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  • 発表:井上 水俣病と日本人

亀山ゼミwiki(非公式)

発表:井上 水俣病と日本人

最終更新:2011年05月10日 01:52

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だれでも歓迎! 編集
2011/5/9
井上浩朗
亀山ゼミ 個人発表
『水俣病と日本人』
1.はじめに    
 今回の大きな地震は未曾有の被害をこの国にもたらし、その被害の大きさゆえに、様々な人が色んなことを考えたはずである。そして、その関心のほとんどが未だ解決する兆しのない原発問題に関して(電力についての問題も含む)なのではないかと思う。
 もちろん、わたしもそのうちの1人であるが、私の場合、考えた、というよりかは、再確認した、という方が正しいのではないかと思う。何を再確認したかと言えば、それは、社会が未だ水俣から何も学べていない、ということである。
 私が日頃水俣病に関心を持っているせいかもしれないが、今回の原発が引き起こした問題と、水俣病は酷似しているように感じる。政府と企業の癒着、海洋汚染、認定患者の基準の問題、科学の限界、挙げていけば切りが無い。そこから浮かび上がる問題のすべてが、現代の問い直しの必要性を、我々に訴えかけている気が私はする。そしてその問いは、水俣の頃から何一つ変わっていないように思う。よって、私がもう1つ再確認できたことといえば、それは、今水俣病から学ぶ意義、であると思う。

2.どうして日本で水俣病が起こったか
水俣を考えていく上で、以前に取った方法は海外の公害との比較、である。それは、「どうして日本的自然観は公害防止の原理となりえなかったのか」という問いから始まったものであるが、そこからは明らかな相違点は見られなかった。事後対応については、日本政府やチッソの不具合が見られるが、事前対策としての差異はほとんどない。当時、世界中で「希釈すれば無毒化する」という考え方は一般的であり、国内のみならず国外のアセトアルデヒド工場でも同様の方法は取られていた。
 では、なぜ日本だけであれだけ大規模な水俣病が発生したのだろうか。この問いは、なぜ水俣で水俣病が起こったのか、という問いと同義であると考えていいが、これに関しては、はっきりとした結論が出ていない。1951年にチッソが触媒を変更してから被害が大きくなっていったことはよく知られているが、それ以前から水俣病による被害だと思われるものが報告されている。また、そもそもそれはチッソ独自の方法から、汎用的な方法への触媒の変更であり、これでは水俣で起こった原因を明かしたことにはならない。湾の構造や他の工場の多くが山中にあることを指摘する人もいる(西村・岡本 2006)。しかし、よく知られているように、新潟で起こった水俣病は川への廃液の放出が原因である。最も有力であると思われるのはアセトアルデヒドの生産量に着目したものであり、当時、アセトアルデヒドの生産量の国内生産量1位はチッソ、2位は昭和電工であった(原田 1972)。
以上をまとめると、おそらく、日本で水俣病が発生したのはどれか1つということではなく、複合的な要因によるものであったのではないかと思う。
また、カナダの水俣病においては、最初の調査から27年後、再び調査をしたところ、当時では水俣病かどうか診断できないほどの軽症であった患者が典型的な症状を発症していることが報告されている(原田ら 2005)ことから、当時、軽度であるために水俣病であると自覚していなかった患者が他の地域にも多数存在している可能性は否定できない。

3.どうして日本的自然観は水俣を防げなかったのか
以上のことから、日本だから水俣病が起こった、という命題は否定される。しかし、それでは「どうして日本的自然観が公害防止の原理とならなかったのか」という問いに答えたことにはならない。これについては考察が足りていないが、今のところ2つ挙げることが出来る。
まず1つ目は、自然との「身体的関わり」の欠如である。漁民や農民とは違い、工場で働いている人たちはもはや排水口でしか自然と繋がっておらず、亀山(2005)が風土の3契機としてあげている中の、自然との「身体的関わり」が欠けているため、彼らが自然を意識する機会などなかったのではないかと思う。よって、日本的自然観は、経済的な利益の追求などと天秤をかけられること以前に、そもそも存在するチャンスすら与えられなかったのではないだろうか。
2つ目は、亀山(2005)が指摘するように、日本的自然観に二重性があるということである。そこでは、生命的平等の観念などがある一方、ホンネの優先、現実主義、無責任主義が存在しているということ、さらに、母性的自然とみなす傾向にあることがさらに自然破壊に拍車をかけている、と指摘されている。また、そのような母性的自然があるということは、西洋から導入されるまでどうして日本に環境倫理が不在か、という問いへの1つの答えを示しているように思われる。

