ドクター100
少し手間取り過ぎた
トライレスは薄れかけた意識でそう呟いた
もっとも喉は抉られ尽くして声にはなっていなかったのだが
いくら流れ出る血で身体を治し死を免れているとはいえ、その量にも限度がある
何度かあった事だが、その度にこんな小さく幼い身体のままにした『エリザベート・バートリー』を恨みがましく思う
このまま死ぬとしても、彼女に少しでも疑問を抱かせる事が出来て、それが誰にも利用される事なく己の意思で動ける足掛かりになるのならそれでもいいか
そう、思い掛けたその時
「……あなた、は」
「……っ、あの時の……!」
クラリッサのものではない、少年の声
トライレスには覚えがある、よく町で見掛ける可愛らしいカップルの片割れだ
そして
「あらン、クラリッサ、調子はどうかしらン?」
「………シモネッタ」
その名前に、意識がびくりと跳ねる
エイブラハムと、シモネッタ
クラリッサがその言葉を信用しているという輩が、この場に居る
そんな存在がほんの少し優しく、そして厳しくクラリッサを『躾け』れば、仇である自分の命で揺さ振った疑問などあっさり吹き飛ばされるだろう
だがトライレスのそんな心配は、あっさりと吹き飛ばされた
最悪の形で
「そんなんだから……私達にも、騙されるのよン?」
それはいつか知るべき事だった
だがそれは、誰か支えてあげられる者がいる時であるべきだった
「……騙される……? シモネッタが、私を、騙す?」
「あら、本当に気づいていなかったのねン?」
ああ、そうか
トライレスは気が付いた
「本当に、お馬鹿な子。何も知らずに、自分の先祖の仇が本当は誰なのかも気づかずに、自分の先祖が逃がした女を殺すのよン」
「―――――――っ」
この女は
「……嘘」
「嘘じゃないわよン。あなたの先祖を殺したのは、トライレスじゃない」
「……嘘、嘘。だって、エイブラハム様だって…」
「本当、どこまでもお馬鹿なのねン」
それを愉しんでいる
「魔女を逃がしたなんて知れたら、あなたの先祖は逆に魔女だと言われたでしょうねン?」
「違う、違う……」
「魔女裁判にかけられて、苦しい思いをしたでしょうねン?……エイブラハム様に殺されたことを、あなたの先祖は光栄に思うべきだわン。苦しまずに死ねたのだからっ!」
クラリッサの心が折れる様を
「ほら、そうやって、都合の悪いことは聞こうとしない。だから、真実に気づけない……お馬鹿で可哀想なクラリッサ! あなたは先祖の想いに背いて、私たちにつきあって人を殺し続けたのよぉン」
「ぁ…………あ…………」
彼女を救う事が叶わぬ事だと
「あなたの手は血で汚れた、あなたの先祖が逃がした魔女も死のうとしている……どこまでもお馬鹿で可哀想な子。本当、扱いやすい子だわぁン。だから、エイブラハム様も、あなたを利用しようとしたんでしょうねぇン」
嘲笑うために
「やぁっと聞けたわぁン、その悲鳴!やぁっと見れたわぁン、その絶望の表情っ! うれしいわぁン。その声を聴きたくて、その顔を見たくて、今までグズなあなたに付き合ってあげたんだからぁン」
もうシモネッタの声は聞こえない
怒りのあまりに
そして何より、己の命が尽きかけているために
だがそれでも聞こえたのは、泣き叫ぶクラリッサの声
その悲しみを拭う事はできない事を悔やみながら
トライレスの意識は闇に沈んでいった
トライレスは薄れかけた意識でそう呟いた
もっとも喉は抉られ尽くして声にはなっていなかったのだが
いくら流れ出る血で身体を治し死を免れているとはいえ、その量にも限度がある
何度かあった事だが、その度にこんな小さく幼い身体のままにした『エリザベート・バートリー』を恨みがましく思う
