1953年8月28日、日本テレビは日本初の民間放送局となった。午前11時20分、日本テレビの開局式が生中継され、続いて午前11時50分から祝賀舞踊「寿式三番叟」が披露された。その後、午前11時59分30秒から正午まで、東京・銀座の精工舎(訳注:服部時計店(現セイコーグループ株式会社)の製造・開発部門が当時名乗っていた社名)が正午を告げる30秒間のコマーシャルを放映した。これが日本で最初に放映されたコマーシャルと考えられている。このコマーシャルは逆回しで放映されたため、日本初の放送事故ともされている。
「日本初のCM」という誤情報
セイコーは「日本初のテレビCM」として以下の動画を公開したが、このCMは日本テレビが開局した日の午後7時に放映されたものなので誤り。したがって、これはセイコーの2本目のCMとなる。
セイコーはこの動画の解説文で「本来は正午に放送されるはずでしたが、フィルムが裏返しに掛けられてしまったためにわずか3秒で中止されるというハプニングがあり、同日夜7時に第2号CMとして放映されました」と説明しているが、これは日本テレビの開局式に出席していた当時の電通社員(後の同社常務取締役)の内藤俊夫によって強く否定されている。
CMが3秒で止まったという話の出典は、1961年4月19日の電通報に掲載の、当時広告部長だった片山俊三郎の回想録だと思われる。
CMが3秒で止まったという話の出典は、1961年4月19日の電通報に掲載の、当時広告部長だった片山俊三郎の回想録だと思われる。
この第一号はとんだことになった。フィルムが裏返しに放送されてしまったのである。もちろん、音は出ない。それどころか、サウンド部分がチラチラと画面にでている。私は思わず息をのんだ。担当もおどろいたのであろう。時報はセイコーというタイトルがでたところで、フィルム放送を中止してしまった。その間、僅か三秒足らず。
(『電通報』1961年4月19日号)
片山と内藤どちらの証言が正しいのか定かではないが、開局当時は内藤が現場にいたことから、(訳注:内藤を始め複数の関係者が主張している)「逆回しで30秒間放送された」という説が正しい可能性が高い。
ちなみに以下の動画はセイコーの正午を知らせるCMだが、これも開局翌日の29日に放映されたもので初CMではない。
発見状況
このCMは完全に失われてしまった。日本テレビ開局から10年後の1963年に記念特別番組を制作した際、電通から代表的な初期のCMフィルム数本を借り受けたが、番組放映後にスタッフがフィルムを全て破棄してしまったのだ。その中にはセイコーのCMも含まれていた。破棄した理由は不明で、内藤はこの悲劇について非常に残念だと語っている。
現存するのは1978年刊行の『CM25年史』に掲載された、CMのキャプチャー画像4枚のみである。

『CM25年史』より、コマーシャルのキャプチャー画像4枚。
ナレーション原稿
『CM25年史』にはCMの書き起こし(訳注:ナレーション原稿とされる文章)が含まれている。
腕時計は一秒間に五回、一昼夜には四十三万二千回も回転しております。一年に一回は必ず分解掃除をいたしましょう。———セイコー舎の時計が正午をお知らせします。
(全日本CM協議会編『CM25年史』講談社 137ページより)
初CM候補
茨城大学人文社会科学部教授の高野光平は、このセイコーのCMが初代CMだとする説に疑問を呈し、他の候補を挙げている。
セイコーのCMの前に放送されていた「寿式三番叟」は東芝がスポンサーだった。高野は「東芝がスポンサーだった以上、仮に映像表現がなくても番組放送時には何らかのCMが流れていたと考えるのが自然」だとした。番組内でアナウンサーが広告を含んだセリフを言ったらそれはCMであり、日本初のCMとみなすべきだと言う。
しかし「寿式三番叟」の映像は確認できないため、このCM(訳注:宣伝セリフ等CMらしい要素)が存在したかどうかは不明である。そのため、高野はセイコーのCMが「暫定的に」日本初のCMであると述べた。
しかし「寿式三番叟」の映像は確認できないため、このCM(訳注:宣伝セリフ等CMらしい要素)が存在したかどうかは不明である。そのため、高野はセイコーのCMが「暫定的に」日本初のCMであると述べた。