4.現代において水俣は防げるか
これまで、当時、防げなかったことについてみてきたが、それでは、水俣を経験した現代において、水俣を防ぐことは出来るのだろうか。
水俣をはじめとする公害を経て、世界が得た教訓の代表的なものに予防原則precautionary principle がある。そして、92年リオ宣言においては「深刻な、あるいは不可逆的な被害の恐れがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きな対策を延期する理由として使われてはならない」(外務省訳)と言われており、もちろんわが国も署名した。しかし、丸山徳次が指摘するように、93年の環境基本法においては「科学的知見の充実の下に環境の保全上の支障が未然に防がれることを旨として、行われなければならない」とされており、予防原則の核心部分をとり逃していると言わざるをえない(2004)。わが国は水俣の教訓を生かしきれてはいないし、このような政府の姿勢を非難することは簡単である。
しかし、このことはある重要な問題を示してもいる。それは、結局私たちは科学に頼らざるをえないのではないか、ということである。リオ宣言において「深刻な、あるいは不可逆的な被害の恐れ」という場合のその恐れというものは、科学を通して見つけることが前提であるものなのではないか。水俣に当てはめて考えた場合、予防原則は日本政府の事後対応のまずさを正すはたらきをもち、被害の拡大は防げたであろう。実際、今回の原発事故において、その方法に問題はあるものの、食品に対する規制の対応は比較的早かったように思う。しかし、それがチッソの汚染水流出や原発事故防止の原理となりえたかと言えば、それは甚だ疑問である。つまり、予防原則はその名前に反して、現代においては事後対応の原理としかなりえないのである。また、そもそも、リオ宣言において「費用対効果の大きな」という記述があることも、予防原則そのものの無力さを示しているといえるし、法学では「想定外」の場合を許容する残存リスクという考え方すら存在する、
よって、現代においても水俣は防げないと私は結論づける、そしてそれは、私たちが依存してしまっている近代そのものに無理があるからではないだろうか。そういう視点で見ると、その被害が真っ先に弱者を襲うという現代社会の構造の問題なども水俣病は示してくれるのである。

5.導入のまとめ
以上のことをまとめると、日本という国の特殊性が助長した部分はあるけれども、水俣病は当時、世界中のどこでも起こりえた。そして、それは今まさに起こっているかもしれない。よって、水俣病を問い直す場合、日本という国の水俣という視点よりも、近代、もしくは現代の水俣、という視点が求められるのではないかと考える。つまり、水俣への問いかけとは、この時代に対しての問いかけ、なのである。
そのような問いかけにおいて、まずは水俣と深く関わっている石牟礼道子を1つの手がかりにしたいと考えており、今回は、岩岡中正著『ロマン主義から石牟礼道子へ』を題材として取り上げる。岩岡さんは熊本大学法学部の教授で、石牟礼の知と政治思想を結び付けようということをされている。そのような試みをされている方はユニークであり、彼の方法から学べる部分がたくさんあるのではないかと思う。