このまま死ぬとしても、彼女に少しでも疑問を抱かせる事が出来て、それが誰にも利用される事なく己の意思で動ける足掛かりになるのならそれでもいいか
そう、思い掛けたその時
「……あなた、は」
「……っ、あの時の……!」
クラリッサのものではない、少年の声
トライレスには覚えがある、よく町で見掛ける可愛らしいカップルの片割れだ
そして
「あらン、クラリッサ、調子はどうかしらン?」
「………シモネッタ」
その名前に、意識がびくりと跳ねる
エイブラハムと、シモネッタ
クラリッサがその言葉を信用しているという輩が、この場に居る
そんな存在がほんの少し優しく、そして厳しくクラリッサを『躾け』れば、仇である自分の命で揺さ振った疑問などあっさり吹き飛ばされるだろう
だがトライレスのそんな心配は、あっさりと吹き飛ばされた
最悪の形で
「そんなんだから……私達にも、騙されるのよン?」
それはいつか知るべき事だった
だがそれは、誰か支えてあげられる者がいる時であるべきだった
「……騙される……? シモネッタが、私を、騙す?」
「あら、本当に気づいていなかったのねン?」
ああ、そうか
トライレスは気が付いた
「本当に、お馬鹿な子。何も知らずに、自分の先祖の仇が本当は誰なのかも気づかずに、自分の先祖が逃がした女を殺すのよン」
「―――――――っ」
この女は
「……嘘」
「嘘じゃないわよン。あなたの先祖を殺したのは、トライレスじゃない」
「……嘘、嘘。だって、エイブラハム様だって…」
「本当、どこまでもお馬鹿なのねン」
それを愉しんでいる
「魔女を逃がしたなんて知れたら、あなたの先祖は逆に魔女だと言われたでしょうねン?」
「違う、違う……」
「魔女裁判にかけられて、苦しい思いをしたでしょうねン?……エイブラハム様に殺されたことを、あなたの先祖は光栄に思うべきだわン。苦しまずに死ねたのだからっ!」
クラリッサの心が折れる様を
「ほら、そうやって、都合の悪いことは聞こうとしない。だから、真実に気づけない……お馬鹿で可哀想なクラリッサ! あなたは先祖の想いに背いて、私たちにつきあって人を殺し続けたのよぉン」
「ぁ…………あ…………」
彼女を救う事が叶わぬ事だと
「あなたの手は血で汚れた、あなたの先祖が逃がした魔女も死のうとしている……どこまでもお馬鹿で可哀想な子。本当、扱いやすい子だわぁン。だから、エイブラハム様も、あなたを利用しようとしたんでしょうねぇン」
嘲笑うために
「やぁっと聞けたわぁン、その悲鳴!やぁっと見れたわぁン、その絶望の表情っ! うれしいわぁン。その声を聴きたくて、その顔を見たくて、今までグズなあなたに付き合ってあげたんだからぁン」
もうシモネッタの声は聞こえない
怒りのあまりに
そして何より、己の命が尽きかけているために
だがそれでも聞こえたのは、泣き叫ぶクラリッサの声
その悲しみを拭う事はできない事を悔やみながら
トライレスの意識は闇に沈んでいった
―――
ぽたり、と
熱いものが頬に落ちた
それは最初、涙だと思った
クラリッサが、まだ泣いているのだと
だがその感覚があまりにもはっきりしている事に気付き、トライレスはがばりとその身を起こした
動くはずのない身体が動いた
鳥の群れに啄まれ骨と肉片と成り果てていた身体は、ほぼ元通りといった様にまで治っていたのだ
トライレスの身体を治すのは、美しい少女の血
「……っ! 馬鹿っ!?」
その首筋から流れ出る血と、傍らに落ちた血に塗れたナイフ
「『教会』の連中は、何でこう方向性問わず限度ってものを知らないのかしら!」
近くにいたはずのシモネッタは、どうやら少年と戦闘中らしい
自分共々クラリッサに止めを刺されなかった事を、彼には感謝しなくてはいけないだろうと考えながら、トライレスは己の服だったものの残骸を探り、小さな財布のようなものを取り出した
