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  • 第三章 『今昔物語集』の仏教思想と民衆の自然観

亀山ゼミwiki(非公式)

第三章 『今昔物語集』の仏教思想と民衆の自然観

最終更新:2013年01月16日 01:56

uvonicabch

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第一節 『今昔物語集』に見る御霊信仰と神仏習合

第一項 排除・忌避される御霊と神
 『今昔物語集』が生まれた院政期は、8・9世紀からの神仏習合の一形態としての御霊信仰が定着していた時代と看做されているようである。  ところが、当の『今昔物語集』には、「御霊会」の用例が一例(巻28 ・7話)を数えるに過ぎず、その用例も、御霊への深刻な恐れは一切窺えない話(笑い話)であり、御霊の用例そのものがないことから、今昔物語集と「御霊信仰」とはさして接点がなかったようだ。加えて、まま登場する「悪霊」は非政治的ないしは個人的怨恨等の理由で人が「悪霊」と化したものであり、所謂御霊の範疇には入らない。
 それでも御霊的存在ないしは御霊候補と解釈しうる例は、少ないながらも存在する。藤原広継、蘇我入鹿、長屋王である。見逃せないのは、『今昔物語集』に登場する広継をはじめとする非業の死を遂げた者たちが、当時、御霊として国家で認定されていた人物とは異なるという事実である。  
 巻24・28話では、平安期最大の御霊である菅原道真も詩聖、つまり「天神」として現れるものの、御霊としての面は皆無となっている。
 巻27・11話では、伴(ともの)善男(よしお)も「行疫流行神」というように明確な御霊であるはずだが、彼は国家を恨むどころか、「公ニ仕ヘテ有シ間、我ガ国ノ恩多カリキ」という滅私奉公的信念を持つのみならず、国への恩返しとして「疫病」を「咳病(がいびょう)」に変える。
 このように本来御霊である存在が御霊として描かれないのは、依拠資料の質というよりもむしろ、『今昔物語集』の世界構想の一翼を占める「公」中心主義 の編纂方針によるものであろう。たとえ御霊として鎮められ神となっているとはいえ、明らかに反国家=反秩序的存在であった御霊は、『今昔物語集』の世界構想とは馴染まないのである。その意味で、政治的な怨霊がたびたび発生するものの、道長には祟らない形で怨霊を位置付け歴史叙述を構成した同時代の『大鏡』とは、対照的な政治的立場にある。
 『今昔物語集』は神を忌避している作品である。それは、天皇の祖(そ)神(しん)を語りたくないために、天皇史と推測される巻21を欠巻にして、結果的に『今昔物語集』を未完成のまま終わらせてもよしとする位徹底している。また、「本地」という用例がないことからも分かるように、神は仏法と関係性=縁起性を持たず、仏法にとって劣位的存在で存在であり末端的位置に留まっているのである。日本の神は仏法に粉砕されるか、仏法の護法神となるか、仏法に救われる存在でしかない。いわば、「本地垂迹」の先駆的形態のままに放置されている。そうなるのは、『今昔物語集』が仏陀に起源を持つ三国に普遍的な仏法以外に宗教的価値を見出さなかったからだと思われる 。従って、神仏習合を濃厚に持つ説話もあまり登場しない。巻12・10話の石清水の放生会の起源譚も『今昔物語集』にあっては、「八幡大菩薩」を本尊とする「石清水」なる寺院の国家的法会という認識で貫かれている。『今昔物語集』の世界構想には、御霊信仰、神仏習合が共に理念や方法としては取り入れられず、むしろ排除されている。

