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  • 第二節 ゴータマの真言と賢治の〈まことのことば〉の結節

亀山ゼミwiki(非公式)

第二節 ゴータマの真言と賢治の〈まことのことば〉の結節

最終更新:2012年01月23日 14:38

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第二節 ゴータマの真言と賢治の〈まことのことば〉の連接
A)「春と修羅」と真実
 賢治の〈まことのことば〉は、ゴータマの真言の比喩としてあるのではなく、逆に〈まことのことば〉の教説として法華経を使用したのは、このように両者が自身を真実であると証言する論理の同形性に由来する。だが、ゴータマの真言は(彼が仏陀となったために)すでに解析されるべき実体-病ではなく、思念状の極点であり、いまだ終着に行き着くことのない賢治の〈まことのことば〉とは様相を異にしている。(ここで、ゴータマと賢治の真実はどちらが「より正しいか」という問いをたてるのは、「目の前のリンゴの色は赤いのか黄色いのか」と問うのと同じで、異質のものの相互の不確定なわずかの共通部分(「同じ一つのリンゴを見ているはずだ」)に限定された差異しか残らないだろう。)賢治とゴータマの真実はその基本的組成において異なるレベルに属しており、そのため理論的にも両者は絶対に結合できず、もし結合すればどちらかの理論の能力は不当に拡張され、理論(つまり、真実を与える現実的体験に基づき、検証されるもの)は破綻する。
 賢治が、たいていは戸外を早足で歩いてなされる詩作中に奇声をあげたり突然旋回しはじめるなどの奇行に及んだという証言は多い。『春と修羅』に収録された心象スケッチ群がそのように欠かれたものであることはほとんど思慮されていない稚拙な(それでいて奇妙に説得力のある)比喩からも明かだろう。
だが、「春と修羅」においては他作品とはやや事情が異なる。「春と修羅」には、第一稿にいたる着想を得た日付として「1922.4.8」との注記がある。四月八日は花祭り(釈迦が旧暦の四月八日に生まれたという伝承にもとづく祭り:灌仏会)であり、賢治にとって「春と修羅」の啓示が下った日付は象徴的な意味を強く帯びていたことは疑いえない。そもそも、心象スケッチ集『春と修羅』(1924.4)は賢治の生前に刊行された数少ない出版物であるが、彼はそれに続く作品集を同じ題名のもとに、つまり『春と修羅 第二集』『春と修羅 第三集』として続刊することを企図していたことから、“春と修羅”というタイトルには相当の思い入れがあったことが推察される。また、心象スケッチ集と銘打たれた『春と修羅』のなかで、とりわけ意図的な創作の度合の高い作品に付けられる「mental sketch modified」という副題があることからも、「春と修羅」が心象スケッチ集全体と関連性を持った戦略的なテキストであることがわかる。「春と修羅」の〈まことのことば〉に言及している部分をもとにして賢治がどのような戦略性のもとに書かれたのかを考察することは、賢治が法華経からどのように真実に対する態度を受け継ぎ、変更したかを考えるのに有効だろう。
だが、「春と修羅」の戦略性の考察に入る前に、まず賢治がその戦略によって作品をどのような様態へと最終的に錬成したのかを概観しよう。