熱いものが頬に落ちた
それは最初、涙だと思った
クラリッサが、まだ泣いているのだと
だがその感覚があまりにもはっきりしている事に気付き、トライレスはがばりとその身を起こした
動くはずのない身体が動いた
鳥の群れに啄まれ骨と肉片と成り果てていた身体は、ほぼ元通りといった様にまで治っていたのだ
トライレスの身体を治すのは、美しい少女の血
「……っ! 馬鹿っ!?」
その首筋から流れ出る血と、傍らに落ちた血に塗れたナイフ
「『教会』の連中は、何でこう方向性問わず限度ってものを知らないのかしら!」
近くにいたはずのシモネッタは、どうやら少年と戦闘中らしい
自分共々クラリッサに止めを刺されなかった事を、彼には感謝しなくてはいけないだろうと考えながら、トライレスは己の服だったものの残骸を探り、小さな財布のようなものを取り出した
―――
負ける
殺される
シモネッタは己の身体を灼く熱量を感じながら、既に顔を上げるだけで精一杯の有様だった
「ウヒヒヒヒ……トドメと行きやしょうかぁ!」
少年、裂邪の炎の鞭が振り下ろされ、その一撃がシモネッタを打ちのめそうとしたその瞬間
その首にがちりと嵌り込む鋼鉄の首輪
伸びる鎖は炎に囲まれた外から伸びているが、溶解どころか赤熱する様子すら見えない
「何をするつもりだ!」
「違っ……これは、私のものじゃ」
シモネッタが言葉を言い切る前に、鎖が凄まじい勢いで手繰り寄せられる
「ひぐっ!?」
首に掛かる急激な負荷もあったが、それ以上に
鎖は炎の輪の外へと続いている
鉄すら溶解させる温度、種類にもよるがおよそ1000度以上
「ひぃっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
勢い良く炎の輪へと頭から突っ込んだシモネッタ
中身の無い人型の炎の塊をぶち抜いて、輪の外へと無理矢理引き出された
アスファルトの上を二、三度跳ねて引き摺られるが、その身体が焼き尽くされる事は無かった
「はっ……ひ……」
恐怖と、ようやくまともに呼吸ができるようになったせいで、ただただ荒く息をするばかり
その姿を見下ろすように、全身を血で染めた裸身の少女が悠然と見下ろしていた
「知っているかしら……『エリザベート・バートリー』は、濡れ衣が大嫌いなの」
辺り一面の雪が残さず溶け落ち蒸発する熱量の最中、鎖を握るその手から溢れ出す冷気は、ぱりぱりと鎖を凍りつかせていた
その手から溢れ出し続けるマイナス180度の窒素ガスは、炎の輪から離れた鎖をどんどんと冷やしていき、その首輪をも凍りつかせていく
「そこの可愛い坊や。お楽しみのところ悪いんだけれど……この玩具、譲ってくれないかしら?」
「逃がしてやろうっていうのか? 悪いが、どう見ても反省するとかするタイプじゃないぜ」
既に抵抗すら出来ないシモネッタを見てなお、裂邪はそう言い放つ
「そんな……事……は……」
「黙れ」
生きてさえいればどうにかなる
そう考えたシモネッタが何か言おうとしたその口を、トライレスの手のひらが塞ぎ白いガスを注ぎ込む
「……っ!? …………! ……!?」
途端に喉の感覚が失われ、灼かれた痛みも狂おしいまでの乾きも、声どころか呼吸しているという感覚すら失われる
「この牝豚の小賢しい企みで濡れ衣を着せられて、二十二回ぐらい死ぬような目に遭わされたの。仕返しぐらい、させてくれてもいいじゃない」
「こうやって戦ってるから、まあ普通じゃないのは判るけどな。可愛い女の子が人を傷つけたり殺したりっての、俺は嫌なんだけど」
尚も渋る裂邪に、トライレスはにっこりと微笑む
「それにね、あなたには頼みたい事があるの」