第二項 広継・入鹿・長屋親王の御霊的性格
 「公」中心主義に就き、御霊信仰の影響下になかった『今昔物語集』がどうして本話を最後まで切らずに掲載したのか。その理由は、「公」が悪霊を圧倒したことに求められる。これは具体的には、一つ目には、悪霊になる前に広継は勅威の前に敗れ去っていることが挙げられる。中央―地方間の瞬時の往来を可能にする龍馬も「公」の敵ではない。二つ目には、広継の恨みの対象は飽くまで玄昉(げんぼう)にあり、「公」にはそれほどではないことが挙げられる。三つ目には、玄昉への復習を果たした悪霊がまだ鎮まらない事態 に対して、「公」は『今昔物語集』において科学を意味する陰陽の術で圧倒していることが挙げられる。
 『今昔物語集』は、具体名を有した天皇(ここでは聖武)を超越的権力すなわち権威としての「公」とは異なるものと捉えているので、天皇の無様な姿は別段「公」中心主義とは抵触しない 。
 こうして、広継の霊は神すなわち鏡明神となり、玄昉の墓の所在を記す文言で説話は幕を閉じる。広継は御霊神となったが、『今昔物語集』にはそれに対する特別な感情はない 。そしてそれ以後、この神は「公」を祟らない。また、「公」も神に脅えない。こうして、御霊は聖武の時代の中で完結し、封じられた。『今昔物語集』は御霊が祟ることを知っており、それを記しもするが、「公」や仏法を脅かすほどのものとして扱うわけではない。故に飽くまで悪霊の域を超えない。
 藤原氏史を叙述する巻22・1話は、藤原氏の祖、大織(だいしき)冠(かん)=鎌足が、御子(天智)と共同して蘇我入鹿を斬るという功績を挙げ、ために藤原姓を賜り、内大臣に補せられ、大織冠と号するに至るという藤原氏の始祖伝承であるが、ここでの問題は殺された入鹿の方にある。
 御子の大刀によって入鹿は頸を打ち落とされたが、それで事足れりとはいかず、頸は推古がいる高御蔵(たかみくら)めがけて飛び、「我レ罪無シ。何事ニ依テ被殺ルゾ」と叫びつつ接近し、恐れ戦く推古が高御蔵の戸を閉めたので、やむなく戸にぶつかって落ちた。ここにおける入鹿の頸の動きは無実を主君たる天皇に訴えようとするもので、御霊のありように近いものがある。
 聖武が長屋親王の屍骸を城外で焼き捨て河に流したため、骨が流れ着いた土佐国の百姓が多く死んだ。百姓の訴えによると、「彼ノ長屋ノ悪心ノ気ニ依」るものであった。この「悪心ノ気」は『日本霊異記』では「親王気」としているが、いずれにせよ、御霊的要素を示している。聖武はこれを受けて、骨を「紀伊国ノ(中略)奥ノ島ニ」置いたと言う。聖武の狙いは『今昔物語集』では、百姓の安全確保にあったのではなく、「王城ヲ遠ク去ガ為ニ」とあるように我が身に降りかからないようにすることにあった。つまり、『今昔物語集』は長屋親王の祟りを明確に認識している。これに対して、『日本霊異記』は「為近皇都」とあるように反対の意味に取っており、「気」の存在を認めつつも、聖武は為政者として行動する。これは『今昔物語集』が誤訳したためである。しかしこれを、単なる誤訳とはせずに、「悪心ノ気」への恐れの表出であると読み取ってもいいのではないか 。であるとすれば、長屋親王は御霊になりきらないうちに「奥ノ島」に片付けられたと言えるのではないか。
 以上から、『今昔物語集』の世界観では、御霊的性格を持つ広継・入鹿・長屋親王は存在するが、御霊は存在しないことになっていると言える。

