M.A.I.D.ORIGIN's 六話

(投稿者:ししゃも)



「同志から連絡が入ったそうだな」
 明かりが点いてない部屋の中で、時雨は呟いた。部屋の片隅で、愛刀ムラマサを抱くようにして彼は座っていた。その横を、皇国の女中のような格好をした女性が、壁に凭れるように立っている。
 眼鏡をかけた女中の背中には、身の丈ほどの大きな刀が鞘に納められていた。それは、時雨が抱いているムラマサより大きい。
 女中は、皇国の見本となるような風貌をしていた。肩まで届く黒髪を後ろに括った、活発そうな髪形をしているが、顔はおっとりとしていた。眼鏡もかけているので、余計にそう見えるかもしれない、と時雨は思う。
 最初、彼女を見たときは、武家として有名な朝川家の次女……朝川千早とは思えなかった。千早は争いを嫌うような、平和的な雰囲気だった。しかし、本当の彼女は違う。
 千早と対峙した時雨にとって、それはまさしく獣だった。あの時は、人生で二度目の『死の覚悟』をしたほどだ。
「ええ。ところで、風の噂でお聞きしたのですが、貴方は朝川真美と手合わせしたそうですね」
 女中……朝川千早はそう言うと、掛けていた眼鏡のブリッジを右手の人差し指で押し上げた。時雨は、顎に生えた無精髭を左手で擦ると、二週間前のフロレンツの出来事を思い出した。
生と死の隣り合わせの中、時雨は朝川真美を倒した。しかし、彼女は武士としての意気込みが無いと悟り、止めは刺さなかった。中途半端な者を、ムラマサの錆にさせるのはもったいないと思ったからだ。
「左様だ」
 時雨はそう言うと、千早は鼻で笑う。その動作で微かに動いたのか、千早の背中に納められた刀が壁に当たり、鈍い音を部屋に響かせた。
「真美姉さんは、負けず嫌いなのです。姉さんは再戦を所望されますよ、時雨さん」
「そうなってほしいものだな」
 もしそうなれば、また完膚なきまで叩き潰すだけだ。千早にとって、朝川真美は姉であるが、もはや他人同然の存在になっていた。時雨自身が朝川真美を殺しても、千早は何も文句は言わない。
 時雨はそんな千早を疑っていたが、彼女の生い立ちを知れば納得せざるを得なかった。千早はMAIDになった今、人間という存在を捨てた。だから彼女は黒旗の元で、彼女の理想を築こうとしている。
 時雨はその結末を見届けようとしていた。



第六話『敵の敵は』



 公安SS本部の自室で、モレイスは机に置かれた書類を眺めていた。ルナによる暴走事件に関するレポートだった。公安SSと第三研究所が共同して研究し、出来レースの結果になったものだ。
 瘴気に関するレポート。第三研究所の答えは、帝都内に瘴気もしくはそれと似たような性質を持つ物質による、MAIDの暴走。公安SSは、ルナの残留瘴気による偶発的な暴走。
 どちらも似たような答えに見える。だが、それは真実と事実であり、虚偽である。第三研究所の答えが、正しかった『かもしれない』。
 モレイスはこれまで、数々の事件に関わってきた。帝国そのものを疑いたくなるような、汚職、対立、暗殺の数々……。しかしその中で、故意に真実を隠した事件もあった。帝国の名誉と秩序のために、仕方が無いことだと割り切っていた。
 ルナの事件もそうだった。一つは、クリスチーノのために。もう一つは、帝国全土のために。公安SS局長の、たかが中佐である自分にとってそれが如何に重たい十字架なのは、身を持って知っていた。数年前の、『矛盾事件』の時から。
「どうすればいいんだろうな」
 誰も居ない局長室で、呟いた。そして、視線を書類に落とす。矛盾事件に関するレポートが書かれた書類が、彼の視界に映っていた。門外不出の、帝国の不祥事。もしこれがG-GHQに発覚すれば、自分の首が文字通りに飛ばされることになることは容易に想像できる。それ以前に、帝国の基盤がひっくり返ることは間違いないだろう。それほど重大な事件を、たった一人で隠蔽していた。この事件に関わった公安SS職員は健在なものの、彼らは真意を知らない。この事件の真相を知っているのは、モレイスしか居ない。