ついと視線を背後に向けると、そこには首に血の滲んだ布を巻いたクラリッサが倒れていた
「その子を北区の診療所まで運んで下さらない? 私の体格じゃ無理なの。応急処置はしてあるけど、きちんとした手当てをしないと死んじゃうから」
「……ずるいな」
「女の子は須らくずるいものよ。それを許すのが男の子の度量」
やれやれといった調子で裂邪は倒れたクラリッサの傍らに屈み込む
そこに落ちてたのは、クラリッサが持っていたナイフと、小さなソーイングキット
「死ぬような怪我の応急処置を、これでやったのかよ」
呆れたような感想を漏らしながら、裂邪はクラリッサを抱える
「ウィル、もう一働き頼む」
《あっしよりも、心配なのは旦那なんですってば……まったく》
「呑まれるってのは力に溺れる事や、存在を侵食される事だけじゃない……心が折れるという事もあるんだ。誰かのために力を使う事で、俺は呑まれたりはしない」
《格好つけるのはいいんですがね、無茶の口実にはしないでくだせぇや。今日はこれで終いですぜ?》
再び炎を纏う裂邪だが、その熱量のほとんどは空を飛ぶ事に
そして冬の寒空から血を失ったクラリッサの身体を守る熱の壁に充てられる
「飛ぶだけなら全力でいったって問題無ぇ! 急ぐぞ!」
《合点承知!》
陽炎を曳きながら一瞬で空高く舞い上がった裂邪を見送り、安心したように表情を歪めるトライレス
「さて……優しい優しい坊やはここを離れてくれたわ。これでもう、邪魔者は居ない」
呼吸も上手くできずに身悶えするシモネッタを、鎖を引いて無理矢理引き起こした
その瞬間、残る力を振り絞ってトライレスの背後に『鉄の処女』を召喚する
その身体を丸呑みするかのように喰らいつき、鋭い針が柔肌を貫いて再生も出来ぬままに絶命させる
はずだった
『鉄の処女』はその口を大きく開いたまま、微動だにしないでただ沈黙している
「………………?」
呆然とするシモネッタに、トライレスはふふと微笑む
「私は拷問具を召喚し、操れる。それが例え自分のものでなくても同じ……年季が違うわ、400年ぐらい」
口を開けたまま動きを止めた『鉄の処女』は、トライレスに撫でられるとゆっくりとその口を閉じて沈黙してしまう
「ああ、そういえば……あの子が居ないと寒いわよね? ごめんなさいね、気が付かなくて」
ぱくぱくと金魚のように動くシモネッタの口をまた押さえ付け、その喉にガスを流し込む
「皮膚感覚をとてもとても弱くさせてあげたわ。これで寒さも熱さもほとんど感じないわ。その代わり、皮膚にものが触れる感触も薄くなってしまっているけれど」
触覚を弱らせる
それは服も、地面も、空気すらもそこにある事が希薄に感じられるという事
まるで宙を漂っているかのような不安が全身を覆い、平衡感覚を失いかけて眩暈がしてくる
「そうそう……あの子を騙していた張本人、エイブラハムについて聞きたい事があるの」
トライレスはにっこりと微笑んだ
己の血で、クラリッサの血でべったりと染め上げられた顔で、にっこりと
「でも大事な仲間の事は、そう簡単に喋ってはくれないわよね……そうよね、やっぱり」
瞬きをする間もなく、突然現れる数多の拷問具
既に語るまでもない『鉄の処女』
内向きの棘が大量についた檻『鉄の鳥篭』
シモネッタも裂邪に対して使った『ファラリスの雄牛』
四肢を括ったロープをローラーで巻き取り犠牲者を引き伸ばす『ラック』
三角木馬どころではない鋭角な三角錐の台座、『ユダの揺り籠』や『魔女の楔』
棘のついた万力で膝を挟み込む『膝スプリッタ』
棘のない万力も頭部用、指用、腕用、肘用、胸部用と揃い踏み
顎の下に取り付け常に上を向かせ続ける両頭のフォーク『異端者のフォーク』
拘束した犠牲者の皮膚を棘のついたローラーが引き裂いていく『野ウサギ』