第二節 『今昔物語集』に登場する動物
 『今昔物語集』には、蛇、猿、犬、牛、兎、鷲、鷹など、84種類の異類・動物たちが登場する。物語の内容も前生譚・転生譚・怪異譚・闘諍譚・報恩譚など多彩である。仏教的価値観による世界の把握を目指す『今昔物語集』は、異類・動物たちを、「畜生道」(前世の報いによって堕ちる三悪道の一つ)のものとして、劣位に位置づける傾向を持つ。典型的な例として蛇の例が挙げられる。
 蛇は古来から、水を司る「神」もしくは「神の化身」として、人々に畏れられ、崇められてきた動物である。『今昔物語集』も蛇を神として認めていないわけではない。インドの釈迦族の男は龍王の娘と結婚し、龍王の助力によって王となった(巻3第11話)。中国の漢の高祖は龍王の子であった(巻4第12話)。日本においても、加賀国沖の猫島に棲む蛇は熊田の宮の神と同族とされている。しかし一方で、『今昔物語集』においては、蛇は畏れ敬う神ではなく、忌まわしい動物であり、罪障深い畜生、悪業煩悩の象徴として捉える傾向が見て取れる。
 例えば、老父が約束してしまったため、大蛇に嫁ぐことになった娘が、観音の加護によって大蛇を退治し、事無きを得たという蟹満寺の縁起(巻16第16話)がその典型と言える。娘の許へ訪れる大蛇には神性が見出せない。『今昔物語集』は、大和国三輪山の神(大蛇)が女の許に通う「三輪山伝説」以来の、神人通婚譚のモチーフを用いながらも、蛇に聖性を与えていない。この話は『本朝法華験記』を典拠とし、『日本霊異記』『三宝絵』にも同話が存在するが、退治された蛇は、『日本霊異記』ではまだ見出せた「恐ろしい神」ではなく、「苦」を背負った「忌まわしい動物」と説明され、その苦から免れられるよう、蟹満寺が建立されたと語られている。また、娘は只人ではなく、観音の化身であったと解されていることから、蟹満寺の縁起は、仏と神の対決と仏の勝利を宣揚するという側面も併せ持っている 。
 また、巻24第9話「蛇に嫁ぐ女を医師治する語」は『日本霊異記』中巻第41話「女人大きなる蛇に婚せられ、薬の力によりて、命を全くすること得る縁」に取材するが、物語の展開はほぼ同じであっても両者は結論において大きく異なる。『日本霊異記』では、「そもそも、霊魂は、前世で行った善悪の行為の因縁のままに従うものである。ある者は蛇・馬・牛・犬・鳥などに生まれる。前世での悪の因縁によっては、蛇となって蛇と結ばれる。あるいは卑しい畜生となる。愛欲の現れ方は一様ではない。」と仏教的な転生の概念を強調して話を結ぶのに対し、『今昔物語集』では、「今回(蛇との2回目の婚合)は前世の因縁であり、治ることなく死んでしまった。但し、医師の力、薬の効き目は不思議(無限という意味か。)だと語り伝えられたということだ。」と医師や薬の働きを強調した記述になる。両者はともに三輪山型神婚説話の頽落した形だと考えられるが、書き手の関心は悪の因縁の結果としての蛇から、それを克服する医師の見事な働きへと移っている。
 記紀に見られる三輪山型神婚説話を比較的もとのまま採用している話に、巻31第34話「大和国の箸墓の本縁の語」がある。この話は、天皇の娘に見知らぬ男が通ってくるようになり、皇女が男の姿をはっきり見たいと申し出ると、男は決して驚かないことを条件に承諾する。しかし、男の本当の姿(小さな蛇)を見た皇女は約束を違えて驚いてしまったので、男は去り皇女は死ぬという話である。
