■環境倫理学はなぜ風土に着目するか?
欧米のEnvironmental ethicsの導入によって90年代に日本の環境倫理学は始まったが、原生自然への不介入、日本型自然観の空疎な礼賛など問題点も多かった。
ex) 概念が誤解されたケースもある。例えば日本では「アマミノクロウサギ訴訟」が自然物の固有の生存権「自然の権利」を求めた運動として有名であるが、その一方で「諫早湾のムツゴロウ訴訟」では“漁業の対象である(=生存権が認められていない)”ムツゴロウが原告とされている。
そのため里山をイメージした人間と自然との共生が目指されるようになった。また、自然中心主義/人間中心主義の二者択一論の不毛さから人間と自然の“関わり”の現場としての地域の風土へ着目するようになった。地域の風土はローカルな地域・社会・歴史・文化に焦点が当てられる。
どこでもケヤキの街路樹があり、公園・川・海が立ち入り禁止になっている、緑化・自然保護の単一化、「絵画化」は有意すべき問題点だ。それらはある地域の自然全体との調和を欠き、ある地域に住む人々との身体的関わりを失っている。地域の個別性を見出すには郷土史などを探る必要もある。だが、土地の歴史・個別性・風格といった要素はなにを共通了解にすればいいのかが新しい問題としてある。(ex.京都駅)
欧米のEnvironmental ethicsの導入によって90年代に日本の環境倫理学は始まったが、原生自然への不介入、日本型自然観の空疎な礼賛など問題点も多かった。
ex) 概念が誤解されたケースもある。例えば日本では「アマミノクロウサギ訴訟」が自然物の固有の生存権「自然の権利」を求めた運動として有名であるが、その一方で「諫早湾のムツゴロウ訴訟」では“漁業の対象である(=生存権が認められていない)”ムツゴロウが原告とされている。
そのため里山をイメージした人間と自然との共生が目指されるようになった。また、自然中心主義/人間中心主義の二者択一論の不毛さから人間と自然の“関わり”の現場としての地域の風土へ着目するようになった。地域の風土はローカルな地域・社会・歴史・文化に焦点が当てられる。
どこでもケヤキの街路樹があり、公園・川・海が立ち入り禁止になっている、緑化・自然保護の単一化、「絵画化」は有意すべき問題点だ。それらはある地域の自然全体との調和を欠き、ある地域に住む人々との身体的関わりを失っている。地域の個別性を見出すには郷土史などを探る必要もある。だが、土地の歴史・個別性・風格といった要素はなにを共通了解にすればいいのかが新しい問題としてある。(ex.京都駅)
■風土とはそもそも何か?
「風土」という語は、曖昧さと雑多さのイメージを帯びているため、その保全にあたっては多義にわたる用法の総合的理解と概念の再構築が求められる。
風土とは客観的な自然条件なのか? それでは、保全を言う意味がない。風土とは伝統社会・文化なのか? 歴史建造物や遺跡保護が、環境保護と言えるだろうか。風土とは民族精神、あるいは国民性なのか? 日本民族風土の保全とはナショナリズムとさして違わない。
風土の再構築にあたり、参照点となるのが、和辻哲郎『風土』(1935)である。風土を人間存在そのものと見なす和辻は「土地」を軸として風土の多様なイメージと三要素を包括した。しかし、和辻の風土論には問題点も多い。風土を空間・行為に現れるある地域特有の「人間の在り方」であると考察するFeuerbach(1804-1872)、Heidegger(1889-1976)らの議論と合わせて検討することが必要である。自分とは、ある地域において何を食べどう住まい、どう人々と関わっているかである。風土を知ることは、地域に住まう人々(自分たち)を知ることになる。
「風土」という語は、曖昧さと雑多さのイメージを帯びているため、その保全にあたっては多義にわたる用法の総合的理解と概念の再構築が求められる。
風土とは客観的な自然条件なのか? それでは、保全を言う意味がない。風土とは伝統社会・文化なのか? 歴史建造物や遺跡保護が、環境保護と言えるだろうか。風土とは民族精神、あるいは国民性なのか? 日本民族風土の保全とはナショナリズムとさして違わない。
風土の再構築にあたり、参照点となるのが、和辻哲郎『風土』(1935)である。風土を人間存在そのものと見なす和辻は「土地」を軸として風土の多様なイメージと三要素を包括した。しかし、和辻の風土論には問題点も多い。風土を空間・行為に現れるある地域特有の「人間の在り方」であると考察するFeuerbach(1804-1872)、Heidegger(1889-1976)らの議論と合わせて検討することが必要である。自分とは、ある地域において何を食べどう住まい、どう人々と関わっているかである。風土を知ることは、地域に住まう人々(自分たち)を知ることになる。
■風土の構造をどう見るか?
ある地域において風土が成り立つには三つの契機が要る。つまり、a.生活的自然、b.共同開発・文化、c.身体的関わりである。典型的なものとして近代以前の農山村があげられる。
風土の喪失・解体とは、この三契機が失われた状態を指す。特に、都市型消費のライフスタイルの全面的な浸透は「切り身の思考」となり、ある生活とある土地とを切断した。
いま、風土的環境倫理の公理は以下のようにまとめることができる。
1) 地域においては生活的自然がなくてはならない。
2) 自然との関わりに共同関係がなくてはならない。
3) (2)においては人間の身体的関わりと、地域の生態系との調和がとれていなければならない。
地域の自然は風土における自然であり、地域の開発保全は、その地域の風土を逸脱すべきではない。(「風土性の原則」)
地域の風土は直接には在住民の感覚に依るところが大きいため、風土の記述・理解の促進を豊富にするためにいくつかの焦点を設定することが求められる。各焦点はある土地柄を示唆するが、ある土地についての全焦点を記述することは困難である。そこで「関係性の次元(縦軸)」、「俯瞰の次元(横軸)」をあらかじめ仮定し、その代表的な焦点からある地域の風土を特徴づける。焦点のチャートは以下の通り。
ある地域において風土が成り立つには三つの契機が要る。つまり、a.生活的自然、b.共同開発・文化、c.身体的関わりである。典型的なものとして近代以前の農山村があげられる。
風土の喪失・解体とは、この三契機が失われた状態を指す。特に、都市型消費のライフスタイルの全面的な浸透は「切り身の思考」となり、ある生活とある土地とを切断した。
いま、風土的環境倫理の公理は以下のようにまとめることができる。
1) 地域においては生活的自然がなくてはならない。
2) 自然との関わりに共同関係がなくてはならない。
3) (2)においては人間の身体的関わりと、地域の生態系との調和がとれていなければならない。
地域の自然は風土における自然であり、地域の開発保全は、その地域の風土を逸脱すべきではない。(「風土性の原則」)
地域の風土は直接には在住民の感覚に依るところが大きいため、風土の記述・理解の促進を豊富にするためにいくつかの焦点を設定することが求められる。各焦点はある土地柄を示唆するが、ある土地についての全焦点を記述することは困難である。そこで「関係性の次元(縦軸)」、「俯瞰の次元(横軸)」をあらかじめ仮定し、その代表的な焦点からある地域の風土を特徴づける。焦点のチャートは以下の通り。
| 生活様式(伝統) | 空間(景観) | 時間(歴史) | |
| 技術的関わり | 稲作・工芸 | 棚田 | 伝統技法 |
| 象徴的関わり | 供儀・祭り・芸能 | 寺社・結界 | 神話・伝承 |
| 社会的関わり | 結・寄り合い | 会所・入会・橋・集落 | 礼儀作法・挨拶・方言 |
