はじめに
人間は、自然環境の中に生存し、発展する過程において、自然環境の恩恵を受け、自然を畏れ、大切にしてきた。しかし、近代化、工業化により、この関係は大きく変化して、人間は、自然を支配し、搾取するなど関係になり、その傲慢な態度が大きく拡がった。
今日、自然環境問題に対して人々の関心が高まり、ゴミ処理などの日常的環境問題や、温暖化、砂漠化などの自然保護に関する環境問題が深刻化している。
内モンゴル自治区は、数百年前までは草原と森林が広がる豊かな大地であったが、過剰な開墾と放牧、伐採により急激に砂漠化し、多くの人々が貧困や離村に追い込まれた。近年来、内モンゴルの自然環境の悪化は、世界中の人々の注目を浴びてきた。春になれば毎年、内モンゴルから日本や韓国など隣国に黄砂が飛び、多大な影響を及ぼしている。砂漠化をくい止めて、環境を回復させるため日本人による1994年に始めた内モンゴルでの緑化活動、2000年から始まった中国政府からの『生態移民』政策など自然環境保護ブームがある。
人間は、自然環境の中に生存し、発展する過程において、自然環境の恩恵を受け、自然を畏れ、大切にしてきた。しかし、近代化、工業化により、この関係は大きく変化して、人間は、自然を支配し、搾取するなど関係になり、その傲慢な態度が大きく拡がった。
今日、自然環境問題に対して人々の関心が高まり、ゴミ処理などの日常的環境問題や、温暖化、砂漠化などの自然保護に関する環境問題が深刻化している。
内モンゴル自治区は、数百年前までは草原と森林が広がる豊かな大地であったが、過剰な開墾と放牧、伐採により急激に砂漠化し、多くの人々が貧困や離村に追い込まれた。近年来、内モンゴルの自然環境の悪化は、世界中の人々の注目を浴びてきた。春になれば毎年、内モンゴルから日本や韓国など隣国に黄砂が飛び、多大な影響を及ぼしている。砂漠化をくい止めて、環境を回復させるため日本人による1994年に始めた内モンゴルでの緑化活動、2000年から始まった中国政府からの『生態移民』政策など自然環境保護ブームがある。
内モンゴルの環境問題
ブレンセインの「農地から砂漠化」という論文には、内モンゴル砂漠化については次のように書いてある。内モンゴルでは、かつて遊牧民が住んでいた土地に農民が移住し、草地をどんどん開墾した。清朝期から始まった農業の浸透と中華人民共和国成立後の体制転換を機に牧畜社会そのものが変容し始めた。1949年の新中国建国後、漢民族が長城を越えて漠北と新疆への大量移民を始めて以降、59年から61年には全土が自然災害に遭い、内モンゴルへは192万人が移民し、47年の569万人の人口が90年には2145万人に増えたのである。漢民族による草原への急速な侵入と過剰開発によって、自然の生態系は激変し、草原が急速に退化していった。
清朝から始まった農業の浸透とエネルギー開発は、内モンゴルに経済発展をもたらしたが、同時に深刻な自然環境の破壊を引き起こした。
中国の利用可能な草原は、急速に退化している。退化面積は、13億畝に達し、目下、毎年平均約2,000万畝以上のスピードで拡大している。原因は、大量移民で急増した人口をまかなうために、草原を畑地へと転用して穀物を栽培したからである。また、過剰放牧による牧草の激減、水資源の過度な利用など、地上と地下の資源を開発し続けたことも砂漠化を深刻化させた大きな原因である。さらに、薬草や鉱産物の掘削などで、常に数十万人にのぼる人間が各地から草原に踏み入ってきた。そのために、草原の生態系が破壊され、そこに棲む肉食野生動物のほとんどが絶滅しつつある。
『中国の環境政策生態移民』の中には、中国政府は2000年に自然環境の回復問題と貧困問題を解決するために「西部大開発」を実施し、内モンゴルにおいては「生態移民」政策が実施されてきた。しかしながら、「生態移民」政策の実施に当たって、環境保全の側面に関して数多くの問題が指摘されている。例えば、乾燥地域において、農耕地の灌漑による地下水資源の枯渇や耕地確保のための新たな草原開発の危機がある。また農耕に適さない地域でも農耕を行い、新たな砂漠化問題を引き起こす可能性がある。このことは生態移民政策が自然環境と人間関係を調和させることができないことを示す。
外的な自然の破壊の背景には、内的自然の破壊、つまり人間の自然環境に対する考え方が失われているといわれている。自然環境を回復するには技術ではなく環境思想が必要になっている。
