概要
例によって、何故一馬がこの遺跡に向かうように命じたのか、何故ドンは自身の呪いを解くことになる
ナンバーズがある遺跡に
ベクターを向かわせたのか、この時にしか生じなかった空間質量の変化とは何なのか、現代におけるこの遺跡の管理はどうなっているのか等、それら全てが謎。
この遺跡に「悲鳴の迷宮」と名を付けたのはNo.96であるが、外見上は城であり、内部にも迷宮要素は見られなかったりする。
「悲鳴」の部分は、過去の
ベクターに殺された魂の悲鳴をNo.96感じ取ったことから付けたようだ。
この悲鳴は
璃緒も感じ取っており、何故か過去の
ベクターの記憶の断片までも語っていたが、その意味を考えたら負けである。
過去の
メラグは
ナッシュの城の近くで死んでおり、過去の
ベクターの居城であるこの遺跡で内密に起きた惨劇を知っていることも不可解だが、やっぱりそれも考えたら負けである。
また、遺跡には様々な罠が仕掛けられていたのだが、自分の城を罠だらけにする理由が謎。
城に勤めている人間や作動した罠を再セットする人間にとっては、いい迷惑だろう。
その罠自体も、罠が回避されるスペースが都合よく用意されている、そのスペースに気付くことすら難しい起動式の罠が仕掛けられている、その罠が起動すると人数分の落とし穴がピンポイントに足元に現れる、長い間放置されている遺跡の罠を誰が再セットしているのかなど、やはり謎が多い。
例によって、この遺跡にあった壁画等を誰が記したのかも不明である。
ベクターの行った大虐殺の生き残りとかが記したのだろうか?
地下には闘技場があり、様々な武器や牢、玉座や客席まであることから、
ベクターら王族が囚人を甚振るための場所であったと思われ、No.96はこれを処刑場と表現していた。
闘技場中央の台には闘技場を二つに割っている斧で固定されたナンバーズと《ミノタウルス》に酷似した番人が存在し、No.96はその番人を倒すことで《No.65 裁断魔人ジャッジ・バスター》を手に入れたようである。
番人はただのモンスターでしかなかったが、No.96はデュエルディスクを実体化させて「デュエル!」と宣言していたため、
マッハの時と同様に試練となるデュエルが行われていたのだろう。
この処刑場にも様々な罠が仕掛けられており、天井から玉座まで伸びている複数の鎖を引くというコントみたいな方法で作動する。
処刑場に入って間もない
ベクターは何故かこの仕掛けを把握していたが、本人曰く、自身が手に入れたわけでもないジャッジ・バスターが教えてくれたらしい。
いや、
ベクターの記憶のことを教えてやれよ。
同じ頃、一馬の残した謎アイテム「王者のコイン」に従って進んでいた遊馬達も結局罠に引っかかり、そのまま地下牢に閉じ込められてしまっていた。
ベクター達からすればそのまま始末してしまえばいいだけの話であるが、妙なところで正々堂々としている
ベクターは遊馬と
アストラルだけを解放し、No.96とデュエルするように促している。
ただ、遊馬だけは牢屋から円柱上の台まで放り出して鉄柵で退路を断ち、No.96のライフが減る毎に遊馬への罠を追加で作動させると脅すことで、デュエルを優位に進めようとしていた。
しかし、遊馬が罠を利用して脱出したことでその制限が解かれ、
アストラルの反撃へと繋がり、結果的にデュエルは引き分けとなった。
デュエル後には
ベクターが遺跡崩壊の仕掛けを使って遊馬達を遺跡の下敷きにしようとしたのだが、作動から遺跡崩壊までに異様なまでのタイムラグがあったことと、カイトが救助に駆け付けたこともあり、その企みは失敗に終わっている。
不思議なもので、この際には何故か
小鳥、
凌牙、璃緒が閉じ込められていた牢屋もいつの間にか開いており、脱出中に他の罠が作動することもなかった。
脱出させたいのかさせたくないのかよく分からない。
試練という名の茶番劇
その場面の画像などを一目見るだけで明々白々だが、前述した遊馬への罠は、罠として全く機能していない。
360度見渡せる円柱の上に立つ遊馬の唯一の退路を断ったことになっている鉄柵は退路の前にしか存在しないため、その鉄柵の脇を伝えば容易に退路に出られるのである。
また、遊馬に追加された罠も振り子状に揺れる一本の斧でしかなかったため、その軌道上に立ちさえしなければ避けるまでもないものであり、作動直後以外は何の脅威にもなっておらず、遊馬も途中から全く相手にしていなかった。
しかし、作中で誰一人としてそれらを指摘しないどころか、何故か「揺れる斧につかまって脱出する」
とかいう危険な脱出法に思い至ったアストラルが、「遊馬、気付いてくれ」と言いながらその脱出法を大真面目に示唆していた。
なお、遊馬は本当にその方法で脱出している。
デュエル後には何故か筋骨隆々とした体になったNo.96の変化も含め、スタッフはそうまでして視聴者からのツッコミが欲しかったのだろうか?
無反応の遊馬の前を幾度となく素通りする斧は、まるで視聴者にかまってほしいスタッフを暗示しているかのようである。
そして、ここまで露骨なツッコミどころを用意するということは、スタッフに
「視聴者の頭だとここまで露骨にしないとツッコミどころに気付かないだろう」という意識があったことを意味する。
ゼアル信者さんたちは、本当にそれでいいのだろうか?
最終更新:2023年08月08日 14:20