『環境リスクと合理的意思決定―市民参加の哲学』の簡単な要約 (元ページ)
ミシガンやニュージャージーやイリノイで、有害物質処理施設へのゲリラ活動が行われている。
人々は政府や企業が健康や安全を守ってくれないことに対して抗議している。
公衆に反対されている環境リスクは有害物質処理施設だけではない。精油所、空港、原発。
人々は政府や企業が健康や安全を守ってくれないことに対して抗議している。
公衆に反対されている環境リスクは有害物質処理施設だけではない。精油所、空港、原発。
- リスクへの反感:公衆のパラノイアか技術的抑圧か
企業の側のスポークスマンはこうした反感はマス・パラノイアだという。
シーガーをはじめとする環境活動家は、自由な同意なく押しつけられた環境リスクを拒否しているだけだという。
企業に共感する人たちは、シーガーらに反対し、実際的な危険はないではないかと言う。
どちらが正しいのか?
本書は企業の側の言う科学的リテラシーの欠如と大衆主義者の言う技術的抑圧の中間の道を行
くことを目的とする。
シーガーをはじめとする環境活動家は、自由な同意なく押しつけられた環境リスクを拒否しているだけだという。
企業に共感する人たちは、シーガーらに反対し、実際的な危険はないではないかと言う。
どちらが正しいのか?
本書は企業の側の言う科学的リテラシーの欠如と大衆主義者の言う技術的抑圧の中間の道を行
くことを目的とする。
- リスクアセスメントとリスク評価の勃興
リスクの分析は三つの段階を経る。
リスク=ハザード分析は新しい分野である。『沈黙の春』や『成長の限界』にうながされて発達。
1969 年にはNEPA (アメリカ環境政策法)が成立
1970 年代から80 年代にかけては十分な基準がなかった。
1982 年 RARADA (リスク分析研究および提示法)が成立
この法律ができたあともリスク分析のやりかたはばらばら。特に、リスクの評価ができるのは誰なのか、技術的エキスパートだけが合理的に判断できるのか、むしろ潜在的被害者である素人こそが合理的評価ができるのかで意見が分かれる。
リスク=ハザード分析は新しい分野である。『沈黙の春』や『成長の限界』にうながされて発達。
1969 年にはNEPA (アメリカ環境政策法)が成立
1970 年代から80 年代にかけては十分な基準がなかった。
1982 年 RARADA (リスク分析研究および提示法)が成立
この法律ができたあともリスク分析のやりかたはばらばら。特に、リスクの評価ができるのは誰なのか、技術的エキスパートだけが合理的に判断できるのか、むしろ潜在的被害者である素人こそが合理的評価ができるのかで意見が分かれる。
- リスク評価に於ける「合理性」と科学哲学
合理性は規範的概念であり、科学哲学においても合理性の基準については論争がある。
スペクトラムの一方の極にはファイヤアーベントらの多元主義ないし相対主義者がいる。「科学的方法」などというものはなく「なんでもあり」
他方の極にはシェフラーやカルナップらの論理経験主義者らがいる。普遍的で固定的な理論選
択の基準があると考えている。
自然主義者はその中間。シェイピア、ラウダン、ギアリーら。絶対的な規則はないが理論評価は合理的でありうると考える。どうやってこの二つが両立するかを考えるのがむずかしい。
同じような構図がハザード評価の領域にもある。
一方の極には文化人類学者のダグラスと政治科学者のウィルダフスキーのような文化相対主義者(cultural relativist)がいる。リスクの「正しい記述」などない。
他方の素朴な実証主義者(naive positivist)の極にはスターやウィップルのような技術者がいる。
異なったリスクも同じ規則で評価できる。確率の計算の段階では完全に価値中立的にリスク評価ができる。
中間の立場をとろうとする人は、完全に価値中立的で普遍的な規則がないにもかかわらず、どうやってリスク評価(第三段階)が合理的でありうるのか、を説明しなくてはならない。
スペクトラムの一方の極にはファイヤアーベントらの多元主義ないし相対主義者がいる。「科学的方法」などというものはなく「なんでもあり」
他方の極にはシェフラーやカルナップらの論理経験主義者らがいる。普遍的で固定的な理論選
択の基準があると考えている。
自然主義者はその中間。シェイピア、ラウダン、ギアリーら。絶対的な規則はないが理論評価は合理的でありうると考える。どうやってこの二つが両立するかを考えるのがむずかしい。
同じような構図がハザード評価の領域にもある。
一方の極には文化人類学者のダグラスと政治科学者のウィルダフスキーのような文化相対主義者(cultural relativist)がいる。リスクの「正しい記述」などない。
他方の素朴な実証主義者(naive positivist)の極にはスターやウィップルのような技術者がいる。
異なったリスクも同じ規則で評価できる。確率の計算の段階では完全に価値中立的にリスク評価ができる。