B)「銀河鉄道の夜」の転回
 宮澤賢治の、彼自身によって《少年小説》と分類されていた四つの長編童話、「ポラーノの広場(1924,27-)」、「風の又三郎(1924-)」、「グスコーブドリの伝記(1931-32)」、「銀河鉄道の夜(1324,27-)」のあいだには、ある連関がもたらされていたことが指摘されている。(*1)賢治の〈まことのことば〉の幻想が時系列に沿って練り上げられていったとすれば、その表現は「グスコーブドリの伝記」で頂点に達するはずであるが、いまは「銀河鉄道の夜」を〈まことのことば〉の幻覚の精錬過程を追う仮の終着点として考えよう。というのも、「銀河鉄道の夜」の第四次稿を読むかぎり、そこには既述のような不可思議な現象、過去のテキストの不意の介入が横溢し、そこからすれば、むしろ「銀河鉄道の夜」が作品としての一貫性を保っていると一般に理解されている方が驚嘆すべきことに思われるからであり、この外在的な混乱と、冥府巡りというモチーフと科学的視点によって(かろうじて)もたらされる秩序は、対立しないどころか同値である。つまり、一つの終着-(観念への)執着に行き着くことない現実は、上昇/下降という代替不可能な転回を経て、無限の分節を目指す自然科学に近接する。(理論が最大限に分節されるならば、限られた演算能力しか持たない人間にとってそれは現実と同じになるだろう。)精緻な細部を、媒介物なしに直接的に伝達する〈まことのことば〉は、この混乱と秩序の漸近によってはじめて検証が可能となる。
 ここで「銀河鉄道の夜」の構造をよりよく知るために見田宗介の『宮沢賢治―存在の祭りのなかへ』(1987)を見てみよう。序章で見田は「銀河鉄道の夜」を上昇と下降という対概念をもとに論考している。『銀河鉄道の夜』は共同体の象徴である祭り(この作品はケンタウル祭りという星祭りの夜を舞台としている)に対して、①祭りの外、②祭りの軸、③祭りの中、という三つの部分を持っている。ジョバンニは①→②において銀河鉄道に乗って上昇し、遍歴したあと、②→③において下降する。この上昇と下降は単なる上下運動ではなく、〈世界〉の外から、〈世界〉の内にあることへと〈幻想の回路を通しての自己転回〉を果たす。(ここでの〈世界〉とは、私たちが一般に現実だと思いこんでいる世界すべて含んでしまっているような、「存在の地」のようなものである。)
 いま、世界の外/内と、〈世界〉の外/内という二つの軸をもとにして、四つの循環する象限を仮定することができる。それぞれの象限は、賢治の主題であった、自我の羞恥、焼身幻想、存在の祭り、地上の実践と結びつけられる。
           存在否定 〈世界〉の外                   
幻想形態  II:〈焼身幻想〉   I:〈自我の羞恥〉   現実形態
世界の外  III:〈存在の祭り〉 IV:〈地上の実践〉  世界の内
           存在肯定 〈世界〉の内
 この転回によって与えられた複数の主題は、ひとつの作品やあるいはひとつの生涯のなかで完結してしまうものではなく、解決しつくされているということはない。賢治の作品を転回によって与えられる自我という視点から捉えるにあたり以上の見田の論旨は重要である。だが、見田は幻想の回路を通しての自己転回が、「銀河鉄道の夜」のなかだけではなく賢治においても一度限り決定的なものであったという前提に立つ。本論はこの立場に立たない。つまり、賢治においては、彼に彼固有の自我を与える転回は、複数回訪れた(たとえ、その転回がじっさいには一度きりであっても、幾度もそれが起こったという感覚を帯びた)と推測する。この、複数の転回がもたらす複数の彼固有の自我こそが、「春と修羅 序」の「それぞれ新鮮な本体論」や保阪宛の書簡の分散する自己表現を比喩に留まらせない力となっている。
 保阪嘉内第二はyの国にあり、第三はzの国にあり。われもこの国にありと叫ばうか。わが友よ、かうも考へる。私の手紙と無茶苦茶である。このかなしみからどうしてそう整った本当の声が出やう。無茶苦茶な訳だ。しかしこの乱れたこゝろはふと青いたひらな野原を思ひふっとやすらかになる。あなたはこんな手紙を読まされて気の毒な人だ。その為に私は大分心持がよくなりました。みだれるな。みだれるな。さあ保阪さん。すべてのものは悪にあらず。善にもあらず。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。すべてはわれにして、われと云はるゝものにしてわれにはあらず総ておのおのなり。われはあきらかなる手足を有てるごとし。
(「[154](1919年8月20日前後)保阪嘉内あて」)

【追記】
 『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』では、序章においてやや唐突に「転回」という術語が使われる。とくにこの著書の核ともいえる「よだかの星」と焼身幻想を扱った第二章でも「転回」という語句は強調されて用いられる(*1)が、何の註釈もついていないことは不思議なことである。文脈から推測するかぎり、見田の「転回」は後期ハイデッガー(Martin Heidegger:1889 - 1976)における転回(kehre)を援用しているようだ。そこで、宮澤賢治をさらに理解するために、ハイデッガーの転回について概観しておこう。
後期ハイデッガーは「存在了解から存在生起へ」の転回を標語とする。それは『存在と時間』(1927)の前提である現存在としての人間が存在について何らかの意味で理解を持っているという観点(「存在了解」)が放棄され、むしろ、存在が自ずから現れてくる、生じてくるのだという観点(「存在生起」)がとられる。言い換えれば、「主体性-ヒューマニズム」から「反主体性-反ヒューマニズム」への反転であり、人間の意識の能動性の全否定であり、存在が現存在を絶対的に規定している感得の宣言でもあった。人間に内在的欲望、意識などはあり得ず、それらは圧倒的に存在のあり方、外的条件に対して受動的であるという認識は、サルトル的実存主義が掲揚する「人間は自由の刑に処されている」というアフォリズムを根底から否定する。(人間に自由な意識などはないからだ。)転回の後になされる存在への問いは、哲学のそれではなく詩的言語が相応しいとし、ハイデッガーはヘルダーリン、リルケの美学的解釈を通じて「存在」への回想を行う。