6.『ロマン主義から石牟礼道子へ』(岩岡中正、木鐸社、2007年)
そもそも、彼の位置づける近代というのは、“中世コスモスから脱却した近代的自我が自然への働きかけと社会の構築を通して作り上げてきたもの”であり、現代においてそれは“初発の解放の原理からむしろ疎外と抑圧の原理へと転換”していったと述べる。その結果、人間・理性・国家というレベルで虚構化が進み、それを問い直す出発点が1968年であった。
ブラック・パワーの公民権運動、東欧の自由化の要求、先進国における学生の反乱等を例としてあげ、彼は、1968年が問いかけた諸問題が「人間性の回復」という一点に集約できるという。そして、その際、“近代の原点としてのピューリタニズムが想起された”ことに注目しつつ、彼は1968年を“近代が頂点に達した現代における「近代の終わり」であると同時に、あるべき近代への回帰の始まり”と位置づける。また、自然科学における「ゆらぎ」や「多様性」もその流れにあるものであり、89年の冷戦体制の崩壊も1968年の余震に過ぎないという。
 近代が問われている状況の中で、彼はロマン主義に注目し、それは“一元的価値の支配、一切の機械化・管理化・手段化に・意味喪失”という言葉に象徴される近代という普遍に対して、最初の根本的批判であるという。
 彼はここでロマン派の代表者として3人、コールリッジ、ワーズワス、シェリーを挙げる。
 まず、コールリッジの唱えたのは、「文化的共同性」である。彼は近代人の“欲望・功利などに関わる計算能力である「悟性」”万能主義を批判する。それに対して彼は、“文化およびその基底をなす陶治によって、欲望の自我をして一定共通の文化的社会的道徳的価値を自覚せしめ市民を創出することによって、いわば間接的に社会を再生する”ことを基本戦略とし、その手段が国民教会である。国民教会は教育(哲学、歴史学、倫理学など)、福祉が主な機能であり、それを通して人々は“神与の理性と自由な主体の力である良心”を獲得し「市民」となり、“自由と服従を調和させることができる”。彼によれば、国家とは「ひとつの精神的統一体」なのである。また、国民教会には、“絶対意志(自由)としての神と個別意志(罪)としての人間”をつなぎ、人の罪を義認するという役割もあるとされている。これらコールリッジの思想の特徴的な部分としては、文化的救済、上からなされるということ、具体的な場をイギリスに限っている、ことが挙げられる。
 次に、ワーズワスが唱えたのは「民衆的共同性」である。彼の文明批判は、農村共同体の崩壊に強く影響されている。故に、彼にとっての共同体の原型は、“彼自身が「羊飼いと農民の完全な共和国」(a perfect Republic of Shepherds and Agriculturists)とよぶ湖水地方の農村共同体”に求められる。彼は、農民や職人たちにみられる“感受性・人間および社会人としての本能・深い感動・無私の想像力・純粋な祖国愛や忠誠心”といった民衆的知性を高く評価する。そして、そのような民衆的知性により、人間は“自己超越とより高次の存在との同一化を通して共同性を得る”ことができる。また彼は“自己の勤勉と土地所有に支えられた独立・自足の意識と、家族という歴史性をもった共同体の中での自己定位と安らぎの意識”を強調し、それにより人間は“土地と家族の絆にしっかりと結びつけられて、潔白で誇り高く生きることができ”るのである。
 最後に、シェリーが唱えたのは「詩的共同性」である。先の2人がロマン派第1世代と分類されるのに対し、シェリーは第2世代に当てはまり、一般的には前者は保守的、後者は急進的であるといわれるが、問題意識は共通しているものがあると著者は言う。“過度の利己心の産業革命の時代精神への対抗原理”としてシェリーが提起したのは“「詩」ないしは「想像力」の原理”であり、「詩による無限の改革」である。詩は、“感動のコミュニケーションの作用をもつので、それによって感動が共有”される。そして、“詩的感動とは、「われわれの観照する美と同化する」ことであり、それが「聖なる感動にともなう心の優しさと高揚」をもたらし、自我を拡大させて人の心を「温雅、寛大、賢明」にして、人びとを「自我という小世界の惰気から引き上げてくれる」のである”。またシェリーは“詩は芽生えであり、「おのれのうちに、自身および社会の革新の種子をはらんだ能力」だと”も言っている。
 代表的なロマン主義の論者を見てきたが、ワーズワスの言う共同体は産業社会において崩壊の一途をたどり、また、シェリーの主張は大きく具体性に欠け、現実の有効性をもちえなかった。しかし、コールリッジを含め、彼らの試みは“ミルにおける功利主義の修正”や“社会主義思想に発展的に継受されつつ19世紀の政治思想の伏流をなした”。