ブレンセインの「農地から砂漠化」という論文には、内モンゴル砂漠化については次のように書いてある。内モンゴルでは、かつて遊牧民が住んでいた土地に農民が移住し、草地をどんどん開墾した。清朝期から始まった農業の浸透と中華人民共和国成立後の体制転換を機に牧畜社会そのものが変容し始めた。1949年の新中国建国後、漢民族が長城を越えて漠北と新疆への大量移民を始めて以降、59年から61年には全土が自然災害に遭い、内モンゴルへは192万人が移民し、47年の569万人の人口が90年には2145万人に増えたのである。漢民族による草原への急速な侵入と過剰開発によって、自然の生態系は激変し、草原が急速に退化していった。
清朝から始まった農業の浸透とエネルギー開発は、内モンゴルに経済発展をもたらしたが、同時に深刻な自然環境の破壊を引き起こした。
中国の利用可能な草原は、急速に退化している。退化面積は、13億畝に達し、目下、毎年平均約2,000万畝以上のスピードで拡大している。原因は、大量移民で急増した人口をまかなうために、草原を畑地へと転用して穀物を栽培したからである。また、過剰放牧による牧草の激減、水資源の過度な利用など、地上と地下の資源を開発し続けたことも砂漠化を深刻化させた大きな原因である。さらに、薬草や鉱産物の掘削などで、常に数十万人にのぼる人間が各地から草原に踏み入ってきた。そのために、草原の生態系が破壊され、そこに棲む肉食野生動物のほとんどが絶滅しつつある。
『中国の環境政策生態移民』の中には、中国政府は2000年に自然環境の回復問題と貧困問題を解決するために「西部大開発」を実施し、内モンゴルにおいては「生態移民」政策が実施されてきた。しかしながら、「生態移民」政策の実施に当たって、環境保全の側面に関して数多くの問題が指摘されている。例えば、乾燥地域において、農耕地の灌漑による地下水資源の枯渇や耕地確保のための新たな草原開発の危機がある。また農耕に適さない地域でも農耕を行い、新たな砂漠化問題を引き起こす可能性がある。このことは生態移民政策が自然環境と人間関係を調和させることができないことを示す。
外的な自然の破壊の背景には、内的自然の破壊、つまり人間の自然環境に対する考え方が失われているといわれている。自然環境を回復するには技術ではなく環境思想が必要になっている。
『天人合一』思想
内モンゴルの環境問題、環境回復、あるいは砂漠問題を解決のため、モンゴルの自然
「天人合一」思想を掘り出して考えみたい。なぜなら、モンゴル人の環境思想の中に、自然を崇拝する『天人合一』という思想がある。つまり、人間は大自然の一部分、自然秩序の一つ存在であるという考え方である。しかし、中華思想においては、人は自然界の一つの構成部分であり、人と自然は究極において合一する考え方である、したがって自然に対して従順、適応の態度をとり、自然との調和、あるいは自然体の生き方を理想とした儒家の「天人合一」思想がある。そうすると、中華思想に「天人合一」思想があるのに、何でモンゴルの「天人合一」思想に注目するのかという質問になるからそれの共同点と相違点から見る。
内モンゴルの環境問題、環境回復、あるいは砂漠問題を解決のため、モンゴルの自然
「天人合一」思想を掘り出して考えみたい。なぜなら、モンゴル人の環境思想の中に、自然を崇拝する『天人合一』という思想がある。つまり、人間は大自然の一部分、自然秩序の一つ存在であるという考え方である。しかし、中華思想においては、人は自然界の一つの構成部分であり、人と自然は究極において合一する考え方である、したがって自然に対して従順、適応の態度をとり、自然との調和、あるいは自然体の生き方を理想とした儒家の「天人合一」思想がある。そうすると、中華思想に「天人合一」思想があるのに、何でモンゴルの「天人合一」思想に注目するのかという質問になるからそれの共同点と相違点から見る。
共同点
中国の儒家の「天人合一」思想について、張岱年先生は、【中国哲学大綱】のなかで、「中国哲学の天人関係論のなかのいわゆる天人合一には、二つの意味があり、一つは【天人相通】もう一つは【天人相類】である」と指摘されている。この二つの意味のうち、「天人相通」を主張するのは歴代儒家の主流であり、「天人相類」を主張するのはおもに漢代の董仲舒の思想である。
