2.新潟県巻町の住民投票は、なぜ〈成功〉といえるのか?―「文化的フレーミング」
2-1.一九九六年の住民投票までの経緯
一九九六年八月四日、新潟県巻町で、原発建設の是非をめぐって、条例にもとづく日本初の住民投票が実施された。投票率八八.三%、建設反対が六〇.九%となった投票結果は、後述のように巻原発建設計画を事実上の中止とする直接のきっかけとなった。危険施設や迷惑施設、環境への影響や必要性に疑問のある公共事業などに関して、住民の意思を集約し、社会的に表明する手段として、住民投票の実施を求めることは、九十年代の環境運動の特色である 。
なぜ、住民投票に期待が寄せられたのか。住民投票に関する法的規定や制度に変化があったわけではないにも関わらず。長谷川は、「自己決定性の希求の増大、差止め訴訟の困難さ、労働運動などの退潮にともなう大衆動員型の社会運動の弱体化を背景として、運動側のターケットは立法のアリーナに向かうようになってきた」(長谷川、二〇〇三:一四六)ことを指摘している。前述のとおり、チェルノブイリ事故後の「反原発ニューウェーブ」では、女性層の自己決定性の希求の増大(「自律性と集合的なアイデンティティ」)が運動のモチベーションとなったが、運動そのものは、政府や電力会社にエネルギー政策の転換を促すに充分な力を持ちえなかったことが欠点であった。これを踏まえ、立法プロセスに注目が集まったのである。住民投票を行うメリットは、エネルギー政策の転換に関する立法プロセスに影響を与えられることに加えて、目標や戦術・課題の明確化と、多数派形成のために運動の成熟が促されることにあると長谷川は指摘する(長谷川、二〇〇三:一四三)。
それでは、巻町の住民投票はなぜ成功したのか。要因の一つは、巻原発に反対する住民運動が、地理的に恵まれていたことにある。原子力施設の多くは交通の不便な過疎地(後述する、青森県六ヶ所村が典型的)であるため、地権者や漁業権者である農漁業者中心の運動にならざるをえず、地元で動員可能な人や情報は限られる。その一方で、巻町は西蒲原郡の郡都として長く栄え 、上越新幹線、関越自動車道、北陸自動車道の開通にともなって、新潟市に隣接するベッドタウンとして人口が増加傾向にあった。この地域特性と人的資源の集積が、原発建設に批判的な世論の大きな背景となった。
しかし、一九九四年当時、町議会において、明確に原発建設に反対する議員は一~二議席程度であった。長谷川はその転機を、従来の反対運動と異なる運動スタイルや担い手、支持基盤をもつ「住民投票を実行する会」結成(一九九四年一〇月、以下「実行する会」」)にみる。「実行する会」は、団塊世代の地元の商工自営業層による、新たな運動としてスタートした。九四年八月の町長選に至る以前の反対運動は、労働組合や「革新系」による反対運動という性格が強かったが、「実行する会」は保守的な住民層からの支持の獲得に成功する 。また、「実行する会」の中心メンバーと、ほぼ同世代の弁護士などの地元在住の専門職層が運動の中で大きな役割を果たせたことも、要因として大きい。他の原発・大規模公共事業の紛争地点では、運動を支援する専門職層は生活拠点を大都市圏などにおく「よそもの」であることが多いのと対比的である。
2-2.文化的フレーミングの変更
長谷川は、単に巻町が地理的に恵まれていたこと以上に、文化的フレーミングを新しく変更しえたことに注目する。
文化的フレーミング(cultural framings)とは、デヴィット・スノーが提唱した概念である。集合行為・社会運動を正当化し、参加を動機づけるような、参加者に共有された状況の定義、「世界イメージ」や運動の「自己イメージ」がフレームであり、これを形成するための意識的・戦略的なプロセスがフレーミングの過程である(Snow, 1986)。スノーは、オッフェが提唱した「新しい社会運動」(その典型例が前述の「反原発ニューウェーブ」である)が、イデオロギー的諸要因――価値、信念、意味――と運動参加との関係を体系的に追及していないという認識から、不満の強度と運動参加への動かされやすさの間の自動的な結びつきに懐疑的な立場をとる。社会運動組織が、支持動員のために、その活動、目標、およびイデオロギーを、潜在的支持者の利害、価値、および信念と調和的、もしくは相補的なものにする試みの必要性を指摘し、「フレーム調整」という概念でまとめる 。
巻町の場合には、地域的な支持の広がりをもちにくかったそれまでの「建設反対、白紙撤回」を掲げる原発建設反対運動 とは異なり、地元の中小自営業主層が中心となって、「住民投票による住民自身の自己決定」という新しいフレームをアピールしたことが、急速な支持のひろがりと円滑な住民投票を実行しえた基本的な要因となった。「実行する会」のシンボルマークは天秤であり、原発の建設の是非は、町民の判断に委ねるという姿勢を取ることで、自らの政治的正当性を示したのである。この「実行する会」に対して、「住民投票の結果を法的な根拠がないと無視する強権的な町長および電力会社」というフレームができあがったことが、原発建設反対後の、町長のリコール運動と、計画の全面中止をほぼ決定することになる 。
+ | それまでの原発建設反対運動:告発・抵抗型イッシュー |
2-3.青森県六ヶ所村のネガティヴな文化的フレーミング
巻町と比べたときの、六ヶ所村の困難さは、地理的・社会的・歴史的な「周辺性」もさることながら、そうであるがゆえに国策に協力すべきという無音の圧力。そして、過疎・やませ・冷害・貧困・出稼ぎ・土地成金・開発難民・夜逃げ.廃屋などの負のシンボルが強調されるネガティヴな文化的フレーミングにあるといえる。反対運動の側も、六ヶ所村・の悲劇性と現状を告発し、マスメディアにアピールするという戦略をとる場合が多いが、しかしこのようなネガティヴなフレーミングでは、地元住民の幅広い共感を得ることは困難である。しかも、巻町が、現状のままでの自然の美しさをアピールすることができるのに対して ,六ヶ所村の場合は、村の中心部を、荒涼としたむつ小川原開発用地の空き地が占めている。核燃施設に変わる、六ヶ所村の新しい姿をいかに構想し、フレーム・アップすることは、反対運動の大きく困難な課題であるといえる 。それぞれの地域の条件やサイズに合わせたフレーミングの構築のための理論として、風土論と環境思想が寄与できる可能性は大きい。