 その他に、蛇が人の姿を取る話として、巻26第9話「加賀の国の虵(へみ)と蜈(むかで)と諍ふ島へ行きし人、虵を助けて島に住む語」がある。これは七人の男についての話で、見知らぬ島の神が支配する風に吹かれて船が漂着し、その島で蜈と退治する虵(島の神)を助け、男たちの子孫が繁栄すると言う話である。島は異郷的な感覚で捉えられている。異郷の神の本当の姿は蛇であり、人の姿を取るというイメージがこの話に含まれている。しかしこれは裏を返せば、「異郷でない馴染みの世界ならばこのような神はいない」という書き手の感覚を表しているのではないか。
 ここでさらに、蛇が聖性を失っていく話を4話挙げたい。
 巻28第32話「山城介三善春家、蛇を恐(お)づる語」には、三善春家について「前世はカエルだったのだろうか、蛇をとても恐がる。世の中の人は誰もが皆蛇を見て恐がるけれども、この春家は蛇を見ると気でも狂ったかのようになってしまう。」とあり、その様子を周りの人は「糸可咲(いとおか)し」(滑稽だ)と言って笑うのである。三輪山型神婚説話における蛇は神であり、それを見た人は命を落とすほどの存在であるが、この話ではそれほど神性を持った存在ではなく、見つけて騒げば滑稽だと笑われる程度の存在となっている。
 巻29第32話「陸奥国の狗山の狗、大蛇を咋(く)ひ殺す語」では、犬が主の猟師に吠え掛かって食いつこうとするので犬を殺そうとしたところ、実は犬は猟師の後ろの大蛇に食いつこうとしていると気づいたので、猟師は助かったという話である。この話で提示される教訓は、「このような折の振る舞いにはよくよく気を静めてこそ、どんなことでもすべきである。」というものである。ここでの蛇は、忠義な犬と賢い猟師に倒される存在である。
 巻29第33話「肥後国の鷲、虵を咋ひ殺す語」は、人々が鷲と蛇の戦いを観察する話である。最初は蛇が鷲の身を幾重にも絡めとっていたが、それは鷲の作戦であり、鷲は蛇の身を十分に絡ませておいて食い切った。この様子を、人々は「『ただ様子を見よう』と言う人もいたので、手出しをせずに見て」いた。結びには、「蛇の気持ちは極めて身の程知らずもいいところだ。もともと蛇は自分より大きな物をのむとはいうが、鷲に狙いをつけるとは愚の骨頂である。人もここから知るべきである。自分より大きな物を滅ぼし犯そうという考えは必ず捨てるように。このように反対に自分の命を失うことがあると語り伝えられているということだ。」とある。ここでの蛇は、巻5第14話で鳥の王とされた鷲を食べようとして逆に食べられてしまう、身の程知らずな存在として登場している。
 巻31第31話「太刀帯(たちはき)の陣に魚(いを)を売る嫗(おうな)の語」は、帯刀の陣に女が魚を売っていたが、それが後に蛇の切り身であることが明らかになるという話である。話の最後には「蛇は食べると中毒を起こすというが、よくまあなんとも無かったものだ。姿のはっきりしない切り身の魚などを売っていたら、うっかり気を許して買って食べるようなことはしないようにと、これを聞く人は評判したと語り伝えられているということだ。」とある。ここでの蛇は、騙されて食べてしまった気味の悪いものである。
 このように『今昔物語集』は、聖性を持った蛇を異郷のものに限定するなどして読み手から遠ざけていき、説話の中の蛇を、犬や鷲に食い殺されたり、人に軽んじられたりする存在にしていったといえるのではないか。そして結果として、蛇は説話の中で聖性を失っていったのではないか。
 次に、猿についてである。巻26第7話「美作の国の神、猟師の謀に依りて生贄を止むる語」は、異郷から来た猟師が生贄と言う村落秩序を破る話である。いわゆる人身御供としては、水神や田の神、あるいは風神、ひろく農作の神にそれを捧げるという話が多い。鹿や猪の生贄は、『宇治拾遺』が語るように、人間の生贄が廃せられた後、それに代わって行われたと、その起源が説明されることが多い。ここでの美作の国の神とは猿である。宮司に憑くなどの力はあるが、猟師にはかなわず手を摺って命乞いをした。
