ドクター103
「ただいまー♪」
診療所の待合室で、長椅子に突っ伏していた沙々耶の耳に飛び込んできた明るい声
「あれ、トライレスさん……お出掛けしてたんだ」
沙々耶は基本的にペットショップ勤務で診療所の方はあまり顔を出さない
ここ数日トライレスが単独でうろついていた事を知らされてはいなかったのだ
「すいませーん、急患が二軒入ってて皆そっちに掛かり切りなんですよ」
のそのそと長椅子から起き上がり、犬達が整然と並んでいるであろう玄関口をひょいと覗き込む
「あら、沙々耶ちゃん♪」
微笑み手を振るトライレスの身体から、雪と水と氷が混じったものがぱたぱたと落ちる
吹雪とまではいかないものの、しんしんと雪が降りしきる中を全裸で歩いてきたらしい彼女の髪は、すっかり雪で白く覆われていた
体温で溶けた雪が水となりその全身を冷やしたのだろう、血で汚れた肌を殊更白くして小刻みに震わせている
「……なんて格好してるんですか」
「しょうがないでしょう、着てたもの全部破かれちゃったのよ?」
叱られた子供が言い訳をするかのように、ぷうと頬を膨らませて答えるトライレス
そんな彼女の手に鎖が握られており、それが入り口の扉の隙間から外へ続いている事に沙々耶は気付く
「何ですかそれ。鎖で繋がなきゃいけないようなものでも捕まえてきたんですか?」
「ふふ……豚を一匹、ね」
「とりあえず拭くものと着るもの借りてきますから、その豚さんも中に入れてあげたらどうですか? 犬はいっぱい居ますけど総統のとこの子達ですから襲ったりしませんよ」
「あらそう? それはそれで残念ねぇ」
「残念って、何言ってるんですかもう」
取り急ぎタオルと服を借りてくるべく、診療所の奥にある居住区へと駆けていく沙々耶
その後姿を見送ってから、トライレスは意地悪そうにくすくすと笑う
「入って良いそうよ? 良かったわね、あなたの悪行を知られてなくて」
「……ご……べ……なざ……」
寒さのせいか、それとも別の理由か
涙と鼻水でぐずぐずになった顔で、ぺたぺたと四つん這いで診療所の土間に入ってくるシモネッタ
トライレスと同じように全身を溶けた雪でずぶ濡れにし、頭と背中には溶けきらない雪を積もらせ
膝と手のひらは冷たい雪の上を這ってきたせいで、霜焼けか凍傷かといった有様で真っ赤になっていた
「それにしてもだらしないわねぇ……主の私も同じ格好で、薄鈍いあなたに合わせて歩いてきてあげたのに」
寒さのせいか恐怖のせいか、がたがたと震えの止まらないシモネッタ
「私の若い頃なんて、真冬の川に一時間沈められた後に吹雪の中一晩吊るされたりしたものよ? やる側だったあなた達がそんな調子じゃダメねぇホント」
「ごべん……ざい……ご……なざい……」
鼻を詰まらせ、舌も回らず
震えながら許しを乞う事だけしか許されていない
逆らえばどうなるかは、『部屋』でたっぷりとその身体に躾られている
「もしクラリッサがあなたを許してくれたなら、処遇は彼女に任せるわ。まあ許してくれなくても……最悪、私の『部屋』からは逃れられるかもしれないわね?」
シモネッタがトライレスから逃れられる二つの道は、生と死
その二つの道が閉ざされた時には、永遠の責め苦が待っているのだ
「彼女が死んでしまっていたらアウト。心が壊れてまともな受け答えができなくてもアウト。まあそんな事になってたら、どちらもあなたのせいだもの、因果応報よね」
そんな事を語っているうちに、タオルと着易さを優先したらしいバスローブを抱えて戻ってくる沙々耶
そしてトライレスの足元に居るシモネッタの姿を見て、露骨に眉を顰める
「もう一人居るなら先に言って下さいよ、もう」
「あら、言ったでしょう? 豚が一匹居るって。豚に気遣いは無用よ」
曇りの無い笑顔でそう答えるトライレスに、沙々耶は呆れたように溜息を漏らす
「メイちゃんも来てるんですから、そういうの止めて下さいね。着るもの用意しますから」
「ノリの悪い子ねぇ」
「ツッコミが足りなさ過ぎるんです、ここの関係者。有羽さん早く戻って来ないかな……」
げんなりした様子で、改めてもう一人分のバスローブを抱えて戻ってくる沙々耶
「まあツッコミ不足は置いといて。怪我人の女の子を連れた男の子、来てるでしょ?」
「来てますよ。お陰で酷い目に遭いました」
裂邪とクラリッサに遭遇したお陰で、クールトーにもの凄い勢いで引き摺りまわされた沙々耶は、心底迷惑そうに顔を顰める
「女の子の方はドクターが処置して病室に運んでます。男の子の方も手当てして病室に運んであったそうなんですが、ちょっと目を離した隙に居なくなったみたいです」
「あら残念。また何処かでご縁があれば良いのだけれど」
そう言ってトライレスは沙々耶に微笑みかける
「女の子の方の病室は何処? お話があるの」