 特に、ベンサムを継承しつつ功利主義を発展させたミルは“のちにその行き過ぎを反省するほどに”コールリッジに接近する。ミルとロマン主義は、共同性の崩壊への危機や単純化された人間観への批判という、ベンサム批判で共通しており、ミルは共同性の回復へのコールリッジの提言を高く評価する。しかし一方で、両者に相違点があるのも事実で、そのもっとも大きなものが人間観・社会観である。ロマン主義者たちにとって“理念は先在”するものであるが、それは新たな「普遍」を強いるという意味で、彼らが批判してきた近代の「普遍」と同じ結果に終わるであろうし、また、それら先在する理念を認識するものとして少数者しか想定しておらず、具体的な担い手が欠けている。一方、ミルは経験論に基づいており、社会は「形成」していくべきものとして捉えられている。ロマン主義からの視点を交えつつ、“経験と陶治による個性の拡大という、いわば共同性の発展的枠組みを示すことによって、啓蒙主義の近代的「理性」の普遍主義を克服しようとした”のが、ミルの思想である。ここでの個性とは、拡大・成長により共同性を獲得すると同時に多様な発達を遂げるもので、そしてそれはさらに個性を発達させる条件を整わせるという、“ひとつの開かれたシステムとして理解することができる”。また、そこでの共同性とは“多様な個性の併存を許容する共同性”である「開かれた共同性」ということができる。
 次に著者は、ミルが“個性の内発性を強調した”ことに注目し、「内発的共同性」へと話を進めていく。そして、「内発的共同性」に深くかかわりのある日本人を2人あげる。
 1人は鶴見和子であり、彼女の内発的発展論は“そもそも「発展」という共通の近代化の「目標」の達成を目指すという思考枠組み自体からしてやはり近代化そのもの”である著者は指摘する。
 そして、もう1人は石牟礼道子である。彼は、近代化への挫折として生まれたという点、詩の精神や共同性の復権を主張した点、近代知全体への批判という点、が共通しているとして、石牟礼道子を現代のロマン主義者だという。
 石牟礼の知には3つのポイントがあると筆者は言う。
1つ目は、“詩と全体知の回復”である。“自己中心的で感受性と関係性を喪失した貧困な架空の知”である近代知に対して、石牟礼の知は“内面的な知であって、内面へ向けて自己を内発的に創造し二元論的な対立を止揚する知であるとともに、個々の存在がその根源において全的なものにつながっていることを知る共同的な自覚・感性・叡智に基づく連鎖・連帯と調和的宇宙についての知”である。そして、自己を内発的に創造する源となるもの、それは詩である。詩に対する散文の、“文字や活字の世界には、自分の小さな知識で他者を読みとろうとする限界”が存在し、石牟礼にとって近代の言葉は“「なんだか・・・魂が入らない」もの”なのである。それに対し、詩は五感で感じた、言葉では表現できないものを、それでも言葉で表現しようとすることで生まれるものであり、それにより人は“対象との一体化を通しての主体の再生、つまり、内発的主体の生成”が可能になるのである。
2つ目は“歴史と神話の回復”である。石牟礼のもつ歴史観はルソーと同様、没落史観であり、ここにもロマン主義との共通点は見られると筆者は言う。そして、そのような没落していった結果の「奈落の底」である現代においては、“時間の「詩化」によって”“この世にあり得ないことや人間では実現できないことを、神話の形にして考え”なければどうにもならないところまで来ているのである。
3つ目は、“存在と共同性の知の回復”である。現代は、“世界の一切の存在の無意味化をもたらすもの”であり、それは石牟礼によって「存在の危機」と位置づけられる。その「存在の知」は、“あるべきいのちと存在が在るべきところに在ることの素晴らしさへ祈る”ことによって回復することができ、“言葉と思いを尽くして祈ること”、それはまさに石牟礼の文学であると筆者は言う。そしてそのような知の回復を通して、人は、石牟礼の言う“体を貫いて海の底から天までとおっている宇宙の中心軸“となることができ、”共同性を支える感受性の復権“を果たすことができる。しかし、石牟礼の共同性は、“単なる共感ではなく、きわめて逆説的なことに、徹底した孤立・孤独を前提とする”と筆者は指摘する。“自分が「徹底的に孤立」することにはじまり、「1人でもあの世に行かなければならないと思い合っているもの同士が、そこに絆を結ぶ」”共同性のあり方は、“「道行き」の共同性”と呼ばれる。そしてこれは、“神の前の絶対的孤独において自立を果たしたプロテスタンティズム・モデルにおける近代人の内面的自立に通底して”いて、石牟礼の思想は決して前近代的なものではなく、“むしろ近代の原点”にほかならないのである、というのが筆者の結論である。