 巻26第8話「飛騨の国の猿神、生贄を止むる語」は、修行中の僧が滝を通って異郷に到り、妻をもらい暮らすうちに生贄の習慣を知り、猿神を追放し長者となる話である。飛騨は、陸奥・東国、熊野、四国とともに異郷的な感覚で捉えられている。この話でも猿は手を摺って命乞いする。
 この2つの話は、異郷の人が猿神に勝つことによって生贄の廃止となる点が共通している。
 一方で、巻29第35話「鎮西(ちんぜい)の猿、鷲を撃ち殺して報恩の為に女に与ふる語」は、賤しき女に命を助けられた猿が、女の赤ん坊の泣き声でおびき寄せた鷲を撃ち殺して、女に礼として与えるという話である。結びには、「獣でもこのように恩を知っている。心がある(思慮がある)人は必ず恩を知るべきである。それにしても、『猿の術はとても賢い』と人は言ったと語り伝えられているということだ。」とある。「畜生でも~なのだから、人は必ず~である。」という結びは『日本霊異記』でも見られた。
 『今昔物語集』はこのように、神としての猿を否定しつつも、恩を知る獣として捉えている。
 次に、狐についてである。巻25第6話「東宮大進源頼光朝臣(あそん)、狐を射る語」は、頼光が東三条院に狐を射るように命じられ、射落として、射落とすことができたのは先祖の加護であると謙遜する話である。巻26第17話「俊仁将軍、若き時京より敦賀に五位を将(ゐ)て行く語」は、狐を捕まえて飛脚として使うという話である。
 巻27には、狐が化けたり、人を騙したりする話が多い。第32話「民部大夫(みんぶのたいふ)頼清の家の女子の語」は、頼清が下使いとして使っていた女が狐に騙される話である。第37話「狐、大なる椙(すぎ)の木に変じて射殺さるる語」は、椙の木に化けた狐に惑わされる話である。第38話「狐、女の形に変じて播磨安高に値ふ語」は、女に化けた狐が正体を現して走り去る話である。第39話「狐、人の妻の形に変じて家に来たる語」は、狐が自分の妻に化けたため、捕まえようとするもどちらが狐か分からず、結局逃げられてしまう男の話である。第40話「狐、人に託(き)きて、取られし玉を乞ひ返して恩を報ずる語」は、物の怪にとり憑かれて病気になった家で、その物の怪を霊媒によりつかせたところ、狐であった。狐は出して欲しいというのでその通りにすると、その後狐は恩返しをしたという話である。結びには、「もし機会があって助けられそうな時があれば、このような獣を必ず助けるべきである。」とある。第41話「高陽川(かうやがは)の狐、女と変じて馬の尻に乗る語」では、最後の段落に、「狐が人に化けるのは、古くからいつものことである。」と書かれている。
 以上の7話から、狐は化けたり、人を騙したりする獣であるというイメージを読み手は強く受けるようになっている。しかし、その前に示したように、狐がただの的になったり、飛脚として便利に使うという話も含まれているのである。
 次に、野猪 についてである。巻27第34話「姓名を呼ばれて野猪を射顕はす語」、第35話「光有りて死人の傍に来たれる野猪の殺さるる語」、第36話「播磨国印南野(いなみの)にして野猪を殺す語」の3つがある。共通点としては、野猪はいずれも殺されて、最後に「人を騙そうとするから、あたら命を捨ててしまうのだ。」、「野猪は無駄に命を落とす奴である。」、「『くだらぬまねをして、むざむざ死におって』などと人々は大騒ぎだった。」という評価を下されていることである。殺されるまでは夜、死人の傍などに現れるので、鬼なのではないかととても恐れられるが、殺された後は、人を恐がらせようというくだらない考えを起こしたのだろうと言われており、人々の侮りの態度が読み取れる。




