3.新潟県巻町の住民投票は、なぜ〈成功〉といえるのか?―「構造的緊張の連鎖的転移」
3-1.リスクへの対応がリスクを重層的に深刻化させる現象
本発表が、巻町の住民投票の事例を〈成功〉した事例とみなす理由は、住民投票の結果、原発建設に反対という結果となり建設を中止に追い込んだことではない。そうではなく、原発建設をめぐる議論で地域が疲弊せずに済んだという点において、巻町を環境運動の〈成功〉事例とみなす。つまり、原発建設というリスクへの対応が、次のリスク(地域内で賛成/反対の対立が深刻化する等)を生み出し、そのリスクへの対応がまた別のリスクを生み出す(地域の住民間に不信感が広がりそれまでの反対派のフレーミングが失効する等)……、というメカニズムには陥らずに済んだことを重要視する。
船橋晴俊は、東北・上越新幹線建設問題を例に、「一つの問題を解決するための方策が新たな問題を生み出し、それを解決するためのつぎの方策がまた別の問題を生み出す」(船橋、一九八八:一八〇)ことで、事態が重層的に深刻になっていく現象を「構造的緊張の連鎖的転移」という概念でまとめた。この「連鎖」を考慮に入れると、公共事業が中止されればすべてが〈成功〉という話にならないことが了解できる 。環境正義論は、環境負荷(産業廃棄物など)が、社会的な周辺部(マイノリティ、貧困層の居住地域や、遠隔の過疎地など)に集中して見られることを指摘する。同時に、「リスクへの対応が、別のリスクを生み出して、事態を重層的に深刻化させていく」という流れも周辺部に多いことを、角一典は示唆している(角、二〇一〇)。
+ | 公共事業が中止されればすべてが〈成功〉という話にならない |
3-2.青森県六ヶ所村における、構造的緊張の連鎖的転移
例えば、青森県六ヶ所村の場合は、「戦後開拓の挫折→むつ製鉄の失敗→ビート栽培の失敗→新田開発の挫折→むつ小川原開発計画の失敗→核燃料サイクル施設の立地→放射性廃棄物の集中」という背景がある(鎌田、一九九一)。六ヶ所村に限らず、原発立地点の場合、「過疎化→原発の誘致→地域内で賛成/反対の対立が深刻化→原発が操業を開始→建設工事に伴う需要の終わり→人口減少→自治体の財政が原発頼りに→原発増設→放射性廃棄物が増える→中間貯蔵施設の建設」という、リスクの回避が実質的にリスクの深刻化に結び付く現象が多くみられる(長谷川、二〇〇三 開沼、二〇一一 他)。
ここで考えるべきは、どのようにリスクの連鎖的転移の進行を防ぐかであるが、一般的な法則性を見出すことは困難に思える。そのため、何がリスクの連鎖的転移の進行を促したのかについて、再び六ヶ所村の事例を検討する。
核燃反対運動の大きな曲がり角として、一九八六年夏の海域調査をあげることができる。海域調査は原発建設の手続きに必要で、漁協の同意がいるのであるが、海域調査の是非をめぐって、村内の三漁協の中で最大の泊漁協では、漁協と集落内を二分する激しい争いがおこった。阻止行動をめぐって反対の漁民が逮捕されたり、組合長が解任されたりなど、混乱が続き、結局、海域調査の実施以降、村民自身による原発への抗議運動は限られた少数者にとどまるようになってきた。同時に、漁協と集落の内部で推進派と反対派の確執・断絶が生まれることとなり、多面的に状況を判断する契機が失われた。推進派と反対派との間での合意形成を困難は、双方に膨大な紛争コストをもたらすこととなる。
さらに、一九八九年の村長選、一九九一年の知事選が、状況に追い打ちをかけることとなる 。世論調査では、チェルノブイリ事故の影響が残っていたため、核燃反対ないし消極論が多数派だった。が、村長選で「凍結」を掲げて当選した土田浩村長は、凍結はゆるやかな推進であるとして、核燃の建設プロセスを是認。これにより、村内、県内に政治不信一気に広まることとなる 。誰に何を期待できるのかの見通しが困難なもとで、政治運動に対する無力感と停滞感が住民の間に蔓延することとなった。
この海域調査をめぐる混乱と、保守系候補の分裂によって高まった不信感が、既述の、リスクの連鎖的転移の進行の要因としてあげられる。つまり、開発プロジェクトが次々と失敗していくなかで、原発建設の推進/反対をめぐる混乱と、政治的不信感が、〈その地域における最適な政治行動に関する十分な熟慮〉のための時間的・経済的・精神的諸コストを消費しつくし、窮余の一策として核燃料サイクル施設の立地が選択されたという構図が描ける。
3-3.新潟県巻町における、構造的緊張の連鎖的転移の回避
新潟県巻町の事例に戻って、構造的緊張の連鎖的転移の回避を考えると、「原発の誘致」は起こっていた 一方で、「地域内での推進/反対の対立の深刻化」は避けることができていたことがわかる。原発建設をめぐる議論によって地域が二分せずに済んだ要因として、二〇〇〇年頃の住民への聞き取り調査から、反対派が商工関係者であったため、推進派ともかかわりが深かったことがわかる(城取、二〇〇二)。例えば、巻で生まれ、巻で酒屋を営むある人は、「得意先の八割が原発推進の人たち」である一方、町民の多くが原発建設に対して違和感と不安を抱いていることを実感していたと言い、この二重性をふまえて、原発建設に賛成/反対の結果よりも、それぞれの住民の間に不信と禍根を残さないようにすることに多くの配慮を行ったとインタヴューに答えている。このことが、地域の推進派と反対派との間の紛争コストを最小限にし、〈最適な政治行動に関する十分な熟慮〉のための時間的・経済的・精神的余力の確保につながったと考えられる。