パラドックスシリーズか……。なぁ、アドルフよ。お前は何を思って、彼女らを造ったのだ。富の為か?名誉の為か?支配の為か?それとも、自己満足の為にか?」
 狂いに狂ったMAID技師に、モレイスは問いかけた。しかし、『彼女』はもうこの世に居ない。死んでいるのか、生きていることすらも分からないのだから。なぜ再び彼女のことを思うのか。それは、彼女が一人で堀り続けた、あの洞窟のせいかもしれない。
 元は帝都に置かれていた第三研究所。局長だったアドルフは、地下室に篭り、一人でに洞窟を掘り続けた。スコップとランプだけを頼りに、一心不乱に。矛盾事件が落ち着いた日、モレイスはその洞窟を発見した。そして、ランプの灯りを頼りに、ひたすら進んだ。一キロ以上歩いたかもしれない。それほどの距離を、彼女は一人で掘り続けていた。モレイスは、そんな彼女の執念を思い出しただけで、寒気が走った。
「自己満足以外にありえないな、アドルフよ」
 モレイスは呟き、彼女が掘った洞窟のことを思い返す。
 あの時、何度か引き返そうとしたが、背中を押されるような感覚の末にたどり着いた。アドルフの血と肉で封印された扉に。
 鉄製の、MG42の銃弾ではびくともしなさそうな頑丈な扉だった。その扉には、血で書かれたルーン文字と、肉片らしき物体が付着していた。オカルトの類を信じないモレイスだったが、あの時ばかりは不気味に感じた。
 意を決して、扉を開けようとしたが、無駄だった。その先にある何かを為に、一週間、モレイスはその扉の前で色々と工作した。業を煮やしてロケット砲を持ち出そうと考えたが、洞窟自体が崩壊する恐れがあった為、止めておいた。
 そして扉を開けることを諦めて、今日に至る。
「あの先に何があるんだろうな」
 少なからず、ルナの事件がその扉の先にある、何かのせいだと思っていた。しかし、辻褄が合わなかった。それに例の事件は、クリスチーノが引き起こしたのではないのか?黒旗のやることだ。それぐらいは平気でするだろうと、モレイスは思う。
 その時、ドアが三回ノックされる音が響いた。モレイスは腕時計を確かめると、時刻はちょうど午後三時を回っていた。
「入れ」
 横柄な態度でモレイスはそう言うと、ドアがゆっくりと開いた。
「失礼します、中佐」
 ドアを開けたのは、公安SSの制服を着た女性。知的な顔つきに、ふっくらした顔のパロン少尉だった。代々から公安SSに優秀な人材を輩出している有名なシュバイツ家の長女。モレイスが信頼する優秀な部下だった。モレイスは悟られないように、机の書類を片付ける。
「中佐、今日のご予定は?」
「今日は珍しくオフだよ。厄介な事務仕事も無ければ、接待も無い」
 モレイスはそう言いながら、封筒に書類をまとめて入れようとする。その時、ふとクリスチーノがルナの暴走事件の時に何をやっていたか気になった。書類を入れた封筒を手身近な所へ置き、パロン少尉に話しかける。
「少尉。11月19日の晩、帝都勤務の武装SS仕官たちの動向を教えてくれないか」
「はい。ブリッツ大尉は現場周辺の警備を。ファインツ少佐は要人護衛の為に20名の武装SSと共に護衛に。クリスチーノ少佐は……所属する部隊は制圧チームとして急行しましたが……」
 言葉を濁らせた少尉は、こめかみに左手の人差し指を当てると、頭の底から何かを思い出そうとした。モレイスは彼女が何かを思い出すまで、じっと待っていると。
「失礼しました。クリスチーノ少佐と四名余りの部下は、ルート46……国立美術館周辺で警備をしていました」
 パロン少尉は、モレイスと少し離れた距離で、そう言うとモレイスは「ありがとう」と例を言った。パロン少尉は、なぜモレイスがそれを聞いたのか詮索はしなかった。その点を含めて、モレイスはパロン少尉の能力を高く評価していた。
「了解です。それで、今週のご予定はどうしましょうか?」
