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第四章「瑞穂国日本」の虚像

最終更新:2011年09月02日 13:45

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第四章「瑞穂国日本」の虚像

1 「日本は農業社会」という常識
●教科書も研究者も
「日本国」が弥生時代に列島に伝えられた水田稲作を基礎とする稲作民の国家であることは、歴史書『古事記』『日本書紀』に「豊葦原千五百秋瑞穂国」「水穂国」といわれている点から見てもあきらか、とされてきた。研究においても、現在使用されている中学、高校の日本史に関わる教科書の記述も、基本的にはこの「常識」を根底においている。

●壬申戸籍の職業別人口統計
 このような常識は政府の公式統計によって裏づけられているように見える。明治5年(1872)に作成された壬申戸籍では、「農」78%、「工」4%、「商」7%、「雑業」9%、「雇人」2%。この結果は「全産業にしめる農業の圧倒的地位」を示しているようだが、はたして本当にそういえるのか。

●愛媛県二神島の「農」の実態
 農地はきわめて少なく山がちな瀬戸内の小島・二神島の島民は、壬申戸籍によると、全員が農民から成り立っている島ということになっている(明治11年(1878)に編纂された「伊予国風早郡地誌」によると、二神島の1戸平均田畑は4反4畝。127戸の内訳は農100戸、漁猟27戸)。が、一方でこの島には計108艘の船があるとされており、とうてい、約80%が農民の島とは考えられない。職業別統計は必ずしも実態を反映していない。

●山梨県は「農業県」か
 壬申戸籍の職業別統計がいかに実態からかけはなれているかを示す事例をもう一つ。明治7年(1874)、山梨県令が大久保利通宛に出した公式の集計表では、盆地と山からなる山梨県には、農民が90%近くいることになる。しかも最も田畑が少なく、山と川とごくわずかの耕地しかない都留郡の「農」の人口率は95%近い。貧村を想像するが、実態はまったく異なる。都留郡には甲州道中の宿が発達し、吉田、河口など富士参詣に関わる御師(祈願の仲立ちをする職能民)の集住する都市が形成されていた。中世後期からすでに農産物を購入する著しく都市的な性格の強い地域であったのだ。

●明治政府による「士農工商」の「創出」
なぜ、このようなまったく偏った職業別人口統計を政府が公式に作成することになったのか。理由は、明治政府がそれまでの町人・百姓という身分用語を否定して、これを「平民」とする一方で、百姓・水呑などをすべて「農」とし、町人を「工」「商」に区分して、まったくの「虚像」としての「士農工商」の職業区分を「創出」したことによる。

2 「百姓=農民」という思いこみ
●教育現場でも研究書でも
 百姓が農民であることは、少なくとも1990年代までは、まったく疑問の余地のない理解として、教科書は編纂されていた。ただごく最近、百姓の中には漁業や林業に携わるものもいると記述しているものもある。また、敗戦後の前近代史の研究において、基準的な仕事をした研究者の著書では、「百姓=農民」という定式がほぼ自明の前提として議論の根底におかれていた。
 しかし「百姓」の漢字には、本来、「農」の意味は含まれていない。どの漢和辞典を引いても「百姓」は「多くの役人」「多くの民」「庶民」「人民」と解されており、これを「農」とするのは、日本の解釈である(中国、韓国でも百姓という語は使われるが、必ずしも農民とは解さない)。
 壬申戸籍の「農」の実態が「農民」ではなかったように、江戸時代までの「百姓」はけっして農民だけでなく、きわめて多様な生業を営む人々が含まれていたのである。

●「百姓」の中には富裕な商人・廻船人もいた
船商売を専らとする「百姓」もいる。また、田畑を持たない「頭振」「水呑」はけっしてそのすべてが貧しい農民などではなく、その中には田畑をまったく持つ必要のないきわめて裕福な商人、職人、廻船人も少なからずいた。
『奥能登時国家文書』によると、農奴主経営を行う豪農の典型とされてきた時国家が、じつは元和4年(1618)に松前まで行って昆布を買い付け、京都・大坂に運んで売却する廻船交易を行う一方、広大な塩浜を経営して交易し、さらに鉛山の開発を申請もしていた。また、富裕であり、柴草屋という屋号を持ち、港に根拠を持つ廻船商人は、なんと「水呑」に位置づけられている。