「……あの子の怪我、あなたがやったんじゃないでしょうね」
「あんなすぐ死んじゃうような傷を負わせて、逃がすわけがないじゃない……ねぇ?」
バスローブを羽織ったものの、未だ四つん這いで土間に縮こまっていたシモネッタがびくりと身体を竦ませる
「私がやるなら、即死か永遠の苦しみか……そして捕まえたら絶対に逃がさない」
「あなた達が身内でよかったと心の底から思います」
診療所の待合室で、長椅子に突っ伏していた沙々耶の耳に飛び込んできた明るい声
「あれ、トライレスさん……お出掛けしてたんだ」
沙々耶は基本的にペットショップ勤務で診療所の方はあまり顔を出さない
ここ数日トライレスが単独でうろついていた事を知らされてはいなかったのだ
「すいませーん、急患が二軒入ってて皆そっちに掛かり切りなんですよ」
のそのそと長椅子から起き上がり、犬達が整然と並んでいるであろう玄関口をひょいと覗き込む
「あら、沙々耶ちゃん♪」
微笑み手を振るトライレスの身体から、雪と水と氷が混じったものがぱたぱたと落ちる
吹雪とまではいかないものの、しんしんと雪が降りしきる中を全裸で歩いてきたらしい彼女の髪は、すっかり雪で白く覆われていた
体温で溶けた雪が水となりその全身を冷やしたのだろう、血で汚れた肌を殊更白くして小刻みに震わせている
「……なんて格好してるんですか」
「しょうがないでしょう、着てたもの全部破かれちゃったのよ?」
叱られた子供が言い訳をするかのように、ぷうと頬を膨らませて答えるトライレス
そんな彼女の手に鎖が握られており、それが入り口の扉の隙間から外へ続いている事に沙々耶は気付く
「何ですかそれ。鎖で繋がなきゃいけないようなものでも捕まえてきたんですか?」
「ふふ……豚を一匹、ね」
「とりあえず拭くものと着るもの借りてきますから、その豚さんも中に入れてあげたらどうですか? 犬はいっぱい居ますけど総統のとこの子達ですから襲ったりしませんよ」
「あらそう? それはそれで残念ねぇ」
「残念って、何言ってるんですかもう」
取り急ぎタオルと服を借りてくるべく、診療所の奥にある居住区へと駆けていく沙々耶
その後姿を見送ってから、トライレスは意地悪そうにくすくすと笑う
「入って良いそうよ? 良かったわね、あなたの悪行を知られてなくて」
「……ご……べ……なざ……」
寒さのせいか、それとも別の理由か
涙と鼻水でぐずぐずになった顔で、ぺたぺたと四つん這いで診療所の土間に入ってくるシモネッタ
トライレスと同じように全身を溶けた雪でずぶ濡れにし、頭と背中には溶けきらない雪を積もらせ
膝と手のひらは冷たい雪の上を這ってきたせいで、霜焼けか凍傷かといった有様で真っ赤になっていた
「それにしてもだらしないわねぇ……主の私も同じ格好で、薄鈍いあなたに合わせて歩いてきてあげたのに」
寒さのせいか恐怖のせいか、がたがたと震えの止まらないシモネッタ
「私の若い頃なんて、真冬の川に一時間沈められた後に吹雪の中一晩吊るされたりしたものよ? やる側だったあなた達がそんな調子じゃダメねぇホント」
「ごべん……ざい……ご……なざい……」
鼻を詰まらせ、舌も回らず
震えながら許しを乞う事だけしか許されていない
逆らえばどうなるかは、『部屋』でたっぷりとその身体に躾られている
「もしクラリッサがあなたを許してくれたなら、処遇は彼女に任せるわ。まあ許してくれなくても……最悪、私の『部屋』からは逃れられるかもしれないわね?」
シモネッタがトライレスから逃れられる二つの道は、生と死
その二つの道が閉ざされた時には、永遠の責め苦が待っているのだ
「彼女が死んでしまっていたらアウト。心が壊れてまともな受け答えができなくてもアウト。まあそんな事になってたら、どちらもあなたのせいだもの、因果応報よね」
そんな事を語っているうちに、タオルと着易さを優先したらしいバスローブを抱えて戻ってくる沙々耶
そしてトライレスの足元に居るシモネッタの姿を見て、露骨に眉を顰める
「もう一人居るなら先に言って下さいよ、もう」
「あら、言ったでしょう? 豚が一匹居るって。豚に気遣いは無用よ」
曇りの無い笑顔でそう答えるトライレスに、沙々耶は呆れたように溜息を漏らす
「メイちゃんも来てるんですから、そういうの止めて下さいね。着るもの用意しますから」
「ノリの悪い子ねぇ」
「ツッコミが足りなさ過ぎるんです、ここの関係者。有羽さん早く戻って来ないかな……」
げんなりした様子で、改めてもう一人分のバスローブを抱えて戻ってくる沙々耶
「まあツッコミ不足は置いといて。怪我人の女の子を連れた男の子、来てるでしょ?」
「来てますよ。お陰で酷い目に遭いました」
裂邪とクラリッサに遭遇したお陰で、クールトーにもの凄い勢いで引き摺りまわされた沙々耶は、心底迷惑そうに顔を顰める