「ああ、それなら……今日から、君に少し休暇を与えようと思ってな。お父上の具合が悪いと聞くし、たまには里帰りでもしたらどうだ」
 パロン少尉はモレイスからの言葉に、一瞬だけきょとんとした。凛とした態度の彼女には珍しい、面を食らった感じだった。
「書類の整理だけ済んだら、直帰でいいぞ」
「え、あ…あ、ハイ。……お気遣いありがとうございます」
 パロン少尉は、深々とお辞儀をすると、モレイスは「下がれ」と手で合図を送った。彼女は妙にそわそわしながら、「失礼します」と一言残して、部屋から去っていった。
「さて、これで心残りはなくなったな」
 あの晩、クリスチーノが警備していた国立美術館……それは、第三研究所が置かれていた場所。モレイスは不吉なことを考えた。



「私だ。カリオスだ」
 午後22時。パラドックス宛にカリオスからの電話がかかってきた。マイスターシャーレの方にカリオスからの電話は申告していたので、怪しまれることはなかった。既に就寝時間を過ぎているが、特別措置ということで電話を取ることが出来た。
 電話を取ったパラドックスの周りには、誰も居ない。受付の人はパラドックスに受話器を渡すと、仮眠を取りに行った。
「場所は?」
 単刀直入にパラドックスは場所を問う。カリオスは声をひそめて、静かに言った。
「帝都郊外で、奴らは集結している。マイスターの方で武器を持ち出すと不都合だから、こちらで必要なものは揃えている。それと、待ち合わせ場所は、テオリス川で落ち合おう」
「分かりました。すぐにそちらへ向かいます」
 パラドックスは電話を切ると、早歩きで自室に向かった。
 寝静まった寮内の一室。パラドックスはマイスターシャーレの教習服から、特務SS仕様のメイド服に着替え、準備を整える。そして、自室の窓際へ近づき、窓を開けた。冷たい12月の風が入ると、パラドックスは姿勢を低くして、窓から飛び降りる。音を立てないように、最小限の注意を払って着地。誰にも気づかれていないことを確認し、そのまま走り出した。
 帝都市民や治安維持隊に気づかれないよう、裏通りを使っていたので少しばかり時間が掛かった。帝都郊外を出て、少し離れたところのテオリス川へたどり着いた。急な坂道になっているテオリス川。周辺はごつごつとした岩に囲まれ、パラドックスは上を見上げる。上流の方は急な坂となっており、絶え間なく淡水が流れている。左右もまた、向こうから見下ろせるほどの高さになっていた。
 パラドックスは一息つこうと思った瞬間、背後に人の気配を感じた。
「来ましたか」
 それは、カリオス中尉とは全く別人の女の声だった。慌ててパラドックスは後ろに振り返ると、そこには黒旗の制服と甲冑を身に纏った、エーアリヒの姿が居た。こちらを見下ろすような角度におり、彼女は右手に奪われたネイルガンを持っていた。パラドックスがそれに気づいたのを確信すると、笑みを浮かべる。
「まぁ武器もお持ちにならずに……飛んで火に入る夏の虫とはこのことですね」
 エーアリヒはそう言うと、左手で何か合図を送ると、パラドックスの左から人影が現れた。横目でそれを確認すると、黒旗党員と思わしき集団が、無数の銃器をこちらに向けている。こちらも、パラドックスを見下ろす高さだった。
「カリオス中尉は?」
「あら、自身より他人の心配をなさるとはMAIDらしいですね。彼は特務SSらしい、体のよい情報提供者でしたわ。その功績に重んじて、今はそこら辺に放置されているでしょう。生死問わずですが」
 直後、エーアリヒはパラドックスにネイルガンを向けた。そして、左手で眼鏡をブリッジを押し上げる。
「貴方たちは、何をしようとしているのでしょうか?それに、なぜ私だけをこの場所へ?」
 パラドックスの問いかけに、エーアリヒは答える。
「冥土の土産にいいでしょう。帝都中枢での作戦は、私たちの管轄外。一部のタカ派による、示威行為ですよ。もちろん、迂闊なことになれば、私たちが止めに入るほどの危なっかしいことですが」
