クラキア危機 | ||||
概要 | ||||
![]() |
||||
関係勢力 | ||||
クラキア側 | 反クラキア諸国 | |||
クラキア | ヴィルニア帝国 | |||
トラキア・ローマ帝国 | ||||
クラキア危機は、マグリブ戦争におけるイベリア軍残党および政府資金をクラキアが一方的に接収したことに端を発し、南米南部にて緊張が高まった一連の事件の総称である。 | ||||
詳細 | ||||
![]() ![]() ![]() |
||||
マグリブ戦争末期、当時の友好国であったクラキアへ亡命し建て直しを図ったイベリアであったが、情勢を鑑み到着後クラキアはイベリアとの国交を断絶、首都モンテビデオにて亡命イベリア軍は武装解除される。その後しばらくこれらの兵力の所在は宙に浮いたものとなっていたが、クラキア政府はこれらの接収ならびに自軍への編入を決定する。さらに、接収時に艦内から多数の金をはじめとする政府資金が確認され、その額は約30兆Dとみられる。このことによりクラキアは原子力巡洋艦の配備などを実現し地域の軍事バランスが変動、また接収資産は更なる軍備拡張や工業力の整備に用いられた。これらの軍事力を背景にクラキアは周辺のクラキア人居住地域を再度自国へ編入する「国土回復運動」を開始、大規模な軍事演習を実施し力を見せつけるとともに他国との交渉を開始した。特にヴィルニア帝国のリオグランデ・ド・スル州やサンタカタリーナ州などのバンダ・オリエンタル地方はクラキア人の人口に占める割合が高く、両国でかねてより紛争の火種となっていた。統一歴196年両国首脳はクラキア首都モンテビデオにて会談を実施。バンダ・オリエンタル地方のクラキアへの割譲および割譲地域内にて貿易・海軍の要衝であったパトス湖(パトラス湖)周辺の共同管理が決定された。クラキアは国土面積を2.5倍に、人口は約2倍に増加させ、更なる勢力拡張に向けた土台を築く。一方で軍備・重工業偏重の開発は国内の格差を増大させ、かねてよりの権威主義的体制もあり、国外での大規模なデモ発生に繋がった。特にトラキア・ローマ帝国にて発生したデモは各国で放送され、クラキア政府への圧力が強まった。 | ||||
写真上から:宮殿にて閲兵を行うシュテファン・ラーシ首相、イベリアからの接収資産が用いられたアトランティダ海軍基地・海軍工廠、ヴィルニア・クラキア首脳会談(モンテビデオ会談) |