「天人相通」という考え方は、孟子に端を発し、宋代理学において大成した。孟子は「天と人間の本性は一貫しており、人間の本性が天から授けられたものであるから、心を尽くせば本性を知ることができる、それゆえ心を尽くし、本性を知れば天を知ることができる」といっている。宋代の理学者は伝統を受け続いて、やはり「天人合一」について多く主張している。天の本性はすなわち人間の本性であり、天道と人の性は実際は一つに相通じていると主張している
人間はどのようにすれば「天人合一」を実現することができるのであろうか。儒家の見るところでは、天は人間に合わせることはできず、人間が天に合わせるべきなのである。天が本体であり、人間は天に順応してこそ、はじめて天との合一を最終的に実現することができるということである。しかし、まだ人間はただ受動的に天に順応するだけではならず、人間の調整および主導的な主体的役割も発揮すべきなのであるとみている。
中国の儒家の「天人合一」思想について、張岱年先生は、【中国哲学大綱】のなかで、「中国哲学の天人関係論のなかのいわゆる天人合一には、二つの意味があり、一つは【天人相通】もう一つは【天人相類】である」と指摘されている。この二つの意味のうち、「天人相通」を主張するのは歴代儒家の主流であり、「天人相類」を主張するのはおもに漢代の董仲舒の思想である。
「天人相通」という考え方は、孟子に端を発し、宋代理学において大成した。孟子は「天と人間の本性は一貫しており、人間の本性が天から授けられたものであるから、心を尽くせば本性を知ることができる、それゆえ心を尽くし、本性を知れば天を知ることができる」といっている。宋代の理学者は伝統を受け続いて、やはり「天人合一」について多く主張している。天の本性はすなわち人間の本性であり、天道と人の性は実際は一つに相通じていると主張している
人間はどのようにすれば「天人合一」を実現することができるのであろうか。儒家の見るところでは、天は人間に合わせることはできず、人間が天に合わせるべきなのである。天が本体であり、人間は天に順応してこそ、はじめて天との合一を最終的に実現することができるということである。しかし、まだ人間はただ受動的に天に順応するだけではならず、人間の調整および主導的な主体的役割も発揮すべきなのであるとみている。
モンゴルの『天人合一』思想、自然本体は生命体であり、自然にあるすべての物は相互に依存して一つの全体になっている。人、動物、植物はこの大生態系の不可欠な組成部分。人類社会をすべての生態環境の中に入れて考え、人と自然の調和一体を強調する。
「長生天」はモンゴル族の崇拝の最高対象であり、生きる権利の根権である。それは人と自然の調和という意味であり、長生とは生命,生態の永遠に生きるという意味である。だから天に深刻な感情をもっている。
「長生天」はモンゴル族の崇拝の最高対象であり、生きる権利の根権である。それは人と自然の調和という意味であり、長生とは生命,生態の永遠に生きるという意味である。だから天に深刻な感情をもっている。
相違点
中華とモンゴルの「天人合一」思想の生産方式が異なる。中華の「天人合一」は典型的な農業社会の産物であり、モンゴルの「天人合一」は遊牧社会の産物である。
中華とモンゴルの「天人合一」思想の生産方式が異なる。中華の「天人合一」は典型的な農業社会の産物であり、モンゴルの「天人合一」は遊牧社会の産物である。
農業
農耕生産方式は原生態自然を人的自然に改造して、樹木を伐採、開墾畑する、栽培から必要作物を得り、生計を維持している。乱伐採、乱開墾は生態を破壊する。
遊牧
遊牧生産方式は家畜の習性及び季節の規律に従って水や草を追い移動して、家畜を飼育とそれらの繁殖を通して、生活資源を獲得する。自然に依存性が高いから、自然環境との適当性を強調する。
農耕生産方式は原生態自然を人的自然に改造して、樹木を伐採、開墾畑する、栽培から必要作物を得り、生計を維持している。乱伐採、乱開墾は生態を破壊する。
遊牧
遊牧生産方式は家畜の習性及び季節の規律に従って水や草を追い移動して、家畜を飼育とそれらの繁殖を通して、生活資源を獲得する。自然に依存性が高いから、自然環境との適当性を強調する。
今の内モンゴルの環境問題に関して,モンゴルの「天人合一」思想に注目したい、なぜなら、中華の「天人合一」思想は今の現時代に合わないと思う。