「次の質問に答えます。なぜ、貴方をここに陽動したのか?それは……貴女がとても危険な存在だからです」
 刹那、エーアリヒがネイルガンのトリガーを引いた。それとほぼ同時に、パラドックスの左側に居た集団がトリガーが引かれる。絶体絶命のピンチに対して、パラドックスは鼻で笑った。
「そうですか。そうでしたら……」
 パラドックスは、その場で跳躍。襲い掛かる銃弾を回避し、エーアリヒを含む集団を見下ろす高さまで、一気に上昇した。驚きを隠せないエーアリヒ。
 パラドックスは背中に手を突っ込むと、そこから一つの銃器と砲弾を取り出した。中折れ式の、ランチャーだった。
「メドゥーサの威力テストにはもってこいですね」
 素早くランチャーを展開し、装填していた砲弾を左手で持つ。そしてパラドックスは、左手で握った砲弾に『瘴気』を注入させる。
「……まさか!!」
 瘴気の匂いを嗅いだエーアリヒは、すぐにバックステップをとり、退路を取る。その間に、パラドックスは瘴気を込めた砲弾をランチャーに装填した。
 禍々しい何かを感じ取った黒旗の集団は、一斉に逃げ出そうとした。パラドックスはそんな彼らに向かって、ランチャーのトリガーを引く。
 小さめの砲口から、明らかに場違いな大きさを持った黒色の『玉』が発射された。大男が両手を目一杯に広げたほどの大きさの、玉。それは、逃げている集団の中央に着弾。一部の人間はそれに押しつぶされた。玉は地面に吸収されたかと思った瞬間、直撃を避けきれた集団は、硬直したかのように背筋を上げ、不気味に痙攣した。
「あっああああ!!」
 叫び声のような絶叫と共に、生き残った黒旗の隊員は一瞬にして、身体が蒸発したかのように白骨化した。人体模型の骸骨のように、綺麗な形の『骨』となってしまった。その骨は真っ黒な煤のようなのがこびり付いている。
「なっな……なんですか、これは?!」
 一瞬の出来事に、エーアリヒは思わずたじろく。
「瘴気砲、メドゥーサ。瘴炉から媒体した瘴気を専用の砲弾へ注入し、装填。発射された瘴気は、周辺の有機物及びGに高濃度の瘴気を浴びせる」
 パラドックスは、そのままメドゥーサによって白骨化した黒旗の下へ着地すると、エーアリヒの問いに答えた。
「なるほどですね。彼が言うとおり、貴女は危険すぎる」
 エーアリヒはそう言うと、ネイルガンを投げ捨てた。そして、スカートの裾を両手で引っ張った。
「この環境では、その武器は猛威を振るいますわね。それでは、私はこの辺でお暇してもらいますわ」
 エーアリヒのスカートの中から、ピンを抜いた手榴弾が転がる。パラドックスがそれに気づいた瞬間、それは煙幕を撒き散らした。一瞬にしてエーアリヒの姿は見えなくった。
 さらに纏わり付く様にパラドックスの周りに、煙幕が視界を遮り。パラドックスは舌打ちをする。
「帝都が危険なのは、二段構えの範疇に過ぎませんよ」
 消えていったエーアリヒに囁くようにして、パラドックスが呟いた。



「こちら、ツヴァイ・アサシン。配置に就いた」
「了解カウントに入る。準備してくれ」
 マイスターシャーレの教職員が就寝している寮の屋上で、黒装束の服を着た男たちが仰向けになった状態で待機していた。上空には帝都防空飛行隊は空上警備をしていない。先の事件やグレートウォール戦線の状況悪化と絡まった結果だった。三人の男……黒旗の特殊部隊である彼らの目標は、黒旗と武装SSの癒着を知っているライサ、ホラーツ及びMAIDの暗殺。そして本命は、特別な方法で同志になったMAIDによる帝都中枢への攻撃だった。
「カウント……ドライ……ツヴァイ……アイン!」
 一番後方で待機していた男の合図と共に、アサシンが屋上からゆっくりと降りた。腰にはスリングベルトが装着されている為、壁伝いに歩きながらライサが寝ていると思われる部屋の窓へたどり着く。横には、ホラーツの部屋の窓へ向かっている仲間が。二人のやや後ろに、援護役が待機していた。