中間の立場をとろうとする人は、完全に価値中立的で普遍的な規則がないにもかかわらず、どうやってリスク評価(第三段階)が合理的でありうるのか、を説明しなくてはならない。
- 本書の目的
(1) なぜ、またいかにして、文化相対主義者と素朴実証主義者の両方がリスク評価の一般的な説明において間違っているのかを詳しく説明すること
(2) 「合理的」と見なされている多くのリスク評価の戦略にある誤解を説明すること
(3) リスク評価の合理性をどうやって保証するかについての「中道的立場」を擁護すること。この中道的立場は「科学的手続き主義」(scientific proceduralism)と呼ばれる。
(2) 「合理的」と見なされている多くのリスク評価の戦略にある誤解を説明すること
(3) リスク評価の合理性をどうやって保証するかについての「中道的立場」を擁護すること。この中道的立場は「科学的手続き主義」(scientific proceduralism)と呼ばれる。
- 各章のアウトライン:リスク評価は科学的であると同時に民主的である
第二章:相対主義者も素朴実証主義者も一般人のリスク評価を不合理だと切り捨てる際に間違いを犯している。
第三章:文化相対主義も素朴実証主義も還元主義の過ちを犯している。相対主義者は科学的要素を、実証主義者は倫理的要素を見落としている。
第四章:科学は、価値判断の要素が存在するにもかかわらず、いくつかの重要な意味で「客観的」
第五章:より科学的なリスク同定やリスク見積もりの段階においても価値判断は不可欠
第三章:文化相対主義も素朴実証主義も還元主義の過ちを犯している。相対主義者は科学的要素を、実証主義者は倫理的要素を見落としている。
第四章:科学は、価値判断の要素が存在するにもかかわらず、いくつかの重要な意味で「客観的」
第五章:より科学的なリスク同定やリスク見積もりの段階においても価値判断は不可欠
第二部では具体的な立場の問題点が検討される。
第六章:専門家はしばしば「知覚されたリスク」と「実際のリスク」を区別するが、これは部分的には思い違い。どちらも主観的要素を含む。
第七章:二つの方法論的仮定を批判。一つは人々がもっともきらうリスクを減らさねばならないという仮定、もう一つはリスクへの嫌悪は致死率と比例するという仮定。非確率的なリスク評価もありえる。どれを選ぶか決めるには民主主義が必要。
第八章:多くのリスク評価において、功利主義的規則よりは最大値最小化(maximin)規則を使う
のが理に適っている。
第九章:不確実性がある際に生産者側 (producer risk) と消費者側 (consumer risk)のどちらがリスクを負うか。消費者リスクを最小化する科学的・倫理的・法的根拠がある。
第十章:地理的・時間的に遠いリスクを「割引」するという傾向を分離主義戦略(isolationist
strategy)と呼んで批判。
第六章:専門家はしばしば「知覚されたリスク」と「実際のリスク」を区別するが、これは部分的には思い違い。どちらも主観的要素を含む。
第七章:二つの方法論的仮定を批判。一つは人々がもっともきらうリスクを減らさねばならないという仮定、もう一つはリスクへの嫌悪は致死率と比例するという仮定。非確率的なリスク評価もありえる。どれを選ぶか決めるには民主主義が必要。
第八章:多くのリスク評価において、功利主義的規則よりは最大値最小化(maximin)規則を使う
のが理に適っている。
第九章:不確実性がある際に生産者側 (producer risk) と消費者側 (consumer risk)のどちらがリスクを負うか。消費者リスクを最小化する科学的・倫理的・法的根拠がある。
第十章:地理的・時間的に遠いリスクを「割引」するという傾向を分離主義戦略(isolationist
strategy)と呼んで批判。
第三部では解決を提案
第十一章:「科学的手続き主義」を提案。少なくとも三つの意味で「科学的」ないし「客観的」(合理的議論の対象になる、部分的に確率に依拠する、説明や予測といった科学的な目標も考慮に入れる)この章では、リスクコストベネフィット分析(RCBA)の改良や量的リスク分析(QRA)を使い続けることの意義を説明
第十二章:誰が正しいかではなく、実行可能なリスク管理手法について交渉することが大事。
インフォームド・コンセントの概念を導入した医療倫理の知見も利用できる。
リスク評価の合理性の完全な説明は与えないが、正しい方向にむかわせてくれるはず。
第十一章:「科学的手続き主義」を提案。少なくとも三つの意味で「科学的」ないし「客観的」(合理的議論の対象になる、部分的に確率に依拠する、説明や予測といった科学的な目標も考慮に入れる)この章では、リスクコストベネフィット分析(RCBA)の改良や量的リスク分析(QRA)を使い続けることの意義を説明
第十二章:誰が正しいかではなく、実行可能なリスク管理手法について交渉することが大事。
インフォームド・コンセントの概念を導入した医療倫理の知見も利用できる。
リスク評価の合理性の完全な説明は与えないが、正しい方向にむかわせてくれるはず。