●したたかな「百姓」の駆引と誇張
 「貧苦」に苦しむ「百姓」らしくみえる願書は、じつは十分に計算されたうえでの訴えだったのかもしれない。願書を読むときは、それが「此三四年打続餓死及人民共難儀仕候」という手習い本の文例にあわせて書かれたものであることを計算にいれる必要がある。

●サハリンまでいった「下人」の船頭
時国家の下人の多くは船頭、水主から製塩、牛馬飼育、石工、大工、鍛冶、桶結など、多様な職能を持つ人々で、「多角的な企業家」ともいうべき時国家の経営に即して「雇用」された人々であった。高校教科書で「本百姓の家に隷属する下人」「私的な隷属農民」などとされてきた下人・名子・被官についても、根本的に再検討する必要がある。

●「頭振」の中には豊かな都市民がいる
 「頭振」が30%以上の村々はすべて海辺にあり(例えば輪島では71%に達している)、ここに姿を現わす村々の船は日本各地の客船帳に見出すことができる。この村々は、行政的には「村」と扱われているが、農村ではなく、小都市と見るべきであり、「頭振」の多くは土地を持つ必要のない豊かな都市民であったと見てよい。輪島は漆器と素麺の町として、百姓にも頭振にもその関係の職人・商人が多く、富裕な船問屋も見え、そのほか都市を構成する諸商売が大部分を占める。「農人」は皆無。

●「水呑」の多い港町
 「百姓の中には農民が圧倒的に多いのだから事態にはなんの変化もない」「奥能登は例外」だろうか。能登半島のように、海に囲まれ、山がちで平野の少ない地形は、紀伊半島をはじめとする日本列島の多くの半島や島々に共通する。また、潟や海の埋立て、開発の進んだ江戸後期以降はともあれ、それ以前の列島の社会が、海、湖、潟、河川、そして山地に依存していたことは間違いない。
それでも「水呑」「頭振」の語がマイナス評価を含んでいるのは、江戸時代の石高中心の制度「農本主義」が作用していると考えられる。

●農業の社会的比重の実像
 天保13年(1842)、毛利家が編幕した地誌『防長風土注進案』には、「百姓」「門男」それぞれに、農人をはじめ多様な生業の人々を記していることは、江戸時代の制度が「百姓=農民」「水呑=貧農」などではなかったことを示している。
では近世、農業の比重はどのくらいだったのか。周防国大島郡では、百姓・門男の76.6%が「農人」となる。やはり「農人」の比重は高いということもできるが、すべての人口(侍、町人、僧侶、神官・医師、さらに被差別民)も入れると「農人」の比率は約60%となり、圧倒的な比重を占めるとはいえない。また、「農間稼」に位置づけられた生業の比重はけっして小さくない。養蚕、薪・炭などの山稼、煙草や葡萄・梨子の方が主な生業で、穀物を生産する狭義の農業がむしろ副業である場合もけっして少なくない。このように考えると、江戸時代の「農人」の生活の中から「農間稼」の部分を除くと、狭義の農業の比重はまちがいなく40%台になる。

●古代・中世の百姓とその生業
 律令制の中で、「百姓」の語は王臣、官人、郡司あるいは浪人などと区別され、語義通りに用いられており、これとは別に「農人」「農夫」などが多く見出され、「農民」の用例は少ない。延喜2年(902)の御厨整理令で「山河池沼」を「禁制」されることによって「生産の便を失う」といわれた「百姓」は「農人」などではなく、海民、山民等の人々だった。
 中世の「百姓」もまた、その語義通りに用いられており、けっして「農民」を意味する語ではなかったが、その生業の実態は古代や近世と同様にさまざまであったことは、前述した百姓の負担した荘園の年貢の多種多様な品目から見ても明らか(「諸国荘園年貢表」)。

●「農本主義」の立場に立つ国家
古代・中世・近世を通じて、少なくとも公的な制度の上では、「百姓」は文字通り「ふつうの人」であり、さまざまな生業を営む人々を多く含み、農業の比重も圧倒的ではなかった。にもかかわらず、なぜ現在の日本では、百姓を農民と解するのが「常識」として通用しているのか。
 その出発点は「日本国」の成立そのものに遡る。「瑞穂国」を理想とする「農本主義」に立つこの国家は、水田を6歳以上の全人民に与え、すべての人々を租税負担にたえうる「農民」にしようとした(班田収授法)。この制度は後に変質したものの、水田を課税の基準とする体制は維持され、中世の荘園公領制にまでうけつがれていった。それゆえ、荘園・公領の支配者も「百姓」を「農民」と扱おうとする「農本主義」的な志向を持っていた。
おのずと農業以外の生業に携わる人々、山野河海を生活の主な舞台とする海民・山民や商業・流通・金融に携わる人々、また僧侶などは公的な制度の外におかれた。しかし古代でも、海民・山民からの天皇への賛・菓子の貢献が行われており、こうした人々を社会的に排除、疎外することはなかった。