「こちら、ツヴァイ・アサシン。これより突入する。カウントを頼む」
「了解」
 ツヴァイ・アサシンは心臓の鼓動を抑えながら、両手に嵌めつけられた『クロウ』の安全を確かめる。小手のように嵌められたそれは、四つの鍵爪を持っており、鋭利な刃には致死性の高い毒が刷り込まれていた。さらに腰には、小型の自動拳銃と、毒ガスを注入したグレネードが。
 そして、頭上に固定されていた防毒マスクを嵌める。空気漏れがないか確認すると、手合図で援護役とアイン・アサシンに連絡する。
『準備完了。突入する』
 刹那、ツヴァイ、アイン両名のアサシンはクロウを使って、窓をかち割った。ガラスの破片が飛び散るのと同時に、素早く腰に固定されたグレネードを持ち、ピンを引き抜こうとする。そして、部屋の内部を見た瞬間。
「こんばんわ、黒旗さん。残念だが、手は先に打ってある」
 ツヴァイ・アサシンの視線の先に、妖艶な下着だけを身に着けたライサの姿が居た。彼女の右手には、ダブルバレル・ショットガンが握られていた。
「ジ・エンドだ」
 露になった素肌を見せ付けるライサは、誘っているかのような笑みを浮かべた。その瞬間、ツヴァイ・アサシンの腹部に切り裂くような衝撃が走った。
 吹っ飛んだツヴァイ・アサシン。直後、アイン・アサシンに銃撃を浴びられた。二人とも、スリングベルトで固定されながら、息絶えたのか、ぶら下がっている。
 援護役だった、ドライ・アサシンはあまりの出来事に、息を呑んだ。そして状況を理解し、急いで仲間たちに知らせようとした。無線機の周波数を調整し、コードブルーを発令しようとした。
「こちら、アサシンチーム!コード……」
 そこまで言おうとしたとき、ドライ・アサシンは喉に何かが突き刺さる感触と、焼け付くような痛みが襲い掛かった。
「……させませんよ」
 女の声が後ろからする。ドライ・アサシンは痛みのあまりに震える頭を必死に動かし、後ろを見た。ナイフの切っ先を指で摘んだ、女がこちらを見下ろしていた。スーツ姿の眼鏡をかけた、女だった。ドライ・アサシンは自分の喉元へ視線を送ると、そこには血で汚れたナイフの切っ先が露になっていた。
「なん……だと……」
 そこまで言うと、ドライ・アサシンは力尽きた。
レーニ、状況を報告してくれ」
 腰に帯びていた小型無線機から、ノイズ交じりのライサの声が聞こえた。黒装束の男が息絶えたことを確認したレーニは、投げナイフを腰のポーチに収納した。
「襲撃犯の三人の死亡を確認。仲間に緊急通信を行なうとしていた模様ですが、阻止しました」
スリングベルトによって、ぶら下がったまま死亡した三人を見て、一安心した。そのとき、自分の背後に何者かの気配を感じた。鋭く尖った刀のような、雰囲気。それは、アサガワと同じ空気だった。
「無駄だったか」
 ゆっくりとレーニは振り返ると、そこにはアサガワではなく、二人の男女が居た。一人は紺色の胴衣と白色の袴を身に着けた、痩せこげた男。そして、男の背後には皇国のMAIDのような格好をし、眼鏡をかけている女の姿が居た。
 男は腰に脇差しと刀を帯びている。一方、女の方は150センチほどのサイズの刀を鞘に納めて、背中に装着していた。
「左様でしょうね。皇国の忍者の方がもっと働いてくれますわ」
 眼鏡のブリッジを押し上げた女……いや、MAIDは口を開く。レーニはただならぬ雰囲気を持った二人に臆することなく、腰のホルスターに納めていたレイジングエイクを抜き取った。こちらの動きを悟ったのか、MAIDは痩せこげた男より前へ出て行く。
「申し遅れました。私、千早と申すMAIDでございます。こちらの男性は、時雨。私ともども、黒旗に身を置く傭兵でございますわ」
 千早、と名乗ったMAIDは背中の鞘に、右手を伸ばす。そして、刀を抜き出した。今日は満月の為か、刀の刀身が月光の下に光った。千早はそれを右手で持つと、軽々しく右手をしならせる。それと同時に、刀は空を切り裂いた。