第三節 イケニヘ祭祀の起源 供犠論の日本的展開のために

「イケニヘ」ということばは、『和名抄』(10世紀前半成立)で「犠牲」の訓として用いられたのが最初だが、地の文で使用されたのは『今昔物語集』が初めてであろうという 。『今昔物語集』において、人と動物の関わり方の中で最も重要な関わり方のかたちの一つであるといえる。この点を詳しく見るために、以下の2つの説話を参照したい。

第一項 貴族と貢納品
 大江定基、出家して寂照の発心にいたる話として、次のような鬼気迫るエピソードが伝えられている。すなわち、本妻を捨てて年若い女を任国三河に連れて行ったはいいが、長患いのあげくに彼女に死なれ、あきらめきれない定基は女の遺骸に沿い臥して嘆き悲しむ。そうこうするうち、さしもの女の美貌も日に日に醜くくずれていき、いたたまれぬ思いで女の口を吸うやいなや、そのあまりの悪臭に人の世のうとましさを感じ、たちまちに道心を起こしたというのである 。人が愛欲のきわみに生のむなしさを思い知らされるという、発心譚である。
 貞基の任国三河には「風祭」と称する行事があったが、そのさい人々が「猪ヲ捕リ、生ケ乍ラ下シテケルヲ見テ」、彼はいよいよ道心を堅固にしたという。しかし、話はそこで終わらない。猪を生きたまま下ろすという、彼にとっては残酷このうえないはずの祭祀のありようを見て、彼はさらに、奇怪きわまる振る舞いに出たのである。
 三河を去るにあたって定基は、通りがかりのものから捕らえたばかりのキジを譲り受け、これを「生ケ乍ラ造テ」食えば味わいは格別だろうと言って、郎党たちがあやしむのも聞かずに、キジの羽をむしり始める。キジは苦しがってばたばたし、目からは血の涙を流しているのに、定基はいっこうにやめる気配もなく、面白がって笑みさえ浮かべる始末であった。羽をむしりおわるや、今度は刀でキジの肉を下ろしにかかる。血がつぷつぷと噴き出し、切れ味が鈍った刀を度々ぬぐいながら下ろしていくと、とうとうキジは断末魔の声をあげて絶命する。定基がこれを煎り焼きにするよう命じると、郎党たちは主の歓心を買おうとして、死んだキジを下ろして食うよりもずっといい味だ、と調子を合わせる。
 ところがどうだろう。郎党たちの予想にたがい、定基はやおら目から大粒の涙をこぼし、声をあげておめきだす。呆気にとられた郎党たちを尻目に、定基はその日のうちに都にのぼり、髻(もとどり)を切って、出家したということだ。『今昔物語集』のコメントによれば、定基はいったん固めた出家の決意を、より確実なものにするため、あえてこのような「稀有ノ事」を行ったのだという。
 山野の獣や魚、鳥を捕らえて殺す罪深い所行に慙愧の念を生じ、にわかに出家遁世したという話なら、源満仲とか讃岐の源太夫の例を筆頭に、枚挙に暇がない 。満仲のような武者、源太夫のような猟師であれば、日ごろ積み重ねてきた殺生の数々に思い至り、その応報の恐ろしさに慄然とするのも無理はない。しかし定基の話には、自ら犯した罪業を深く悔やんで出家する、といったようなステレオタイプの遁世説話にはない凄みがある。都育ちの貴族であれば、自ら手を下して人を殺めたり、弓矢を用いて鳥や獣を狩ったりした経験がなくても不思議ではない。そうであれば尚のこと、鄙(ひな)の任国で動物を生きたまま下ろすという殺生の業を目の当たりにしたときの定基の驚愕は察するにあまりある。己の求めた愛欲のむなしさもさることながら、人間であれば誰しもが犯さねばならない殺生の現実を目前に突きつけられ、一見、自暴自棄とも思えるパフォーマンスを意図的に演じることによって、定基はわが身を俗世から強引に断ち切ったのであろうか。生きながらにキジを下ろして食うほどの「稀有ノ事」というのは、そうした定基の並々ならぬ決意の程を表していると考えられるだろう。
 では、都出身の貴族の目にそれほど奇異に映った三河国とは、どのようなところであったのか。
 そこで、律令制下の三河国の性格について、特に中央政府に対する貢納品のありかたを概観すると、まず『延喜式』内膳司条には、節日の朝儀のための貢進物、すなわち節料を山城・大和をはじめとする諸国から献納させる規定が記されているが、そのうち三河国だけが特別扱いになっている。すなわち、山城・大和など他の諸国の貢進品目は「雑鮮味物」とされて品目に限定がないのに対し、三河国だけが「雉(キジ)」を進ずべきことと特定されているのである。三河のキジは朝廷にとって格別のブランド品目だと認められていた。
 またそのことは、『延喜式』の規定の別の部分からも傍証される。というのは、『延喜式』主計条に載せられる国別の中男作物の品目では、尾張・三河・信濃の三国に対して「雉腊(きじきたひ)」が課されているからである。節料のようなハレの日の貴顕の食べ物として生きたキジが賞味されていたばかりでなく、中央官人のための日常的な保存食品としての乾燥させたキジ肉が重用されており、それらいずれもの特産品として三河国は際立った地位にあったのである。
 また一方、中央政府への貢進品のうちで鹿が特別の意味を持っていたことはすでに指摘されている通りだが、そうした鹿の加工品の一つである鹿皮の納入数量において、三河は武蔵・上野と並んで第一位を占めている 。三河地方の特産品は、中央の神祇祭祀になくてはならないものであった。総じて三河地方は、古代社会において、とりわけ律令国家による収税品目の中で格別に珍重されていた鳥獣の豊富な生息地域・捕獲地域として、抜きん出た役割を負っていたことがわかる。

