が悪意あるものであったとしても他人に知られなければ責任の問いようはないが、しかしその場合はとても「責任感がある」とは言えない。結局のところ、眼に見える形で現れる行動や態度のみならず、推論や決断、企図などのように心の中で思っているだけのことに対しても、その理由が問われる限り責任もまた問われうるということであるが、ではその問いはいかにして可能となるのだろうか。
 そして重要なのは、これら責任を問う・問われる場面とは、必ず人と人とのかかわりのあるところにおいてのみ展開されるという点である。そのかかわりのあり方によって、責任の内容は変化するのであり、また責任を問われる行動は「行為」という意味をもつ。では行為とはすべて責任を伴うものであり、責任が伴わない行為はありえないのであろうか。責任を負うことと行為の関係はどのようなものなのだろうか。
 責任と自由・束縛、意図そして行為とは、どうやら不可分の関係にあるようだが、このことと責任の二つの向き仮説はどう関わるのであろうか。考察を進めるために、これらの現れ方を体系づけて整理することから始めることとしたい。

1-2 二類型への整理仮説 
 前節で取り上げてきた責任をめぐって個人がおかれる二つの位置という仮説について、個人を起点とする場合の自発的な責任を「呼応責任」、個人が終点におかれる場合の責任を「結果責任」と呼ぶこととした上で整理を進めていきたい。
 まず「呼応責任」についてであるが、これはresponsibilityの持つ「答える」という側面から、「呼びかける」ことをも含んだ自発性に重心がある。日常生活の中で直接にかかわりを持つ可能性がある他者、つまり我―汝の関係にある者あるいはその関係を築く可能性のある者に対して、常態として個人が追うべき責任である。個人がその内面において、「善き」意志を持ち、「善き」行為をしようとする心構えを持つことを目指すこと、ともいえるかも知れない。他者からの求めに応じてそれに答えていくことばかりでなく、他者の求めを想定して自ら呼びかけていくことができるという意味で、あくまでも能動的な概念である。具体的な問責者を設定しなくても、自問を含む全ての問いに対して常に答責者たりうるというあり方を指す。つまり、「呼応責任」とは各人がそれぞれにおいて持つべきものである以上、他人から判断されるものではないし、あくまでも個人が主体として考えられるべき責任といえる。
 すなわち「呼応責任」とは、自由である個人が自由であるために引き受けるべきものなのであり、自由と表裏一体のものである。近代合理主義における原則ともいえる、「自由な意志をもち、理性的に判断して行動する存在 」という人間像に不可欠な責任なのであり、目指すべき道徳的人格の形成には欠かせないものである。よって行為とは意志の現れであり、まさにその行為が意志と合致していることが必須であり、心からそう思って行った行為が責任ある行為であるはずだが、ここで疑問が浮上する。呼応責任を全うするために必要な自由とは一体どういう自由なのか。自由な意志の発現とはいかにして可能か。さらに「善く」あろうとするとはいえ、その「善さ」とは万人に共通であることが可能なのか。もし人間ならば無条件に「善く」あることができるのだとすれば、なぜ現在の状況はそのように見えないのだろうか。ただの理想論であり、そんな責任など本当は存在しないのではないだろうか。疑問は次章に持ち越そうと思う。
 さてもう一方の「結果責任」についての整理である。「結果責任」を問うということは、何らかの事態や影響などという形で発生してしまった、あるいは発生するのが明白な「結果」にたいして、その原因がどこにあり、その責めを帰結させるべき主体が誰なのかを追及することとも言い換えられるであろう。法や道徳などによって予め遵守が要請される基準が設定されており、それを犯した場合に刑罰や社会的制裁という形で責めを負うということである。よってこの文脈で語られる責任と表裏一体であるのは罰なのであり、その罰を受けるに足るという意味で、主体は拘束されたり操られたりしていてはならないという行動の自由が保証されなければならない。法的責任能力を問う、といわれるように、責めを負うべき条件として、行為が正当な判断の上で行われたものかどうかが焦点となり、心神喪失や精神異常などが認められれば責任を問うことができなくなるのは周知の通りである。もちろん、基準となる法や道徳という社会的な枠組みを前提とした上で各人に適用される以上、その枠組みによって一定程度の行為の制限を受けているという意味で、主体はある拘束を受けていることが必要である。基準は既に了承されているものとみなされるのである。
 しかし、前節でも触れたように、責任とは状況に応じて変化するものであり、常に定置される基準によって照会できる類のものではない。結果だけを見れば同じでも、場合によって責任が問われることもあれば問われないこともある。状況に応じて変わるということは、基本的に曖昧で理不尽な性質を併せ持つということであり、何ら客観的・普遍的な範囲の確定ができるものではないということである。また、法を遵守すればそれで責任が果たされるか、という問題もある。法に明記されていなければ、それ以外の責任などあたかも存在しないかのように解釈することは常に可能であり、法の網の目から零れ落ちるものは法によっては掬い取れない現実がある。状況に応じて変化する基準を、その状況の数だけ明記していくことなど不可能であるし馬鹿げてもいるからだ。法の網の目から零れ落ちるものは、本来ならば常識や慣習など、より日常生活に密接した細かい規範によって掬い取られていたはずであるが、その拘束力はほとんど意味を成さないことも現代においては容易に想定しうる。そのような状況下では、「結果責任」の前提が揺らいでいるといえるが、それをどう解決していくかを抜きにしては語れないことも見えてくる。
 一般に「責任」といわれる概念を、個人が置かれる位置によって二つに分けるという仮説を立ててみてきたわけだが、その整理を通してそれぞれが孕む重要なポイントが見えてきたと同時に、それぞれにおいて突き当たる疑問も見えてきた。その見解を踏まえて、「呼応責任」「結果責任」についてさらに掘り下げ、その双方が「行為」としてどのように現れるのか、「行為」とどのような関係にあるのかも、章を改めて検討していこうと思う。

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