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考察ありがとうございます!
藤子A先生のブラックユーモアがスポンサーや制作放送側には少し受け入れられなかったのでしょうか…
Bプロとしては適切でないという意見が当時出てお蔵入りになってしまったように思えます -
他の考察要素として
ここは60年台当時を生きていない人間が頓珍漢なことを言っていると申し訳ないのですが。
SFやファンタジーではなく、当時の現代日本が舞台かつ明確にお金を稼ぐ事がテーマで
フーテン・風来坊・バガボンド・放浪者である少年フータくんをスポンサー予定のヤクルトはどう取ったか -
連載が終了したからお蔵となったのか。お蔵と関連して連絡終了したのかは不明。
フータくんの『週刊少年キング』での連載は1967年5月21号掲載まで
怪物くんの原作は
1965年2月号 - 1969年5月号まで、少年画報社の『少年画報』にて連載。
そしてフータくん連載終了後の1967年6月 - 1969年5月に『週刊少年キング』でも連載。 -
そんな時代に関連して、モノクロである旧『怪物くん』のパイロットフィルムがカラーで存在するらしい。(DVDには未収録)
これは、『怪物くん』のスポンサーである不二家を説得するための見本としてカラーで作成された意図があるようです。
https://fujikokei.exblog.jp/14691956/ -
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お蔵入りの個人考察
日本放送映画 アニメ作品一覧 より
>先に放送開始していた「とびだせ!バッチリ」が1クール延長したことで「フータくん」の製作はストップし、放送が延期されることとなります。
フータくんはモノクロと思われていたが、実際にはカラー(15分×2本予定)だったわけですが、
この時期の社会現象にもなったTBSの藤子作品はモノクロってのが
当時の制作・予算・スポンサーへの負荷として重要な要素なような。
オバケのQ太郎(第1作) 1965年8月29日 - 1967年3月26日
パーマン(第1作) 1967年4月2日 - 1968年4月14日
怪物くん(アニメ第1作) 1968年4月21日 - 1969年3月23日 -
放送日はリストとして書いてますが年代的に録画テープは絶望的でしょうね。それがゆえにフータくんのアニメ目撃証言はラテ欄確認まで、都市伝説のように語られていたようですw
今回みたいにマスターフィルムの発見以外は難しそうですが、権利元が復活もしているので公式での発掘・復元は活発になりそうです。 -
調査ありがとうございます!
かなり限定的な地域で放送されたもので発見の難易度は高いかもしれませんね……
直リンクは一応NSFWコンテンツ以外OKにしてあると思うので大丈夫です! -
過去の目撃証言では恐らく広島での1972/12/11の放送で「一円玉をすてると一円玉になくよ」を元にした未発見エピソードが流れた様子。
https://koikesan.hatenablog.com/entry/20061207 -
現行の単行本1巻「一円玉をすてると一円玉になくよ」のあらすじ:
老人から物を大切にする事の教えを受け、1円が足りない支払いでのトラブルも見たフータくんは、ごみ拾いを始めてトースターを欲しがる路上生活者風の男と壺と交換する。トースターの中には捨てた家族のへそくりが入っていたがパンを焼いた際に焦げて風に舞ってしまう。一方、壺が大変高価なもので老人に売れたため、金の半分を男に渡そうとするが、男はトースターを取り返しに来たと思い逃げてしまった。
現行の単行本4巻「ビヨーンとでました宇宙人」のあらすじ:
空から降ってきた円盤より現れた太った宇宙人は中年の男性で、宇宙に憧れる足の不自由な息子のためにぬいぐるみを着ていた。彼はフータくんにバイトで家での宇宙人のフリを頼むが、息子にぬいぐるみであることはバレてしまう。ところがその後、本物の小さな宇宙人が現れていたずらを始める。格闘とショックの末、足が回復していることに気づき、逃げていく本物の宇宙人に感謝するのだった。 -
本家wikiからプレーンに翻訳しちゃいましたが、「日本放送映画 アニメ作品一覧」にめちゃくちゃ詳細な情報書いてありますね。。。
⇒「日本版追記」
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