全身を箱に詰めて万力で圧縮する『リッサの鉄柩』
口や局部に押し込んで内部を無理矢理押し広げる『洋梨』
座面にびっしりと鋭い棘が埋め込まれた『審問椅子』
イバラ、皮、鉄片、様々な素材の鞭が提げられた台座や、用途の判らない異様な色の薬品が詰められた数多の瓶
炉には煌々と炭が燃え、無数の焼き鏝が並べられ、大理石の彫刻からは水がとめどもなく溢れ出す
壮麗な台座には小さなものは虫ピン程度のもの、大きなものは五寸釘ほどもある針がずらりと並ぶ
その他にも数え上げればきりが無い、視界の全てを埋め尽くすほどの拷問具の数々
「解説は必要無いわよね……ほとんどが魔女狩りで使われてたものですもの。かつて『鉄の処女』や『鳥篭』で満足していた伯爵夫人も大喜びの品揃えだわ」
町の一角だった光景はいつの間にか石造りの大部屋へと変貌し、むせ返るような血の匂いが辺りを満たす
「『部屋』まで喚び出したのは、もう何年振りかしらね」
裂邪によって付けられたシモネッタの傷を、その指先でそっと優しく撫でながら微笑むトライレス
「早く話してくれれば、あなたは助かるかもしれないわ。さっきのガスで痛みも和らいでいるでしょうし、これからする事の痛みでショック死する事は無いでしょうしね……ガスが切れたらどうなるか判らないけど」
シモネッタは首を振る
それは喋らないという事ではない、最初のガスのせいで喋れないと訴えかけているのだ
「安心しなさい……私は別に、あなたの血なんて浴びたいわけじゃないの」
今までと何も変わらない笑顔
だがその質だけが一辺する
昼間の陽気なサーカスで見たピエロが、真夜中に自宅の寝室で斧を手に全く同じ顔で立っているような、全く外見の変わらない雰囲気の変貌
「豚の血を浴びる趣味は無いの。絞れるだけ搾り取ったらドブにでも捨ててあげるわ」
部屋中の拷問具が、まるで意思を持っているかのように
餌を与えられず飢えた猛獣のように、がたがた、がちがちと音を立てて蠢く
「ああ、そうそう……私は医術の心得があるから。少なくとも部屋にあるものを全部体験するまでは、きちんと手当てをして死なないようにしてあげるわね?」
魔女は嘲う
魔女狩りをする魔女を捕まえて
被せられた罪を返す相手を見つけて
物言わぬ数多の従者達と共に、げらげらと嘲笑い続けていた
殺される
シモネッタは己の身体を灼く熱量を感じながら、既に顔を上げるだけで精一杯の有様だった
「ウヒヒヒヒ……トドメと行きやしょうかぁ!」
少年、裂邪の炎の鞭が振り下ろされ、その一撃がシモネッタを打ちのめそうとしたその瞬間
その首にがちりと嵌り込む鋼鉄の首輪
伸びる鎖は炎に囲まれた外から伸びているが、溶解どころか赤熱する様子すら見えない
「何をするつもりだ!」
「違っ……これは、私のものじゃ」
シモネッタが言葉を言い切る前に、鎖が凄まじい勢いで手繰り寄せられる
「ひぐっ!?」
首に掛かる急激な負荷もあったが、それ以上に
鎖は炎の輪の外へと続いている
鉄すら溶解させる温度、種類にもよるがおよそ1000度以上
「ひぃっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
勢い良く炎の輪へと頭から突っ込んだシモネッタ
中身の無い人型の炎の塊をぶち抜いて、輪の外へと無理矢理引き出された
アスファルトの上を二、三度跳ねて引き摺られるが、その身体が焼き尽くされる事は無かった
「はっ……ひ……」
恐怖と、ようやくまともに呼吸ができるようになったせいで、ただただ荒く息をするばかり
その姿を見下ろすように、全身を血で染めた裸身の少女が悠然と見下ろしていた
「知っているかしら……『エリザベート・バートリー』は、濡れ衣が大嫌いなの」