第二項 猿神・猟師とイケニヘ
 三河国の風祭で猪を生けながらに下ろす行為について、『今昔物語集』作者はそれをイケニヘとは呼ばなかった。しかし、「生贄」の語を使用して語る他の説話がないわけではない。というより、むしろイケニヘなることばは『今昔物語集』において初めて明示的なしかたで使用され、その後の方向を決定付けるほどの力を持ったと見るべきだろう。
 そこで次に、日本におけるイケニヘ説話の典型例としてしばしば引用されてきた巻26第7話「美作ノ国ノ神、猟師ノ謀ニ依リテ生贄ヲ止メタル語(コト)」、イケニヘをめぐっての猿神と猟師の闘いの話を見てみる。
 今は昔、ところは美作の国の中参神社(『延喜式』神名の中山神社にあたる )の猿神をめぐっての話である。この神は毎年一度、祀りのときに国内の未婚の娘を生贄として供える事を要求し、里人たちはこの掟をずっと守り続けてきた。ある年、例のごとくに16、7ばかりの娘が生贄に指定され、翌年の祀りに向けて一年の間養い育てることとなったが、月日が過ぎるほどに父母の嘆きはいや増すばかりであった。
 そこに、東国からある猟師がやってきた。多くの犬を引き連れて山に入っては猪や鹿を捕ることを職業とし、心は猛々しく、何かを恐れるということのない男であった。そして、偶然この男は生贄の娘を見初め、事情を親たちから聞きだすと、どうせ死ぬと決まった娘ならいっそ自分にその命を預けてみよ、と男は両親を口説き落とし、とうとう娘を妻としてもらいうけてしまった。男は自分が身代わりになって生贄になる計画を妻に打ち明け、そのとき猿神と闘わせるために、自分の飼い犬を訓練した。
 さて、いよいよ祀りの当日、宮司と里人たちが長櫃(ながびつ)を持って迎えに来ると、男は狩衣と袴を着けただけで刀をたずさえ、二匹の犬を脇に伏せて、長櫃に入った。鉾・榊・鈴・鏡などをささげた行列と共に、男を入れた長櫃を神社の瑞籬(みずがき)の内に運び入れると、櫃を結わえた緒を切って宮司らは外に去って息をひそめて控えていた。一方、男が長櫃の隙間からのぞいて見ると、7、8尺はあろうかという大猿が100匹ほどの猿を左右に従えつつ、歯をむき出し、顔を真っ赤にして吠え立てている。しかもその前には、俎と大きな刀が置かれているばかりか、酢、塩、酒などまでが準備されていて、まるで人が鹿などを下ろして食おうとしているのと変わらぬ有様であった。
 しばらくたって、大猿が長櫃の蓋を開けようとするやいなや、男は躍り出て2匹の犬に「食らいつけ!おれおれ!」とけしかけ、犬に咬みつかれた大猿に自らも刀を突きつけて俎の上に引き据え、「お前が人を殺してその肉を食らってきたように、今度はお前の肉をこの犬どもに食らわしてやる」と脅す。猿は涙を流し手を擦って命乞いするが、男は断じて聞き入れず、犬どもは他の猿をおおかた食い殺してしまい、木に登り山に隠れて助かった猿は数えるばかりだった。
 そうこうするうちに、外に控えていた宮司に猿神の霊が憑(よ)りつき、今後はいっさい生贄を取るのを止めるから自分を助けてくれ」と助命を申し出る。このことは即座に男に伝えられたが、男はいっこうに取り合わず、頑なに助命を拒んでいたものの、ついには折れ、こののち決してこのような所行は許さぬと猿神に厳命した上で、山に逃がしてやったのである。またこのあと、男と女は末永く夫婦として暮らし、猿神は生贄を取ることもなくなり、国は平穏になったという。
 この話には、イケニヘ譚を構成する必須要件の数々が提示されている。
 まず、イケニヘを取る神は、人里離れた山奥に祀られている蛇神や猿神のような、『今昔物語集』作者からは邪神と評価される存在であり、年毎の祀りの折に彼らは定期的にイケニヘを要求する。しかもそのイケニヘに指定されるのは、そこに住む未婚の処女に限られる 。そして、もし神の要求を容れないなら、村には途方もない災いが起こるため、里人はやむなくイケニヘを出し続けている。あるとき旅人がこの村を訪れ、自らがイケニヘの身代わりとなってこの悪習を断とうと申し出る。この旅人は、猟師であったり僧であったりというように、特別の技量の持ち主であるか、霊的な力の所有者であることが多い。そのような異能を駆使して彼らは邪神との闘いに勝利し、以後イケニヘを取ることを止めさせた上、イケニヘになるべきところを助けられた娘と結婚して、その土地で末永く暮らすことになる。
 以上のような要素が、イケニヘ譚を構成している。そして、『古事記』に語られるスサノヲのヤマタノヲロチ退治の話に始まって、このような類型的なイケニヘ譚は、各種の説話集にとどまらず、寺社縁起、御伽草子、説経節など、多くのジャンルにおいて取り上げられ、再生産されてきた 。また、全国各地で採集される口承の昔話としては、これらの類話がいわゆる本格昔話のうちの「愚かな動物」型に属するものとされている 。例えば、昔話における猿神退治は、竹箆(しっぺい)太郎の場合のように、猿神には特定の犬に弱いなどの弱点があって、それを旅人などに盗み聞きされて退治されてしまうという筋書きを共有している。ちなみに、上井久義はここから、村落祭祀における巫女の役割の消滅と、それに代わる当屋制祭祀の成立を指摘している が、ここではこれ以上立ち入らない。

