ゼアル迷言集

  • 遊馬編


「デュエルは復讐のための道具でも、人を傷つける道具でもねえ!」

実にもっともな台詞だが遊馬が言っても説得力がない。その理由は遊馬編全てを読めばわかるだろう。


「復讐したいならデュエルでしろ!」

アンナに対して放った台詞。前述の台詞と完全に相反している。

まあこの場合、アンナはバズーカで遊馬の生命を狙っていた訳で、それで復讐し続けると遊馬が死んでしまう可能性が高い。そうなればアンナが殺人犯になってしまい(既に殺人未遂及び器物損壊という罪を犯しているが)、取り返しがつかない事態に陥ってしまう。

しかし、デュエルでなら(アンナがナンバーズ所有者でもない限り)人が死ぬなどといった、取り返しのつかないことにはならない。アンナの今後を考えた上でこう言ったのだとすれば、まあ擁護できなくもない。

だがそれでも、デュエルに復讐心を持ち込ませたことに変わりはない。また、その復讐心をデュエルで発散させようともしていなかった。そのせいかアンナはデュエルが終わった後も復讐心を持ったままだった。

復讐心がなくなったのも、復讐相手を間違えていたことからくるバツの悪い気持ちと、遊馬への逆恨み的感情を同時に抱いたことで、なんとなく有耶無耶になってしまったからであり、楽しくデュエルした結果ではない。

こういった対応のいい加減さが『復讐したいならデュエルでしろ!』を、悪い意味でとらえやすくさせてしまっているのである。

もし遊馬が自分の台詞に責任を持っているキャラなら、あまり気にならなかったかもしれないがないが、実際は……遊馬編を全て読んでみればわかるだろう。


「しょうがねえだろ~、なくしちまったもんは!」

デッキをなくしたことを咎められた時の台詞。完全に開き直りである。終始デッキをなくしたのを反省しているような描写がないのも痛い。


「俺はデッキを信じる!」

前述のように、デッキをなくしても開き直るだけで全く反省しない上に、シャイニングローでカードを好き勝手に創り変える奴が言っても説得力がないだろう。


「わかるさ! あいつら(Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ)はみんな、あんた(トロン)がいなくてさみしかったんだよ!不安で、泣きたくて、一生懸命だったんだよ!」

文脈的に考えて『フェイカーに復讐したい』と考えてしまう、トロンの気持ちがわかるかどうかを問題にしている台詞に対しての返答。こんな、相手の気持ちを完全に無視した、親に子供の欲求を押し付けてるだけの台詞を吐かれても普通は『はあっ!?』だろう。

しかし驚くことにトロンはそれで狼狽えた。遊馬に負けたあと改心してしまった。

トロンが息子達にすごく罪悪感を抱いていたというのなら、これで改心しても不思議ではないが、今までの描写を見ている限り、息子達を平然と使い捨てにしているイメージが強かったため、いまさらこの台詞で狼狽え、改心されると、ものすごく唐突な展開に感じられてしまう。

『これではまるで、遊馬のためにトロンのキャラを改悪されたかのようだ』という感想を抱いた人は少なくないはずである。

そのため、この台詞も、反感を買ってしまうものの一つとなってしまった。


「俺の願いは、お前たち家族(天城一家)が幸せに暮らすことだ!」

WDCで優勝した者は願いを一つ叶えてもらえるということを思い出した後の台詞。

カイトに魂を奪われ、願い……いや、願うことすら奪われた者達(被害者側)を無視して、
奪い続けた結果、願いを達成できた者達(加害者側)の幸せを優先するという、とんでもない台詞である。

遊馬は以前『奪われた魂はどうなるんだよ!?』という台詞を吐いたことがあるが、この台詞のせいで、それが自分の身を心配しただけものに過ぎなかったということが発覚した。

その後カイトに魂を奪われた者が社会復帰した描写はなく、『ヌメロンコードで魂を戻そう』みたいな話もなかったので完全に忘れ去られたと思われる。

(一応最終章EDで、ジン(カイトに魂を奪われたと思われる者)が復活しているが、あのEDは和解もなく消滅したままの四悪党が楽しそうに遊馬とアストラルのデュエルを見ているなど、ひどく本編との整合性に欠けるため、パラレル世界として見るのが妥当だろう)


「校則違反したって、ばれなきゃいいんだよ!」

校則ルールでデュエルした時の台詞。

まあこの場合、校則違反をするのはモンスターたちで、遊馬自身ではないため、『モンスターを活躍させたいがため、つい言ってしまった』と擁護できなくもない。

しかしこのデュエルの前に遊馬はかなりの校則違反を犯しており、自己弁護の台詞としてとらえられてもおかしくはない。

また、遊馬は、後のスポーツデュエルで平然と八百長を行い、針剣士(自分のモンスター)を雑魚の代表かのように扱い、相手モンスターの攻撃の的にしている。

『こんな奴がモンスターを活躍させたいがため、あんなこと言ったとは到底思えない』『あれは自己弁護のためだけに言っただけだ』という意見が噴出するのは当然と言えるだろう。


「お前のおかげで勝てた!」

片桐プロを倒したあと真月に放った台詞。

一見良い台詞だがこのデュエルで真月は本当に何の役にも立たなかったのでその場のノリで適当な事を言っているだけである。


「ええ~、お前と?」

81話、真月にデュエルを誘われた時の台詞。

この時点の真月は、別に卑劣なデュエルをする奴ではなかった。そんな相手に対してこの台詞。とてもデュエル大好きなキャラとは思えない。

それとも下手くそなデュエルをする奴とは戦いたくないのだろうか?

