序章
1章 問題関心、水俣
1節 水俣をいま問う意味(原発)
1節 水俣をいま問う意味(原発)
フクシマと水俣の比較だけでも大変
2節 水俣から何を学べて凝れなかったのか(水俣研究の整理)
水俣の先行研究多すぎる
2章 リスク、責任概念について
1節 リスク
2節 責任
1節 リスク
2節 責任
果たして問題はリスクや責任なのか?責任概念は虚構性に満ちている
3章 現代のリスク社会論
1節 リスク社会論としての水俣
1節 リスク社会論としての水俣
リスク社会論の文脈で水俣を捉えるのは無理がある気がする
2節 リスクの私事化論(ベック、ギデンズ)
ネオリベちっく。個人で負えるものには限界がある。真の責任のありかを不明確にしてしまう
3節 システム理論(ルーマン、パーソンズ?)
個人が責任を負わなくていいようなシステム
4節 ハーバマスとリスクコミュニケーション
コミュニケーションに参加できない人の存在。理想的発話状況なんて無理じゃない? リスクコミュニケーションは、ベックのサブ政治化の文脈に組み込める故に2節へ?
5節 これまでの社会理論が見逃してきたこと(上記理論の整理、批判)
4章 自己責任について
1節 真の自己責任とは(1章+2章5節から)
2節 真の自己責任を受け入れるとは何か
1節 真の自己責任とは(1章+2章5節から)
2節 真の自己責任を受け入れるとは何か
先生:主流派自己責任論との区別をしっかり。たぶん、「自己」の違いが鍵=ひとりひとり
終章
そのほか喋ったこと
- 水俣、フクシマ、上関→単に中央が押し付けているという図式では理解できない
=むしろ、求めているという現状
リスク=悪という考えでは不十分=ルーマンの言うリスク/危険という区別では不十分
リスク=悪という考えでは不十分=ルーマンの言うリスク/危険という区別では不十分
- なぜ地方は進歩史観を羨望しなければならないのか、そこへの問いが必要
=リスク社会論よりももっと根本的な問題。歴史をしっかり踏まえないとダメ
→なぜ僕らは成長を求めるのか、なぜ僕らは都市化を求めるのか、なぜ僕らは発展を求めるのか
=未完のプロジェクトは完成させない!!!!!
※風土性のない空間になぜ憧れるのか、アジールと関係?
→なぜ僕らは成長を求めるのか、なぜ僕らは都市化を求めるのか、なぜ僕らは発展を求めるのか
=未完のプロジェクトは完成させない!!!!!
※風土性のない空間になぜ憧れるのか、アジールと関係?
増田さん:進歩史観とは何か、はあまり思想的に整理されていない
- 安全神話なんてあったのか=みんな、なんとなく嫌だな、と思っていただろ?
山崎さん:本当に神話だったのか(神話という認識はあったのか)
- チッソ、官僚、政治家もかつては一般人であった。これをどう説明するか。アプリオリに官僚や政治家がいるわけではない
- 責任概念と志向性
- なぜ、日本で?
- リスクの計算の仕方の変化(termの問題?)
- 便利さを求めるということと進歩の区別
- 予防原則批判もしたい
- 第三者のできることとは何か