第四節 『今昔物語集』の民衆へのまなざし
 品田 は本朝世俗部の各説話における主人公の身分に注目し、主人公の身分によって自然観が異なっていることを述べた。すなわち、上流貴族は、花鳥風月を愛でる審美性があり、和歌を詠み、動物が極端に苦手な人物も描かれる。下級貴族から武士身分は、強欲であったり、むやみな殺生を行ったり、横領をしたり、残酷なことを好む。庶民および僧 については、報恩譚が多く、「真実を見極め、生き延びようとする勇気と判断力への高い評価」(降ってくる災難に安易に屈服しない賢さや勇敢さの評価)が見られ、動物の観察から教訓を引き出すこともあり、土地を開発することもある。
 この分析視角に加えて述べたい点として、動物が苦手な上流貴族には前世の因縁が説話中で示唆されている点がある(猫を怖がるのは前世において鼠だったからであろうか、など)。このような説話は、現世で報いがあると説く『日本霊異記』では、借金を返さずに死んだり強欲であったりして、報いのため来世で牛になる説話を除き、見られなかったものである。
 また2点目として、上流貴族においては、当時著名であった歴史上の人物が主人公の場合、殺生が悪果を招かない場合がある(遠くから狐を射ることが出来るとは、やはりたいした人物だ、など)。このように仏教的解釈に完全に統一されておらず、世俗的解釈がなされた説話も混じるところも『今昔物語集』の魅力とされる。
 3点目として、品田の分析から下級貴族や武士の説話中の評価は低いと言えそうである。巻27第13話にも、つまらない張り合いをして鬼に食い殺される従者の話がある。食い殺されたのは、従者が鬼よりも賢くなかったからであるともいえる。このように「強欲で愚か」という下級貴族・武士像は、鬼の説話を含めても矛盾がないと考えるため、「自然観」には鬼への態度も含まれると考えるのである。鬼・物の怪・霊は、彼らにとって騙し騙されるという関わり方であり、神仏観(例えば三宝を敬わなければ報いを受ける)とは違う位置づけの存在だったのではないか。鬼に対してでさえ、賢くなければ生き残れないということを、説話は説いている。
 4点目として、山野河海、家畜、野生、自然現象が説話の中で取り上げられたとしても、主人公の身分によって異なる扱われ方をするという点を、品田は明らかにしている。庶民および僧であれば、家畜や野生の観察は、理・習いや称賛・軽蔑という結論になる。つまり、家畜や野生の観察から教訓を得る。このようになるのは、庶民および僧が「賢い」存在として描写されているからである。もちろん、称賛を受ける家畜や野生も「賢い」行いを説話の中で庶民に見せている。一方、上流貴族は和歌を詠んで花鳥風月を愛でるという展開になる。このような説話では、和歌を詠んで感傷に浸る貴族の様子は描写されても、それが庶民のように教訓へと繋がっていくことは無い。この点で言えば、「賢さ」とは上流貴族というよりも庶民のものである。

第五節 『今昔物語集』と民衆の自然観
 以上見てきたことから、8,9世紀から神仏習合の一形態として存在していた御霊信仰は、『今昔物語集』においては悪霊の存在を示唆する程度にとどめられている。それは、「公」が掲げるところの仏法の顕揚という目的のもとに、そのような必要が生じてきたのだと考えられるだろう。
 この作為的な記述方法は、御霊信仰だけではなく、蛇を筆頭とした既存の聖性をおびた存在についての記述にも影響する。『今昔物語集』では、『日本霊異記』ではまだかろうじて聖性を保っていた蛇神が、さらに忌まわしい動物へと零落していく。巻28第32話では、輪廻転生説に基づいて、蛇を怖がる人の前世は、きっとカエルなのだとする。これは、それ以外の人はもはや、蛇などを恐れないのだということを、宣言している。また、巻29第32話では、蛇は、猟師のように技能を持った人に退治される存在になる。加えて、一度は「鬼にやあらむ」と思ったものの正体を、野猪だと見破る賢さと、それを暗闇で退治する勇気も『今昔物語集』では賞賛される。
 これらのことから、『今昔物語集』における民衆の自然観とは、従来自然に対して認めていた聖性を部分的に認めなくなり、私度僧の機転(或いは、僧とは仏法をともなった存在で、その仏法のはたらきの一つに知恵があると考えられているのかも知れない。)と猟師の賢さ、勇気などにより克服可能なものとする民衆の態度ではなかったかと考える。そして、イケニヘをとっていた猿神は、かつての民衆が聖性を認めていた対象、あるいは民衆の間で了解されていた伝統・慣習と置き換えられる。つまり、まず賢さと勇気、私度僧はそれらに加えて仏法を、猟師は加えて特殊な技能を象徴しており、それらを用いて民衆は、聖性を失った自然、自分たちが手を伸ばすことのなかった自然を、あたかも「悪習を断つ」のだという描写で克服するのである。

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