「レーニ、どうした?!」
 小型無線機から、ライサの声が聞こえる。レーニは予想外の敵に、自分のペースが乱せないように心を落ち着かせる。
「ライサ様、コード:ブリッツ。早急に、マイスターシャーレから離れてください」
「……分かった。気をつけろよ」
 普段の口調は正反対の、軍人らしいはっきりとした声で、ライサはレーニの無事を祈った。
「……Ja 畏まりました ライサ様」
 そこまで言うと、レーニは無線機の電源を切った。向こうのMAIDたちはこちらの用件が済んだのを確認したのか、口を開いた。
「私は、あの人と。時雨さんは、目標の暗殺を」
「承知した」
 時雨、と呼ばれた男はゆっくりと千早から離れるように歩き出した。レーニは直感的にライサたちが危ないと悟り、レイジングエイクのトリガーを引いた。発射された40S&W弾は、時雨に命中するより早く、千早は抜刀した。目にも止まらぬ速度で繰り出された刀は、銃弾を真っ二つに引き裂いた、という感触をレーニに主張した。
 空を切り裂く独特の音と、それに伴うかのような突風が、レーニの肌を貫く。目標となった時雨は、無事だった。早撃ちの要領でやったとしても、五十メートルも離れていない目標を撃ち抜くことは、レーニにとって容易い。しかし、それが失敗、いや阻止された。千早の繰り出された刀によって。
「余計な手出しは無用でございます。そんな玩具で、私や時雨さんが倒せると?」
 立ち止まった時雨もまた、刀を手にかけようとしていた。もし千早が失敗したとしても、自分ならいける、という暗示なのかレーニは分からなかった。しかし、予想以上の実力を持った来客に。レーニは冷や汗をかいた。
 恐らく、こちらの状況を把握して、ライサたちも何かしら準備をしているはずだった。騒ぎに駆けつけたMAIDもいるだろう。しかし、この二人に対抗できるか?となれば、話は別になる。
 身の丈サイズの刀を軽々と振り回し、銃弾を叩き切るほどの技量を持ったMAID。さらにもう一人の男は、並々ならぬ雰囲気を持っている。
「レーニ!」
 真夜中のマイスターシャーレに、聞き覚えのある女性の声が響いた。レーニの右側の建物郡の屋上を、先ほどの声の主である女性の人影がうっすらと見えた。それは、猛烈なスピードで屋上と屋上を跳躍。凄まじい速度で、空高く舞うと、千早に向けて急行落下した。
「新手ですわね!」
 千早は急行落下する人影に向けて、刀を縦一閃に振り下ろす。人影は、こちらへ向かう刀を回避し、千早の眼前で着地。そのまま、右のボディブローを千早に叩き込もうとする。
「させません!!」
 振り下ろした刀を持った右手を捻って、横一閃に斬ろうとする。横殴りでこちらに向かう刀身に、女性はバックステップで回避。そのまま、レーニの隣へたどり着いた。
「大丈夫か?!」
 人影の正体は額にバンダナを巻いた、シルヴィだった。ノースリーブのシャツに、長ズボンを穿き、活発そうなショートヘヤをしたMAID、シルヴィ。レーニは頼りになる戦力が来たことに安堵した。
「大丈夫です。それより、ライサ様たちは?」
 レーニの問いに、シルヴィは腰のホルスターに掛けていた、レイジングエイクを抜いた。しかし、レーニが持っているそれとは異なっており、シルヴィのはリボルバータイプのものだった。
「ライサ様とヴォルケンの小父様は、待機していたMAIDと一緒に安全地帯に向かっているけど、黒旗の暗殺部隊が道を塞いでいる!」
 恐らく、最初に奇襲した部隊とは別働隊か、とレーニは予想した。それにしても、あまりにも手際が良すぎる。ライサとヴォルゲンが此処に宿泊することは罠だったが、相手はそれより一手二手と先を読んでいる。
「レーニ、貴女はあの男を」
「了解!」
 シルヴィはレーニの命令を聞くと、跳躍。屋上から去ろうとした時雨の目の前に着地した。そして、レイジングエイクを時雨に向ける。
「ほほう。威勢がいいようだな。千早、そのMAIDは任せたぞ。それがしは、少し場所を変える」