辺り一面の雪が残さず溶け落ち蒸発する熱量の最中、鎖を握るその手から溢れ出す冷気は、ぱりぱりと鎖を凍りつかせていた
その手から溢れ出し続けるマイナス180度の窒素ガスは、炎の輪から離れた鎖をどんどんと冷やしていき、その首輪をも凍りつかせていく
「そこの可愛い坊や。お楽しみのところ悪いんだけれど……この玩具、譲ってくれないかしら?」
「逃がしてやろうっていうのか? 悪いが、どう見ても反省するとかするタイプじゃないぜ」
既に抵抗すら出来ないシモネッタを見てなお、裂邪はそう言い放つ
「そんな……事……は……」
「黙れ」
生きてさえいればどうにかなる
そう考えたシモネッタが何か言おうとしたその口を、トライレスの手のひらが塞ぎ白いガスを注ぎ込む
「……っ!? …………! ……!?」
途端に喉の感覚が失われ、灼かれた痛みも狂おしいまでの乾きも、声どころか呼吸しているという感覚すら失われる
「この牝豚の小賢しい企みで濡れ衣を着せられて、二十二回ぐらい死ぬような目に遭わされたの。仕返しぐらい、させてくれてもいいじゃない」
「こうやって戦ってるから、まあ普通じゃないのは判るけどな。可愛い女の子が人を傷つけたり殺したりっての、俺は嫌なんだけど」
尚も渋る裂邪に、トライレスはにっこりと微笑む
「それにね、あなたには頼みたい事があるの」
ついと視線を背後に向けると、そこには首に血の滲んだ布を巻いたクラリッサが倒れていた
「その子を北区の診療所まで運んで下さらない? 私の体格じゃ無理なの。応急処置はしてあるけど、きちんとした手当てをしないと死んじゃうから」
「……ずるいな」
「女の子は須らくずるいものよ。それを許すのが男の子の度量」
やれやれといった調子で裂邪は倒れたクラリッサの傍らに屈み込む
そこに落ちてたのは、クラリッサが持っていたナイフと、小さなソーイングキット
「死ぬような怪我の応急処置を、これでやったのかよ」
呆れたような感想を漏らしながら、裂邪はクラリッサを抱える
「ウィル、もう一働き頼む」
《あっしよりも、心配なのは旦那なんですってば……まったく》
「呑まれるってのは力に溺れる事や、存在を侵食される事だけじゃない……心が折れるという事もあるんだ。誰かのために力を使う事で、俺は呑まれたりはしない」
《格好つけるのはいいんですがね、無茶の口実にはしないでくだせぇや。今日はこれで終いですぜ?》
再び炎を纏う裂邪だが、その熱量のほとんどは空を飛ぶ事に
そして冬の寒空から血を失ったクラリッサの身体を守る熱の壁に充てられる
「飛ぶだけなら全力でいったって問題無ぇ! 急ぐぞ!」
《合点承知!》
陽炎を曳きながら一瞬で空高く舞い上がった裂邪を見送り、安心したように表情を歪めるトライレス
「さて……優しい優しい坊やはここを離れてくれたわ。これでもう、邪魔者は居ない」
呼吸も上手くできずに身悶えするシモネッタを、鎖を引いて無理矢理引き起こした
その瞬間、残る力を振り絞ってトライレスの背後に『鉄の処女』を召喚する
その身体を丸呑みするかのように喰らいつき、鋭い針が柔肌を貫いて再生も出来ぬままに絶命させる
はずだった
『鉄の処女』はその口を大きく開いたまま、微動だにしないでただ沈黙している
「………………?」
呆然とするシモネッタに、トライレスはふふと微笑む
「私は拷問具を召喚し、操れる。それが例え自分のものでなくても同じ……年季が違うわ、400年ぐらい」
口を開けたまま動きを止めた『鉄の処女』は、トライレスに撫でられるとゆっくりとその口を閉じて沈黙してしまう
「ああ、そういえば……あの子が居ないと寒いわよね? ごめんなさいね、気が付かなくて」