「女の子の方はドクターが処置して病室に運んでます。男の子の方も手当てして病室に運んであったそうなんですが、ちょっと目を離した隙に居なくなったみたいです」
「あら残念。また何処かでご縁があれば良いのだけれど」
そう言ってトライレスは沙々耶に微笑みかける
「女の子の方の病室は何処? お話があるの」
「……あの子の怪我、あなたがやったんじゃないでしょうね」
「あんなすぐ死んじゃうような傷を負わせて、逃がすわけがないじゃない……ねぇ?」
バスローブを羽織ったものの、未だ四つん這いで土間に縮こまっていたシモネッタがびくりと身体を竦ませる
「私がやるなら、即死か永遠の苦しみか……そして捕まえたら絶対に逃がさない」
「あなた達が身内でよかったと心の底から思います」
―――
「困ったわね」
ミツキはベッドの傍らに置かれた現金を数えてそう呟いた
「ドクターのお薬、正規の治療じゃないからお金は戴いてないのに」
「でもあれって結構コスト掛かってるんじゃないんですか?」
ベッドを整え直していたデリアが、不思議そうにそう問い返す
「ドクターの主義ですよ。都市伝説関係の治療は保険が利きませんしね」
「それにしても、どうしようかしら……届けてあげようにも、まだ身元確認はしていなかったでしょう?」
「仕方ないですね、町で見かけたら声を掛けるという事で心に留めておきましょう」
「顔をちゃんと見てるの、デリアちゃんとメイちゃんだけですものね。お願いするわ」
「あれ、沙々耶は?」
「顔を覚えてる余裕、多分無かったわよアレ」
苦笑を浮かべるミツキの腕を、遠慮がちにメイが突付いた
「クールトー、わかるかも、ですよ?」
「ああ、そのお金の持ち主のにおいを覚えておいて貰えば、散歩がてら見つけられるかもしれませんね」
「うん、それじゃあメイちゃんとクールトーにお願いしようかしら」
そう言ってミツキは、封筒にお札を収めてメイに手渡す
「大事な預かり物だから、無くさないように気をつけてね」
「はい、ちゃんと、おとどけする、です」
メイは受け取った封筒を大事そうにぎゅっと握り締める
「がんばってさがす、ですよ」
「あんまり大事に持ってると、においがメイちゃんのものになっちゃうかもね」
「む。それでは、さきに、クールトーに、おねがいする、ですよ?」
「それじゃあよくクールトーと一緒の沙々耶にも言伝しておきましょうか。行きましょうメイ」
封筒を握り締めたまま病室から駆け出していくメイと、それを追っていくデリア
「……早く騒動が収まると良いんですけど」
ミツキは病室を出て行った二人に聞こえない程度の声で、不安げに呟いた
学校町のあちこちで大規模な戦闘が繰り広げられている現状では、彼女達が容易に出歩く訳にはいかないのだから
ミツキはベッドの傍らに置かれた現金を数えてそう呟いた
「ドクターのお薬、正規の治療じゃないからお金は戴いてないのに」
「でもあれって結構コスト掛かってるんじゃないんですか?」
ベッドを整え直していたデリアが、不思議そうにそう問い返す
「ドクターの主義ですよ。都市伝説関係の治療は保険が利きませんしね」
「それにしても、どうしようかしら……届けてあげようにも、まだ身元確認はしていなかったでしょう?」
「仕方ないですね、町で見かけたら声を掛けるという事で心に留めておきましょう」
「顔をちゃんと見てるの、デリアちゃんとメイちゃんだけですものね。お願いするわ」
「あれ、沙々耶は?」
「顔を覚えてる余裕、多分無かったわよアレ」
苦笑を浮かべるミツキの腕を、遠慮がちにメイが突付いた
「クールトー、わかるかも、ですよ?」
「ああ、そのお金の持ち主のにおいを覚えておいて貰えば、散歩がてら見つけられるかもしれませんね」
「うん、それじゃあメイちゃんとクールトーにお願いしようかしら」
そう言ってミツキは、封筒にお札を収めてメイに手渡す
「大事な預かり物だから、無くさないように気をつけてね」
「はい、ちゃんと、おとどけする、です」
メイは受け取った封筒を大事そうにぎゅっと握り締める
「がんばってさがす、ですよ」
「あんまり大事に持ってると、においがメイちゃんのものになっちゃうかもね」
「む。それでは、さきに、クールトーに、おねがいする、ですよ?」
「それじゃあよくクールトーと一緒の沙々耶にも言伝しておきましょうか。行きましょうメイ」
封筒を握り締めたまま病室から駆け出していくメイと、それを追っていくデリア
「……早く騒動が収まると良いんですけど」
ミツキは病室を出て行った二人に聞こえない程度の声で、不安げに呟いた
学校町のあちこちで大規模な戦闘が繰り広げられている現状では、彼女達が容易に出歩く訳にはいかないのだから