「分かりました。くれぐれもお気をつけてください」
 千早が言い終わった後、時雨は右へ向かって走り出す。時雨の視線の先には、五十メートル手前に建てられていた旧校舎の屋上だった。シルヴィは慌てて時雨の後を追いながら、レイジングエイクのトリガーを引く。乾いた銃声と共に弾丸が発射されるが、時雨はそれを容易く回避し、大きく跳躍。人間の域を大きく外れたそれに、シルヴィとレーニは息を呑んだ。
 風によって胴衣を靡かせた時雨は、何事も無かったかのように、旧校舎の屋上へたどり着いた。そして、腰に帯びていた刀……ムラマサを鞘から抜く。
「まさか、あいつは!」
 シルヴィはそう言うと、レイジングエイクをホルスターに収納し、両脇のホルスターからSWシグマを両手持ちにする。そして、時雨の後を追うように旧校舎の屋上へ向かう。それを見届けた千早は再度、持っていた刀を大きく左右に振った。レーニは、腰のポーチから投げナイフを三本取り出し、左手の指の隙間に挟む。
「これで邪魔立ては居ないようですね」
 千早は、さも満足な笑みを浮かべながら、巨大な刀を振り回した。そのせいか、彼女の周囲に風が纏い、レーニの長髪を靡かせた。レーニは、早撃ちの要領で千早の額、心臓、腹部の各所にレイジングエイクの銃弾を発射した。しかしそれは、見えない壁に当たったかのように、銃弾は四散した。
(あのMAIDが纏っている『風』なのか?!)
 四散した銃弾を見て、レーニは舌打ちをする。千早の周囲に纏っている風が、銃弾を弾き返したかのように見えた。
「……こうなれば」
 まだ残っている弾薬カートリッジを強制排出し、レーニは『とっておき』の弾薬を詰め込んだカートリッジを、スーツの内ポケットから取り出した。それを手早く装填し、薬室に残っていた通常弾をコッキングで排出する。
「これで……!!」
 一撃で仕留められる箇所へ狙いを定めたレーニは、レイジングエイクのトリガーを引いた。その瞬間、肩が外れそうな衝撃と共に、螺旋状のマズルフラッシュを身に纏った弾丸が発射された。独自のカスタマイズが施された、レイジングエイクの切り札。高威力属性弾。
 荒れ狂う痛み《レイジングエイク》の名に相応しいそれは、千早の元へ直進した。
 しかしそれは、千早に当たる寸前、見えぬ壁によって『破壊』された。周囲に炎を撒き散らし、衝撃のあまりに屋根の一部を吹き飛ばした。レーニは襲い掛かる衝撃波に、片手で視界をガードした。
「有り得ない……」
 やがて衝撃波が収まり、レーニは前方で立っている千早を見るや否、呟いた。千早は、傷一つどころか、彼女が着ている服すら何事も無かったかのように無事だった。悪い冗談にレーニは冷や汗をかきながら、レイジングエイクのトリガーを引き絞った。カートリッジが空になるまで撃ち続ける。
 千早は弾丸に対して、刀をゆっくりと振り回しながら、冷ややかな笑みを浮かべているだけだった。
「存分に楽しみましょう。今宵限りの、とっても素敵な殺死合を」



同時刻。元帝都内第三研究所跡地下



 クリスチーノは歩いていた。数年前、帝都に置かれていた第三研究所の地下を。一人の女が、血眼になって彫り続けた洞窟を。忘却の彼方へ追いやられた、この場所が全ての始まりだった。
 彼の右手には、ランプが握られている。その明かりだけが、この洞窟を照らす唯一のものだった。冷たい風が、身に着けている黒旗の制服の隙間へ入り込み、クリスチーノに突き刺さる。息を吐けば、真っ白な吐息が吐き出される。少し先は何も見えない。暗闇だけが支配している。その先の向こうに、落とし穴があったとしても分からないほどの暗闇だった。
 歩いていた。ひたすら、歩いていた。矛盾した女が作り出した、矛盾の塊であるMAIDの力を再び求めに、クリスチーノは歩いていた。
「……瘴炉。しかしあれは、出来損ないの塊だ」