ぱくぱくと金魚のように動くシモネッタの口をまた押さえ付け、その喉にガスを流し込む
「皮膚感覚をとてもとても弱くさせてあげたわ。これで寒さも熱さもほとんど感じないわ。その代わり、皮膚にものが触れる感触も薄くなってしまっているけれど」
触覚を弱らせる
それは服も、地面も、空気すらもそこにある事が希薄に感じられるという事
まるで宙を漂っているかのような不安が全身を覆い、平衡感覚を失いかけて眩暈がしてくる
「そうそう……あの子を騙していた張本人、エイブラハムについて聞きたい事があるの」
トライレスはにっこりと微笑んだ
己の血で、クラリッサの血でべったりと染め上げられた顔で、にっこりと
「でも大事な仲間の事は、そう簡単に喋ってはくれないわよね……そうよね、やっぱり」
瞬きをする間もなく、突然現れる数多の拷問具
既に語るまでもない『鉄の処女』
内向きの棘が大量についた檻『鉄の鳥篭』
シモネッタも裂邪に対して使った『ファラリスの雄牛』
四肢を括ったロープをローラーで巻き取り犠牲者を引き伸ばす『ラック』
三角木馬どころではない鋭角な三角錐の台座、『ユダの揺り籠』や『魔女の楔』
棘のついた万力で膝を挟み込む『膝スプリッタ』
棘のない万力も頭部用、指用、腕用、肘用、胸部用と揃い踏み
顎の下に取り付け常に上を向かせ続ける両頭のフォーク『異端者のフォーク』
拘束した犠牲者の皮膚を棘のついたローラーが引き裂いていく『野ウサギ』
全身を箱に詰めて万力で圧縮する『リッサの鉄柩』
口や局部に押し込んで内部を無理矢理押し広げる『洋梨』
座面にびっしりと鋭い棘が埋め込まれた『審問椅子』
イバラ、皮、鉄片、様々な素材の鞭が提げられた台座や、用途の判らない異様な色の薬品が詰められた数多の瓶
炉には煌々と炭が燃え、無数の焼き鏝が並べられ、大理石の彫刻からは水がとめどもなく溢れ出す
壮麗な台座には小さなものは虫ピン程度のもの、大きなものは五寸釘ほどもある針がずらりと並ぶ
その他にも数え上げればきりが無い、視界の全てを埋め尽くすほどの拷問具の数々
「解説は必要無いわよね……ほとんどが魔女狩りで使われてたものですもの。かつて『鉄の処女』や『鳥篭』で満足していた伯爵夫人も大喜びの品揃えだわ」
町の一角だった光景はいつの間にか石造りの大部屋へと変貌し、むせ返るような血の匂いが辺りを満たす
「『部屋』まで喚び出したのは、もう何年振りかしらね」
裂邪によって付けられたシモネッタの傷を、その指先でそっと優しく撫でながら微笑むトライレス
「早く話してくれれば、あなたは助かるかもしれないわ。さっきのガスで痛みも和らいでいるでしょうし、これからする事の痛みでショック死する事は無いでしょうしね……ガスが切れたらどうなるか判らないけど」
シモネッタは首を振る
それは喋らないという事ではない、最初のガスのせいで喋れないと訴えかけているのだ
「安心しなさい……私は別に、あなたの血なんて浴びたいわけじゃないの」
今までと何も変わらない笑顔
だがその質だけが一辺する
昼間の陽気なサーカスで見たピエロが、真夜中に自宅の寝室で斧を手に全く同じ顔で立っているような、全く外見の変わらない雰囲気の変貌
「豚の血を浴びる趣味は無いの。絞れるだけ搾り取ったらドブにでも捨ててあげるわ」
部屋中の拷問具が、まるで意思を持っているかのように
餌を与えられず飢えた猛獣のように、がたがた、がちがちと音を立てて蠢く
「ああ、そうそう……私は医術の心得があるから。少なくとも部屋にあるものを全部体験するまでは、きちんと手当てをして死なないようにしてあげるわね?」
魔女は嘲う
魔女狩りをする魔女を捕まえて
被せられた罪を返す相手を見つけて
物言わぬ数多の従者達と共に、げらげらと嘲笑い続けていた