C)「グスコーブドリの伝記」の犠牲死
これに対し、「グスコーブドリの伝記」においては〈まことのことば〉は検討・解析されるべき実体ではなく、カルボナード火山島に残って自爆するブドリによって成就する「極点」となり、賢治の体験-転回はそこにおいて忘却される。つまり、「グスコーブドリの伝記」は〈まことのことば〉がここでいま検証されていく現場としてではなく、冷害の再発の阻止を通じて告知される場所となっているのである。(*3)要するに、「グスコーブドリの伝記」において〈まことのことば〉とは偶然としての転回ではなく、必然としての(自己犠牲的行為としての)存在様式となる。――こういった傾向は、賢治がこの作品を雑誌『児童文学』第二号に発表するに当たってのことだろうか? 事態はそう単純ではない。「グスコーブドリの伝記」の結末は戦後になって自己犠牲を過度に美化した内容であると批判的な評価が、映画監督・高畑勲をはじめとした複数の論者からなされているが、「銀河鉄道の夜」と「グスコーブドリの伝記」を読み比べたとき、自己犠牲的精神がどちらにおいて顕著に表されているかといえば前者の「銀河鉄道の夜」である。銀河鉄道の通過するイメージ群を分類するとすれば、ザネリの身代わりとなって水死したカムパネルラやタイタニック号の遭難事故、星座となる蠍などに表される犠牲死のカテゴリに属するものは多い。一方でブドリの周辺に見られる犠牲死は、彼の両親と、彼自身ほどであまり描かれない。批判される結末部分も淡々としており、ジョバンニのような宣言――「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんな幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」――もなされない。「グスコーブドリの伝記」の会話は以下のように強迫的な自己犠牲の宣言からは離れている。(*4)他にも犠牲死のモチーフは、実際に雑誌『児童文学』に発表された「グスコンブドリの伝記」から改稿される際に注意深く削られている。(*5) なぜ犠牲死のモチーフは削られたのだろうか?
 犠牲死という概念からすぐに連想されるのは「捨身飼虎図」で有名なゴータマの前世ジャータカの捨身布施である。ジャータカは飢えた親子の虎に我が身を与えるべく崖の上から墜死し、餓虎の餌食となる。この挿話がゴータマ-ジャータカとの想像的一体化を目指す者にとって強烈な印象を与えることは、四十年にも及ぶ観行での夢想を記録した『夢記』の著者、鎌倉時代の僧・明恵(1173-1232)の度重なる捨身の試みからも推測できる。捨身欲求、あるいは焼身欲求はゴータマ-ジャータカとの限りない近接の欲求でもある。では、そのような犠牲死のモチーフが表明されなくなったことはどういうことだろうか? これは、ゴータマと賢治の現実的体験の結節の失敗が賢治にとって明かになる過程と対応している。例えば、晩年に賢治は「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ。その大きな反動がきて病気になったのです」「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」と述懐しているが『グスコーブドリの伝記』の犠牲死のモチーフの除去との時期は重なっている。詳しくは次章で述べるとして、まずは「春と修羅」の考察に入ろう。

B)「銀河鉄道の夜」の転回
(*1)それはこれら(註:よだか)の〈死〉というものが、再生を前提するものであること、あたらしい存在の仕方へと向かうものであることをよく示している。これらの〈死〉とは、わたしたちの存在の仕方を変革するためのひとつの浄化、存在のカタルシスともいうべきものの象徴に他ならなかった。
 もちろん賢治はじっさいに転生を信じていたので、ほんものの「死」がこのような再生のための〈死〉でありうることを、考えていたということはある。けれどもそうであればこそ、賢治の〈焼身〉という観念の核が、虚無へと向かうものとは異質のものであることはあきらかであり、賢治が賢治の信仰を前提としてつかんだ思想の核のところを、わたしたちはわたしたちにとってなっとくできるかたちで、つかみとってこなければならないだけである。
 いずれにせよ、あの〈明晰な倫理〉――自己自身の存在の罪にたいする仮借なき認識というものが、ニヒリズムの方へではなく、もうひとつの生の方へとわたしたちをみちびくことがもしあるとすれば、それは自己消去――〈自己〉の消去――ということが、空無の闇を残すのではなく、あたらしい存在の光を点火する力をもつものであること、このような存在の転回ということをとおして、あの現在の鎖を解く道を見出しうるときだけであることはあきらかである。
見田宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(p.136-p.137)


C)「グスコーブドリの伝記」の犠牲死
(*1)『校本全集』第十二巻では、
長編(ポラン 風野 銀河 グスコ)
ポランの広場/銀河鉄道/風野又三郎/グス――伝記、下書直シ
というメモを賢治が歌稿の余白などに残したことがわかる。連関については、『ポラーノの広場』の終わる九月一日は、『風の又三郎』の始まる始業式と一致するなどの緩い構成にとどまるが、『銀河鉄道の夜』が漠然と『グスコーブドリの伝記』の先駆として構想されていたとの推測は可能である。詳しくは「《少年》とは誰か」天沢退二郎(『国文学』1978.2)を参照のこと。
(*2)
(*3)「グスコーブドリの伝記」にはその前身として「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」(1921頃)がある。賢治は後者のモチーフを利用しながらおよそ十年間にわたって改稿をつづける(その過渡的形態を示す『ペンネンノルデは今はいないよ』という創作メモが残されている)。その「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の主人公ネネムが「世界裁判長」であったことは示唆的である。つまり、あらかじめ定まっている法に基づいて裁く裁判長は、混乱のなかで自ら法を制定する者ではなく、ネネムは慢心によって転落する。
(*4)「『グスコーブドリの伝記』における改稿の問題」植田信子に詳しい。
(*5)
……(前略)……「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
……(中略)……それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。

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