●「田畠を持たないもの」―「在家人」とその評価
13世紀に入ると「段歩の田畠」も保持していない、屋敷のみを持つ百姓・「在家人」が、マイナスの評価を受けはじめる。在家人は決して貧しい者ばかりではなく、商業・金融など流通に関わる都市的な生業で、むしろきわめて裕福である場合がひろく見られた。

●いつ、「百姓」は「農民」と見られたか
14、15世紀には、田畠を持たず都市的な生業を営む人々の立場からの、「重商主義」的ともいうべき主張は、強力な社会的基盤を背景として社会に大きな影響を与えており、ときに「農本主義」を圧倒し、「農人」や「田作り」をいやしめ、嫌う風潮も見られた(『三十二番職人歌合』など)。
しかし、16世紀末には「百姓=農民」という常識が広まり始める。この時代の土地・租税制度が、貨幣としての米を価値基準とする課税方式、「石高制」を採用しており、そこにはたとまえとしての「農本主義」が貫徹されていた。この「農本主義」は儒者などの言説を通じて社会に浸透し、百姓と農民は同じという見方が通俗の「常識」として広がっていった。

3 山野と樹木の文化
●三内丸山遺跡の衝撃
青森県三内丸山遺跡や富山県桜町遺跡は、縄文の社会がまさしく高度な樹木の文化に支えられていたことを示す。日本の文化が山野の樹木にどれほど大きく依存してきたか。

●栗の栽培と栗林の造林
 縄文時代から、古代・中世まで栗の造林(栗栖(くるす))は一貫して行われていた。平安後期から鎌倉期にかけて、「栗林」が文書に多く見出されるようになる。注意すべきは桑・漆・柿が本数で数えられているのに対し、栗林だけが田畠と同様、面積を検注されている点である。この栗林は果実の採取のためだけに造林されたのではなく、建築用材を供給するために植えられたのである。

●百姓の住居の建築
鎌倉時代初期の文献によると、材木・檜皮(ひわだ)を年貢とする百姓たちには少なくとも「草屋(草ぶきの家)」を建築することができた。また百姓たちが「大湯屋(公衆浴場)」を造った事実もある。

●燃料としての薪・木炭
樹木は建築用材としてだけでなく、その樹皮は編物として加工され、薪・炭の形で燃料として用いられてきた。また、焼物、塩の生産、金属(鉄)の精錬には大量の薪・炭が必要とされたため、西国でも東国でも山地には多くの炭窯が作られ、同時に争いの対象にもなった。

●材木輸送路としての河川
造寺造都の用材をはじめ、都市の発達とともに、各地の山々で、林業が巨大な産業として発展をとげていったことは間違いない。12世紀頃、材木の輸送路としての河川が使われるようになり、筏師、木守などの職能民の集団が形成され、同時に河手・津料の賦課・徴収もさかんに行われるようになる。

●柿と漆
仁安2年(1167)の最も公的な文書「公験」に、田畠、栗林、桑とともに柿があげられている。柿が公的な検注の対象となった理由として果実のほかに柿渋の収取があったことが考えられる。柿渋の用途は、酒・酢の製造、毒流し漁法、漁網や衣、紙や傘の染め、薬用など多岐にわたる。また、三内丸山遺跡をはじめとする縄文時代の遺跡からは多くの、高度な技術によって作られた漆器が発掘されており、東北、関東、北海道のアイヌ社会の日常生活のなかで広く使われていたことを示す。しかし、これらは未だ調査されていない。

●桑と養蚕と女性
 「養蚕」は「農家」の副業にすぎないという見方が「常識」となっているが、これは江戸時代の石高制の下での偏見である。女性が養蚕、繭、糸を生産し、それを販売するまでを独自に行っているのであるが、その役割が隠されていく。明治以降では製糸労働者の地位はさらに下がる。

■考察
 明治大正期の農本主義、そして近年の新農本主義(農業見直し論)の前提とする「瑞穂国日本」というイメージ(日本文化の基底には稲作文化があり、稲作は、日本文化を創るのに重要な役割(景観形成機能)を果たしている)を再検討すると、各論はどのように改変できるか。

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