もし、この台詞を鉄男が聞いていたら、どう思ったのだろうか。実に気になるところである。

※鉄男は、かつてデュエルが下手な遊馬に対して、文句も言わずに相手をしてくれた。何度も何度も。


「ヘタレだからだ!」

ギラグに『アリトを闇討ちしたのは真月だ』と言われた時、真月をかばうために放った台詞。

人を庇うのにこの言い方はないだろう。

もっとも、遊馬と真月の間にしっかりとした信頼関係がないため(少なくとも本編にはない)、このような茶化した言い方でごまかすしかなかったのだろう。

事前に遊馬と真月が全力でデュエルしていたりすれば、
遊馬に『真月がそんな卑劣なこと、するはずがねえ!』と言わせることもできたかもしれないのに。


「誰でも心のなかじゃ、良い心と悪い心が戦ってるモンじゃねぇのかよ! でも、そっから逃げ出さなきゃ、きっとどんな事だってやり直せる!誰とだって分かり合える! 一人一人の苦しみも見ないで!何も知らないで!本当のランクアップなんて、出来っこねぇ!!」

アストラル世界編で遊馬がエリファスに放った台詞。

遊馬はこの時点で、

トロン(復讐したいと考えてしまう者)の苦しみも
カイトに魂を奪われた者たち(遊馬に無視された結果、魂を奪われたまま余生を過ごすことになった者たち)の苦しみも
自分の扱うカード(散々粗末に扱われ、本来の自分を信じてもらえず、好き放題創り変えられてしまった者)の苦しみも

ぜーんぶ、まったく見ていない。

そんな奴にこんな台詞を言われても説得力がないだろう。

せめてこの後だけでも、この台詞に責任を持ってくれればまだよかったのだが……詳しくは後の遊馬編を参照。


「じゃあ、ドン・サウザンドこそが黒幕!そいつを倒せば……!」

バリアン七皇との戦いを避けたくて仕方がない、遊馬が放った台詞。

ドンを説得しようという発想は欠片もなく、悪としてぶちのめそうとしている。気づいているとは思うが、前述の台詞とものの見事に反している。


「だったら…だったら、もう一回信じる! 心が無いなら、心が出来るまで、俺は信じる! それが俺の、かっとビングだ!!」

遊馬がベクターを助けようとしている。それを見たナッシュが『やめろ!そいつ(ベクター)に心はない!信じても裏切るだけだ!』と言った時に放った台詞。

実に結構な考え方だが、その結果裏切られ多くの犠牲が出てしまったらどうするのだろうか?
そういったことを全く考えずに放った台詞である。


「お前の本当の姿は真月零なんだ!」

前述のあと遊馬がベクターに放った台詞。

演技に過ぎない真月を本当の姿と断じている。幸せの王子時代を本当の姿というのならまだしも……

こんなことを言われてもベクターからしてみれば意味がわからないだろう。


「ああ、いいぜ真月。もうお前を一人にしない、俺がお前を守ってやる」

前述のあとベクターに、『俺と一緒に死んでくれ』とされたあと放った台詞。

ここでベクターと死んでしまったら、遊馬に想いを託して死んだいった者たち(カイトなど)はどうなるのだろうか?
彼らの想いを無駄にしてしまってよいのだろうか?

そういうことを全く考えずに放った台詞である。

また、サルガッソ後から今にいたるまで、遊馬が、真月に裏切られたことを特に気にしている様子もなかった。その上でこんな台詞を吐かれても白々しく感じられてしまう。


「絶対に許さねえ、ドン・サウザンド!」

ベクターを吸収し、殺した、ドン・サウザンドに放った台詞である。

ドン・サウザンドがどういう身なのかわかった上での台詞である。
その後、ナッシュと共に問答無用でドンを倒し、死に追いやってしまった。そのことを後悔する描写もなかった。

ベクターへの態度と比べると如何に遊馬が自分の好みの相手しか許す気がないかわかる。

また、遊馬がエリファスに放った、『誰とだってわかりあえる』という台詞とものの見事に反している。


「確かにヌメロンコードの力を使えばこの戦いで散っていた仲間を救うことができるかもしれねえ。でもアストラル、それって俺たちの本当の未来なのかな?どんなに辛くても苦しくても逃げ出さずに必死になって戦ってきた、その一瞬一瞬の積み重ねに俺たちの未来があるんじゃねえのか!」

今までシャイニングドローで過去(既に組んであるデッキ)を好き勝手に創り変え、ここまで来た者が言っても説得力がないだろう。


「アストラルはヌメロンコードを使って七皇達を人間として復活させてくれたんだ!」

アストラルとのデュエルが終わり、日常生活に戻った後の台詞。

本当の未来とは何かを考え戦いを無かった事にするのを否定した者の台詞ではない。

『これは過去ではなく未来を書き換えたものだから何の問題もない』という意見もあるが、そんな理屈が通るなら、アストラル世界に起こった新たな問題とやらも、未来を書き換える形でなくしてしまえばいい。
なのに、わざわざ遊馬たちがそこに出向こうとしている。意味不明である。

「未来を書き換えたからOKだ!」と言って死者を復活させる事を遊馬が良いと思っているのであれば何故最初にヌメロンコードを使う事を拒否したいんだ?という疑問が浮かび上がる。
「仲間が生き返る未来」をヌメロンコードで創ることに遊馬が賛成しているのならそもそも「ヌメロンコードの力を使えばこの戦いで散っていた仲間を救うことができるかもしれねえ。でもアストラル、それって俺たちの本当の未来なのかな?」などとは言わないはずである。
遊馬は「死者を生き返らせる事」自体を「積み重ねの否定」と言っているわけで、遊馬が否定した事をそのまんまやったアストラルを擁護できる点など微塵もない。
信者は必死にこの最悪の最終話を擁護しているようだが、どう考えても論理破綻・矛盾である。




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最終更新:2019年05月16日 01:21
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