儒家の「天人合一」について、王家驊は「儒学の生態環境思想が結局は伝農業社会の産物であり、そのころの生産力は現代と比べて、非常に低いものであり、人びとは自然のまえで無力の存在であったことを見ておくべきである。そのころ人びとが直面していた生態環境の危機はまだ人類の生存を脅かすほどに深刻ではなかった。それゆえ、そのころの「天人合一」観、自然と人間の関係に対する認識は、おもに自然に順応し、自然との調和共生に到達することを張調しており、消極的で受動的な一面を表していることを免れていない」といっている。
あるいは、生産低い社会に適当であったが、今、現代では会わないということでしょうか、また、儒家の中でも荀子などの「天人相分」の思想があって、彼は「天を客観的存在として自然界に復元して、同時に人間には自然に勝つ能力と、自然を改造する力がある」といっている。人間は必ず天に勝つという荀子の思想は、それを継承する者がなかったわけではないが、儒学独尊の封建社会では十分に発展しなかった。しかし、近代西洋の学問が東漸してから,とりわけ新文化運動の伝統思想に対する激しい攻撃のもとで伝統思想の地位に変化が起きた。中国人民共和国の成立後、とりわけ一九五八年の大躍進の時期には、「人は必ず天を勝つ]という思想が極致までに達した。
このことからみるとも、儒家の「天人合一」思想は生産力が低い社会のみ適応して、社会の転換と人々の自然前の影響力の変化にしたがって、思想も変化したということではないか。
農業と遊牧を比べると、遊牧は自然依存性高いから、人々の自然への認識と理解が深い。地域の特徴、自然環境、牧草に条件につけられる、これらの特徴にしたがって遊牧する。どんな時代でも自然との関わりはかわらなし、内モンゴルの地理位置、気候などにもっと適当である。
儒家の「天人合一」について、王家驊は「儒学の生態環境思想が結局は伝農業社会の産物であり、そのころの生産力は現代と比べて、非常に低いものであり、人びとは自然のまえで無力の存在であったことを見ておくべきである。そのころ人びとが直面していた生態環境の危機はまだ人類の生存を脅かすほどに深刻ではなかった。それゆえ、そのころの「天人合一」観、自然と人間の関係に対する認識は、おもに自然に順応し、自然との調和共生に到達することを張調しており、消極的で受動的な一面を表していることを免れていない」といっている。
あるいは、生産低い社会に適当であったが、今、現代では会わないということでしょうか、また、儒家の中でも荀子などの「天人相分」の思想があって、彼は「天を客観的存在として自然界に復元して、同時に人間には自然に勝つ能力と、自然を改造する力がある」といっている。人間は必ず天に勝つという荀子の思想は、それを継承する者がなかったわけではないが、儒学独尊の封建社会では十分に発展しなかった。しかし、近代西洋の学問が東漸してから,とりわけ新文化運動の伝統思想に対する激しい攻撃のもとで伝統思想の地位に変化が起きた。中国人民共和国の成立後、とりわけ一九五八年の大躍進の時期には、「人は必ず天を勝つ]という思想が極致までに達した。
このことからみるとも、儒家の「天人合一」思想は生産力が低い社会のみ適応して、社会の転換と人々の自然前の影響力の変化にしたがって、思想も変化したということではないか。
農業と遊牧を比べると、遊牧は自然依存性高いから、人々の自然への認識と理解が深い。地域の特徴、自然環境、牧草に条件につけられる、これらの特徴にしたがって遊牧する。どんな時代でも自然との関わりはかわらなし、内モンゴルの地理位置、気候などにもっと適当である。
これからの研究について、遊牧は自然にもっと優しいと言っているが、それは本当かどうかを今でも遊牧している地域での情況の調査から入りたい。
参考文献
小長谷有紀、シンジルト、中尾 正義(200『中国の環境政策生態移民 』地球研叢書
宝力高2007 『蒙古族传统生态文化』 内蒙古教育出版社
『東洋的環境思想の現代的意義』の「儒家の生態環境思想とその現代的意義」王家驊
「荘子の「天、人」説と自然と人間の関係」 陳紹燕
小長谷有紀、シンジルト、中尾 正義(200『中国の環境政策生態移民 』地球研叢書
宝力高2007 『蒙古族传统生态文化』 内蒙古教育出版社
『東洋的環境思想の現代的意義』の「儒家の生態環境思想とその現代的意義」王家驊
「荘子の「天、人」説と自然と人間の関係」 陳紹燕