7.感想
 以上が『ロマン主義から石牟礼道子へ』の要約である。この本は、彼が過去に発表した論文をつなぎ合わせたものであり、章ごとのつながり、もしくは1968年とロマン主義とミルと石牟礼道子の繋がりが見えにくいように思えた。石牟礼道子論を展開するのに、前者3つについて述べる必要があったのかは疑問である。
しかし、絶対的自我からこそ真の共同体を築けるという視点は、今まであまり目にしたことがなかったので、現代について考える大きなヒントになると思うが、石牟礼の思想と近代の始まりが同じであったのか、ということに対しては疑問が残るし、そうだとしたら、果たして近代の始まりをまた繰り返すことがいいことなのか、ということも考えるべきであるように思えた。また、ロマン主義が具体的な方法論に欠け失敗に終わったのと同様、筆者も石牟礼の実際にどう生かしていくのか、という視点に欠けているので、そこは考えていきたいと思う。

8.今後考えていきたいこと
今回の発表を通じて見えてきたのは、私たち現代人はリスクと向き合っていないのではないか、ということである。大多数がリスクと向き合うことを否定するが故に、そのリスクが局所に集中してしまっている。そして、そのようなリスクの偏在を認めてしまう私たちの意識は変えなければいけないし、そのようなシステムも変えなければならない。
様々なものが繋がっていることを認識し、リスクを皆で分担する。それだけではなく、それぞれの多様性を認めることでそのリスクというものは、全体として低くすることができるのではないか。それは生態学において遺伝的な多様性が議論になっていることと重なると思う。しかし、低くしてももちろん、鬼頭が指摘するようにリスクがゼロになることはありえない(2004)。故に、一人ひとりがしっかりとリスクと向き合う必要がある。そして、避けがたいリスクを受け入れることは、結果として個人の自立を促し、確固とした自我は他人も受け入れることができ、それはまた、多様性を認めるということにつながるのではないかと今は考えている。いろんなことが「本来なら」循環している中で、現代というのはそれが数箇所切れてしまっているのではないだろうか。
そのような推測の中で、僕が注目したいのは特に死を受け入れるということである。それはどういうことなのか、どうすれば可能なのか、それができていない現代社会とはどういう社会なのか、ということについて考えていければと思う。

参考文献
岩岡中正『ロマン主義から石牟礼道子へ』木鐸社、2007
石牟礼道子『不知火』藤原書店、2004
西村肇・岡本達明『水俣病の科学』日本評論者、2001
亀山純生『環境倫理と風土』大月書店、2005
原田正純『水俣病』岩波書店、1972
原田正純ほか「長期経過後のカナダ先住民地区における水銀汚染の影響調査」宮本憲一ほか『環境と公害 vol.34』2005
丸山徳次・鬼頭秀一ほか『応用倫理学講義 2環境』岩波書店、2004

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