 そうだとも、とクリスチーノは口走った。彼の坊主頭からは、大量の汗が滲み出ている。この先の向こうに存在する『パラドックスシリーズ』の起源が、彼を恐怖に駆り立てた。最初に彼女の力を使ったとき、それはこの世界のパワーバランスをひっくり返すほどのものだった。
 対G用ではなく、対MAIDたる能力。パペット・マスター。
 それはエターナル・コアを支配し、対象となったMAIDを自由自在に操る能力。その標的となったルナ。全てを失った彼女は、エターナル・コアを守る術すらも無くしていた。
「MAIDを越えるMAID。貴女はそう仰っていた。」
 クリスチーノにとって、あのMAIDを作り出した女には、狂気という言葉しか見当たらなかった。数々の違法実験、それに伴う破棄されたMAID、行き着いた先は、MAIDを越えたMAID。第三研究所と接点が無く、資料しか彼女の存在を知らなかったが、クリスチーノは言葉や文字ですら彼女が如何に狂っているか十分に分かった。
 それでも、クリスチーノは自分の理想のために、彼女によって封印されたMAIDの力を使おうとした。腐りきった帝国を、根元から引きちぎる禁断の行為を。
「全ては理想のために。鉄槌の名の下に」
 クリスチーノが口走ったとき、前方に人の気配がした。彼は立ち止まる。それに気づいたのか、小さな明かりが少し手前で灯った。
「それが、お前の理想なのか」
 明かりの向こうに、モレイス中佐の姿があった。眼鏡越しの彼の瞳は、同情や哀れみといった類の感情が宿っていた。どうして彼がその場に居るのか、クリスチーノは余計なことを考えなかった。
「中佐……貴方を含め外部からの協力者が、端から我々に協力するつもりは無いと知っていましたよ」
 クリスチーノは制服の内側から小型の自動拳銃を取り出すと、それをモレイスの額へ向けた。
「だったらなぜ、こんなことをする?」
 モレイスは突きつけられた銃口に臆することなく、クリスチーノの顔を見る。血走った彼の顔は、まさしく黒旗と呼ぶのに相応しいものだった。過去に見た、好青年の顔つきの彼は、遠い過去のものになってしまった。
「茶番ですよ。全ては、あのMAIDのための前菜に過ぎません」
「まさか……パラドックスシリーズのオリジナル、『ゼータ』があの扉の向こうに居るのだと?」
 第三研究所局長、アドルフによるMAIDの違法実験……コア喰い、永爆。あまりにも危険すぎる実験を、彼女は帝都で行なっていた。
 一歩間違えれば、帝都いや帝国そのものが塵と化してしまうほど。だからモレイスは十三名の職員を逮捕し、処刑した。パラドックスシリーズは覚醒したMAIDを除いて、全て処分した。しかし、アドルフが残したメモに存在する『ゼータ』だけは見つからなかった。MAIDを越えるMAIDと呼ばれていたゼータは、アドルフの妄想としか想像できないほどの理論によって造られていた。だからこそ、あの扉の向こうにゼータが居ることは、モレイスの想像にし難いものだった。
「あのMAIDは……理論上、素体そのものが、複数のエターナル・コアで精製されたモノだぞ?ありえないぞ、クリスチーノ!」
「真実と事実は違いますよ」
 クリスチーノは、慌てるモレイスをなだめるかのように、恐ろしく冷静な声で呟いた。
「私はね、ゼータの力を解放しているんですよ。だから、ルナは意図的に暴走した」
「目を覚ませ、クリスチーノ。今ならまだ間に合う」
 モレイスはそう言うと、左手をクリスチーノに向けた。ランプの明かりによって照らされた左手には、リボルバー式拳銃が握られている。
「貴方はいい道化でしたよ。私は理想のために、立ち止まるわけにはいかない」
「ぬかしたことを!」
 その瞬間、狭い洞窟の中で二つの銃声が木霊した。


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最終更新:2010年01月30日 15:04
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